第6話:はるは、このまま浮き世に帰るといい。
「名は、なんと言うの?」
男性にしては少し高めの、でも耳に心地よい凛とした声が晴に問う。
あらぬ想像をしてしまったせいで、どきどきした胸を抑えながら、晴は答えた。
「晴と申します。天候の『晴れ』の字を書いて、はるです」
「そうか……。はる。はるは、このまま浮き世に帰るといい。きっと、人間達に言われて無理矢理連れてこられたんでしょう?家で親兄弟や、好きな人が待っているんじゃないの?」
え、ええ……っ?
帰れって言われちゃった……。
「な、何を仰るんですご主人……!せっかく瑞守の姫巫女様が来てくださったと言うのに、追い返す人(神だけど)がありますか……!?」
神使のさくちゃんも仰天している。
「そ、そうです。それは困ります!私は瑞守の人間としてのお勤めを果たさないといけませんし、帰る家など……」
瑞守の本邸にすごすご帰ったりしたら、なんと言われるか分からない。
母を守るためにも、ここできちんとお勤めを果たして、村を守らなくては。
「……まあ、いいや。ひとまず黒龍を、なんとかしなければね。きみのことは、それから考えよう」
白夜様はそれだけ言うと、すたすたと祠の入り口の方へ歩いて行ってしまう。
晴とさくちゃんは、慌ててその後ろを追い掛けた。
「待ってくださいよ、ご主人ーー!そんな状態で黒龍と闘おうなんて、無茶ですよ……!千年前のこと、覚えていないんですか?」
さくちゃんの言葉に、白夜様はぴくりと反応した。
「覚えていない……?そんなわけ、ないだろう。覚えているからこそ僕は……っ」
白夜様の顔は、さっき傷の痛みに苦しんでいた時のように、苦しげに歪んでいた。
そう言えば、千年前の生け贄は、龍神様のことを拒んで、怒りを買ったと言っていた。
千年前、いったい何があったのだろう。
それにあの、背中の傷は……。
「黒龍も、まだ蘇ったばかりだ。本来の力を取り戻してはいないはず。今ならまだ、僕も互角に闘えるはずだ」
祠の外へ出ると、激しい雨が降っていた。
ますます暗くなった空には、やはりあの黒い龍が浮かんでいる。
「良かった……。まだ、村は無事のようです。ご主人がいるから、近付けないんですね……!」
さくちゃんの言葉に、白夜様はうなづく。
「はる。黒龍にとっても、瑞守家の人間は『ご馳走』だ。やつも必ずきみを狙ってくる。だから、隠れているんだよ」
黒龍にとっても……?
それってつまり、白夜様にとっても…って、そう言うことなのではないのかしら……。
――白夜……ようやく現れたか。
地響きのような、低く禍々しい声が辺りに響き渡った。
見上げれば、黒い龍の金の瞳がぎろりとこちらを睨んでいる。
――ハハハハ……なんだその姿は……っ!なんとも情けない、貧弱な姿だな。
黒龍は馬鹿にしたような笑い声を上げる。
――千年前、あれだけの目に遭っておいて、まだ懲りていないのか。贄など、さっさと食ってしまえばいいものを……。相変わらず愚かな龍神だ。
聞いているだけで、不快になるような声だった。
たしかに、白夜様の方が幼く、か弱そうには見えるけど、白夜様の方がずっと神様らしい。
清らかな神々しさがある。
「そなたなど、この姿のままで充分だ」
白夜様は黒龍へ向かい一歩踏み出すと、指で印のようなものを切った。
「『迦具伊加土』」
白夜様の言葉に呼応するように、激しい稲光が、黒龍を撃った。
「きゃ……っ!」
晴は思わず耳を塞いで身を屈めていた。
雷鳴の轟音が耳を穿つ。
巨大な黒龍は傷みを感じたように、激しく身を捩った。




