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三途の川のスミスさん

作者: 石田

よく考えたらケント・デリカットは天パじゃなかった。

 白崎祥吾は死んだ。

 事故で誰かを巻き込んだわけでもなく、借金で首が回らなくなった挙句に自殺したわけでもなく、風呂場で滑って転んで頭を打って死んだ。享年二十八。

 その数日後に早すぎる死を親兄弟やそれなりの友人にそれなりに惜しまれ、それなりの葬儀場でそれなりの葬式が行われた、という現世の出来事を彼は知るよしもなかった。

 なんせ死んでいたので。

 棺桶には花や遺品のメガネや死の直前まで愛用していた尻の切り身とローション、六文銭が印刷されただけの紙や魔除けの小刀などが入れられ、火葬場で体と一緒に燃やされた。

 骨となったその体を親が砕いて持って帰り、白木でできた祭壇に遺影とともに祀った。

 最初から最期まで普通の日本人であった彼の魂は、普通の日本人らしく黄泉の国へと渡っていた。


          *


 祥吾は毎朝の目覚めのように、もぞもぞと起き上がった。

 随分と長く寝ていた気がする。体が尋常ではなく重い。

 半開きの目をこすり、いつも枕元に置いてあるメガネを掛けようと右手でまさぐった。

「あれぇ……?」

 メガネがない。一年三百六十五日毎日寝る前には全く同じポジションに置いておくはずのメガネがない。

「んん……」

 もしかすると風呂場に置いてきただろうかと、まだ覚醒には程遠い頭で考える。もしそうならばとりあえず風呂場に行かなくてはいけない。ほのかに感じる尿意はその後に処理しよう。

 そう思って布団を、

 布団。

 布団もない。

「んー……?」

 下半身を見てみる。

 いつもの月に一回くらいしか洗わないジャージではなく、なぜか白い着物が目に映った。なんだこれ。

 目をこする。何も変わらない。

 おぼろげながら、いつもの朝と何かが違うことに気付き始めた。よく考えると掛け布団だけでなく敷き布団もない。それどころか寝ていたのはベッドですらなく砂利の上だった。

 その砂利を握り締めて、顔の前で小指から開いてみる。砂粒がぱらぱらと着物の上に落ちていった。

「…………?」

 ゆっくりとあたりを見回す。とりあえず自分の部屋ではない、ということがわかった。

 鼻から息を吸って、吐く。吸って、吐く。

「あー……」

 ここはどこだろう。

 ぼんやりとしか見えていなかった視界が徐々に鮮明なものに変わっていく。

 少し離れたところに水の流れが見えた。清流というにはあまりにも汚れていて、いつだったかテレビで見たインドのなんとか川のようだと思った。向こう岸は靄がかかっていて見えない。波はなく方向で言えば足の方へ向かってゆったりと雄大に流れていた。

「川……」

 もう一度あたりを見回す。

 どうやら河原に自分はいるようだった。

「なんで川?」

 うんうん唸りながらなぜ自分がこんなところにいるのかを思い出そうとするが、頭はまともに働こうとしていない。寝る前になにをしていたのかも全く思い出せそうになく、記憶の糸をたどる作業は途中で放棄された。

「まぁいいか……」

 現代を生きる若者らしく事なかれ主義の権化たる祥吾は己の置かれた環境についてもその意思を通した。一つ欠伸をして立ち上がる。と、

 足元に変わった感触を覚えて下を見た。

 足袋だった。

 白足袋だった。

 これまでの一生で一度も足袋など履いたことがない。それどころかお目にかかることさえ滅多とない。

「なにこれ」

 田舎の爺さんが死んだ時に死に装束として履いているのを見たことはあったが、それ以外には見たこともなかった。

「…………」

 死に装束以外では。

 見たこともなかった。

「……………………」

 ようやく霞がかった頭の中が晴れてきた。

 じっと自分を見てみる。

 着ているのは白い経帷子で、履いているのは白足袋。よく見ると足元にはずだ袋やら数珠やら尻の切り身やらが落ちていて、これではまるで、

 まるで、

「河原……死に装束……数珠……」

 これが悪趣味ないたずらでないのなら。

 もしかすると。

「死んでんのか? 俺」

 そんなわけがない、と頬をつねってみるとやはりと言うべきか当たり前に痛かった。少なくとも自分の感覚は残っていたという事実に安心する。

「おーい! ドッキリかー? なんかアレ、そういう素人さんドッキリ的なアレですか?」

 自分以外に誰もいないのに敬語で質問した。

 返答はなく、声はどこかへ消え去った。

「おーい!」

 誰も聞いていない。

「おーい」

 誰も応えない。

「……おーぃ」

 誰もいない。

「…………」

 いくら声を出そうが一切反応はなく、ついに祥吾は見つけてもらうことを諦めた。

「なんだよおい、誰もいねーのかよ」

 来たこともない場所に着たこともない衣装で放置されているという不安を紛らわせようと悪態をつく。まったく質の悪い人間もいたもんだと心の中で一人呟き、帰ったら警察沙汰にしてやるという確固たる意思を持って川とは反対側に向かって歩き出した。

