021.Heros Of The Day
翌日。
2日目の打ち合わせも順調に進行し、今日は早めの昼食である。
殆どの店が昼営業を始めたばかりの早い時間帯なのは、行列しないで食事したいというベルの強い要望によるものである。
「ラーメンをご所望でしたっけ?」
昼食時間に合わせて会議室に戻ってきたシンは、前日と打って変わってカジュアルな服装である。
タムラ製作所も週末はカジュアルデーなので、ヴィジターとして顔を出しているシンの服装も違和感は無いであろう。
「うん。出来れば地元の人気店が良いな」
ベルは特に店を指定する事無く、シンに案内を任せるつもりらしい。
「ハナはラーメンで大丈夫かな?」
「はい。ラーメンはお店で食べたことが無いので、とっても興味があります」
「あれっ、ハナもインスタントラーメンを食べた事があるの?
寮の食材庫にも、普段は在庫を置いてないよね?」
Congoh定期便の配送可能リストにはもちろんインスタントラーメンも多数掲載されているが、在庫を調整する立場であるシンが注文を入れたことは無い。
「ええ。
シンが不在の時だけですけど、トーコと一緒にコンビニから調達しています」
「シン、空腹の時のあのジャンクフードの美味しさは、君には理解できないんだろうな!」
「……」
シンはニホン製のカップ麺の美味しさを理解していない訳では無いが、積極的に味わう気は全く無い。
僅か3分の時間があれば、常備している冷凍麺を使ってかなりのバリエーションの麺料理を労せずに作る事が出来るからだ。
もし成長期にシンがニホンに滞在する機会があったのなら、事情は大きく変わっていたのだろうが。
一行は本社ビルの会議室を出て、談笑しながら繁華街へ歩いていく。
ニホン語が堪能とは言え外国人ばかりのメンバーなので、心配性な副社長は自ら同行を申し出ている。
「ここは、キョートで有名なチェーンの本店ですね。
背脂醤油のラーメンと、濃い味の炒飯が有名です」
「ああ、此処のラーメンってカップ麺になってるから知ってるよ。
座れそうだからここにしようか!」
「セアブラって、何ですか?」
「ハナも大好きな、東坡肉の脂の部分と同じかな。
ロース肉の上の脂がある部分で、ゼラチン質が多いから白くてプルプルしてるんだよ」
「……貴方達、何でそんなにラーメンに詳しいの?」
生粋のエンジニアである副社長は、食べ物に関してはエネルギー補給と割り切っているので拘りは皆無である。
ニホンに居る間は社食やコンビニ弁当で食事を済ませる事が多いので、外食する機会も少ないのだろう。
「僕はニホンに住んでもう長いですし、ジャンルを問わず食べ歩きと料理が趣味なんで。
それにここの支店がゴタンダにもあるんで、何度か利用したことがあるんですよ」
まだ早い時間帯なので、一行はカウンターでは無く広めの4人掛けのテーブルに案内される。
シンはチャーハンが付いたセットの注文を全員分入れてしまうが、前日の様子だと副社長は食が細く無いので問題は無いだろう。
チャーハンは作り置きらしく、席について数分で4人前のセットは配膳される。
「うん。ゴタンダのお店と味が全く同じだから、スープは工場でまとめて作ってるんでしょうね。
やっぱり黄色い看板の店よりは、こっちの方が僕の好みかな」
中華ではどんな調味料も使うのでシンはユウほど科学調味料を毛嫌いしていないが、やはり大量に入っているラーメンは後味が悪く好みでは無いのだろう。
「シン以外が作ったチャーハンを、初めて食べました。
なんか味が濃いですね」
「このレヴェルのラーメンを好きな時に食べれるって、素晴らしいな。
次はニホン支部に移動願いを出そうかな」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
日をまたいだ会議は、夕方には無事に終了した。
ちなみに会議の準備で数日に渡り睡眠不足だった副社長は、早々に仮眠室でダウンしている。
今日も会議には直接参加しなかったシンは、昼食と送迎以外の時間はジャンプで学園まで移動し授業を受けていた。
こうした頻繁なジャンプによる移動はユウが良くやっているが、距離的に離れていない同じ時間帯の中では特に問題は発生しないのである。
「SID、会議の議事録を副社長宛にメールで送っておいて」
わざわざ出張して来た甲斐があったのか昼食べたラーメンの所為なのか、ベルはとても上機嫌である。
「了解です」
「シン、ちょっとフウに挨拶だけするから、先にTokyoオフィスまで送ってくれる?」
ジャンプでベルとハナを交互に送迎するつもりだったシンだが、ハナは新幹線で食べる駅弁が気に入ったようで先に駅に向かっている。
日頃は自室に籠って作業をしているので、ちょっとした旅行気分を満喫しているのだろう。
米帝では一人でキャンプに出掛けていたアクティブな彼女は、引き籠り体質のトーコとはかなり違うタイプなのである。
「えっ、しばらくTokyoオフィスに滞在しないで良いんですか?」
「今レイは居ないんだろ?
