#23 境界が呼吸する ― 残り七十二時間
#23 境界が呼吸する ― 残り七十二時間
― 残り72時間 ―
地上/良太
旧校舎裏の井戸は、もう“ただの井戸”じゃなかった。
近づくだけで、空気がわずかに重くなる。 音が吸われる。 時間の流れが、ここだけ遅くなる。
良太はフェンスにもたれ、ノートを開いた。 ページには、ここ数日で書き殴った図とメモが並んでいる。
井戸の位置。
地下水脈の流れ。
宮坂先生の資料にあった「封印」の文字。
そして――
ルミナ鉱石の欠片。
「……反応してる」
欠片は、一定の周期で微かに脈打っていた。 昼夜を問わず。 まるで、向こう側の“時間”と同期しているみたいに。
(ニカ……今も、動いてる)
声は届かない。 でも、確信だけは消えなかった。
良太は欠片を掌に乗せ、そっと目を閉じる。
「……必ず行く」
それは願いじゃない。もう、決意だった。
― 残り68時間 ―
アガルタ/ニカ
光導路の奥、使われなくなった保守区画。
ニカは、冷たい床に座り込み、息を整えていた。セリアは入口で見張りをしている。
「……追ってきてない?」
「今のところは。でも、時間の問題だと思う」
セリアの声は落ち着いているが、油断はなかった。
ニカは胸元の手帳――祖母シラの記録に触れる。
ページを開かなくても分かる。そこに書かれている“恋”の重さを。
(おばあちゃん……)
自分と同じように、声から始まって。 同じように、世界に否定されて。
でも―― 完全には、断たれなかった。
「ニカ」
セリアが、少しだけ声を落とす。
「さっきから……光が変」
ニカは顔を上げた。
天井のルミナ鉱石が、一定のリズムで揺れている。 まるで――呼吸するみたいに。
「……境界が、薄くなってる」
ニカは、はっきりと分かった。
これは危険な兆候。 同時に――希望でもある。
(良太……感じてるよね)
― 残り60時間 ―
地上/良太
夜。
井戸の底を覗き込んだ瞬間、視界が歪んだ。
「……っ」
一瞬だけ――
光の輪郭が見えた。
建物でも、風景でもない。“向こう側の空間”の縁。
良太は、息を呑む。
「今の……」
幻覚じゃない。 はっきりと、“見えかけた”。
ルミナ鉱石の欠片が、今までで一番強く光る。
(視界……重なり始めてる)
声の次は、視線。 その次は――
良太は、井戸の縁に手をかけた。
「……待ってろ、ニカ」
もう、時間は測れる。 止められない。
― 残り54時間 ―
アガルタ/ニカ
ニカは、保守区画の奥で一人、目を閉じていた。
抑制具は、もうつけていない。 外した瞬間、胸が焼けるように熱くなった。
「……来てる」
声じゃない。 視線でもない。
存在の重なり。
暗闇の奥で、何かが“こちらを見返してくる”感覚。
ニカは、ゆっくりと目を開ける。
――そこに、輪郭があった。
ぼやけている。 色も定まらない。
でも――
(……男の子……)
背丈。 立ち方。 井戸の縁に立つ、見慣れた姿勢。
ニカの喉が震える。
「……良太……?」
名前を呼んだ瞬間、視界が揺れ、光が弾けた。
まだ、完全じゃない。 でも――
初めて、“見た”。
声だけじゃない。 想像でもない。
確かに、そこにいた。
― 残り48時間 ―
世界は、まだ壊れていない。
だが――
境界は、確実に“呼吸”を始めていた。
二人が初めて互いを視界で捉えた、その瞬間から。
#24へ続く




