表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

白衣な天使

作者: 竜宮 景

姉妹ものの短編です

「@#$%&&$~~#”$?」


「え?あっ……あはは………は?」


学校からの帰り途中、私は不意に異星語で話しかけられた。振り返るとそこには大きな牛のような頭に、人間の体をしたアルクトゥルス星人がいて、私に必死に何かを伝えようとしている。


「あ、あら……るる……え…り?」


私は中学で少し齧ったレティクル語で何とか対応を試みた。


「$#?’%%?イルエ・ムウドゥ・エレ・ジアヴィゴ!?」


ダメだ!向こうの方が遥かに堪能過ぎて私が付いて行けない!


アルクトゥルス星人が私の対応に苛立っているのがわかる。ただでさえ身長が2メートル近いこの異星人が怒ると、その圧力は凄まじいものがあった。しかし、私にいったいどうしろというのだ。こんなか弱い女子高生をつかまえて、何をそんなに慌てているのだろう。


ナンパか?そうかナンパだな!?わ、私はダメだよ!可愛いって言ったのは嘘!あ、あれ?か弱いだっけ?と、とにかくゴリ系星人は絶対無理っ!!だってなんか壊されそうなんだもん!


私がオドオドしていると、今度は私の後ろから女の声がした。


「ティダ?アラ・ルルエリ?(もし?何かお困りですか?)」


体が硬直する。良く知っている声だ。嫌な場面を見られてしまったらしい。

アルクトゥルス星人は天の助けとばかりに、その女に事情を説明し始めた。


「イルエ・ムウドゥ・エレ・ジアヴィゴ!?(このあたりにトイレはありませんか!?)」


「あ~……ドゥ・ラミュエ(そこの公園に)」


女が指さした方に、アルクトゥルス星人が大急ぎで向かっていく。一体何だったのだろう。

私が何事も無かったかのようにその場を去ろうとすると、女が私の襟元を掴んだ。ぐぇ、という情けない声が出る。


「な、なぁに?」


「『なぁに?』じゃないよおバカ。何さ今のレティクル語。あんたもう高3でしょ?私がそんくらいの時でも今くらいは喋れたわよ」


「うるさいなぁ。どーせ私はお姉ちゃんみたいに頭良くないもん」


そう、この一言目には勉強しろだのバカだの言ってくるのは、残念ながら私の姉なのだ。姉は小さい頃から頭が良く、高校でも他の星人達を差し置いてクラストップ。更に容姿端麗で運動神経も良い事から私が付けたあだ名が『泥棒星人』。コイツはきっと父と母が私のために残しておこうと思ってた才能まで、その有り余る強欲さで盗んでしまったに違いない、というのが由来だ。

因みに現在は星立の医大に通うお医者様の卵で、いずれは星間医師になるのが夢だそうだ。高校で万年何とか中間を保ってる私とは大違い。


「はぁ。だったら家でゴロゴロしてる時間勉強しなさいよ。頭の良い悪いって、あんたはそれ以前の問題じゃない」


「うっ……うううぅ~……」


ぐぅの音も出ないとは正にこの事だ。確かに私は机に向かう事が嫌いだから、勉強すればそれなりには取れたりもする。しかし私にとってゴロゴロする時間はきっと必要に違いないのだ。その板挟みをこの女は正論で正確に突いてきた。なんて性根の悪い事だろう。


「まぁいいわ。丁度いいから買い物手伝いなさい。どうせ帰っても暇でしょ?」


「暇……だけど」


「だけど?」


「何でもないですー」


私が口を尖らせそっぽを向くと、姉は小さくため息をついた。煩わしいって思うくらいなら何で無理して私に手伝わせるのだろうか。それとも快く引き受けるとでも思った?


