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024.Let The Cat Out

 数日後の学園寮。


「ところで、あの子は元気にしてますか?」

 定例になっているエイミーの個人訓練に来たユウに、シンは思い出したように質問する。

 ちなみにエイミーの体術の腕前はかなり上がっていて、いまやテーピングや絆創膏が全く必要の無いレヴェルに到達しているようだ。


「『ティア』は未だにニホン語はカタコトだけど、食事とか生活習慣はマリーが付きっ切りで教えてすっかり問題が無くなったみたいだね」


 ユウは、シンがおやつ用に用意したアフォガードを美味しそうに頬張っている。

 シンは普段はエスプレッソマシンは使わないが、このメニューやティラミスを作る場合は例外である。

 それにTokyoオフィスで仕込んだバニラジェラートをアンから大量に分けて貰ったので、アフォガードは現在寮生全員のお気に入りデザートになっているのである。


「あの子は、『ティア』って名前なんですか?」


「本名は当然発音出来ないから、マリーが名付けたみたいだね」


「彼女は珍しいアートの才能があるPROPHETAですから。

 ノーナも彼女の事は、ずっとお気に入りなんですよ」


 エイミーもアフォガードを気に入っているらしく、大きなファンテングラスにジェラートを山盛りにしてからエスプレッソを注いでいる。

 このジェラート自体も近郊の農家から仕入れた生乳とマダガスカルバニラで作った試作品なので、材料費が掛かっている採算度外視の美味しさなのである。


 シンはこれもアンの店で廃棄する筈だった、シュガーコーンにバニラジェラートを豪快に盛り付けて齧っている。

 焼いた当日に売れ残りを廃棄する自家製コーンは若干湿気を帯びているが、既製品のコーンとは段違いの味である。


「エイミーは彼女と近しい間柄だったんでしょ?

 初めて会った時に、エイミーに会いに来たみたいな事を言ってたけど」


 カリッ、カリッとシンの口元で、コーンが割れる大きな音が響く。

 

