1-3 完璧な光
母との再会の翌日、父・星野聡の通夜が、古びた町の斎場でしめやかに行われようとしていた。
十年ぶりに顔を合わせる親戚たちは、焼香を終えた燈弥を取り囲み、口々に賞賛の言葉を浴びせた。
「燈弥くん、立派になって!テレビでいつも見てるよ!」
「聡さんの自慢の息子さんだな!!三国の誇りだよ!!」
「うちの息子にも、燈弥くんの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだよ」
彼らの言葉に、悪気はない。むしろ、善意の塊だ。
しかし、その一つ一つが、燈弥の心には小さな棘のように突き刺さる。父の別れを惜しむ会のはずが、父が守り続けた「花火」のことは誰一人として口にしなかった。
しかし、燈弥は顔色一つ変えなかった。首都の巨大企業で、百戦錬磨のクライアントたちと渡り合ってきた彼にとって、こうした場を完璧に取り繕うことなど、造作もないことだった。
「いえ、とんでもないです。父が頑固一徹に家業を守ってくれたからこそ、私は安心して外で挑戦ができました。父には、感謝しかありません」
「ありがとうございます。皆様にそう言っていただけると、父もきっと喜ぶと思います」
完璧な笑顔と、謙虚な言葉。社会人として100点満点の振る舞い。
親戚たちは満足げに頷き、彼の成功物語に花を咲かせている。その空虚な会話の輪の中で、燈弥の心は、誰にも気づかれずに少しずつすり減っていった。
「ふぅ。」
渇いた喉を潤しながら、時計に目をやる。
一般の参列者が来るまで、あと一時間。この「完璧な息子」という演技を、あとどれだけ続ければいいのか。
「・・・うん?」
ふと、視界の端に違和感を覚えた。
斎場の隅、騒がしい親族たちの輪から遠く離れた場所に、一人の少女が座っていた。
十歳ほどだろうか。黒いワンピースに身を包み、膝を揃えて座るその姿は、まるでそこだけ時間が止まっているかのようだった。
大人たちが燈弥という「有名人」に群がる中、彼女だけが、一度として彼に目を向けなかった。
切れ長の、涼しげな瞳。
その強い視線は、ただまっすぐに、祭壇に飾られた父・聡の遺影だけを射抜いていた。
悲しいというよりは、何かを確かめるような、あるいは、何かを待っているような、不思議な眼差し。
その少女の姿は、ひどく場違いなようでいて、この斎場の中で、誰よりも父の死と真摯に向き合っているように燈弥には見えた。
彼女は一体、誰なのだろう。父の知り合いの子だろうか。
「こんばん・・・」
「燈弥くん!!!」
「・・・はい。皆さんご無沙汰しています」
しかし、その瞬間、別の親戚に捕まってしまい、再び賞賛と世間話の渦へと引き戻されてしまう。
次に燈弥が少女の方を振り返った時、もうそこには彼女の姿はなかった。
まるで、幻だったかのように。
しかし、あの静かで、強い光を宿した瞳だけが、燈弥の脳裏に焼き付いて離れなかった。
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通夜が終わり、喧騒が去った後、がらんとした斎場で、燈弥は母に尋ねた。
「なあ、母さん。さっき、隅の方に座ってた、小さい女の子・・・知ってるか?」
「うん?・・・ああ、ひかりちゃんね」
母は、目を細めた。
「桜井さんちの、ひかりちゃんよ。うちの工房の、すぐ近所に住んでいてね。お父さんが亡くなる直前まで、一番の話し相手だった子なの」
「話し相手? 親父が?」
燈弥は耳を疑った。自分の記憶にある父は、常に不機嫌そうに黙々と火薬を練り、息子とまともな会話すら持とうとしなかった男だ。
「ええ。何の話をしていたのかは、母さんもよく知らないんだけど。