「今日は買い溜めしておきたいのよ」


そういう私の考えを見越したように姉は言った。


「ふーん」


要は荷物係。想像しただけで気が重たくなってきた。それに買い物といえば、どうせ商店街を通る。私はそれも嫌でしかたなかった。

しかし、そんな私の気を知ってか知らずか、姉は私を無視して商店街の中に入って行く。いや、姉の事だ、私の考えをわかった上で無視しているのだろう。とにかく私は嫌々ついて行った。



「おや?天使ちゃん!?今日は妹ちゃんも一緒かい?」


商店街に入るなり、案の定それは始まってしまった。

これが嫌で、私はいつもここを避けて通る。姉は随分上手な愛想笑いでサラリとかわし、つらつらと呪文を唱えている。きっと今日の献立について店主と相談でもしているのだろう。


「おーい、天使ちゃん。こっちの店には来ないの?」


「天使ちゃん今日はコレがお買い得だよ」


「妹天使ちゃんは久しぶりだねー。今日は何かいい事でもあったのかい?」


商店街を一歩進むたびにコレだ。気が滅入ってくる。

アーケードもないこのボロボロの商店街の中で、私達姉妹は有名人なのだ。

理由は二つある。一つは小さい頃から私達がこの商店街の外れに住んでいるから。そしてもう一つは、この『天使ちゃん』と言うやつだ。


私達の父はいわゆる太陽系に存在するヒューマンという種族だが、母は背中に羽の生えた鳥人、或いは天人と呼ばれる亜種だった。私達はそのハーフで、母の形質を継いだからか背中に小さな羽が生えている。

小さい頃それをこの商店街の人たちに見せびらかしていたので、『天使ちゃん』と呼ばれているわけだ。


だがこの羽、実は何の役にも立たない。飛ぶことはおろか動かす事さえ出来ず、かといって手入れをせずに放っておくと匂ってくる。それに制服や体操服はいいが、お気に入りの服にまで背中に穴を開けなきゃいけないのだ。誰かが羨ましいと言うたびに、私はこの邪魔なものを譲ってあげたくなった。


「よしっ!これで明日明後日は大丈夫!はい、こっち持って」


商店街をぐるりと一周し終えると、姉はそう言って重たい方のビニール袋を私に持たせた。


「お、重っ!?どれだけ買ったの!?」


あまりの重たさに指が千切れそうになる。持ち手を交互に替えたり、肘に掛けたりしないと、とてもじゃないが持っていられない。


「仕方ないでしょ?私は忙しいから買い物は出来る時にしたいの。お母さんとお父さんが出張でいない間は、何もやらないあんたのために私が色々しなきゃいけないんだから」


「お金貰ってるんだから外で食べればいいじゃん」


「はぁ!?あんた馬鹿なの?いや、馬鹿なのは知ってたけど、そこまでなの?」


「はぁあ?別にそこまで言う事ないじゃん!人の事馬鹿だ馬鹿だって!あぁはいはい。どーせ医大生様にしてみれば誰だって馬鹿でしょーね!!」


家の近くにだって適当な外食チェーンくらいはある。苦労するくらいなら、そういうところで済ませればいい。そういう私なりの親切心で言ってやったのに、何でここまで言われなきゃいけないのだ。

激情に駆られ買い物袋を全部地面に叩きつけてやろうかと思った時、すぐそばで自動ドアの開く音がした。姉と私が同時に音のした方を振り返ると、そこにはクリーニング屋があった。



「あらまぁ。今日は珍しいのねぇ。二人揃ってお買い物なんて」


中から出てきた老婆に、姉が慌てて頭を下げる。このクリーニング屋の店主で、私のもっとも苦手とするヒトだった。印象としては怖い、というよりも不気味。


「私、帰るね」


不貞腐れたまま帰路に着こうとした私の腕を姉が掴んだ。


「痛っ!何すんの!?」


「ちょっと!あんたお婆ちゃんにその態度は無いでしょ!?ちゃんと挨拶くらいしなさい!」


「あぁもう煩いな!したよ。したした。頭下げたの見てなかったんじゃないのー?」


「嘘。絶対してない」


「あぁ……ええよええよ。挨拶なんてえぇ」


二人のやりとりを見かねてか、口論を諌める様に老婆は私と姉の間に入った。「ほら、いいってよ?」と肩を竦め、姉を煽る。姉はしばらく私を睨んだが、すぐに老婆に深々と頭を下げた。それもご丁寧に「お見苦しいところを」なんて枕詞を添えて。