ユウとは一応面識があるけどそんなに親しくないし、滞在するなら学生寮の方が気楽で良いな」
「ベルさんは、年長のメトセラにしては気配りの人なんですね」
我侭な年長者との付き合いが多いシンとしては、常識的な気配りを見せる彼女が普通では無く見えるらしい。
「いやそれが当たり前だと思うけど、メトセラの中にはナナみたいな酷い奴も居るからな。
それに食べ歩きするなら、シンの方が店に詳しそうだし」
「マリーも近隣の店には詳しいですけど、ちょっとボリューム方面に偏りがありますからね」
数分後のTokyoオフィス。
「おおっ、ベルじゃないか!何年ぶりかなぁ」
「……何を今更。
頻繁にテレビ会議で話をしてるじゃないか」
「ベルさん、ご無沙汰してます」
「ああ、アンちゃん久しぶりだね!
グアムで乗ってる愛機の調子はどうかな?」
「全く問題ありませんわ。
ジョンさんもしっかりと整備してくれてますし」
コーヒーでは無く緑茶を全員分配膳すると、アンはテーブルの末席に腰掛ける。
ベルはお茶請けで出されたどら焼きが好物だったのか、嬉しそうな表情で手に取って包装のビニールを開いている。
「やっぱり偶には顔を合わせて、コミュニケーションするのは大事だよな。
あっそうそうシン、大統領が用があるから連絡してくれって」
どら焼きをはむはむと頬張っているベルを見ながら、フウはシンに業務連絡を行う。
「げっ、またISSでトラブルですかね……」
来客用の高級緑茶の香りでほっこりとしていたシンだが、思わぬフウの発言に顔を顰めている。
ベルは横目でシンを気の毒そうに見ているが、あえて口を挟んで来ない。
「いや、緊急とは言ってなかったから違うだろう。
例のPDCO絡みの話みたいだな」
「……売れっ子は辛いね」
緑茶をすすりながら、ベルが小さな声で呟いた。
☆
翌日。
PDCOに関する打ち合わせで、シンは初めてワシントンのNASA本部を訪れていた。
大統領から預かっていたNASAのIDカードをぶら下げたシンは、メインゲートをカード認証で問題無く通過している。
ゲートの横には眠そうな顔の警備員が立っているが、今日は休日という事もあるのか信じられないほどセキュリティが大雑把である。
「君が大統領のお気に入りのシン君ね。
この間は君のおかげで助かったわ!お礼を言わせて頂戴」
警備員の案内で質素な作りの長官室を訪ねたシンは、待ち時間も無く長官と面談していた。
事前のリサーチのお陰で長官の顔を見間違える事はなかったが、Gスーツを着ている姿はどう見てもNASAの長官には見えない。
秘書席も空席なので、長官はシンと会うために休日出勤しているのだろう。
「いえ。大統領直々のお願いでしたから、断れませんよ。
でも補給後に、余計な事をしたとお叱りの言葉をいただいちゃいましたけど」
握手をした長官の手は、爪も短く厚みがあるシンがお馴染みの仕事をしている手である。
「……それにしても、君はレイ准将とそっくりよね。
良く息子さんですかって、聞かれるんじゃない?」
ソファに腰掛けるようにシンに促すと、長官は備え付けの冷蔵庫から缶飲料を取り出す。
シンの目の前に缶飲料をコトリと置くと、グラスに移し変える事なく彼女はプルタブを開けて缶飲料を口にする。
「えっ、長官もレイさんをご存知なんですか?」
「ええ。私は古い世代のパイロットだから、准将が校長をやっていた頃のテストパイロットスクールに在籍していたのよ。
私は劣等生だったから、模擬空戦でだいぶ鍛えられたわ。
あなたは回転翼以外にも、自家用のレシプロ免許を持ってるって聞いてるけど?」
「はい。とりあえずジェットの講習は後回しにしてますけど」