 徐々に今の状況に陥れた糞野郎に腹が立ってきた。

「ふざけやがってよぉ、俺がなぁにしたってんだよ」

 まさか自分が善き人間だとは思っていないが、こんな仕打ちをされるほど悪いことをした覚えもない。せいぜい会社で上司に「ハゲが足掻いてるのって見苦しいですよね」と言ったとか、コミケで冷やかすだけ冷やかして買わずに立ち去るだとか、友人のパソコンの壁紙を黙ってホモビデオのパッケージに変更しただとか、その程度の悪行しかやっていない自分がなぜこんな目に合うのか。

「……んだよクソッ」

 苛ついて足元の小石を蹴りあげた。

 その石は綺麗な放物線を描いて地面に――

「はっ!?」

 落ちなかった。

 空中で縫いつけたように止まり、何も動かなかった。

「な、なん……」

 まさに二の句が継げない。

 そろり、と駆け寄ってその石に手を伸ばしてみる。

「っ……」

 石には触れたが、まるでそこに見えない壁があるかのような感触があった。

 更に手を伸ばそうとしてもそれ以上前には行かず、動きがせき止められた。

 思わず声が出る。

「なんだよこれ……」

 その時。

 後ろから、声が聞こえた。


『ソコカラハ進メマセーン』


 誰もいないと思っていた河原で聞き慣れない声が聞こえ、不意打ちを食らったように全身が飛び上がった。慄きながら振り向く。

 その先には。

 なんと。


『ドーモ、スミスト申シマース』


 スミスさんがいた。

 スミスさんはビジネススーツに身を包み、とてもにこやかな表情でこちらを向いていた。胸にはデカデカとカタカナで『スミス』と書かれた名札をぶら下げており、なにより驚くべきことに――数センチほど宙に浮いていた。

