#2 地下の光、地上の空
#2 地下の光、地上の空
井戸越しの会話が始まってから、もう一週間が経っていた。
俺――千間良太は、毎晩のように旧校舎裏の古井戸へ通っていた。
理由は単純だ。
楽しいからだ。
いや、ただ楽しいだけじゃない。
胸がざわつく。
話したくなる。
聞きたくなる。
そして気付けば、今日も夜の校舎に忍び込んでいる。
冬でも夏でもない季節外れの夜風が、グラウンドを横切っていく。
旧校舎は相変わらず不気味だ。だが井戸の前に立つと、もう怖くないどころか、少しワクワクしてくる自分がいた。
石づくりの井戸の縁に手を置き、俺はそっと名前を呼ぶ。
「ニカ、いる?」
するとすぐに、井戸の底から明るい声が跳ね返ってきた。
「いるよ、良太! 今日も来てくれたんだね!」
「そりゃ来るよ。なんか、ここ来ないと落ち着かないし……」
「ふふ、やっぱり良太、私に会いたいんだ?」
「い、いや……まあ……うん、そう……だけど……」
「いま絶対、顔赤くしてるでしょ?」
「なんでわかんだよ!」
「声の熱でわかるよ? アガルタの人って感情に鋭いの」
声だけで感情の“熱”を読み取れるんだっけ。
アガルタでは“共鳴体質”と呼ばれるらしい。
こいつ……いつも俺の気持ち丸見えじゃねーか。
「じゃ、ニカの気持ちも俺にわかるようにしてくれよ」
「わ、私!? わ、わたしの……き、気持ち……は……」
「ん?」
「ひ、秘密!!」
井戸の下でバタバタしている様子が、声だけで分かる。
顔が見えないのに表情まで浮かぶの、本当に不思議だ。
「ねえ良太、今日はね、アカデミアの光理学の授業でね!」
「ひかりがく?」
「うん、光の鉱石――ルミナ鉱石の共鳴実験したの。近づけるとね、石が光るんだよ。感情が強いともっと光るの!」
「へぇ……すごいな」
「すごいでしょ!? わたし、ちょっとだけ光らせられたんだよ!」
自慢げに話す声が、井戸の奥で弾む。
その明るさはまるで、本当に光を放っているみたいだった。
「ニカの世界って、どんなとこ?」
「うーん……説明むずかしいな……えっとね、空は天井にルミナ鉱石がたくさん浮いてて、太陽みたいに光ってるし、川は青白く光ってて……」
「光ってる?」
「そう! 発光水っていってね、夜になると街全体が水に照らされてキラキラして……すっごく綺麗なんだよ」
「うわ……そんな場所、見てみたいな」
「見せたいよ。良太にも絶対気に入ってもらえるから」
「じゃあ、いつか案内してよ」
「……うん!」
少し間を置いて、彼女は嬉しそうに言った。
「良太、アガルタの光景、地上の空より綺麗に見せる自信あるよ?」
「地上の空は……負けないぞ?」
「じゃ、勝負だね!」
声だけの会話なのに、まるで世界が近付いていくような気がした。
“彼女”という言葉
その日、俺はちょっと踏み込んだことを聞いてみた。
「……ニカ。最初にさ、言ってたよな。井戸に“彼氏ほしい”って叫んだって」
「う、うん……叫んだ……叫んじゃった……」
「なんで?」
「うぅ……恥ずかしいなぁ。それはね……」
ニカはしばらく黙った。
井戸の奥で、誰かが小石を蹴るような音が響く。
