俺の名前は洵と書いて『ジョン』と読むらしい。
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名前っていうのはどんなものにも等しくあるもの。
名前が無ければ呼ぶ事も出来ないし、「あれ」とか「これ」では人に通じるわけもない。
だから俺にも名前はある。親が付けてくれた立派な名前が俺にもあるのだが――。
朝の清々しい日差しを浴びて背伸びを一つ。窓辺に立ち、優雅にカーテンを開けて窓を開ける。この一連の動作は小さい頃からの習慣で今でも続くものだ。
「う、ううん……気持ちいい朝だな」
窓枠に手を置いて外を見ると涼やかな小鳥の鳴き声が聞こえてきた。春が終わって夏が来ようとしている季節っていいよな……自然と気持ちが踊りだすっていうか、開放的になってくる。
「おーい、ジョンっ」
さて――時間もない事だし、さっさと着替えてご飯でも食べるとするかね。
「こらっ、無視するな」
「……ちっ」
「うわっ、舌打ちしてるよ、ジョンの分際で」
こいつは……清々しい朝が台無しではないか。いや、俺の人生が台無しになっているではないか。
「美咲っ、俺の名前は洵だって何度も言ってるだろ」
「ジョンはジョンだよ。それより――おはよう、ジョンっ」
まったく俺の話を聞こうとせずに人懐っこい笑顔で手を振っている美咲。こいつは隣の家に住む幼なじみの近藤美咲で、一応は一つ年下の高校一年生。見た目はとても可愛らしく美少女で学校でも評判になっている。俺としては色々と複雑な心中なのだが、部屋が真向かいで朝起きればこうして顔を合わせるのは至極当然の存在になっている俺に対しては”遠慮”と”配慮”という言葉がまったくない。『我輩辞書に……』って言ったあの英雄もこんな感じだったのだろうかね。
それから、窓枠に足を掛けて立膝は止めようね……色々と見えてるから。
「ほら、早く着替えて学校行こうよ」
「窓から入ってくるなって、何度も言っているだろうがっ」
窓枠に足を掛けてこちらに渡って来た美咲は我がもの顔で部屋に上がり込んでいた。隣との距離、わずか五〇センチ……何も景色が見えてこない我が家の作りを何度恨んだ事か知れない。
「ジョン、早く着替えてよ」
「……お前がいたら着替えられないだろうって」
「私はジョンの裸なんて見飽きた――にゃあっ」
「世間様が誤解するような事は言わないように」
丁寧に首根っこを持って部屋の外に連れ出し、廊下に投げ捨てる。
見上げて俺に抗議の視線を向けている美咲は両手を振り乱して――
「暴力反対っ、ジョンのばーかっ、アホっ」
「黙れ。本当に裸、見せるぞ」
「きゃーっ、変態がいる」
大声で喚きながら階段を下りていく美咲をため息を吐きながら見送り、俺はジャージを脱いだ。
そもそも、俺が『ジョン』と呼ばれるようになったのは小さい頃に見たテレビ番組が原因である。それは可愛い子犬やら子猫やらが登場するご定番の動物番組で、動物が好きな美咲のお気に入りの番組でもあった。その日は俺の家と美咲の家とで家族揃って仲良く夕食を食べて食後の団欒をしていたのだが、テレビ画面を食い入るように見ていた美咲が「ワンちゃん飼いたい」と突然言い出した。当然、美咲のお母さん(俺から見れば、おばさん)は「駄目よ」の一言で済ませたのだけど、その瞬間、駄々っ子のスイッチが入ったようで泣き喚き、暴れ散らし、手当たり次第にものを壊していく暴君と化してしまった。そうなると手が付けられない美咲に何を思ったか、うちの母さんが「それなら、洵をあげるわよ」と言い出した。それにおばさんも加わって「それなら『洵君』って言うより、『ジョン』って方がピッタリね」と、二人で爆笑しているのを呆然と見ていた俺の肩を父さんとおじさんに叩かれて無言で頷かれたのを今でも鮮明に覚えている。
それからというもの美咲は俺を『ジョン』と呼び、両親達も面白半分に一緒になって呼ぶので、すっかり定着してあだ名のようになってしまった。俺は犬じゃないっていうのに……。
空から降り注ぐ有害物質を含んでいるあろう太陽光線を全身に浴びて学校へ向かう俺達。
……皮膚ガンとかになったら誰に訴えたらいいんだろうか?
