2.クルミ
この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません。
迷っていた。
ローに打ち明けるべきか。
あの人は、犯罪をしたから捕まったんじゃない。いや、一応、法律には反していたのか。でも、悪いことをしたんじゃない。
私と関わったから、捕まったの。
言えなかった。
あの人は気づいていたのだろうか。気づいたうえで、私と関わり続けたとしたのなら、あの人は馬鹿だ。あの人の、今にでも泣きそうな笑顔だけが嫌に脳裏に焼き付いていた。
いいんだよ、僕は大人だから、って、言っていたけれど、4歳しか変わらなかったじゃん。なんで、アラサーだ、って嘘ついたの。なんで、私はそれを真に受けて、信じじゃったの。あの顔でアラサーなんて、どう考えてもおかしかったのに。
私は、真っ暗な夜道を一人で歩いていた。
疲れた。帰りたい。
帰るって、どこへ?
私のお家って、どこなんだろう。
さっきはあんなに偉そうにローに説教したけど、家族と上手な関係を構築できていないし、態度だってローの何倍もずっと悪いし、素行も悪いし、学校にも行ってないし、今も籍が残っているのかすら怪しいし。
戸籍上の家は、埼玉の実家だと思う。本当はずっと、埼玉の家にいたかった。でも、小学6年生のときに、よくわからない大人の人が家にやってきて、児童相談所の者ですって名乗ってきて、気づいたら私は市の児童保護施設に連れていかれていて。
お家で嫌なことはありましたか、食事は毎日とっていましたか、お母さんお父さんは好きですか、怖いことはなかったですか、って。その質問攻めのほうがよっぽど怖かった。
私は虐待されていたらしいけど、虐待だなんて思ったこと、なかったな。受験勉強をさせてもらって、塾に通わせてもらって、でも模試の結果が悪くて、殴られただけで。算数で全国2位を取ったときは、すごくほめてくれる、優しい両親なんです。
3日ほどしたら、家に帰してくれた。3日ぶりの我が家は、お父さんを怒らせてしまったときと同じ状況だった。本棚は倒れていて、地理のプリントや模試の結果があちらこちらに散っていて、果物ナイフはダイニングテーブルに突き刺さったままで。
お父さんは、顔を合わせようとしなかった。お母さんも、口はきいてくれたけど、目は全く合わなかった。お兄ちゃんは、部屋に籠っていた。
翌日、お兄ちゃんとお父さんが喧嘩をした。リビングから叫び声が聞こえて、私は部屋を出て廊下から様子を覗いた。お母さんはキッチンで耳を塞ぎながらしゃがみ、よく顔をみたら泣いていて。数日ぶりのお兄ちゃんは、右手に私の計算ドリル、左手に私の歴史の年表を持って、お父さんにとびかかろうとしていた。お父さんはずっと俯いて、よくわからない言葉を叫んでいた。何かがおかしい。
私はキッズケータイを取り出した。こういう時はどうすればいいんだっけ、そうだ、警察だ、警察に電話しなきゃ。
はい、えっと、事件です、いや、事件じゃないんですけれど、お母さんが泣いていて、お兄ちゃんが暴れていて、お父さんが血を流していて。はい、いえ、私は娘です、はい、霜月クルミです、はい、え、はい、昨日まで保護されていました、なんで知っているんですか。あぁ、切れちゃった。
数分後、警察が家について、警察の人が4、5人、家の中に入ってきた。私は女性警官の方に「ありがとう、よく頑張ったね」と言われ、外に連れていかれた。
外には、人だかりができていた。暗かったからよくわからなかったけど、クラスメートのお母さん、いつも道で会うと挨拶してくれるおばさん、犬を飼っているおじいちゃん。たぶん、友達や学校の先生も何人かいたと思う。
かわいそうに、いい子なのにね、頭もよかったし、でも親がアレだしね、辛いだろうね、お兄さんもいい子そうだったのに、裏の顔なんてわからないものね、うちも気をつけなきゃ。
うるさかった。
私は再び、児童保護施設に連れていかれた。また同じような質問をされて、今回はお兄ちゃんに関する質問もされて。
今思えば、あの日以降、私は両親に会っていない。
それ以降の記憶はすごくあいまいだ。私はたしか、兄と一緒に、祖父母の家にしばらく住んでいたと思う。小学校は転校せず、祖父の車に乗って毎日通い、卒業した。受験もさせてもらった。関西の寮制の中学に合格をもらい、進学した。知り合いも親戚もいないのに、と祖父母は心配していたが、ちょうど同じタイミングで兄も関西の大学に進学が決まったので、渋々許可をもらった。
「クルミちゃんは強い子だから、きっと大丈夫ね。」
出発する直前、祖母は何度もこう言った。私を励ますために言っていたのか、自身に言い聞かせて安心させていたのか、いまだにわからない。答え合わせをする前に、祖母は亡くなってしまったから。
そういえば、あの人も、よく似たようなことを言っていたな。
「クルミさんは、強い人だ。」って。
「強くなんかありません、強くいられるのは、柳さんのおかげです。」
「そんな言い方されたら、困るな。一回りも年下の子に翻弄されてしまうとは。」
一回りって、10歳だっけ、いや、12歳だっけ。そんなことを考えているうちに、パトカーのサイレンが近づいてきた。
こっちに逃げましょう、こっちなら見つかりません、って私は囁いて、柳さんの手をとって、タカラ屋の後ろに逃げたはず。柳さん、ローのことを怖がっていたな。柳さんのほうが、ローの何十倍も大きいのに。
「ロー、柳さん。柳さん、ロー。」
「ロウ、って何、蝋燭とかのロウってこと?英語のLOW?それとも、密度のロー?」
「ローはローなの。ほかの何でもない。私だって、クルミって名前だけど、木の実じゃないでしょ?そういうこと。」
「そういうものなのかなあ。」
柳さん、会いたいな。会おうと思えば、会えるのかな。
柳さんとはぐれてから一度だけ、警察署の近くまで行った。けれど、あの人が釈放されたのかどうか、どこの署に連れていかれたのか、そもそも捕まったのかどうかすら、知らない。
私は、殺人犯だ。
殺した時の記憶はない。とある男性と二人きりで、次の瞬間、すべてが真っ暗になって、耳鳴りがひどくなって、怖くて目を閉じて、無音になって、目を開けたら、目の前の男性が、血だらけになって倒れていた。そして、ふと自分の右手に目をやったら、血の付いた果物ナイフを手にしていた。
でも、こんな話、誰も信じてくれないと思う。私ですら、信じられないのに、警察の人を説得するなんて、できない。
でも、柳さんは、信じてくれた。私自身すら自分のことを信じることができなかったのに、柳さんは私を信じてくれた。
「絶対に、誰かが陥れたんだよ、クルミさんを。絶対。」
「でも、あの時、私以外に誰もいなかった。」
「真っ暗だったから、見えなかっただけだろう。いいのかい、今更警察に捕まって。」
「もう、逃げるの疲れたし、いいよ。私、自首する。人殺しておきながら浮浪するなんて、私、耐えられない。」
「だから、クルミさんは絶対殺してないんだって。絶対。クルミさんは何も悪くないのに、どうして罰を受けなければならないんだ。」
私が悪くないって証拠、ないよ?そう言っても、彼は聞いてくれなかった。
なんで、柳さんはあんな必死になってたんだろう。