「随分買ったのねぇ?」


「はい。ちょっと買いだめしておこうかと思いまして」


またこういう会話を始めるのかと思うと苛々してくる。姉はそれでいいかもしれないが、じっと待ってる私の事も少しは考えて欲しい。指先に溜まった血がドクドクと脈打つと、それだけで不愉快な気持ちになった。


「ねぇ、世間話するなら帰っていいでしょ?」


私のその言葉に姉はまた睨んできたが、姉と違って私の方の袋は本当に重いのだ。地面に置くのも嫌だし、このまま立っていたくもない。それにもうこれ以上私は持てないのだから、この先ついて行っても全くの無駄だろう。


「はぁ……じゃあもう先に帰っていいわよ」


しかし、私が帰ろうとすると「あ、そうだ」と姉は加えた。


「あんた明日は早く帰って来て家のこと手伝いなさい」


「…………意味わかんない」


私にだって私の都合がある。何でもかんでも姉に指図されるなんて溜まったもんじゃない。

それだけ言って、姉を無視して帰ろうとした私を今度は老婆が引き止めた。


「それがええよ。明日はちぃと不吉な相が出とるでな」


この御時世にオカルトか、と老婆に一瞥だけくれる。

今時こんなことを言っているのは田舎の老人くらいのものだ。馬鹿馬鹿しいが、本人達は大真面目なのだから笑える。生返事だけ返して、私はその場を去った。



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



だが、その不吉な予言は当たってしまった。


「おーい。今から模試の返却するから着席しろー!」


担任の言葉にクラス中がざわめく。平和なHRはあっという間に地獄絵図と化した。ある者は自信たっぷりに待ちかまえ、ある者は落ち着かない様子で貧乏揺すりをし、ある者は発狂したように頭を掻き毟り、またある者は我慢できずに「あの時は調子悪かった」などと友達と予防線を張り合っている。私といえば、執行の時を今か今かと震えて待つ死刑囚のような顔をしている事だろう。


「次っ!おーい、早く取りに来なさい」


「あ、は、はい!」


いつの間にか私の順番が回って来ていたようだ。教壇まで急ぎ、先生から評定を受け取る。

茶色い封筒の中に入っているため、まだ中身は見えない。私は自分の席までそそくさと戻ると、まるで危険物でも処理しているかのように、封筒の隙間からコッソリ中を覗いた。


こんな私でも、ほんの少しの期待ぐらいはしていたのだ。勘の正解という偶然もある。そうだとも、たとえ四択だろうと六択だろうと、私にとってはもはや『当たるor当たらない』の二択に他ならない。全ての情報は結局ここに還元されるのだ。


しかしまぁ、当然のように私のシュレディンガーの猫は死んだ。


「どうだったー?」


後ろから声をかけられ、評定を隠すように振り返る。話しかけてきたのは友達のプロメテウス星人のフィーだった。高校三年間彼女とは同じクラスで、ほとんどずっと一緒に行動するほどには仲がいい。


「う、うーん……数学はまぁまぁ」


幸いな事に数学だけは割と良い成績だった。他があまりに壊滅的すぎるが。


「フィーは?」


「私は今回レティクル語がちょっと……」


どれどれ、と彼女の評定を拝借。彼女の『ちょっと出来なかった』は私の点数よりも30点ほど高いらしい。悲しい事に数学の点数さえ私より3点上回っていた。


「あれ……フィーってこんなに成績良かったっけ?」


「えへへ。本当は先生に志望校変えろって言われてたんだけどね。どうしても変えたくなかったから、先輩に相談してみたの。それで、私も始めてみる事にしたんだ!!神研ゼミ!!」


「ん?う、うん?」


何かが始まってしまった。宗教の勧誘のような強引さで話が進められていく。添削がどうこうとか、余った時間で無駄なく出来るとか、差をつけるなら今だとか、あまりのフィーの熱弁に「私もやってみようかな」などとつい言ってしまいそうになった。

