第21話:自分のことを弱いなんて思ったことはないよ
間もなく朝だわ……。
晴は立ち上がり、寝所を出た。
さくちゃんも母も寝静まっていて、屋敷の中は物音一つしない。
白夜様は、どこにいらっしゃるのだろう。
屋敷中探しても、夫の姿はどこにも見当たらなかった。
なんだか、胸騒ぎがする。
晴は自室で蛇の姿でとぐろを巻いて眠っていたさくちゃんを起こした。
「ううん……ご主人……もう食べられません……」
「さくちゃん、寝ぼけてる場合じゃないの。白夜様がいないのよ」
さくちゃんは身を起こし、目をぱちくりさせた。
「え、ご主人が……?てっきり今夜は晴様と長い夜を過ごされるものと思いましたのに……」
「浮き世で何かあったんじゃないかしら……なんだか、嫌な予感がするの」
さくちゃんはようやく目が覚めてきたのか、羽を広げてパタパタとさせた。
「晴様も白夜様と夫婦神になられましたから、白夜様の気配を感じていらっしゃるのですね……。分かりました。浮き世へ参りましょう。白夜様の管轄である瑞守の村周辺へは、自由に往き来ができます。さくちゃんを肩に乗せて、念じていただけますか。晴様が思う場所を」
「分かったわ」
晴は、言われた通り自分の肩にさくちゃんを乗せ、白夜様の気配のする場所を思い浮かべた。
――気づけば、晴はさくちゃんとともに、村の外れに立っていた。
「な、何これ……」
「酷いですね……」
村は、酷い有り様だった。
大きな地震があった後のように、家々が傾き、人々が逃げ惑っている。
「いったい何があったの……!?」
晴は近くにいた村人に、声を掛けた。
「また地震があったんだ……!こないだのより大きい。いったいどうなってるんだ……晴が龍神様と結ばれて、万事収まったんじゃなかったのか……!?」
咎められるように言われて、晴も困惑した。
この間、あれだけの傷を負ったのだ。
黒龍が現れるのはまた千年後かと思っていたのに、まさかこんなに早く復活したと言うの……?
「ひとまず、ご主人を探しましょう……!」
「うん……!」
晴はうなづいて、走り出した。
白夜様を探さなくちゃ。
きっとどこかにいらっしゃるはず。
晴は村中を駆け、白夜様の姿を探した。
***
婚礼の夜のこと。
宴も酣となった頃、白夜は浮き世に異変を感じた。
酷く嫌な感じがする。
晴は――寝所に下がり、朔と過ごしている様子だ。
晴を危険にさらすわけにもいかない。
白夜はひとり、浮き世へ向かった。
この気配はまさか黒龍……?
いくらなんでも回復が速すぎると思うのだが。
白夜は最も強く瘴気を感じる場所――瑞守の屋敷へと向かった。
「ふふふ……いらっしゃったわよ、徨夜さま。村も守れない、軟弱な神様が」
徨夜の隣にはいつか見えた瑞守の正妻の娘が、まるで恋人のようにぴったりと寄り添っていた。
嫌な予感がした。
徨夜からは、今までとは比べ物にならないほどの瘴気を感じる。
娘は徨夜にしなだれ掛かるようにしたまま、くすくすと笑い続けていた。
「晴ったらほんとに馬っ鹿みたい。こんな素敵な龍神様がいらっしゃるっていうのに、あなたみたいないかにも頼りない格下の神に嫁入りするなんて……。聞いたわ。千年前は、あなたのせいでこの村が滅びたそうね?あなたがあまりにも弱いから」
「『素敵な龍神様』……?本気で言っているの?」
あまりの愚かさに、白夜は冷笑するしかなかった。
「な、なによ……っ」
佐知子はたじろぐ。
「救いようがないほどに愚かだね。本当に気が付かないの……?すぐ隣にいるその男こそが村を滅ぼした当の本人だって言うのに。この穢れきった瘴気に気が付かないなんて、瑞守の姫巫女とはとても思えない」
「な……っ!?」
佐知子は顔色を変えた。
「神の妻となって裕福な暮らしをさせてやるとでも言われたのかな……瑞守の乙女ともあろう者が、欲に駆られて守るべき村を自らの手で滅ぼすつもりなの……?」
瑞守の乙女が、まさか自ら邪悪な者に力を貸してしまうとは……怒りを通り越して呆れしか出てこない。
心が穢れきっている。
白夜の怒りに呼応して、掻き曇った空には稲光が走り始めた。
「きゃ……っ!!こ、徨夜様……っ」
佐知子は徨夜の腕に縋りついた。
――くくく……俺はもう瑞守の乙女の霊力を食った。残念だがもうお前に俺は止められぬ……!
目の前に巨大な黒龍が現れる。
黒龍の全身からどす黒い瘴気が噴き出し、激しい揺れが大地を襲った。
「きゃあ……っ!」
佐知子は悲鳴を上げて頭を抱えた。
千年前のことを思い起こさせるような激しい揺れ。
このままでは、また村に被害が出てしまう……。
「やめよ、黒龍。村に危害を加え、人々を食らっても穢れを集めるだけだ。たとえ千年掛かっても、そなたは神にはなれないよ。地道に徳を積めば、一角の神にもなれたかもしれないのに……」
――ククク……貴様に言われずともそんなことは分かっている。俺の望みは憎き貴様を殺すこと。そして、貴様の大事な晴も、この村も、全てを食らい付くしてやろう。
黒龍の身体から噴き出す瘴気が形を成し、白夜の喉に絡み付いた。
そのまま捻り上げられるようにして体が宙に浮く。
喉を潰されて呼吸ができなかった。
――千年前と同じだ……貴様は何も変わっていない。なんとも愚かでか弱い矮小な存在よ……そんななりでは何一つ守れぬ。己の愚かさと弱さを悔いながら死ぬがいい……!
黒龍は身を震わせ、咆哮する。
その度に、大地が揺れた。
何一つ守れない……。
たしかに、以前の自分であれば、村を守れなかった自分を責め、悔い続けるだけだったかもしれない。
でも今は……。
「僕は、自分のことを弱いなんて思ったことはないよ」
晴が言ってくれたから。
――誰よりも優しくて強い心を持った白夜様が好き――。
ずっと一人で、神としての務めを全うしてきた白夜にとって、あんな風に誰かから一途に想ってもらうなんて、はじめてのことだった。
「僕は知ったんだ」
誰かに認めてもらえること。
好きだと言ってもらえることが、何よりも力になることを。
晴の温かさ。
晴れた日の柔らかな陽光のような、晴の抱擁を思い出した。




