022.Slow Down
後半繋がりが悪い部分を削ったので、今週は若干短くなってしまいました。
フライト中のT-38機内。
アストロノーツ訓練用であるこの機体は、手軽な移動手段としても頻繁に使われている。
パイロットとミッションスペシャリストはこの機体の操縦で規定の飛行時間を稼いでいるので、50年以上前にロールアウトしたにも関わらず未だに現役なのである。
尤も元空軍パイロットの長官が自ら操縦桿を握っているのは、賛否が分かれる処なのだろうが。
「長官、エンジンの調子が2基ともおかしいみたいですね」
後席でEICASの表示を何気なく見ていたシンが、インカムを通して呟く。
彼は音速を突破できる機体に搭乗したのは初めてだが、日頃から超音速には慣れているので実に落ち着いている。
機内に響くターボジェットエンジンの稼働音にはまだ異常は感じないが、MFDは既にワーニングを複数表示している。
ちなみにNASAが独自に開発したこの機体のアビオニクスは、シンが見慣れているヴァイパーのそれと殆ど変わらない標準化されたものである。
「シン君、ここなら射出してもすぐに助けがくるから。
エンジンストールしない内に脱出してくれるかな?」
ジェット練習機であっても、推力が失われてすぐに墜落する訳では無い。
だが、翼面荷重が高く滑空性能が悪そうなこの機体では、安全に不時着するのは非常に困難であろう。
旅客機の墜落を幼少時に経験したシンは、今やアンキレーと自らの重力制御で自由自在に空を駆け回る事が出来る。
今この瞬間に機体が空中分解したとしてもシンは無傷で生還することが出来るだろうが、前席に離れて座っている長官の安全を確保するのはそれほど簡単では無い。
「自分はもう二度と、墜落を経験するつもりはありません。
それに長官にもしもの事があると、大統領から僕が叱られちゃいますからね。この機体の自重はどの位ですか?」
「おおよそ5トンね。なんでそんな事を聞くの?」
メーデーを宣言するために通信機に手を伸ばしていた長官は、操作の手を止めてシンに応える。
この瞬間にも燃料噴射の異常でエンジンが散発的に停止しているのだが、危機的な状況でも冷静な口調なのは流石に歴戦のパイロットである。
「エンジンが完全にストールする前に、速度を稼ぎますか」
「???」
「長官、加速しますよ。
しっかりと操縦をお願いしますね」
「加速?どうやって?
うわっ!!!」
エンジンの稼働音が頼りなく小さくなる中で、機体はアフターバーナーを点火したように急激に加速した。
強制的に吸気量を増やされたエンジンが、一時的に負荷が減少して燃焼が復活する。
「エンジンが完全に停止した場合、非常用電源は何分位持ちますか?」
「10分位だけど、ジョンソンまではアビオニクス表示は何とか持ちそうね。
それにしても、シン君は何でも出来るのね!」
「日常生活じゃ全く役に立たない、無駄な力ですけどね。
ああ今体験した事は、出来ればご内密にお願いします」
「大統領の若いツバメはスーパーマンだって言いふらしても、誰も信じてくれないと思うわ」
☆
ジョンソン宇宙基地航空機ハンガー。
「整備担当者は、ほとんどストールしたエンジンを見て首を傾げていたわよ。
メーデーを出さなくて良かったわね」
まるでグライダーのように滑らかにランディングしたT-38は、トーバートラクターでハンガーへ牽引されている。
「こんなに大きな質量を制御したのは初めてですけど、なんとかなりましたね。
それにしてもスロットルの操作無しで、スムースな操縦はお見事です」
「オートマのジェットを操縦してるみたいで、楽チンだったわよ。
私はグライダーの経験もあるし、失速にだけ気をつければ良いのだから」
シンは私物が入っているバックパックから、超高カロリーのゼリー飲料を取り出して口に含んでいる。
アラスカで除雪作業をした時にも感じなかった飢餓感を、シンはヴィルトスを使用して初めて感じていた。
(マリーがすごい勢いでこれを飲んでいた理由を、やっと理解できたかな。
非常用に分けて貰った分が、こんな時に役に立ったのは想定外だけど)