放っておくと何時までも喋っていそうなフィーを止める。


「あ、そうだ。今日ってコレで終わりだよね?ねぇフィー、どこか行かない?」


「へ?あー……ごめん今日は勉強しないと」


余った時間でやるのではないのか?というツッコミはやめておく。


「…………そっかぁ。じゃあ仕方ない。またね」


私がそう言うと、フィーはさっさと帰ってしまった。教室を見渡してみると、みんなボチボチ帰り支度を始めている。これから別の誰かを誘うのも面倒だし、私も帰る事にした。


駅に到着してすぐ私の順番が回ってきた。おそらく普段より時間が早いため、他学年の帰宅とかぶっていないからだ。定期券を通し、カプセルの中に入る。行先を指定して、私は量子分解された。民間の簡単なワープステーションだからあまり速くはないが、その代わり安くすむ。十五分くらい経った後、私は自分の家がある惑星の駅で再構築された。


しかし、そのまま家に向かおうとした足を止める。


姉には早く帰って来いと言われたが、この爆弾を抱えて早く帰る気にはなれない。駅の端に寄って少し考えた後、私は駅近くの喫茶店で時間を潰すことにした。


「ホワイトモカにチョコレートソースを少しと……あと温めでお願いします」


適当に注文して、二階の窓際の席を確保する。何となく、一人でここに来るときはいつもこの辺りに座るようにしていた。人の往来がそれなりにあって、こちらからは彼らが良く見えるけど、外からはこちらがあまり見えない。ボンヤリと時間を潰すにはもってこいの場所だったからだ。


温めに淹れてもらったモカを一口飲むと、あっという間に気怠い甘さが口中に広がった。

それから頬杖をついて、道行く人々を眺める。たくさんのヒューマンに混じって、チラホラと違う種を見かけた。この辺りも随分異星人が増えたのは、ここ数十年のことだろう。たいした観光名所はないが、その代わりこの惑星は未成熟であるため仕事はたくさんある。


私は軽く溜め息をついた。


ここでこうしていると、改めて実感するのだ。今こうしている間にも、世界は広がり続けているというのに、私と世界の距離は小さい頃から少しも縮まらない。家と学校をひたすら往復して、適当に友達とお喋りして時間を潰すだけの日々を繰り返す。せいぜい半径10mの世界。飛べない羽で行けるのは、せいぜいそのあたりが限界だ。

それでもお姉ちゃんやフィーみたいに先に行ってしまう人もいる。自分から先頭に立って、世界の壁を押して広げられるのは、きっとそういう人たちなのだろう。


私は多分、そういうのとは違うのだ。


モカを全部飲み終わっても、私はまだ少しそこにいた。窓ガラスに出来たいくつかの白い線を見て、雨が降り始めた事に気づく。しかしそれ以上に強い風が吹いているらしく、外を歩く人々は一歩進むのも必死といった様子だった。


私が店を出ると、待ってましたとばかりに雨足が強くなる。そこでやっと私は「あぁそうか」と昨日姉が

私に『馬鹿』って言った意味がわかった。


「台風来てるなら言ってよ……」


そもそもニュースをまるでみない私が悪いのだが、教えてくれたっていいだろうに。

傘を持っていない私は、模試の評定の入ったカバンを傘代わりにして、急いで家に向かう。


家から喫茶店まで徒歩十分と離れていないが、それでも家に着くころにはずぶ濡れになっていた。

シャツやスカートが体にくっつく感触が気持ち悪い。早くシャワーを浴びてスッキリしたかった。


「………あれ?」


玄関の灯りを付けようとして、違和感に気づく。何度スイッチを押しても灯りが点かないのだ。


「うわっ……停電?」


これだから田舎は、と付け加える。最先端のレティクル星なんかじゃ絶対こんな事は起きないだろう。

ブレーカーを靴べらで上げてみても、やはり無駄だった。これではシャワーも絶望的だ。


「お姉ちゃーん?タオルちょうだーい」


玄関から居間の方に向かって声を張り上げるが返事が無い。靴はあるから寝ているのだろうと、もう一回声を張り上げるが、やはり返事は無かった。部屋で音楽でも聴いてるのかもしれない。仕方ないので、びしょ濡れの体で家に上がり込んだ。