そんなどうでもいい事を考えながら歩いている俺の隣をトコトコと着いてくる美咲。俺よりも二〇センチほど低い美咲では俺の歩幅に合わせるのは大変な事だろう。
「ジョン、ストップっ」
「……」
「無言で反抗とはいい度胸だよ。そこにお座りっ」
小走りに俺の前に廻り込んで指を俺に突きつけて、そのまま下を指差す美咲。丸っきり犬扱いだな……しかし、天下の往来でお座りなんて出来るかって話だ。不満そうに唇を尖らせて眉を吊り上げる美咲の顔をじっと見つめ返すと、頬を赤く染めて恥ずかしそうに顔を逸らして俯いてしまった。
「わ、私の顔なんか……じっと見ないでよ」
「別にいいだろ? 毎日見ているが飽きのこない顔っていいよな」
「ど、どういう意味よっ」
更に不満そうに唇を尖らせて唾を飛ばしそうな勢いで思いつく限りの罵詈雑言を俺に浴びせている美咲。
と、言っても「バカ」だの「アホ」だの……子供が思いつくような事しか言わないのが可愛いのだがね。
……こういうところが飽きないんだよな。
なんて言ったら絶対に怒られるだろうな。現に怒っているわけだし、余計な事は胸の中にしまっておこう。
「ほれ、学校遅れるぞ」
苦笑しながら美咲の頭に手を置いて一足先に歩き出した俺のうしろで――
「むう……ジョンのアンポンタンっ。お座りったら、お座りなのっ」
一瞬、顔を赤らめていた美咲が大声で喚きながら近づいてきた。
今時、アンポンタンはないだろうって――。
休み時間――。
教室で友達とくだらない話(主に下ネタ)で盛り上がっていたところをクラスメイトの女子に呼ばれたのでそちらを向くと、開け放たれたドアから申し訳なさそうに顔を出した美咲がいた。何事かと思い、近づいていくと隠れるようにドアから顔を引っ込めてしまった。何がしたいのか、何をしに来たのか、さっぱり分からないヤツだな。
「何の用だ?」
「ジョン、ちょっと来て」
有無も言わさず俺の腕を引いて歩き出した美咲に、教室の中からは「頑張れ、お兄ちゃん」やら「狼になるなよ」やら、言いたい放題の声が聞こえ、その中に呪詛のような言葉も聞こえていた。お前等、俺を呪い殺す気かよ。
……。
……。
無言で前を歩く美咲に連れられて着いた先は体育館の裏だった。
まさか、今から不良が出てきて俺を袋叩き……ありきたりだが実際にその場に直面したら怖いだろうな。この学校にも一応はそれらしき面々がいるが、美咲とは知り合いではないだろうし、第一俺はいつも美咲といるので友達関係は熟知しているつもりだ。まあ、男友達が近づいてきたら軽く威嚇しているのは美咲には内緒だけど。
「……ジョン」
「お、俺を襲っても面白い事なんてないぞっ」
「何言っているの? 別にジョンを襲うつもりなんてないよ」
身構えた俺を哀れな目で見つめ、その場にしゃがみ込んだ美咲の足元で小さな毛むくじゃらの物体が動いていた。
「……子犬?」
「そう、可愛いでしょ? あ、こら……くすぐったよ」
小さく鳴き声を上げて美咲の指を舐める子犬を見つめて、美咲は優しく笑みを浮かべていた。
「どうしたんだよ? その子犬」
「さっき、体育の時間に見つけたの」
子犬を抱きかかえて俺を見上げる美咲は眉尻を下げて何かを訴えかけてくる。しかし、その”何か”は俺には分かっているので美咲に気付かれないように小さくため息を吐いた。
また始まったか……小さい頃から動物が好きで、中でも部類の犬好きの美咲にとって『犬を飼う』のは長年の夢なのだ。しかし、どうして家では飼えない理由というものがあって、それが美咲を苦しめている事も知っている。
「おばさん、アレルギーだろ。また、喘息起こしても知らないぞ」
「そんな事は分かってるけど……」
悲しそうに瞳を伏せ、子犬の頭を撫でている美咲もその事は分かっている。おばさんも「私がこうじゃなければ飼ってもいいんだけどね」と申し訳なそうにこぼしていたが、犬が近寄っただけで酷い喘息が出てしまうので実際に飼うのは無理だろう。
「でも、かわいそうだよ」
「確かにそうだが、連れて帰る事は出来ない」
今にも泣きそうな顔で俺を見つめる美咲だが、こればかりはどうしようもない。
