#10 祖母の真実 ― 光喪の恋の記録
#10 祖母の真実 ― 光喪の恋の記録
アガルタの夜は、静かに光る。
空も星もないのに、世界そのものがほのかに輝いている。
ルミナ鉱石が放つ薄い光が、街の輪郭を柔らかく縁取り、影すら優しく見える。
ニカは、光導路の上をゆっくり歩いていた。
周囲の人々はみな、早足で帰路を急いでいる。光議会が動いたと噂される夜は、誰もが家の明かりの下に戻りたがるのだ。
でも、ニカは帰らない。
彼女には行かなければならない場所があった。
――祖母シラの書庫。
アカデミア・ネオスの北側、使われなくなった古い研究棟。
光議会の管理区域に近く、本来は立ち入り禁止だが……シラがただひとり許可を持っていた場所。
ニカは、胸元の小さな鍵を握りしめる。
銀色に光るその鍵は、シラの家をでる直前にシラが、ニカにだけ託したものだった。
>「私の過去の記憶の一部が欠けてるの……
ニカ、あなたが真実を開けるのよ」
その言葉の意味が初めは、分からなかった。でも今なら、怖いほど分かる。
良太との《共鳴》が強くなるほど、周囲の光が揺らぎ始めた。
世界の光と影が、初めて混ざり始めたように。
――だから、祖母の真実を知らなければならない。
ニカは深く息を吸い、研究棟のドアを押し開けた。
中は静まり返っていた…
ほんのりと漂う薬品の匂い。積み重なった古書。壁に埋め込まれたルミナ鉱が、うす紫の光を揺らしている。
そして、部屋の中央に――
記録箱
(アーカイブ・ボックス)
透明な水晶の箱で、内部に古い手帳が一冊だけ置かれていた。
ニカは震える指で鍵を差し込み、静かに回す。
カチリ、と音がして、箱が光を散らしながら開いた。
取り出した手帳は、ボロボロだった。
ページの端は焦げたように黒く、ところどころ文字が消えている。
でも、表紙にははっきりと書かれていた。
《シラ・エルフェリア 研究兼私記》
ニカはページをめくる。
最初の数ページは、アガルタの光理論についての研究記録だった。
それはアカデミアで習う内容の原型で、祖母がこの理論を作ったのだと実感する。
だが、あるページで筆跡が急に変わる。
勢いがあり、震えていて、まるで感情が溢れて止まらないような文字。
そこにはこう書かれていた。
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《――今日、声が聞こえた。
井戸の向こうから。
地上の青年の声が。》
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ニカの心臓が跳ねる。
祖母は、やはり……地上人と話していた。
続く文は、より熱を帯びていく。
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《彼は“千間良一”と名乗った。
遠い国の学校で働く青年だという。
声はあたたかく、まるで光が形になったような人だった。》
《私たちは毎晩のように言葉を交わし、
数えきれないほどの笑いと、
時々涙を分け合った。》
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ニカの胸が熱くなる。
良太の祖父――
千間良一。
偶然だろうか?
いや、アガルタには“偶然”という概念はほとんどない。
“光は縁を選ぶ”
それが古くからの言い伝えだった。
ページをめくると、もっと強い想いが綴られていた。
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《良一は、私の研究を肯定してくれた。
地上と地下は争うためでなく、
共に響き合うために存在しているのだと。》
《私は彼を信じた。
そして、恋をした。》
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ニカの指先が震える。
その文は、あまりにも自分たちに似ていた。
姿の見えない恋。
世界を隔てた距離。
声だけが互いをつないでいる。
まるで、ニカと良太のように。
しかし、次のページは――黒く塗りつぶされていた。
光議会によって消された跡だ。
読めるのは、隙間からこぼれた一行だけ。
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《……光議会は、私たちの“恋”を世界の脅威だと言った。》
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文字がにじみ、読めなくなる。
だが、そこに滲んだインクは、涙の跡なのかもしれない。
ニカの喉が締まる。
――祖母は恋をした。
――そして奪われた。
その瞬間、研究棟の扉が強く叩かれる音が響いた。
「ニカ・エルフェリア! ここにいるのは分かっている!」
レオンの声だった。
普段の穏やかな口調ではない。鋭く、固い。
「命令だ。
その記録を今すぐ光議会へ提出しろ!」
ニカはゆっくりと顔を上げる。
祖母の手帳を胸に抱いたまま。
彼女の決意は、もう揺らがなかった。
祖母の恋は、罪ではない。
誰かを想っただけで奪われる世界は、間違っている。
ニカは一歩、後ろへ下がり――
逃げることを選んだ。
#11へ続く