風呂場に行って、まずは濡れた制服を脱ぐ。それからタオルで体を拭いて、ドライヤーで髪を乾かした。一度だけシャワーを試したが、停電してるためやはり水しか出ない。諦めて部屋着のTシャツとジャージを取り出すと、私はとりあえずそれを着た。


これで多少はマシになったと思い、自分の部屋に向かう。ただ、最悪な事にその日に限ってパソコンは充電されておらず、携帯の充電も残りわずかだった。当然、停電中のため充電は出来ない。

そんな時、居間に姉の携帯用充電器があったのを思い出した。本来なら勝手に使うと酷い折檻があるのだが、今日ばかりは仕方ないと言い訳をつける。


居間は真っ暗だったが、コンセントに差さったままのそれはすぐに見つかった。


「おねーちゃーん?借りるよー!?」


姉の部屋に向かって大声を出す。了承はないが、無断よりはいいだろう。

だが、それを取ろうと歩き出した私の足首を何かが掴む。勢い余った私は転び、鼻を強く打って悶絶した。


「いったぁぁぁぁぁ…………なに?」


足首を見た私は思わず悲鳴をあげた。部屋にいると思っていた姉が私の足首を掴んでいるのだ。下を向いたまま何も言ってこないのが怖い。


「ご、ごめんごめん。ごめんなさい!使わないから許して!!」


姉は何も言わず手の力を緩めた。ほっと一息つく。


「こんな所で寝ないでよ。びっくりするから…………お、お姉ちゃん?」


その時、ようやく姉の異変に気づいた。ただ怠そうに寝ている様にも見えなくはないが、どうにもいつもと違うのだ。全身に活力がないといえばいいのか、生気を感じないと言えばいいのかはわからない。ただ、肩を揺すっても眉一つ動かさない姉を見て、私は漠然とした不安に飲み込まれた。


「お姉ちゃん?ねぇ何してるの?ねぇってば!?」


そう呼びかけても、頬を抓ってみても、何の反応も無い。意味も分からないまま、恐怖だけが心を支配していく。早く何とかしなければいけないのに、腰が抜けて体が動かなかった。


「そうだ!た、助けを呼ばなきゃ」


何とか充電器の方に手を伸ばしそれを自分の携帯とつなぐと、私はすぐに救急に電話をかけた。

だが、救急隊からの返答は「時間がかかる」といったものだった。この停電の中、出動依頼の件数が多すぎて対応しきれないらしい。


「そんな……どうしよう……」


姉の口の端からだらしなく垂れた涎を見れば、いつもだったら笑ってやれるのに、今日はそれが怖くて仕方ない。私は力を振り絞り、何とか立ち上がった。


助けを呼びに行かなくちゃ。


急いで玄関を出て、嵐の中に出る。帰ってくる時よりもずっと勢いは増していた。

ゴミ箱が中身をぶちまけながら飛ばされて、店じまいして閉められたシャッターがガタガタと激しく打ち鳴らされていた。

辺りを見渡し、遠くに見えた人影に向かって私は声をかけた。


「あ、あの!!すみませーん!!」


影が振り返り、こちらに向かってくる。すぐに失敗した事に私は気づいた。


「エレェ?……ミミドォル・ブ・シューシェ?リァ?」


「え……あっ……その……」


こんな時に、よりにもよってレティクルだ。助けて欲しいのに、言葉が出てこない。

私が黙っていると、レティクルは間違いだと思ったのか去ってしまった。ずぶ濡れの私だけがその場に残されると、これ以上ないくらい惨めな気持ちになった。


誰に助けを求めればいい?右に行けばいいのか、左に行けばいいのか。商店街の人たちは私の事なんかきっと好きじゃない。でも、姉のためなら助けてくれる?早く、早くしないとお姉ちゃんが。


