第十二話 翁を訪ぬる娘のこと
ある日、翁を訪ぬる客あり。その客いとうつくしき娘なれど、翁には覚えなく「誰ぞ」と尋ぬる。娘、答へる代はりに「いとめづらしきもの描きたる翁に違はましか」と尋ぬる。翁、「えい」と返す。娘、懐より翁の描きたる本を出し、「これに署名たまはむ」と言ひ、翁、それに従ふ。それより娘といとめづらしきをとめらのこと言ひ合ふ。娘曰く、「これに描かなむ」と言ひし客こそ、この娘の姉なりと。さらにその者、「己もまた、めづらしきをとめにならむ」と努めたると。翁、それを聞くに、志同じうしてなほ、「かくあらまほし」と励む様思ひてうれしぶ。ふと、娘の浮かぶる笑みに寂しさの現れたるを見て、翁、「君もまた叶はむと欲するもののあらむ」と問はば、娘、ことさら寂しき笑み浮かべ、「我はよろしや。この想ひ閉ざさむ。叶ふまじ故」と答へり。
娘曰く、忍ぶる想ひあれど、その者に知られで終はらすがよろしと。翁、思ひ嘆ひて「ならばせめて、告らばよろしや。」と問はば、娘、「煩はずや」と返したり。翁、これに「己が思ふままに行ひ、人傷つけたるは悪しかれど、告らすのみなれば、まして忍ぶるのみの恋を咎むる人のあらまじ」と答へり。翁、重ねて曰く、「それに君の如きうつくしき娘に告らされてなほ、無碍にする者のあらまじ」と。娘、「いな。叶ふまじ。その者こそそなたにあります故」と、か細き声にて伝ふるも、腕を組みて深く思ひ悩む翁には届かず。
されど、娘の笑みに寂しさは消え、晴れやかなる顔にて礼を言ひ、去にし。
翁、「時移ろへど、人の恋路の変はらじ。」と思ひ、然ればとはや去にし娘の方に向かひて、「願はくはこの娘の恋路に幸多からんことを」とことほぐ。




