第12話:あーあ。晴も死んじゃったし、面白くないわねえ……
晴の母親は、名前を凪子と言った。
凪子は、村でも評判の器量良しだった。
身体は弱かったが、気立ても良く、嫁の貰い手には困らないだろうと言われていた。
ところが、凪子が十七になる年、両親が相次いで亡くなり、凪子は天涯孤独となってしまった。
身寄りがないことも、凪子に白羽の矢が立った理由の一つだったのかもしれない。
一人になってしまった凪子は、どうしてもと請われて、瑞守家の嫁となった。
『嫁』と言っても、瑞守家にはすでに正妻がいたので、いわゆる側妻だった。
瑞守の血を絶やさないためにも、元気な子を産むことが、凪子の勤めだと言われた。
凪子が自ら望んだことではなかったが、当主の要様は優しい方だったし、綺麗な着物や美味しい食べ物を与えられて、今までの生活とは比べ物にならないほど、裕福な生活を送ることができた。
可愛い娘も生まれて、凪子は幸せだった。
要様が、亡くなるまでは。
要様が亡くなって、凪子は初めて本妻である響子奥様に会った。
響子奥様は、気性の激しい方だった。
気位が高く、凪子と晴の存在が許せないようだった。
今後も養ってもらいたければ、本邸へ移り住んで下女と同じように働くようにと言われた。
凪子に選択肢はなかった。
たしかに凪子が要様にしていただいたことを思えば、瑞守家には恩がある。
嫉妬に狂う響子奥様の気持ちも、分からないではない。
身体の弱い凪子には、幼い晴を養っていくだけの体力は無かったし、村の者たちはみんな事情を知っているから、凪子たち母子を援助したり、嫁に貰ってくれる者などはいなかった。
みんな、力ある瑞守家の奥様を恐れていたのだ。
凪子は罪なき晴に申し訳ないと思いながらも、響子奥様と佐知子お嬢様に虐げられる日々に耐えていた。
晴が大きくなって、一人立ちできるまでの辛抱だ。
晴が一人前になれば、自分はどうなっても構わない、そう思っていたのに……。
まさか、こんなことになるなんて。
瑞守家の人間が龍神様の贄になるなどと言う話は、凪子には一切聞かされていなかった。
村人達だって、知っていただろうに。
今思えば、口裏を合わせて、凪子たち母子の耳に入らないようにしていたとしか思えない。
優しいと思っていた要様のことさえ、疑ってしまう。
すべてに、裏切られた思いだった。
自分の人生はいったい、何だったのだろう。
自ら望んだわけでもないのに、運命に振り回されただけではないか……。
何よりも、たった一人の娘である晴を守れなかったことが、悔しくて堪らなかった。
――分かりました。わたし、生け贄になります。
そう口にした時の、決意に満ちた晴の顔を思い出す度に、涙が溢れて止まらなかった。
晴は誰よりも責任感が強く、優しい子だった。
昨日まで、隣で一緒に寝ていたはずの晴はもう、逝ってしまった。
もう二度と、あの声を聞くことはできない。
この手で、抱き締めてやることもできない。
もっと早く気付いていれば……。
もっと早く瑞守の家を出ていれば……。
どんなに後悔しても、もはやどうにもならないことだった。
***
「お母様、あの女、どうするつもりなの……?昨日から泣きっぱなしだし、出した食事も何一つ手を付けないって」
佐知子は朝餉を食べながら母に訴えた。
晴の母親は、元通り土蔵に押し込めて、鍵を掛けて閉じ込めてやったのだが、わざわざ出してやった食事にも手を付けず、泣いてばかりなのだ。
陰気臭いったらありゃしない。
「あら、食事を取らないと言うなら好都合じゃない。放っておけばいずれ勝手に死ぬでしょうよ」
母は、愉快そうに笑った。
とうとう晴を生け贄にやって、あの忌々(いまいま)しい女を不幸のどん底に叩き付けてやったのが、愉しくてたまらないのだ。
それにしても、あんな陰気な女をいつまでも置いておくのは嫌だった。
晴と違って身体が弱いから、家事を頼んだって何一つろくにできない。
本当の役立たずなのだから。
これならまだ、晴がいた方が、いびれる相手がいて愉しかったと言うものだ。
「あーあ。晴も死んじゃったし、面白くないわねえ……」
佐知子がぼやいていた時だった。
「奥様……大変です……!」
女中の一人が、慌てて居間に入ってきた。
「なんですかいったい、騒々しい。食事中ですよ」
母が呆れたように言う。
「それが……晴さんが、晴さんが戻ってきたんです……!」
「なんですって……?」
佐知子は思わず声を上げた。
その時、居間に静かに入ってきたのは、当の晴本人だった。