 一瞬の沈黙が二人を包んだ。

 典型的日本人たる祥吾にとってガイジンさんと言えば金髪碧眼アゴ割れ天パであり、目の前にはまさにその通りの外国人がいた。

「えっ、あっ、ハ、ハロー」

 とっさに英語で挨拶をした。バンザイ英語教育。

『日本語デ結構デスヨー。コノ通リ普通ニ喋レマスカラ』

「あっ、ハイ、すみません」

『イヤイヤ遅クナッタノハコチラノ方デース。謝リマース。コレワタシの名刺デース』

 そう言って45度の角度でお辞儀をしながら両手で自分の名刺を渡してきたので、反射的に「ああどうも」と言いながら受け取ってしまった。

 じっ、と、その名刺を眺める。

 そこには、こう文字が並んでいた。


『三途川水先人協会 賽の河原支部

   案内人

    ブランドン・W・スミス

   電話番号  0259-434-434

 e-mailアドレス brandon.w.smith@marit.snz 』


 ……意味が分からない。

『電話番号覚エヤスイデショ? オー地獄スミススミス。ッテ「スー」は中国語ヤナイカーイ!』

 ……意味が分からない。

『アレ? コレ結構身内ニハウケタンダケドイマイチ? イマイチダッタ?』

 こいつはなにを言ってるんだ。

『マァイイヤ。トリアエズ、エート白崎祥吾サンネ。アナタハ死ンデ、コノ賽ノ河原ニ無事送ラレテキタノデ、コレカラ三途ノ川ヲ渡リマース』

 意味が……

「え?」

『モウ一回説明スル? モウ一回ダケヨ? アナタハ死ンデ、賽ノ河原に送ラレテキマシタ。コレカラワタシト一緒ニ三途ノ川ヲ渡リマース』

「…………はい?」

 この言葉通り浮いている外国人が一体何を言っているのか、本心から理解できなかった。単語一つ一つはわかるが、文として頭の中へ入ってこない。

 スミスさんは心底嫌そうに、頭の悪い子供を諭すように言葉を紡いだ。

『イヤネ、ダカラ、モウ面倒クサイナァ。イイ? マズネ、アナタハ死ンダノ』

「俺死んだの?」

『ウン、ソウ。運送ジャナイヨ。ソレデ、賽ノ河原カラ三途ノ川ヲ渡ルノ』

「賽の河原から……三途の川を渡る……」

『ソウ。分カッタ?』

 賽の河原といえばあの世とこの世を隔てる三途の川の河原だ。死んだ魂はそこへ送られる、と爺さんが亡くなった時かその法事の時に坊さんから聞いたことがある。

 と、いうことは。

「「やっぱ俺死んでんじゃねーか!!!」」

『ンモゥ、サッキカラソウ言ッテルジャン』

「いやいやいやいやでもさっきほっぺたつねったら痛かったよ!? 足袋もなんか違和感あったし、そう! 足あるよ俺!? ほら足!」

『ダカラ何? ホワット? ツネッタラ誰ダッテ痛イシ足クライアルニ決マッテルデショ』

「え、あ、うん」

『モウチョット落チ着イテ理解シヨウヨ。モウアナタハ死ンジャッタノ。分カル?』

「あ……はい……。すみませんでした」

『分カレバイインダヨ分カレバ』

 口元を歪めてふん、と鼻を鳴らした。明らかに不機嫌だった。

『エーット、ジャア今カラ渡ルカラ。三途ノ川』

「はい……」

『7日毎ニ偉イ人の裁判ガアルカラ。閻魔大王トカ』

『え、閻魔大王……』

 その名前はよく聞いていた。地獄の王であり、生前の人の行いを裁いて地獄送りにするのだ。嘘をつくと舌が抜かれるとか何とか。

『デモアノ人言ウホド怖クナイヨ。チャント礼儀正シクシテタラ何モサレナイシネ』

「そ、そうですか……」

 そうは言われてもあのイメージが昔からこびりついているのだからその場で正気でいられる自信はない。恐怖に体が震えてしまった。

『ソレヨリサァ』

「は、はぁ……」

『コ・レ』

 スミスさんは右手の親指と人差指で小さく円を作り、いたずらっぽい笑みを浮かべながらそれを差し出してきた。

「え、なに?」

『コレッツッタラマネーニ決マッテルダローガ! チョットハ考エロ! バカ! タダデ渡レルワケネーダロ!』

 もはや言いたい放題だった。しかし彼の仕事のことを考えれば確かに理解の足りない客を案内するのは骨が折れるだろうと思い、反論はしなかった。

 そういえば三途の川を渡るには六文銭を渡し賃とする、とも坊さんから聞いていた。

「ああ、そう言えばあの袋……」

『ソウソウ、ソレダヨ』

「ちょっと取ってきます」

 そう言って、寝ていたところまで駆けていってずだ袋を拾った。中には小銭が入っているようで、走ってスミスさんのところまで戻るとジャラジャラと音を立てた。

『オーゥ、結構入ッテンジャーン』

「そうですかね……普通だと思うんですけど」

『イヤイヤ、今日日コンナニ持タセテクレルノアンマリ無イヨ? イイ家族ダネェ』

 とニヤニヤしながら言った。家族を褒められて少しだけいい気分になり、嬉々として六文銭を取り出した。

 が。

『……………………ナニ、コレ』

「へっ? だから、三途の川の渡し賃の六文銭……」

『……………………ハァァァァァァァ~~~~~~~~~~』

 あまりにも深い溜息をついて、スミスさんは酸欠になったのかあっぷあっぷと呼吸を繰り返した。

 なにが不満なのか全くわからず、また怒鳴られるのかと身構えた。しかし罵声は聞こえてこず、ゆっくりと、たしなめるような口調でスミスさんは言った。

『アノネ……祥吾クン。冷静ニナッテ考エヨウヨ』

「はぁ」

『キミネ、コンナ古イオ金、ドウヤッタラ使エルノ? 貰ッテ嬉シイ?』

「使え……はしないですね」

『デショ? ダッタラ意味ナイジャン』

「……だったら、どうすれば良かったんですか」

 家族の善意を貶められたような気がして、不満を隠さず質問した。昔から渡し賃は六文銭と決まっているし、なにがいけないのか。

 そこで。

 スミスさんはこう言い放った。


『キャッシュッツッタラ「ダラー」ダロウガ!!! セントデモイイワ! ナンダヨ6文ッテ! フザケンナヨ!!!』


 呆気に取られた、というのが正しかった。

 なおもスミスさんは続ける。

『イツマデモ古イ価値観ニ固執シヤガッテ! 時代ガ変ワレバ金モ変ワルワ!!!』

『期待シタオレガ悪カッタヨ!!! モウ日本人回シテ来ナイデヨ佐藤サン!!!』

 最後の方はなぜか虚空に向かって吠えていたが、とりあえずひと通り叫び終えて疲れたのかその場に座り込んでぜぇぜぇと荒い息をした。

『モウ……ハァ、ハァ』

「もう?」

『モウイイヨキミ、帰ッテ』

「いや、先に進めないって言ったのスミスさんじゃ」

『帰レッテ言ッテンダロウガァ!!!!!!!!!!!!!!!』

 スミスさんがそう叫ぶと、凄まじい雷鳴が轟くや否や全身に電気が走り、気を失ってしまった。



 そこで、白崎祥吾は目を覚ました。

 周囲を見回すとそこは一人暮らしの家の風呂場で、全裸になって倒れていた。傍らには十分に温まった尻の切り身とローションがあった。

 どうやら滑って転んで頭を打ち、少しの間意識を失っていたようだった。

「いってぇ……」

 後頭部にたんこぶが出来ていた。これでは気になって良質なアレなど不可能だ、と一旦風呂から出てキッチンの冷蔵庫から保冷剤を取り出した。

 それを出しっぱなしにしてあったタオルに包み、患部に当てる。

 ひんやりとした感触が心地よかった。

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