これは誰からも頼まれた事ではないが、もうあんな思いをするのは嫌なので心を鬼にして突き放す必要があるのだ。
「ほら、授業が始まるから教室に戻るぞ。それから、ちゃんと毛は払っておけよ」
「分かってるよ……じゃね、ワンちゃん」
鼻をすすりながら子犬を下ろしていく美咲は勢いよく立ち上がると、何も言わずに歩き出した。すると置いて行かれるのが分かったのか、小さくすがるような鳴き声を上げている子犬を一度振り返ってそのまま駆け出して校舎へ入ってしまった。
……あそこまでしないと離れられないのか。
犬好きも極まると大変なんだと思いながら、俺の足にすり付いてきた子犬に苦笑いを浮かべていた。
放課後――。
美咲の様子が気になっていたが昼休みも別段変わった様子もなかったが、それでも一応は気になるので一年の教室まで行ってみると、すでに帰ったと言われてしまった。
まさか……そう思い、体育館裏まで行ってみたがそこには美咲の姿はなかった。ついでに子犬の姿もなく、嫌な予感が頭を過ぎっていく。
「……ったく」
大きくため息を吐いて美咲の行きそうな場所を考えたみたけど、思いついたのは一箇所だけだった。
夕焼けが空を赤く染める中、俺は目指す場所に到着していた。
学校と家の中間ほどにある小高い丘の上にある公園で、夜になると眼下に広がる町並みが綺麗な絶景スポットである。まあ、そのおかげで夜はカップルが多くて色々と大変な場所らしい。
そんなに広くない公園を進み、美咲がいるだろうと思われる場所へ一直線に目指していく。
「……美咲」
案の定、そこには探していた人物もいた。
ベンチに座り、目の前に広がる町並みを眺めていた美咲は、いきなり名前を呼ばれた事に驚いて慌てた様子で振り返った。小さく「あっ」と声を上げて少し涙目になっている美咲の顔は強張っていたが、俺だと分かるとすぐに表情を緩ませて目元を拭ってはにかんでいた。
「何してんだ、美咲」
「……何も」
酷く落ち込んだ声で俯いた美咲はそれっきり何も喋ろうとはせず、ただ時間だけが流れていく。これもいつもの事で俺は美咲の隣に腰掛けて話し掛けてくるのを待っていた。
美咲は今日みたいに子犬を見つけた日は、こうして一人になって自分を落ち着けようとする。連れて帰っても飼えない苦しみをどこにぶつけていいのか分からないのだろう。
子供の頃に美咲は一度だけ子犬を黙って家に連れて帰った事がある。そのときは俺も一緒だったのだが、すぐにおばさんにばれてしまった。しかし、おばさんは「一度も捨てて来なさい」とは言わず、美咲と俺に自分はアレルギーがあって犬はおろか動物が飼えない事を分かり易く説明してくれた。だが、話の途中で急に咳き込み始めたおばさんは倒れてしまい、俺は急いで家から母さんを連れて来たので大事には至らなかった。安心したのも束の間、今度は喘息の発作を起こしたおばさんを見た美咲は自分のせいだと思ったようで、一人で勝手にいなくなっていた。みんなで大騒ぎをしながらあちこちを探していたら、この場所で泣きながら子犬を抱きしめている美咲を発見した。
その姿を見たとき、俺は心が酷く痛んだ。美咲を始めて意識したのはあの動物番組を見ていたときだ。それまではうるさいだけの女の子だったのだが、あのときに見た笑顔で一発で虜になっていた。それからは時折見せる可愛らしい笑顔に心がときめいて、ますます好きになっている自分に気付いた。そんな大好きな女の子が悲しんでいるのにどうする事も出来ない自分が嫌で堪らず、そっと手を握ってあげる事しか出来なかった。でも、俺の手を握り返して優しく微笑んでくれたのを今でもはっきりと覚えている――。
「あまり遅くなったら、おばさん心配するぞ」
「……うん」
暫く流れ行く雲を眺めていたが一向に話し掛けてくる気配のない美咲に違和感を覚えた。いつもなら話し掛けてくる頃合なのに今日はやけに長い。じっと下を向いたまま、唇を真一文字に結んだ美咲の横顔は言葉にするのが難しいほど暗く落ち込んでいる。
「そんなに犬が飼いたいのか?」
俺の声に迷いなく頷いた美咲はゆっくりと顔を上げていた。