「う~ん、PROPHETA候補というのは集団作業とは縁が無いので。

 特に仲良しだったという事実はありませんね」


 ここでコーンを齧っているシンのアイスクリームを、横から顔を出したエイミーが強引につまみ食いする。

 大きくコーンに歯形が付いたが、シンは慣れているのか全く気にしていないようである。


「それじゃぁ、この惑星に興味があったとか?」


「彼女は特殊な出自ですから、それは有り得ますね。

 自分の父親以外の興味の対象は、シン個人なのでしょうけど」


 エイミーはアンの店を直に訪れたことが無いので、自家製コーンを食べる事が出来て満足気な表情である。


「えっ僕?」


 ジェラートを食べ終えたシンは、すこし意外そうな表情をしている。

 謙虚が身に染み付いてしまっている彼は、いつでも自分が注目を浴びている存在なのを自覚する事が無いのである。


「私に会うというより、正式な護士(ガーディアン)であるシンに会ってみたかったんでしょうね」


「???」


 ここでユウは納得したように大きく頷いているが、シンはエイミーの言っている意味が良く分かっていないようである。


「……それで、彼女は穏やかで細かい事は気にしない性格だから、マリーとは相性が良いみたいだよ。

 もう姉妹みたいに仲良くなっているけど、唯一の問題は彼女が外出が嫌いだという点だけかな」


「まさか映像作品とか、ネットに嵌ってる訳じゃないですよね?」


「彼女は生まれついてのアーティストみたいで、いつの間にか原型用のクレーや道具一式を手に入れて作品を作っているよ。

 閉じ籠って作ってるから、偶には外出するようにアドバイスしようと思ったんだけど……」


「?」


「見せて貰ったその作品がすごくてね。

 私もキャスパーの付添で良く美術館に行くけど、あれは今すぐ展示会を開けるレヴェルだろうね。

 目が肥えたシン君にもぜひ見てもらいたいな」



                 ☆



 数日後のTokyoオフィス。


 ノーナからの伝言を実行するために、シンはティアに会いに来ていた。

 無作為に美術館を訪問するよりも、彼女の好みの分野を聞いておいた方が効率良く訪問できるからである。

 出掛けにエイミーに声を掛けると特に話す事は無いと返答があったので、今回はシン一人での訪問になっている。


 まずリビングで挨拶したシンは、マリーを伴って入室した部屋で創作に没頭しているティアを目にする。

 Congoh謹製のデニムワンピースに身を包んだ彼女は、ボタンを全部留めずにかなりラフな雰囲気である。

 下着は着用していないらしく柔らかい胸が生地を押し上げて眼福な状態だが、部屋着としてはごく当たり前なのかも知れない。

 作業用のテーブル上にはフィギュア製作のハウツー本やエナジーメイトの箱が散乱しているので、彼女は作業に集中すると周りが見えなくなるタイプなのだろう。


 壁面の飾り棚には、アクリルケースで保護されたクレーモデルが幾つか並んでいる。

 フィギュアにして残しておくとマリーは言っていたので、あくまでも原型として一時保管しているのだろう。


「これは……すごいな!

 まるで今にも動き出しそうな、生々しさがあるよね」


 シンがマリーと混浴した回数は少ないが、一目で作られたクレーモデルは誰であるか分かってしまう。

 柔らかさを感じさせる小さ目のバストや、くびれたウエストからヒップにかけての微妙なライン。

 3Dスキャンしたデータでは得られない芸術性を感じるその作品には、優れた造形物特有のオーラが感じられる。


「ねぇ、マリーがモデルになったの?」


「ううん。

 一緒にお風呂に入っただけで、ポージングみたいな事はやってない」


「……瞬間記憶ってやつを、彼女は持っているんだろうね。

 それで、ニホン語の会話はどうなの?」


「こちらが言ったことは理解しているので、特に問題無い。

 それよりシン、彼女は最初にルーブルとメトロボリタンに行きたいと言ってる」


 自分の事が話題になっているのに気が付いたのか、ティアは(ようや)くシンが来ているのに気が付いたようだ。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 リビングに場所を移して3人は会話を続けるが、シンはマリーが居るので当然手ぶらでは来ていない。

 持参した巨大なバスケットをテーブルに広げると、マリーが目を輝かせてサンドイッチの山を凝視している。


 大量のサンドイッチのメイン具材は、エイミーも絶賛していた自家製コーンビーフである。

 余り食材で作ったビーフジャーキーには流石にシリウスも飽きて来たので、熟成するのに時間が掛かるが様々な料理に使えるコーンビーフ作りに切り替えたのである。


 マリーは無言でサンドイッチに手を伸ばし食べ始めるが、市販品とは全く違うコーンビーフの味にかなり感銘を受けているようである。

 感想も言わずに黙々と食べるマリーの様子に、ティアも興味を持ったのか手を伸ばしてサンドイッチを口にする。

 横目でさりげなく観察していたシンは、彼女が咀嚼し始めた瞬間の恍惚とした表情を見逃していなかった。


(ああ、やっぱり同じ食生活で育ったから、味覚も同じなんだな)


 シンはエイミー達の母星でクジラのような赤味肉を食べた経験があるので、このコーンビーフの味付けが偶然それに似てしまったのに気が付いていた。

 意図的では無いが、漬け込む保存液の調味料や熟成した牛肉の風味が重なって似たような味になっているのだろう。


「明日から暫く業務はオフを貰ったから、まずはメトロポリタンから行ってみようか」


 ティアはシンの言葉をしっかりと理解できたようで、サンドイッチを頬張りながら小さく頷いたのであった。



                 ☆



 一週間の美術館巡りの最終日、高層タワーマンションのリビングでシンとティアは寛いでいた。

 メトロポリタン(THE MET)の訪問は2日がかりでも駆け足だったが、彼女はフェルメールや一部の作品だけを時間を掛けて見ていたので特に不満は無いようである。

 

