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2-1 決別

 首都・東京。高層マンションの一室。


 床から天井まで続くガラス窓の向こうには、星々を駆逐し、夜を昼に変えるほどの「人工の光の海」が広がっていた。それは燈弥が、そして玲司が十年かけて築き上げた、完璧で、壮麗な要塞だ。


 燈弥は、その光の海を背に、デスクにかじりついていた。


 故郷から戻り、すでに半日が過ぎている。


「・・・クソッ!!」


 荒い呼吸とともに、タブレットを操作し続ける。画面には来月のイベントに向けた、巨大プロジェクトの企画書。玲司と共に練り上げた、完璧な魔法演出の設計図だ。


(仕事に戻れ。忘れろ。あれはただの偶然だ)


 自分にそう言い聞かせ、必死に思考を「東京」に固定しようとする。


 だが、指が止まる。

 設計図の中にある「光の鳥」の演出を見た瞬間、強烈な吐き気が込み上げてきたのだ。


 わかっている。

 あれは、偶然などではない。


  あの光は、生きていた。

 まるで呼吸をするかのように、力強く咲き、そして何かを語りかけるように、静かに消えていった。


 そこには、温かさがあった。物語があった。


 自分が作り出す、ピクセル単位で制御された完璧な光の百万倍も、人の魂を根こそぎ揺さぶる「何か」が、確かに存在したのだ。


 それに比べて、これはなんだ。


(・・・こんなの、ただの記号だ)


 画面の中の鳥は、完璧な比率で、計算された角度で優雅に羽ばたいている。


 だがそれだけだ。


 ただ美しいだけの、死んだ光。


 ガシャンッ!


 燈弥は衝動的にタブレットをデスクに叩きつけた。硬質な音が、静まり返った部屋に響く。


 頭を抱え、ソファに深く沈み込む。


 ここには全てがある。


 飢えることのない生活。誰もが羨む賞賛。

 そして何より、十年を共にした戦友・玲司との絆。


 あいつは、何もない自分の才能を信じ、背中を預けてくれた。二人三脚でここまできた。


 部屋に飾られたトロフィーに目をやる。

 業界最高峰の「クリエイティブ・ライト・アワード」の金賞。玲司と二人、文字通り血反吐を吐いて勝ち取った栄光の証だ。


 その彼を裏切って、あんな泥臭い、未来のない、いつ廃業してもおかしくない斜陽産業に戻る?


「バカげてる」


 正気じゃない。

 ただのキャリアの自殺ではない。

 これは、自分を信じてくれた人への、最も卑劣な背信行為だ。


 玲司の顔が脳裏に浮かぶ。


 信頼しきった笑顔。それが、絶望と怒りに歪む瞬間を想像すると、心臓が雑巾のように絞り上げられる。


「だからって、このままじゃあ・・・」


 ここに留まることはできる。


 誤魔化して、嘘をついて、プロジェクトを完遂させることもできるだろう。


 だが、それは――「心に別の光を抱いたまま、玲司に作品を作らせる」ということだ。


 今の自分のプランは、魂の抜け殻だ。

 そんな「ゴミ」を、玲司の至高の技術で磨かせ、世に出すのか?


 それは、玲司の情熱に対する冒涜だ。

 全力で走っている相棒への、もっとも残酷な裏切り行為だ。


「・・・はは」


 乾いた笑いが漏れた。


 出て行けば、玲司を裏切る。

 留まれば、玲司を欺く。


 出ていけば社会人としての俺が死ぬ

 留まれば俺のクリエイターとしての魂が死ぬ。


 どちらの道を選んでも、俺は相棒を傷つける。

 どちらの道を選んでも、俺は救われない。


 八方塞がりだ。


 いや――あの光を見た瞬間、俺の人生から「正解」という道は消滅していたのだ。


「・・・こんなことなら、見なければよかった」


 本音が、こぼれ落ちた。



ーーーーーーーーーー



 どれくらい時間が経っただろうか


 長い、長い沈黙の果て。

 燈弥の中で、パチン、と何かが弾けた。


「・・・俺は、最低だ」


 乾いた声が漏れた。


 わかっている。自分がしようとしていることが、どれほど恩知らずで、身勝手なことか。


 だが、それでも。


 あの「青い鳥」を見てしまった瞬間から、この最高級のマンションが、まるで酸素のない真空パックの中にいるかのように息苦しい。


 今、この瞬間も、自分が作り上げた「光」が世界中で消費されていると思うと、身が引き裂かれるような自己嫌悪に襲われる。


 クリエイターとしての自分が、ゆっくりと窒息していくのがわかる。


 友情も、恩義も、誠実さも。


 今の燈弥を繋ぎ止める鎖にはなり得なかった。


 大切な相棒を傷つけてでも、「本物を追い求めたい」という醜い渇望が、理性を焼き尽くしていく。


 あの一発の花火は、祝福などではなかった。


 父・星野聡が、逃げ出した息子に突きつけた、最期の、そして最悪の「挑戦状のろい」だったのかもしれない。


(・・・解くまでは、死ねない)


 どうやって重力を殺したのか。どうやって色を変えたのか。


 その「解」を知らずに、のうのうと魔法を作り続けることなど、今の燈弥には耐え難い屈辱だった。


 窓の外が白み始めた頃、燈弥の震えは止まっていた。


 顔を上げる。


 鏡に映るその顔は、希望に輝いてなどいない。


 まるで熱病に浮かされたように、瞳の奥だけがギラギラと暗く燃えていた。

 それは、これから親友を裏切る罪人が浮かべる、覚悟と諦めの表情だった。


 燈弥は立ち上がり、身につけていた高級時計を外してデスクに置いた。

 カチリ、という硬い音が、これまでの時間との決別を告げる。


 着替えもしない。荷物も持たない。


 今の自分に必要なものは、この身一つと、焼け付いた網膜の記憶だけだ。


「・・・行くか」


 全てを壊すために。


 そして、あの呪いを解くために。


 燈弥は、最高の相棒であり、これから最大の「被害者」となる男――結城玲司が待つオフィスへと、罪の重さを引きずるような足取りで歩き出した。

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