目元を拭ってまっすぐに俺を見つめている美咲は「ごめんね」と小さく呟き、俺の肩に寄りかかってきた。ふわりと舞う髪が首筋に触れ、シャンプーの香りだろうか、いい匂いが鼻をくすぐっていく。
「ど、どうした?」
「ちょっとだけ……ね」
俺はいつもとは違う美咲の行動に暴れだしそうな心臓を落ち着けるのに必死で、裏返ってしまった声に更に落ち着きをなくしていた。
「ちょ、ちょっとだけだからな」
「分かってるよ……ケチだね、ジョンは」
虚勢を張って言ってみたが苦笑交じりの美咲には全てを見透かされているようで恥ずかしい。夕日に染まる俺達は赤くなっていると思うが、それ以上に俺の顔が真っ赤に染まっているだろうな。
どれくらいそうしていただろうか、不意に肩から重みが消え、顔を上げてみると美咲は立ち上がって背伸びをしていた。
「……帰ろっか」
振り返った美咲は今までの暗い雰囲気をどこかに吹き飛ばすような満面の笑みを浮かべていた。その変わりように俺は言葉を失っていたが、優しく笑みを浮かべる美咲に見惚れていた。
……この笑顔が好きなんだよな、俺は。
「あ、ああ……帰るか」
出来れば今すぐ抱きしめてしまいたい衝動に駆られているが、そんな事をすれば変に思われるだろうし、ここは冷静に対応しなければいけない。
「でも、ワンちゃん可愛かったなあ」
「そうだな。確かに可愛かったな」
歩き始めた美咲は思い出すように宙に視線を彷徨わせて口元を綻ばせているが、俺には無理をしているのはすぐに分かった。長い付き合いだから、どんな顔をしていても分かってしまうのは俺も同じだろうな。
でも、そんな美咲を見ているのが辛くて――
「犬が飼えなくて、その間は俺がいくらでも代わりをしてやるよ」
俺は意味不明な事を口走っていた。
「……え?」
「いや、えっと……今のは忘れてくれ」
目を見開いて驚いている美咲は夕日に負けないくらいに頬を赤く染めて俺の顔をじっと見つめていた。そんな顔で見つめられては冷静になろうと思っていたのに冷静になれるはずもなく、照れ隠しで乱暴に美咲の髪を撫でていた。
「も、もうっ、何するのよっ」
「うるせえよ……ほら、帰るぞ」
ぽんっと美咲の頭を一回撫でて足早に歩き出した俺のうしろからパタパタと足音を響かせてやってきた美咲は、朝と同じように俺の前に廻り込んで――
「ね、ねえ……今のって、ジョンがワンちゃんになってくれるってこと? 今までみたいにずっとそばにいてくれるってこと?」
指を突きつけていた。
真っ向からそう言われると恥ずかしくてどう対応していいのか、さっぱり分からなくなり――
「いや、まあ……寂しいときはいつでも相手してやるって意味だよ」
更に意味不明な事を口走っていた。
どうにも今日の美咲はいつもと違うので調子が狂ってしまう。俺も変な事ばかり口走っているし、やっぱりおかしいよな。別に犬になろうってわけじゃなくて、美咲の寂しい気持ちを紛らわすためならそれくらいの事は出来るって意味なのだが。
「も、もういいだろ。それより、帰るぞ」
言葉に出来ないのか俺を見つめている美咲はわずかに震えていた。
泣いているのかと思ったが、次の瞬間――
「あははっ……ジョンってば、似合わない事言ってるよ」
その場にしゃがみ込んでお腹を押さえて笑い出した。
「だあっ、うるせえよ」
俺はこの場から走って逃げたいほど恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、ぶっきらぼうに言い放つと先を歩き出した。うしろから「ちょっと待ってよ」と美咲の声が聞こえてきたが無視して歩いていると、声は途切れて聞こえなくなった。少し大人げなかったかな(一応は年上なので)と思い、うしろを振り返ると美咲の姿はなかった。
「あ、あれ……美咲?」
「こっちだよ」
不意に聞こえた声はうしろからで、俺は声の方へ向くと――
「いつも、ありがとう」
その言葉と共に柔らかい感触に唇を塞がれていた。
「さて、帰らないとお母さんがうるさいからね」
何が起こった思考が停止した頭で考えても分からない。ただ、軽く触れただけの唇から感じた温もりと甘い香り。
……俺、キスされたのか?