「……好きなんだ。恋が」
「恋?」
「うん。恋って、心がキラキラして、景色が輝いて、世界が変わるって……地上のドラマエコーシアターでよく聞くんだけど……私もしてみたいなって」
「……そっか」
「でも、アガルタではね、“声だけで想い合う恋”が一番綺麗だって言われてるの」
「へぇ」
「だから――良太と話してる時間が、なんかね……ほんとに……その……」
「その?」
「……恋してるみたいなの……!」
最後のあたり、ほとんど小声だった。
けど、聞こえた。
胸が跳ねた。
「……俺も……なんか最近、そうかも」
「えっ……えっ!? 良太、いま……!」
「言わせんなよ、恥ずかしい」
「~~~っ!!」
井戸の下で顔を覆ってる気配が伝わる。
この瞬間、俺の心のどこかで“遠距離恋愛”のような感情が芽生えつつあった。
声だけ。姿も見えない。
でも惹かれる。
そんな馬鹿みたいな恋……でも、不思議と心は軽かった。
「そういえばさ、ニカのとこって、地上のことどんな風に思ってるんだ?」
「え?」
「あ、いや……エコーシアターの地上のドラマ好きな人とかいるんだろ?」
「うん……いるよ。でもね――」
ニカの声が少しだけ沈んだ。
「地上のこと、よく思わない大人も多いんだ。アガルタに“破壊の病”が流れ込んだって昔話があって……それで地上を怖がってる人も多いの」
「病気?」
「うん。でもそれ、本当かどうか私わかんない。ただ……“地上人と恋するのは禁忌”って言われているのもそのせい」
「禁忌?」
「そ、そういう話……あるんだよ……」
「そっか……」
ニカはすぐに明るい声へ戻ったが、
俺の胸には小さなひっかかりが残った。
禁忌。
地上人との恋が、アガルタではタブー。
俺とニカが今していることは……?
でも、今は深追いすべきじゃない。
せっかく楽しい時間なんだから。
帰り道、俺は学校の正門で友人――竹内に捕まった。
「おーい良太! ここ数日夜にどこ行ってんだよ」
「な、なんで知ってんだよ」
「いや、俺も自習で学校に残ってたら、おまえが旧校舎の方に歩いてくの見たからさ。なんかあんの?」
「いや……その……」
「まさか……恋か?」
「ぶっ……! なに言ってんだよ!」
「お、否定しないってことは図星じゃん!」
竹内は勘が鋭い。
だが真実は言えない。
「違えよ。ただ……ちょっと一人になりたいだけだ」
「ふーん……まあいいけどよ。あんまり変な噂立てんなよ?」
「分かってるって」
竹内の視線が、井戸の方向へ向く。
「……あの井戸さ。昔から、変な噂あるよな。“叫ぶと恋が叶う”とか」
「なっ……!?」
「でもさ……ああいうのって遊び半分でやると、変なこと起こるってよく言うだろ?」
「……変なこと、ね」
「気をつけろよ良太。なんか……最近のお前、前より楽しそうだけど、同時に不思議な光まとってる感じすんだよ」
「光?」
「まあ気のせいかもな。じゃ、また明日な!」
竹内は手を振って自転車を漕ぎ出した。
“光”ってなんだ。
そんなもの俺から出てるわけ――
ふと思う。
もしアガルタのルミナ鉱石が感情に反応するなら、
逆に地上にも影響が……?
