17.5話
晴が浮世へ戻り、数日が経ったある夜のこと。
「風が冷たくない?お母さん」
「ええ。こんな上等な着物を着せてもらったら、大丈夫だよ」
その夜、晴は母と二人で縁側に座り、ゆっくりと温かいお茶を飲んでいた。
白夜様が取りはからってくれて、晴と母は、お父様がまだ生きていた頃に住んでいた屋敷に、瑞守の分家として生活していけることになった。
晴と母が暮らしていけるように、家具や調度も整えられている。
「龍神様が、あのようなお優しい方だとは思いもしなかったわ」
母はしみじみと言う。
うん。
とても、優しい方。
可愛らしくて、思わず守ってあげてしまいたくなるけど、実はとても恐ろしい神様としての一面も持っている。
「私、贅沢になってしまったみたい……」
母と一緒に不自由のない暮らしをしていけると言うのに、白夜様が傍に居ないことが、たまらなく寂しかった。
白夜様とさくちゃん、一緒に過ごした時間がとても楽しかったから。
頬を赤く染めた愛らしい白夜様の顔が、心に浮かんでくる。
「白夜様……」
晴は月を見上げて、思わずその名を口にしていた。
かさり……と、草を踏む音が聞こえた。
晴の胸がどきりとする。
屋敷の庭を、誰かが歩いて近づいてくる気配がする。
まさか……。
「白夜様……?」
暗がりから姿を現したのは、長く艶やかな黒髪を後ろ手に束ね、濃い灰色の着物を着た男だった。
「白夜でなくて、残念だったな」
男はゆったりと晴の座る縁側へ近づいてきた。
背が高く、整った顔立ちはとても美しいけれど、何か禍々しいものを感じる。
晴を真っすぐに見据える瞳は、朱色の月のように、赤み掛かった金色だった。
「晴、この方は……?」
母も不安そうな声で言う。
「あなたは、まさか……荒御魂……黒龍……?」
「荒御魂などと呼ばれるのは心外だな。俺にもきちんと名がある——徨也と言う」
徨也と名乗った男は、晴の目の前に立つと、身を屈めて晴に目線を合わせた。
長く骨張った指で顎を掴まれ、晴は身を硬くした。
「凄まじい霊力だ。白夜も物好きだな。これほどの贄を目の前にして、手も付けずにいるとは……」
男は心底理解ができないというように、嘲るような笑い声を上げた。
「とても『神』とは思えない」
「白夜様のことを、笑わないで……!」
晴は思わず声を上げていた。
「あのような者は神とは言えない。あのように心の弱い者では、この先も、土地神としてこの地を守ることなど到底できないぞ。贄姫……晴と言ったか?俺に身を任せる気はないか……?お前の力があれば、俺も神になれる」
男は立ち上がり、白夜様とは正反対の、がっしりとした長身を見せびらかすように言った。
「あんなひ弱な男よりも、俺こそが、神に相応しい。そうは思わないか……?」
「俺が神になれば、かくりよに、もっと立派な屋敷を用意してやろう。もちろん母親も一緒だ。それが、お前の望みなのだろう?」
――私の、望み……?
違う。と思った。
私は、白夜様だからこの身を捧げてもかまわないと思ったのだ。
黒龍に問われて初めて、胸に明かりが灯るように、白夜様への想いが形をなした。
私は、白夜様と一緒にいたい。
優しすぎるけど、けして弱くなんかない。
むしろ、とても強いかた。
一時の誘惑になど負けない、強い意志を持っているかた。
「私が身を捧げるのは白夜様だけです。白夜様こそ、神様に相応しい」