「いつまでぼーっとしてるのよ、ジョンっ」
照れ隠しなのか真っ赤に染まった顔で声を荒げている美咲は歩き出そうとしたが立ち止まり、俺に手を差し出していた。
「え、あ……」
一体、何なのか分からない俺は手と美咲の顔を交互に見比べて困惑していると――
「ジョン、お手っ」
大きな声を出したので驚いて反射的に美咲の手に自分の手を置いていた。
「それじゃ、帰るよ」
有無を言わさず、俺の手を掴んで歩き出した美咲に引っ張られるようにうしろを付いて行く俺。夕焼けの中、長く伸びる影二つの影は一箇所だけ繋がっていた。掌から伝わる美咲の鼓動に俺の心臓も同調するように同じリズムを刻み始め、歩くリズムも自然と一緒になっていた。
「なあ……美咲」
「何?」
「俺は犬扱いか?」
「ジョンは私のワンちゃんなんだから当然でしょ」
これまた有無も言わせない迫力で言い切った美咲だが、その様子あまりにもおかしくて俺は吹き出していた。しかし、美咲もおかしかったらしく互いに顔を見合わせて一緒になって笑い、繋いだ手をそのままに家路へ着いた。
朝――いつものように窓を開けて、外の空気を取り入れていると向かいから元気な声が聞こえてきた。
「おはよう、ジョンっ」
「……はいはい、おはようございます」
すでに窓枠に足を掛けて待機していた美咲は身軽に俺の部屋へ入ってきた。
「どうして、そんな挨拶しか出来ないかなあ、ジョンは」
不満そうに俺の顔に手を添えて唇を尖らす美咲。
「別にいいだろ? 寝起きはいつもこうなんだよ」
「それなら……目、覚まさしてあげる」
言うが早く俺の顔に近づいてくる美咲の顔、次いで塞がれる唇。昨日よりも長く、より熱く、そう感じる時間が心地よかった。
「……目、覚めたでしょ?」
「あ、ああ……」
少し赤く染まった頬を向け、俺を見つめる美咲は満足そうに頷いていた。
「それよりも、早く着替えないと学校に遅れるよ。ほら、早く早くっ」
俺の背中を押して促す美咲に苦笑しながら、制服を手に取って着替え始めた。無論、うしろから悲鳴に近い声が聞こえて部屋から飛び出していくのを吹き出すのを我慢しながら見ていた。
「そんな事ばかりしてると、おはようのキスはジョンにしかしてやらないんだからっ」
「つまり、『ジョン』とするのはスキンシップって事か?」
「そ、そうよっ。洵とおはようのキスをしてるんじゃないからね。これはご主人様からの愛の証よ」
そんな声が廊下から聞こえてきてとうとう我慢できずに吹き出していた。
「な、なんで笑ってるのよっ」
「俺は美咲とキスがしたいんだけどな……。『洵』とはしてくれないのか?」
「もうっ、ジョンのばかっ」
俺と美咲の関係もどこか変なのは分かっているが今はこのままでもいい。俺は美咲の良き幼なじみで飼い犬って事で……しかし、いつかは俺の気持ちを伝えたいと思っている。
「絶対に、洵にはしてやらないんだからねっ」
ただ、俺の予想とはどうにも違う方向に進んでいる気がしなくないけど、これはこれで楽しいからいいとするか。
「ほら、急いでよ――ジョンっ」
「はいはい……今行きますよ、ご主人様」
もう少し、『ジョン』で頑張っていくとしますかね……。
久しぶりに企画小説に参加しました。
そして久しぶりに小説を書いたので書き方を半分ほど忘れている始末。情けない……。
色々とおかしなところがあるとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
それでは、次回も頑張りますのでよろしくお願いします。