 ノーナの接待にも使われたこのマンションはソラのアヴァターラボディの持ち主が所有していたもので、不動産としてもかなり高額な物件である。

 処分せずに拠点の一つとしてCongohが利用しているのはNYCの中心部という便利な場所であるのも理由の一つであるが、何より窓から眺める夜景が抜群だったからに他ならない。


 室内は夜景を楽しむために間接照明のみで薄暗く、据え置きのボーズのサウンドシステムからはシンのCDが流れている。

 シンは寮でもBGM代わりにTVを付けっぱなしにする習慣は無いので、流れている音楽は当然リピート設定になっている。


「どう、ここからの夜景は?」


「……」


「母星には高い建物は無かったから、珍しい景色でしょ?

 あそこには、ネオンサインみたいな電飾も無かったしね」


「……」


 シンのニホン語はしっかりと理解しているようだが、彼女が言葉を返す事はほとんど無い。

 テキサスで出会った時には銀河標準語(オーラベッシュ)ながらもっと口数が多かった記憶があるので、これが本来の彼女の姿なのだろう。


 ただ彼女はシンのCDに合わせて小さくハミングを続けているので、それほど機嫌は悪くないようだ。

 特にカバーソングの『Faithful』がお気に入りのようで、イズミとのハーモニーパートではハミングがしっかりと大きくなる。

 口ずさんでいるメロディは実に正確で、エイミーやキャスパーが音楽好きであるとは一度も聞いた事が無いのでシンとしてはかなり意外に感じていたのである。


 ハミングしている彼女の横からシンがサビのメロディパートを口ずさむと、ティアはCDのボーカルと綺麗にユニゾンする彼の歌声に目を見開いて驚いている。

 たぶん流れている音楽が、シンがリリースしたCDであると認識していなかったのだろう。


 シンはここで、冷蔵庫で良く冷やしたシックスパックのビールを取り出してソファの前のコーヒーテーブルに置く。

 このニホン製ビールは米帝のスーパーでシンが購入するのが不可能なので、ユウが気を効かせて持ってきてくれたものである。

 米帝ならばプラスティックのリングが使われているシックスパックも、ニホン製のビールでは厚紙で出来たケースになっている違いが面白い。


 シンの日常はいつでも慌ただしいので、偶にはこういうゆったりとした時間も必要なのかも知れない。

 シンはプルタブを開けると、寮で飲みなれている銘柄の日本製のビールを口にする。


 喉が渇いたらしいティアはシンに倣ってビールに口を付けるが、エイミーよりは体重があるので急性アルコール中毒の心配は必要ないだろう。

 エイミーは苦味のあるビールの味は苦手だと言っていたが、ティアは味覚が違うのか実に美味しそうに缶ビールを煽っている。


「一週間、楽しかったかな?」


「……」

 彼女はシンの目を瞬きもせずに見つめながら、こくりと頷いたジェスチャーを返してくる。


「そう。母星まで僕がジャンプで送る事も出来るけど、どうする?」


 今度は自らの意志を明確に表明するためか、彼女は首を小さく左右に振っている。


「まだこの惑星に居たいんだ?

 ノーナは期限について何も言ってなかったから、滞在が長期になっても大丈夫なのかな」


 今度は首を縦にしっかりと振って同意を表す姿は、彼女の明確な意志を示しているのだろう。


(長期滞在しても問題は無いと思うけど、戻ったらまずキャスパーさんに相談してみようかな)