その時、それが見えた瞬間、私は走り出していた。


「あ、あの!!」


声を掛けられた方が、私の声か或いはその姿に驚いて目をパチクリさせている。


「お、お姉ちゃんが………お姉ちゃんが!!」


「落ち着きんしゃい」


息も絶え絶えに話す私を見て、お婆ちゃんはまず軽く深呼吸させた。


「お姉ちゃんがどうしたって?」


「全然……何しても反応がないの。呼びかけても……肩を叩いても……ねぇどうしようお婆ちゃん!!」


私に聞くよりも自分で行って確認した方が早いと判断したのか、お婆ちゃんは呆けたように立ち尽くす私を連れて私の家に向かった。私はお婆ちゃんを誘導して、靴を履いたまま姉のいる居間に入る。


「これは……」


お婆ちゃんが姉の額や首筋に触れて何か確認している。


「ね、ねぇお姉ちゃんどうしたの?大丈夫だよね?お婆ちゃん!!」


お婆ちゃんは何も言わず、ただじっと姉を見ている。私の頭の中は『嫌だ』という言葉で一杯になった。


「お姉ちゃんに何かあったら私のせいだ……。私がお姉ちゃんの言った通り、寄り道しないで早く帰ってればこんな事にならなかったかもしれないのに……。家に帰って来てすぐお姉ちゃんを探せばよかったのに……。嫌だ……嫌だよ……全部私のせいだ……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


お姉ちゃんは嫌いだけど、死んじゃうのは嫌だ。そんなのは嫌いとは違うのだ。

鼻水をすすりながら、機械のように「ごめんなさい」を繰り返す私に、しかしお婆ちゃんは言った。


「落ち着きんしゃいて。死にゃせんよ」


「でもっ!!」


「あんたも一回コレかかったことあるじゃろうに。まだ小さかったから覚えてないんか?」


「はぁ?」と、随分間抜けな声が出た。垂れてきた鼻水が口に入って来て、慌てて口元を拭う。

お婆ちゃんは続けた。


「異星人っちゅうのは基本的に別の生き物じゃて。仲ようなったりは出来るが、あんたらのとこの夫婦みたいになると話は別じゃ別。そもそも子が出来るのがおかしいが、神の悪戯か奇跡的に子が出来ても異常がでる。免疫の異常はその一つじゃて。こりゃ『眠り風邪』じゃな。アルクトゥルスの子供しかかからない病気なんじゃが、あんたらは別じゃ。心当たりあるじゃろ?」


頭の中で必死に情報を整理する。アルクトゥルスの子ども。昨日のあの2メートルの巨人はアルクトゥルスの子どもだったらしい。


「へ?じゃ、じゃあお姉ちゃんは死なないの?」


「死ぬも何も、アルクトゥルスの子は皆かかる病じゃ。二、三日眠りっぱなしにはなるがな」


今度こそ完全に力が抜け、私はその場にへたり込んだ。

溜め息をつくと、おかしくて笑いだしてしまいそうだった。


「私も昔なった事があるの?」


倒れた姉の体勢を整えているお婆ちゃんに私は尋ねた。


「あぁ、そん時は逆じゃったな。眠りこけちまったあんたをお姉ちゃんが背負いながら来たんよ。助けて下さいってな。それも妹に何かあったら私のせいだってベソかきながらねぇ」


「うわぁ……なんか嫌だなぁ……」


「うっへっへ。よう似とるよなぁ。あんたんお姉ちゃんその時に勢い任せに『妹の医者になる』って言ってから、ずーっと頑張ってるんだから大したもんよ」


「それは……なんかもっと嫌だなぁ」


今はどうであれ、目指すキッカケが『妹の医者』というのはどうなのだろう。聞かない方が良かったかもしれない。こんなの気恥ずかしくて仕方ない。


「嫌な事なかろうに。嫌だって思い込むから、そうとしか思えんのよ。あんただってお姉ちゃんのためにベソかきながら走ってきたんじゃろ?なら、あんたはあんたで出来る事したんだから、お姉ちゃんもそういう事にしておけばええ」