「……気のせいだよな」
夜空はいつも通り黒く、星は瞬いていた。
光なんてどこにもない。
次の日。
俺はまた井戸へ向かった。
「ニカー、今日も来たぞー」
「良太!」
昨日までと違う。
声が近い。
井戸の底じゃなくて、すぐそばにいるみたいに。
「なんか……今日、声がいつもより近くない?」
「うん……わたしもそう思ってた……。なんかね、井戸の周りのルミナ鉱石が、昼間からずっと明るくて……共鳴が強くなってるのかも」
「共鳴?」
「うん。たぶん……良太と話すと、ね……その……」
「その?」
「……感情が、強くなるから……」
照れながら言うニカに、こっちの顔も熱くなる。
「今日はね、話したいこといっぱいあるの!」
「俺もだよ」
「まずね――あっ、わっ!? ちょ、ちょっと、なんで!? わ、わたしのルミナブローチ、また勝手に光って……!」
「え、それって……」
「やばっ……これ友達に見られたら絶対バレる……! 恋してるのって!!」
「ちょ、声大きいって!」
「良太のせいだよ! 良太が……その……変なこと言うから……!」
「変なこと言ったか!?」
「“俺もだよ”とか……ずるいよ……」
「ずるいってなんだよ!」
「知らない!!」
ニカの叫びと同時に、井戸の中から風がふわっと昇ってきた。
まるで俺の胸の熱を撫でるみたいに。
その風が止んだあと、ニカがぽつりと呟いた。
「……良太、手、伸ばしてみて」
「手?」
「うん。なんとなく、つながりそうな気がするんだ」
「つながるって……」
「声だけじゃなくて……触れられるような……そんな感じがするの」
俺はゆっくり井戸の中へ手を伸ばした。
暗闇の向こうへ。
まだ見ぬ少女の世界へ。
次の瞬間。
――指先に、ほのかな温もりが触れた気がした。
「っ……!」
「い、今……触れた!? 触れたよね!? ね!?」
「わかんねぇ……けど、確かに何か……温かいものが」
「わ、わたしの手……?」
「たぶん……」
「~~~~!!」
ニカの叫びが井戸中に響き、俺の胸も跳ね上がる。
声だけの恋。
姿の見えない遠恋。
そう思っていたのに――
境界が、少しずつ溶けていく。
それは恋か、禁忌か
「良太……」
「ん?」
「これって、やっぱり……恋、なのかな」
その問いはまっすぐで、逃げ場がなかった。
「……俺は……そう、思ってる」
「……良太……」
「だから……もっと話したいし、もっと知りたいって思ってる。姿は見えないけど、お前の声、好きだから」
「わたしも……!」
「いつかさ、会ってみたい。ちゃんと。直接」
「……うん。わたしも、会いたいよ。良太に」
その瞬間、井戸の奥で――光が弾けるような音がした。
まるでルミナ鉱石が強く輝いたみたいな、“恋の光”だった。
「でも……ひとつだけ、不安があるの」
「不安?」
「もし……もしこの声の先が本当に“地上”だったら。
私は、すごく……すごく、まずいことしてるのかもしれない」
「どういう意味?」
「アガルタではね……地上の人と恋することは、絶対の禁忌なの」
ニカが震える声で続けた。
「もしバレたら……私は裁かれる。
光議会は“地上の影響はすべて排除せよ”って決めてるから……」
「裁かれる? そんな……!」
「だから、これ以上近づくのは……って、思うのに……」
「思うのに?」
「……良太と話したい気持ちが止まらないの」
俺は、井戸の石を握りしめた。
「ニカ。俺は逃げない。
もし何かあっても……絶対に助けに行く」
「……良太……」
「たとえ地底でも、アガルタでも、どこでも。
俺は行くよ。お前のいる場所なら」
「っ……!」
ニカは泣き笑いみたいな声で言った。
「そんなこと……言わないでよ……。
そんなこと言われたら……もっと、好きになる……!」
その“好き”が井戸の奥で震え、光の粒のような気配すら感じた。
距離が縮む。
世界が近付く。
たった声だけなのに。
見えないはずなのに。
まるで、隣にいる。
光が漏れた日
その夜、俺は部屋で寝ようとした瞬間、
窓の外で“光”が弾けた。
「……なに?」
外を見ると、小さな光の粒がふわりと漂っていた。
蛍?
いや、違う。
もっと青白くて――幻想的で。
まるで、アガルタの光が地上へ漏れてきたみたいに。
その光は、俺に触れるようにして消えた。
「……ニカ……?」
胸が熱くなる。
あの井戸へ行けば、またニカに会える。
声を聞ける。
もしかしたら、触れられる。
その日、俺はやっと気付いた。
――俺はもう、とっくに恋に落ちてる。
そしてその恋は、
アガルタの禁忌を破りつつある“危険な恋”でもあった。
だが、止まれなかった。
止める理由がなかった。
ニカの声が好きだ。
話している時間が愛しい。
姿は見えなくても、心は確かにつながっている――そう信じられる。
だから俺は、次の日も。
その次の日も。
井戸へ向かった。
この先に何が待っていようと、もう迷うことはない。
#3へ続く