 どういう経路か不明なのだが、この惑星のネットに接続する手段があるらしくノーナからシンには頻繁にメールが来る。

 直接彼女に相談しても良いのかも知れないが、ティア本人が望まない結果になってはシンとしては不本意なのである。


 ティアはいつの間にかビールを飲み干して、二本目のビールのタブを開けている。

 ビールを片手にシンの目をじっと見つめているのは、何かを催促している時の表情である。


「ああ、はいはい。

 これで良いかな?」


 シンはバックパックから、棒状の乾いたサラミが入った袋を取り出す。

 これはアイの自宅の冷蔵庫から出てきた余剰在庫で、熟成が進んでかなり固くなっている本物のドライソーセージである。

 シンはジャンプを多用するようになってから非常食の重要性を痛感し、ゼリー飲料以外にも何かしらの保存食料を持ち歩いているのである。


 硬く締まったサラミはそのまま噛り付くと流石に硬すぎるので、シンは殺菌したポケットナイフを使って薄く斜めにスライスする。

 彼女は小さく頷くと、濃厚な味のサラミを齧りながらビールを美味しそうに煽り続ける。


「……この飲み物、とってもおいしい!」

 消え入りそうな小さな声だが、数日ぶりにシンが聞く事が出来た彼女の一言であった。



                  ☆



 ティアとの美術館巡りの合間、シンはTokyoオフィスで偶然遭遇したアンとリビングで談笑していた。

 以前から彼女にブレードの訓練について相談したかったのだが、ユウと同じく超多忙な彼女はTokyoオフィスでその姿を見かけることは滅多に無い。

 夕食当番の時間に行けば確実に会えるのだが、シンも自分の仕事で忙しく中々スケジュールが合わなかったのである。


「シンはブレードが苦手でしたわよね?

 あんなに素晴らしい音楽を作れるのに、形状をイメージする力が弱いのですわね」


 アンは試作中のジェラートを大きなアイスクリーム皿に載せて、シンに配膳している。

 マリーはかなり変わった味でも抵抗無く食べてしまうので、新製品の試食モニターとしては全く頼りにならないのである。


「ああ、そうかも知れない。

 学校教育の芸術(アート)に関する授業は、全く受けていないし。

 絵画とか彫刻は見ていて感銘を受けるけど、自分で創作している姿は想像もつかないかな」

 シンはアイスクリームスプーンで、ジェラートを頬張りながら答える。


「それで、お味は如何ですか?」


「うん、レーズンの風味が強くてとっても美味しい。

 このマラガはアルコールが強いから子供向けじゃないけど、素晴らしい出来栄えだね」


 シンはイタリアに長期滞在した経験もあるので、ジェラートに関してはアンと同じ位食べ慣れている。

 ニホンで良く食べられているラムレーズンアイスクリームよりも、酒精が強いマラガは大人向けの贅沢なジェラートなのである。



「それで、なんで今更ブレードの訓練をやり直す気に?」


 自分用に用意したジェラートの味を確認しながら、アンはシンに尋ねる。

 攻撃用ドローンすら一網打尽にするシンの戦闘能力については、義勇軍の同僚としてアンもしっかりと把握している。


「最近の美術館巡りで美しいニホン刀の特設展示を見て、アンが得意なブレードの事を思い出したんだ。

 エイミーから僕はイメージする力が弱くて、アンキレーの能力を発揮できてないと指摘を受けているからね」


「確かにイメージ力増強の訓練としては、ブレードは良いかも知れないですわね」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 場所は変わって地下のトレーニングルーム。


「いきなり素振りなの?」

 シンは普段着のままで、アンに渡された木刀を手にしている。


「正確にイメージするには、本物を触るのが一番なんですわ。

 それともぶっつけ本番で、真剣を振ってみますか?」


「なるほど。

 こんな感じでどうかな?」


 空気を切り裂く木刀は、剣先もぶれずに綺麗な円軌道を描いている。

 シンの素振りは剣術の経験が無いにしても、体術を習得しているメトセラらしい無駄の無い動きである。


「あらっ、意外ですけどちゃんと振れてますわね」


「そう?」


「という事は、あとはイメージトレーニングの継続と実践あるのみですわね」

お読みいただきありがとうございます。

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