でも、あの子と一緒にいる時のお父さん、本当に楽しそうだったの。二人でこっそり何か企んでるみたいに笑い合っちゃって。母さんが近づくと、すぐやめちゃうんだけどね」
「そう、だったんだ」
胸の奥に、ざらりとした感情が広がった。
十年という時間の空白とそして、知らなかった父の晩年の姿を、燈弥はまざまざと見せつけられた気がした。
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通夜も終わり葬式も終わり、星野家はまるで嘘のように静まり返っていた。突然の帰郷となったため、明日の夜までには東京の、あの完璧な光が支配する日常に戻る予定になっていた。
母は心身ともに疲れ果てて早くに床に就いた。明かりを落とした居間に一人残された燈弥は、供花の匂いと線香の残り香が澱み、重く沈み込む空気の中で、祭壇に飾られた父・聡の遺影を見つめていた。
昼間、親戚たちが投げかけてきた無邪気な賞賛が、今も耳の奥で虚しく反響している。
『聡さんの自慢の息子さんだな!!』
「・・・そんなわけ、ないだろ」
漏れた呟きは、暗い部屋の隅へと吸い込まれていった。
父が人生を懸けたものを「時代遅れ」と切り捨て、背を向けて逃げ出した。そして父が最も嫌っていたであろう魔法で成功を収めた自分は、裏切り者と呼ばれても仕方のない存在だ。
更に追い打ちをかけるように、母の言葉が、その足元を静かに揺らす。
「・・・ひかり、ちゃん」
その名をなぞるたび、胸の奥が焼けるように疼く。
父が最期に、自分ではなく、あんな見ず知らずの少女と何を話していたというのか。
自分の記憶にある父は、いつも不機嫌そうで、言葉を交わす代わりに火薬を練る音を響かせるような、不器用を絵に描いたような男だった。そんな父が、あの子にだけは見せていたという「楽しそうな顔」。
それを聞いた時に、嫉妬、というにはあまりに情けなく。後悔、というにはあまりに手遅れで。
自分が切り捨てたつもりでいた十年の歳月が、逃れようのない巨大な空白となって、襲いかかった。
『工房、あの人が使ってたままにしてあるから・・・』
母の残した言葉が、逃げ場のない招待状のように重く響く。
燈弥は視線を落としたまま、供花の根元で揺れる線香の微かな火種を見つめて動かなかった。
数分が経ち、彼は膝に置いていたスマートフォンを手に取った。画面を点灯させると、明日の夜に設定された新幹線の予約通知と、東京のスタッフからの進捗報告が鮮やかな光となって彼の顔を照らし出す。燈弥はそれを無表情に見つめていたが、やがて薄く唇を噛み、画面を消した。
そして深く、一度だけ吐き出すように息をつくと、スマートフォンを畳の上に伏せて置いた。
立ち上がり、縁側に揃えられたサンダルに足を入れる。暗闇に包まれた庭の奥、工房が建っているはずの方向を見据える彼の瞳は、何かを強く、静かに決したように鋭く光っていた。
じゃり。
砂利を踏みしめる音と共に、夜の闇へと一歩を踏み出した。
夜気に混じる潮騒が、かつて父と並んで花火を見上げた、あの夏の湿った温度を運んできた。
母屋の裏手へと歩みを進める。数分もかからず、その場所に辿り着いた。
「変わらないな・・・」
月光に青白く照らされたその工房は、まるで巨大な墓標のように、静かに燈弥を待っていた。
火薬と鉄と、父の十年の執念が染み込んだ、あの狭く、煤けた「聖域」。
知るのが怖い。
だが、ここで踏み出さなければ、自分は一生、父の遺影に問いかけ続けるだけの亡霊になる。
「親父悪いな・・・」
誰にともなく呟き、入口の南京錠へ手を伸ばす。
赤錆びた冷たい金属の感触を指先に感じた瞬間、燈弥は十年前のあの日以来、久しぶりに父の体温に触れた気がした。




