迷い香
—-------------------------------------------------------
愛とは何ぞや 生とはなんぞや
形なきものを定義するものとはなんぞや
生きようとするその意思の善悪を断じるものは何者ぞ
—-------------------------------------------------------
甘い香りが山から降りてくる
山は装いを変え、冷たい風がやってくる
それを合図とするように、貴方が山からやってくる
沢山の山の笑顔と煤で汚れた金色の笑顔と一緒に
秋が来ると思い出す
貴方の笑顔は、光る山にも負けぬほどに朗らかで
いつも私の心を満たしてくれた
山から金木犀が香ってきたら
貴方はまた光を届けてきてくれるのかしら
きっとそうだと信じてる
雨の季節が終わり、芽吹いた木々は新緑を携え山を彩る
多くの気配が溢れ、まさに山は命に溢れていた
「さて、この山を越えれば目的の街ですね。
道が悪く遅れが出るかと思いましたが…重畳です。」
主からの依頼を受けた帰り道
愛用する薬の材料が切れかけていることに気付き、
馴染の雑貨屋に顔を出そうと寄り道の算段中
何を土産に渡そうか、そんなことを考えながら山中を歩いていると
微かに甘い香りが鼻孔を撫でる
甘く、優しい、秋の訪れを告げる匂い
「…金木犀、でしょうか。」
初夏の日差しが降り注ぐ山中に、その芳醇な香りは酷くに歪だった
「…予定にはありませんでしたが、多少の遅れは許していただけましょう。
こちらの調査の方が、優先ですね」
薬箱を背負いなおし、思考の微睡から意識を戻す。
怪異の匂い。その根幹の香りをたどって歩き始めた
しばらく歩いていると、奇妙なことに気が付く
この山は、そこまで大きな山ではない。
足元が非常に悪いことを加味しても、ここまで時間がかかるとは考えにくい
歩けど、歩けど、匂いの元にたどり着くことがない
それなのに、周囲を見れば明らかに木々が生い茂り、山は深さを増している
まもなく日も暮れ始め、山に夜の気配が漂い始める
あぁ、これは長期戦になりそうだと気を強めた
直後
ザワリと山が一鳴きしたかと思うと、不意に眼下に一つの村が広がっていた
「…追い出されましたか。仕方ありません。まずは情報収集からですね」
村へ足を運ぶ。小さな村だ。どこかに宿を取れるだろうかと気にしていると
運よく一軒の宿を見つけることができた
「遅い時間に失礼いたします。私、渡りの薬師をしているのですが、
山越えの時間を誤ってしまいまして。
今晩、こちらに1日宿を取らせていただくことは可能でしょうか?」
ほどなくして、気のよさそうな女性が中から顔を見せる
「おやまぁ、それは災難だったね。
もちろんだよ。部屋は空いてるから使っておくれ。」
「それは助かります。それでは、ご厚意に甘えさせていただきます。」
簡単なやり取りを済ませ部屋に向かう途中で女性が話かけてくる
「ところで薬師さん、もしよければだけど、1人病人を看てやっちゃもらえないかね?」
「病人ですか…?えぇ、もちろんです。それが私の生業ですので。
何かお力になれるようであれば。」
「あぁ、そうかい!助かるよ!近場の医者様にも看てもらってるみたいなんだけれど、
何が原因なのか全く分からないみたいでね…ちょっと連絡を入れるからそれまで
部屋で休んでいておくれよ。」
そういうと、女性はバタバタと去っていった
少しすると、部屋の外から声がかかる
「待たせたね、今は病状が安定してるみたいで、
良ければ今から来てもらうことは可能かい?」
「えぇ、もちろんです。参りましょうか」
「助かるよ…村の皆も心配していてねぇ。」
「失礼ながら、事前のご連絡が必要ということは、ご身分のある方なのでしょうか?」
「あぁ、いや、うちの町長の娘さんでね。ちょっと前から、突然夜半に外に出歩くようになっちまったみたいでね。その代わりなのか、逆に昼間はどんどん眠る時間が増えてしまってるらしい。食事や水分もほとんど取れない状態みたいでね。医者様もお手上げらしい。
村の衆の中には、山の祟りだ、なんていうやつも出始める始末でね。」
祟り
「山の祟り…というのは」
「あぁ、まさにあんたが渡ろうとしてた山さね。ひと昔前までは山一面が金木犀に覆われててね。そりゃあまぁ綺麗なもんだったんだけどね。」
「あんたも歩いたならわかるだろうけど、山向の街に行くために、あの山は行商にとっちゃ大事な道だ。けど、如何せん足元が悪くてねぇ…」
「あそこ綺麗すれば、村にも行商連中が立ち寄って賑やかしてくれるんじゃないか、って話になってね。」
「金木犀は、見立てはいいが商業価値は薄い。村の未来のために、って木を伐って道を綺麗にし始めたのさ」
そこまでいうと、一瞬言い淀んだ後に女性は話を続けた
「その時にね、まさに山の一番急な道の真ん中に一際大きな金木犀の木があったのさ。
それはこの山の主だから伐るな、山が死んでしまう、って山守りの男が止めたんだけどね。結局、村の衆は伐っちまった」
「そしたらどうだい、一晩明けてみたら見事に金木犀の木だけが全部、始めから無かったみたいに跡形もなく消えちまった。」
「それからだよ、山に入った行商や村の者が、次々消えるようになっちまった。
