#16 二つの世界と壊さない距離
#16 二つの世界と壊さない距離
境界の軋みは、やがて低い脈動へと変わった。
破壊でも、拒絶でもない。 まるで――調整するような音。
良太とニカの足元に、淡い光の円が広がる。 石床と、光導路の素材が、違和感なく溶け合っていた。
「……なに、これ……」
ニカが、そっと周囲を見渡す。
井戸の底だったはずの場所に、アガルタの光脈が浮かび、 同時に、地上の湿った石壁も確かに存在している。
どちらか一方ではない。 重なっている。
「混ざって……ない?」
良太は、膝をつき、床に触れた。
冷たい。 けれど、少し温かい。
「……壊れてない。
むしろ……落ち着いてる」
ニカは、はっとした表情になる。
「……おばあちゃんの記録に、あった」
「なに?」
「“共鳴が制御された時、境界は拒絶ではなく、部屋になる”って……」
良太は、ゆっくり立ち上がる。
「部屋?」
「うん。
二つの世界の、どちらにも属さない……待機領域」
光の円は、二人を包むように、一定の距離を保っていた。 近づけるが、密着はできない。 まるで、見えない膜がある。
ニカが、一歩踏み出す。 良太も、同時に。
――そこで、止まる。
指先は、もう数センチで触れる距離。 だが、それ以上は進めなかった。
「……触れない」
ニカが、苦笑する。
「でも……見える。聞こえる。ここにいる」
良太は、静かに息を吐いた。
「……ちょうどいい、ってことか」
「なにが?」
「壊さない距離」
ニカの表情が、少しだけ和らぐ。
「……良太らしい」
しばらく、二人は何も言わなかった。
沈黙。 けれど、怖くはない。
声だけの時より、ずっと静かで、 視界だけの時より、ずっと満ちている。
「ねえ……」
ニカが、そっと口を開く。
「もし、この空間が……消えたら」
良太は、すぐに答えた。
「探す」
「……迷ったら?」
「呼ぶ」
「声、届かなくても?」
良太は、胸を指で叩いた。
「ここに残ってる」
ニカは、目を伏せ、深く息を吸った。
「……私も」
その瞬間。 光の円が、わずかに明滅した。
時間切れを告げるように。
ニカが顔を上げる。
「……長くは、いられない」
「分かってる」
「でも……」
彼女は、震える声で続けた。
「ここが生まれたってことは……
また、会える可能性がある」
良太は、力強く頷いた。
「次は……ちゃんと触れられる場所で」
ニカは、初めてはっきりと笑った。
「……約束だね」
光が、再び揺らぐ。 境界が、ゆっくりと閉じ始める。
二人は、離れない。 ただ、見つめ合ったまま。
視界が薄れ、光が分かれ――
そして。
世界は、元の形に戻った。
井戸の底に、良太は一人立っていた。 だが、孤独ではなかった。
胸の奥に、確かな“空間”が残っている。
――二人だけが知る、場所。
それは、
壊れないために生まれた、
最初の“居場所”だった。
#17へ続く