「レイの係累なら、彼の妹さんと同じでファイター・パイロット志望かと思ってたけど」
「自分は幼少期に飛行機事故に遭ってますので、フライト恐怖症を克服できたのはつい最近なんですよ。
セスナでも操縦できるようになったのは、自分では奇跡だと思ってるんですけどね」
雑談から始まった業務に関する話は続いている。
「PDCOは発足したばかりの部署だから、常駐の要員は秘書一名だけなのよ。
責任者もアストロノーツ兼務だから、今ジョンソンに常駐していてここには偶にしか来ないし」
長官自らシンが所属する部署を案内してくれるが、もちろんオフィスには誰も居ない。
今日本部を訪問するように言われたのは、長官自身がシンに余人を交えず会ってみたいという希望だったのであろう。
「随分と普通のオフィスですね」
「ええ、ここには特殊な機材とか秘匿すべきモノは何も置いていないから。
それで、これからジョンソンまで同行して欲しいのだけれど時間は大丈夫よね?」
長官はシンを促して、エレベーターホールへ一緒に歩いていく。
「ええ、問題ありません」
「大統領が君はトーキョー在住だけど、フライトで移動する時間は考えないで良いって言ってたけど。
それってどういう意味なのかしらね」
「……」
駐車場に停めてあったセダンは、グレードが高そうな大排気量モデルだが内装は地味で堅実な印象を受ける。勿論ジョンソンまでの1、900Kmの距離をドライブするのは時間的に不可能なので、最寄の空港までの足なのであろう。
「へえっ、ニホン車なんですね」
長官に続いて助手席に乗り込んだシンは、ここで漸くこの車が北米生産のアイチ自動車製であるのに気がつく。
「うん。これはNASAの移動車じゃなくて私物だから。
テキサス人は、誰でもピックアップトラックを乗り回してる訳じゃないのよ」
気さくな口調で話す彼女は、溌剌とした言動で実年齢よりはかなり若く見えるのである。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
数分後。
到着したダレス国際空港のNASA専用ハンガーには、T-38がスターターに繋がれた状態で既にスタンバイされていた。
「長官自らT-38を操縦ですか?
自分はそんなVIPじゃありませんけど」
急遽Gスーツに着替えさせられたシンは、後部シートに体を滑り込ませる。
最近は狭いコブラのコックピットに慣れているので、窮屈さは全く感じない。
「プライベートジェットを出すよりも、2名ならばこっちの方が安上がりなのよ。
それに滞空時間も稼げるしね」
長官は地上要員に合図をしてから、エンジンをスタートさせる。
「まだウイングマークに拘りがあるんですね」
シンはインカムの調子を確認するように、会話を続ける。
ターボジェットエンジンの轟音で、もはや肉声での会話は不可能である。
「I’m a combat pilot. I belong in the air」
「なるほど。それってSF映画の有名なセリフですね」
「映画で描かれている宇宙人の侵略は絵空事だけど、PDCOの設立された理由はあの映画と変わりないわ。
大切な日常は自らの手で守るって精神は、当たり前の事だと思わない?」
「ええ。それはまったく同感です。
僕が大統領に協力を惜しまないのは、それが大きな理由ですから」
「私個人としては、若いツバメのシン君に『大きな理由』じゃない部分も聞きたいのだけれどね。
……ダレスコントロール、こちらLancerOne、離陸をリクエストする」
「……」
今日も年上の女性には、無条件にいじられていまうシンなのであった。
お読みいただきありがとうございます。