戻ってきたとしても、娘さんのように人知れずまた山に入って消えちまう」
「人手はなくなるし、行商は怖がって近寄らんくなるし、まったく、不気味なこってね」
…なるほど、これは
「…ともかく、その方の様子を見てみましょう。私の記憶が正しければ、急いだほうがいいでしょう」
村の中でも大きな家の一角に通されると、そこには1人の女性が横たわっていた
しかし、眠っているわけではない。瞬き一つ、身じろぎ一つせず布団の上に横たわっている
そして、その身体からは、微かに金木犀の香りが漂っていた
耳を澄ませば、微かな声で譫言のような呟きが耳に入る
「与作さん…金木犀が…咲きましたよ…」
急ぎ、薬を処方し口の中に流し込む。途端、静かに瞼が閉じると微かな寝息を立て始める
よかった。まだ、<<ヒト>>としての意識の方が強いようだ
不安そうにその様子を見ていた男性、町長の方に向き合い声をかける
「一先ずは、こちらで大丈夫です。ところで、話は変わりますが、与作、という方に心当たりは?」
そう語りかけると、安堵したように息を吐きながら男性は話始める
「薬師殿、まずは感謝を。
それと、与作というのは、以前、山守りをしていた男だ。うちの娘とは幼馴染でね。」
「だが…ある時を境に、ふつりと消息が分からなくなってしまった。
山の獣に襲われたか、崖から落ちたか、
村の衆でも山に入って探したが、なんの痕跡も見つけられなかった」
「そうですか…その方の姿が見えなくなったのは何時の時分でしょうか?」
「山の話は聞いたかい?ちょうど、金木犀が消えたくらいだ。」
「そうですか…ところで、まだ山には金木犀は残っていますか?」
「いや、もう全部消えちまってもう金木犀は生えていないと思うが…」
「なるほど、分かりました。
私は、これからもう一度山へ向かいます。この病状の回復には、特殊な材料が必要になりますので…」
「もし私が戻るまでにまた娘さんが目を覚まされたら、この薬を飲ませてあげてください。 鎮静剤の一種ですが、身体への負担はありません。
今は身体と精神を休ませてあげてください。」
「分かった。だが、ここの山は特に足元が悪い…夜は猶更だ。気を付けてな。」
「はい、お心遣い感謝いたします」
カランカランと夜の山に乾いた下駄の音が鳴り響く
昼間にあった命の気配は嘘のように消え果て、あたりには静寂だけが漂っている
「さて、以前主の木があった場所というのはここですね…」
地面に手を置き、意識を集中させる。案の定、微かだが、<<根>>が残っている
目には見えないが、山全体を覆っている
「…あぁ、やまり、これは、消えたわけではなく…」
「…人の眼に視えなくなっただけですか」
根をたどり、山の奥へ進む
ふと視界が開け、小さな泉が目に入る
そのほとりに、一つの人影が佇んでいた
「今晩は、与作さんでしょうか」
その人影は静かにこちらをむいた
眼球の消えた真っ暗な眼孔がこちらを見つめていた
「…もう、山の怪と、なりましたか」
途端、一切の音が消えた
山が、閉じた
山全体に巡っていた根が集まり、身体に巻きつく
あぁ、私を異物と認識したうえで
養分にしようとお考えですが
「…とても、残念です。一面に金木犀の咲き誇る山 さぞ、美しかったでしょう」
シャリン
鈍い光が通り抜けると、その男の姿は二つに割れていた
それを認識できたかできなかったか、刹那の間にその姿は崩れ、金木犀に似た金色の花弁が散らばった
「貴方に、人と共に生きる道がもしあれば…と望むのは、私のエゴなのでしょうね」
妖怪 迷い香
花の姿に擬態し、その風貌と香りで他の生物を惑わせ、疲弊させ、養分とする怪異
大きく、強くなった個体が山一つを自身の巣とすることも珍しくはない
この山に、金木犀の木など始めから無かったのだ
この山全体が、迷い香の巣、餌場だったのだ
道行く旅人を迷わせては躯とし養分を吸っていたのだろう
切り倒した母体は、いわば可視化を司るコア
なくなった訳ではなく、ただ人の眼に映らなくなっただけだ
故に、効率が悪くなったので、村の人間も喰うようになったのだろう
散らばった花弁を拾い集め瓶に封じる
そのうち何枚かを拾い上げ、その場で薬に加工する
これを煎じれば、迷い香を完全に身体から追い出すことができるだろう
併せて、残った花弁を一箇所にまとめる
「…すでに形を失った方々は戻せませんが、或いは…」
背中の薬箱から一瓶の薬を取り上げると、一滴、花弁の海に垂らす
途端、花弁が激しく舞い上がり、1人の男がそこには横たわっていた
「よかった。やまりまだ、戻れましたか。」
迷い香は、より効率よく餌を得るために、好みの生物に寄生し近づくことがある
山守りをしていた彼は、迷い香を嗅ぎすぎたのだろう。
けれど、それでも意識を保ち続けた彼は、宿主としてはこの上なく適切だった。
だから、養分とされず、<<枝>>として生かされていたのだろう
「ヒトの思いの力というのは、本当に素晴らしい。
どうか、二人の未来に幸多からんことを。 あぁ、ただ、」
その生態も、習性も分かったうえで、それでもなお願ってしまう
「…たとえそうであったとしても、人と共に歩む道があったのなら、と
望むのは、私のエゴなのでしょうね」
ポツリとつぶやいたその言葉は、何にも届かず木々の合間の黒に溶け消えていった