あはは、と笑うしかなかった。自分の必死な姿を思い出しては、恥ずかしくて俯きたくなる。

しばらくして、ようやく停電が戻ると、私はすぐに両親に連絡した。なんとか仕事を抜けられた母が帰ってくる頃には、お婆ちゃんは家に帰ってしまっていた。


随分長い一日だったと、私はお風呂の中でうたた寝をしてしまった。



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



「おや?お迎えが来たみたいで嬉しいねぇ」


私と姉が店に入るなりお婆ちゃんは言った。


「縁起でもない事言わないでよもう。お婆ちゃんこの前出したのもう終わってる?」


「こらっ!あんたもうちょっと言葉使いなんとかなさいって」


「えぇ……いいじゃん!私はこういう感じでお婆ちゃんと話してるの」


また口論になりかけた私と姉をお婆ちゃんが諌める。というより私が注文した物を取って来てくれたみたいだった。


「もう大学生じゃねぇ……」


「この子は一浪で工業大学ですけどね」


「あっれー?眠り風邪で一週間も寝込んで単位落とした挙句、留年したのは誰だっけ?」


「あぁ、もうえぇもうえぇ」


お婆ちゃんに差し出された物を受け取る。真っ白な白衣だ。姉のお下がりなのが気にくわないが、他の物に金がかかるから節約出来るところで節約しなきゃいけない。


「どう?似合うでしょ?まさに白衣の天使って感じ!」


受け取った白衣を着て、背中からぴょこんと羽を出す。


「あー!あんた何してんのよ。ここで着ちゃクリーニング出した意味ないでしょうが」


「いーの!どうせ汚れるんだから」


全く口うるさい姉だ。私一人で取りに行くと言ったのに、ついて来るといったのはそちらではないか。


「まぁまぁ。よう似合っとるよ。ただ裾はちぃと切った方がええかもしれんな」


お婆ちゃんの言葉に、姉がゲラゲラと声を立てて笑う。姉より身長が10㎝も小さい私が姉の白衣を着ると、裾が地面をかするのだ。


「あはは!まぁいいわよ。それくらいなら、ぷははっ!私がっ……あっはははは!!」


「喋るか笑うかどっちかにしろよ!もう!」


「ごめんごめん。まぁでもまさかあんたが工学部行くなんて思ってもなかったからねぇ。お父さんもお母さんもびっくりしてたし、何で?」


「何で?って……工学部選んだ理由?」


姉が首肯する。姉は私が医者を目指すキッカケを知っているとは気づいていない。コレは私が唯一、一歩リードしている事だった。だから当然、そんな事教えてやらない。だから私は適当に応えるのだ。


「それはもう私のような不幸な少女を生み出さないためにだよ」


「はぁ、何それ?」


「まぁいいじゃん。大体そんなとこ」


増え続ける異星語を覚えるのが無理だから、未知言語自動解析機能付き翻訳機を造るためだとは絶対言わない。とにかく、これが私の取りあえずの目標だ。

お婆ちゃんが笑うと、口を滑らさないか心配になる。これがバレたら恥ずかしくて多分死ぬ。


「どうせ数学が出来たからーとか、そんなとこなんでしょ?」


「あはは、どうだろうねー」


だから、口が裂けても言わない。

それがいずれ宇宙を飛び回るであろう姉のためだとは。








最後まで読んでいただきありがとうございました。長くてすみません。


SFの設定に関して、未来と現代っぽいのをごっちゃにしてるのは、そういうのが好きだからです。

例えばの話、車や電車といった移動手段はまだまだ変遷を続けるのでしょうが、自転車(特に競技用で無い物)は多分ほとんど変わることは無いだろうとか。

そういう変わる物、変わらない物を想像しながら書くのが好きなのです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  どうも、上村夏樹です。こちらの作品も読ませていただきました。  根っこの部分がそっくりな姉妹が微笑ましいですね。口では姉に悪態をつきながらも、姉のために工業学校に進学する妹ちゃんが健気…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