#20 観測の名を持つ者 ― 交差する気配
#20 観測の名を持つ者 ― 交差する気配
風が止んだ。
旧校舎裏の空気が、妙に重くなる。 湿り気でも、寒さでもない。 圧だった。
良太は無意識に息を浅くした。
(……来てる)
視線は、もう一点に定まっていた。 空でも、井戸でもない。 その“あいだ”――空間そのもの。
見えないはずの場所に、
確かに“立っている何か”の気配がある。
次の瞬間。
――視界が、わずかに歪んだ。
まるで、空気が水面のように揺れる。 輪郭のない影。 人の形に似ているが、影よりも淡く、光よりも冷たい。
「……っ」
良太は声を失った。
それは姿ではない。 だが、見られているという感覚だけが、異様に鮮明だった。
影の“中心”から、感情のない圧が流れ込んでくる。
――解析。 ――観測。 ――危険度測定。
言葉は聞こえない。 なのに、意味だけが直接、頭に落ちてくる。
「……人、だよな」
問いかけは、空気に溶けた。
返答はない。 ただ、影の“焦点”が、良太に合わされる。
ルミナ鉱石の欠片が、熱を帯びた。
(……俺が、観測対象)
理解した瞬間、背筋が冷える。
だが、同時に―― 胸の奥で、別の熱が灯った。
(……ニカも、同じように見られてる)
その確信は、理屈じゃなかった。 共鳴だ。
良太は、一歩前に出た。
「……観測するなら、全部見ろ」
声は、震えていなかった。
「俺は、逃げない。 ニカの存在も、俺の気持ちも――消されるなら、抗う」
影が、わずかに揺れる。
初めて、“変化”が起きた。
観測者は、感情を持たない。 だが――予測外の反応は、確実に記録された。
その瞬間。
井戸の奥から、光が溢れた。
アガルタ。
ニカは、自分の部屋で息を詰めていた。
胸元の抑制具が、今までにないほど不安定に点滅している。 赤でも、警告色でもない。 白に近い光。
(……なに、これ……)
共鳴が、抑えきれない。
視界の端が、また歪み始めた。 あの夜と同じ――いや、それ以上。
影が、はっきりしていく。
今度は“影”じゃない。
距離がある。 奥行きがある。
そして――
「……っ」
ニカは、息を呑んだ。
視界の向こう。 歪んだ光の膜の“先”に、 人の姿が、確かにあった。
ぼやけている。 色も、輪郭も定まらない。
それでも――
(……背、少し高い……)
どうして分かるのか、自分でも分からない。
影が、こちらを見ている。
視線が、ぶつかった。
その瞬間、世界が一拍、遅れた。
光が、爆ぜる。
抑制具が悲鳴を上げるように光り、 床に膝をつく。
「……良……太……?」
声にならない声。
だが、確かに―― “見えた”。
完全じゃない。 ほんの一瞬。 でも、声だけの存在ではなくなった。
次の瞬間、視界が暗転する。
抑制具が強制遮断をかけたのだ。
旧校舎裏。
良太は、激しく息をしていた。
井戸の光は消え、 影も、視線も、消えている。
だが――
胸の奥に、確かな“像”が残っていた。
(……見た)
顔は分からない。 でも、存在の向こうに、 確実に“彼女がこちらを見た”感覚があった。
「……ニカ……」
その名を呼ぶと、 ルミナ鉱石が、微かに温かくなる。
同時に。
空間のどこかで、 何かが“確定”した気配がした。
観測は終わった。
――次は、介入。
良太は知らない。 今この瞬間、 光議会の記録層に、ひとつの項目が追加されたことを。
《案件名:地上―アガルタ視界共鳴》 《段階:初期接触》 《危険度:再評価》
世界はもう、後戻りできない。
声の物語は終わり、 “見る”物語が、始まってしまったのだから。
#21へ続く




