#39 二つの世界からの呼びかけ
#39 二つの世界からの呼びかけ
それは、声ではなかった。
良太は、夜の自室で目を覚ました。 時計を見ると、午前二時を少し回っている。
理由は分からない。 ただ―― 胸の奥が、静かに“叩かれた”感覚があった。
(……今……)
部屋は暗い。 いつもと同じはずの天井壁、カーテン。
だが、空気の“厚み”が何か違う。
音がない。 それなのに、何かが満ちている。
良太は、ゆっくりと起き上がった。
「……ニカ?」
名前を呼ぶと、即座に返ってきた。
――いる。
声ではない。 言葉でもない。
だが、確実に“応答”だった。
同時刻。 境界層。
ニカも、目を開けていた。
白い光の層が、以前よりも整っている。 だが、それは安定ではなかった。
整えられている。 外側から。
(……来てる……)
恐怖は、ない。 警戒は、ある。
これは追跡ではない。 干渉でもない。
“問い”だ。
良太の部屋の空気が、ゆっくりと歪んだ。
壁でも、床でもない。 空間の“中央”。
そこに、文字でも光でもない“構造”が浮かび上がる。
意味だけが、直接流れ込んでくる。
――千間良太。
呼ばれた。
名前を。 個体として。世界の一部として。
「……誰だ……?」
問いは、音にならなかった。だが、返答は来た。
――地上管理系統。 ――人類側観測連合。 ――交信要請。
良太は、息を呑んだ。
(……人類……)
同じ瞬間。 ニカの前にも、光の“編み目”が現れた。
アンリフィスの形式ではない。 議会の制御でもない。
それでも、意味は明確だった。
――ニカ・エルフェリア。 ――アガルタ光議会。――対話申請。
ニカは、思わず笑ってしまった。
「……今さらなの……」
でも。 拒絶はしなかった。
地上・関東広域観測センター。
巨大モニターの前で、あのスーツの男が立っていた。 背後には、緊張した技術者たち。
「……接続、安定」
「個体の拒否反応は?」
「ありません。……むしろ、受信状態です」
男は、静かに言った。
「……彼は“逃げない”」
それが、最も恐ろしい事実だった。
アガルタ・仮設制御層。
レオンは、制御卓の前に立っていた。 だが、今回は“上位者”ではない。
ただの、当事者の一人として。
「……ニカ」
名前を呼ぶ。
彼女の前に、光の像が浮かび上がる。 レオン自身の投影だ。
「……話すつもりなのね」
ニカは、静かに言った。
「そうだ」
レオンは、逃げなかった。
「もう、観測では済まない。遮断も、制御もできない」
彼は、正直に言った。
「……だから、聞きたい」
ニカは、一拍、間を置いた。
「……何を?」
「……君たちは、一体何を望んでいる?」
良太の前に浮かぶ“構造”も、同じ問いを投げていた。
――あなたの行動により、――複数世界に不可逆変動が発生。
――要求を提示せよ。
まるで、交渉文書だ。
良太は、拳を握った。
(……要求……?)
しばらく、黙ったまま考える。
そして――
「……俺たちは……」
言葉にした瞬間、ニカの存在が、強く重なった。
境界層。
ニカは、レオンを見つめていた。
「……私たちは……」
同時だった。
言葉も、間も。
まるで、示し合わせたかのように。
良太とニカは、それぞれの世界で、同じ“答え”を出す。
「……消えたくない」
「……切り離されたくない」
それは要求ではない。 脅しでもない。
ただの、宣言だった。
地上側のシステムが、短く沈黙する。
アガルタ側の光が、わずかに乱れる。
人類と光議会。 二つの“世界の代表機構”が、同時に理解した。
――彼らは、支配を求めていない。――優位を主張していない。
ただ、存在を、否定されないことを望んでいる。
スーツの男が、低く呟く。
「……これは……」
誰かが、続きを言った。
「……交渉じゃない。……承認の問題だ……」
◇
レオンは、ニカに問いかける。
「……もし…… 世界が、条件を出したら?」
ニカは、迷わず答えた。
「聞く」
「……危険でも?」
「それでも」
彼女は、静かに言った。
「恋は、もう始まってるから」
良太の前の“構造”が、変化する。
文字でも光でもない。だが、意味ははっきりしていた。
――承知した。――次段階へ移行する。
次の瞬間。
世界が、深く息を吸った。
境界層の空間が、初めて“拡張”する。
地上とアガルタの情報が、断片ではなく、同時に存在し始める。
ニカは、はっきりと感じた。
(……来る……)
これは警告ではない。罰でもない。
試験だ。
遠く。だが確実に。
第三の“視点”が、動き始めていた。
最古の観測者よりも古く。 光議会よりも深く。 人類の文明よりも前から存在するもの。
それは、記録にも名前にも残っていない。
ただ一つの性質だけを持つ。
――世界が、恋を許容できるかどうかを測る存在。
良太は、目を閉じた。
ニカも、同じように息を吸う。
世界は、もう二人を排除できない。だが、まだ受け入れてはいない。
これは、始まりではない。
これは、問いに答えた後の、最初の沈黙だ。
#40へ続く




