#12 最後の通信 ― 静かな約束
#12 最後の通信 ― 静かな約束
逃げ続ける夜だった。
アガルタの光導路は、いつもなら穏やかに脈打つ白光に満ちている。 だが今夜は違った。 光が不規則に揺れ、都市全体が息を潜めているように静まり返っている。
ニカとセリアは、人気のない下層導路を駆けていた。
「こっち……旧共鳴管理区画が近い」
セリアが息を切らしながら言う。 そこは、かつて地上との共鳴実験が行われていた場所。 今は封鎖され、議会の記録からも半ば抹消された区画だ。
「……行けるの?」
「完全じゃないけど、まだ“痕跡”は残ってるはず」
ニカは頷いた。 胸の奥が、熱を帯びている。 はっきりと分かる。
――良太が、呼んでいる。
言葉じゃない。 音ですらない。 それでも確かに、胸の内側に触れてくる“揺れ”。
祖母シラの言葉が、脳裏をよぎる。
>《繫がりを断たないことだよ》
ニカは走りながら、祖母の手帳をぎゅっと抱きしめた。 失われた恋。 奪われた記憶。 そして今、自分が立たされている選択。
同じにはしない。 同じ終わりには、絶対にしない。
一方、地上。
夜の旧校舎裏。 風に枯葉が転がり、井戸の縁だけが闇の中に浮かび上がっている。
良太は、そこから一歩も動かなかった。
何度も名前を呼んだ。 返事はない。 それでも、今夜だけは帰れなかった。
胸の奥が、ずっとざわついている。
――来る。 理由は分からない。 でも、確信だけがあった。
ポケットの中で、ルミナ鉱石の欠片がかすかに温かい。 指で握った瞬間、井戸の底から微弱な振動が伝わってきた。
「……ニカ?」
空気が、揺れた。
井戸の奥。 闇の底で、淡い光が点滅する。
耳鳴りのような音。 けれど、それはすぐに“声”へと変わった。
『……良太……』
息が止まる。
「ニカ……! 聞こえる!」
『……うん……少しだけ……』
声は細く、途切れ途切れだった。 今までとは明らかに違う。 無理をしているのが、はっきり分かる。
「無事か!? どこに――」
『だめ……長く……話せない……』
光が、不安定に揺れる。
良太は歯を食いしばった。 聞きたいことは山ほどある。 どうして声が消えたのか。 今どこにいるのか。 危険じゃないのか。
でも――
「……分かった」
それだけを言った。
「無理しなくていい。
聞こえてるだけで……十分だ」
井戸の底で、わずかに光が強まった。
『……ありがとう……』
ニカの声が、ほんの少しだけ柔らぐ。
アガルタ、旧共鳴管理区画。
巨大な光柱の残骸が、静かに脈打っていた。 かつて地上と地下を結んだ“道”の名残。
ニカは光柱に手を当て、必死に共鳴を維持していた。 セリアは周囲を警戒しながら、叫ぶ。
「ニカ! 反応、強くなってる!
このままじゃ――」
分かっている。 限界だ。
光議会の抑制網が、すぐそこまで迫っている。 この通信は、奪われる。
それでも―― 伝えなければならない言葉があった。
『……良太……』
声が、震える。
「どうした」
『……もし……声が……消えても……』
嫌な予感が、胸を締めつける。
「ニカ、待て」
『聞いて……』
『声が……なくなっても……
私は……あなたを……忘れない』
井戸の縁に、良太の指が食い込む。
「……っ」
『あなたが……くれた……
言葉も……笑いも……全部……』
光が、急激に弱まる。
『私の……光だから……』
良太は、迷わなかった。
「俺もだ」
声は、静かだった。 でも、はっきりしていた。
「どこにいても、何があっても……
呼ぶ。
声がなくても……探す」
井戸の奥で、微かな共鳴音が響いた。
『……また……会おう』
それが、最後の言葉だった。
――沈黙。
光は消え、夜の風だけが戻ってくる。
アガルタ。
共鳴管理区画の光が、完全に落ちた。
ニカはその場に崩れ落ちる。 抑制網が起動し、共鳴は強制的に遮断された。
セリアが駆け寄る。
「ニカ……!」
ニカは、涙を流していた。 でも、泣き声はなかった。
「……届いたよ」
それだけを、静かに言った。
追っ手の気配が、すぐ近くまで迫っている。
それでも、胸の奥は不思議と温かかった。 声は失われた。 だが、繫がりは――消えていない。
地上。
良太は、井戸の前に立ち尽くしていた。
もう、何も聞こえない。 光もない。
それでも、胸の奥に残る感覚があった。 確かに触れ合った、最後の温度。
「……待ってろ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「声がなくても……
俺は行く」
夜空の下。 地上と地底で、 二人は同じ約束を胸に刻んでいた。
言葉にしなくても、心の中に消えない約束をして。
#13へ続く