「これで借りが2つになったわね。
今回の分はギャラを出せないけど、ISSの補給の分はなんとか報酬が出せるように調整するわ」
「ボランティアで何かやると、フウさんに怒られちゃいますから宜しくお願いします。
それで今日の分は自分の身を守る必要があったんで、特にギャラは要らないですよ」
「あら、気前が良いのね」
「ただし、今日のエンジン不調が破壊工作だったりすると、事情が変わってきますけどね」
「……ダレスのハンガーには部外者も入れるから、何とも言えないわね。
原因を調査するように厳命してあるから、結果はちょっと待ってくれるかな?」
「はい、了解です。
長官も暫くはT-38の利用を控えて下さいね」
「君は大統領が言う通り、優しい子なのね。
それでこの基地の案内なのだけど……」
「長官、ちょっと宜しいでしょうか?」
ここでハンガーの中を、空軍の年期が入ったフライトジャケット姿の女性が駆け寄ってきた。
彼女はシンがISSの中で偶然?遭遇した、NASA所属のアストロノーツである。
長官に話し掛けながらも、彼女は意志が籠った強い視線でシンを見据えている。
「ああ、船長さんこんにちは!
地上に戻られてたんですね」
「あれっ、アイリーンと知り合いなの?」
「いえ、知り合いという事はありませんが。
とても有名な方なので、お顔は存じ上げてますよ」
「……いや、こっちはISSで出会った君の顔をしっかりと覚えているよ!
長官、彼はどんな用事で此処に来てるんでしょうか?」
「彼は新設されたPDCOの非常勤職員で、扱いとしては君の部下になるのかな。
ジョンソンの中を案内するために、T-38でたった今到着したところよ」
「それでは観光客用のトラムツアーじゃなくて、私が直接案内しますよ」
☆
ハンガーの更衣室で私服に着替えたシンは、アイリーンと一緒に敷地内を歩いていく。
目の前を通過していく観光客を乗せたトラムを見て、シンは幼少時にこの宇宙基地を訪れたことをぼんやりと思い出していた。
「君の事は、帰還してから何者なのか調査させて貰ったよ」
ツアーの道順とは正反対の正門へ歩きながら、彼女はシンに話し掛ける。
「はぁ……そんな大した奴じゃないのに、お手数を掛けさせてすいません」
これは謙遜では無く、シンの本音である。
「NASAや政府職員のデータベースには載っていなかったが、ゴシップ誌で偶然君の顔を見つけてね。
大統領の上級顧問なんだろ?」
正門脇の駐車スペースに到着すると、アイリーンは自分の愛車にシンを同乗させる。
かなり古めの赤いミアータは、アイも愛用しているドライブ好き御用達のオープンカーである。
「肩書きは便宜上付いてるだけで、大統領を個人的にお手伝いしてるだけですよ」
かなり細部までカスタマイズされている車内を見て、彼女もパイロットに多いスピード狂なのだろうとシンは推察する。
「その年齢で軍属という事は無いだろうから、技術顧問とか?
それとも噂通りに、大統領の若いツバメなのかな?」
「いえ、僕はプロメテウス義勇軍所属の少尉で、正真正銘の軍属ですよ。
大統領と親しくなったのは、依頼された作戦中です」
シンは敢えて『若いツバメ』という際どいセリフには反論しない。
第三者として客観的に見れば、その表現は間違っていないと自覚しているからである。
それに現在の大統領は独身なので、倫理的にも問題にならないのである。
シンは会話を続けながら、シートベルトがきちんと体を保持するように長さを微調整している。
いざとなれば重力制御を使わざるを得ないが、車から投げ出されては堪らないからである。
「プロメテウス義勇軍……なるほど。
とりあえず、今日は命の恩人にご馳走しないとな。
あのハンバーガーの借りもある事だし」
「ああ、すいません。
次回は、フレンフライを忘れないようにしますね」
タイヤを鳴らせて車を急発進させたアイリーンは長官から請け負った案内については全く覚えていないようで、思わず苦笑してしまうシンなのであった。
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