we have time
夕方。人気のない校内で、ヴォルフの持ったチョークがカツカツと音を立てている。身長に比例して大きい手を眺めて、意外と細くて綺麗な指をしていると、そう考えてしまったアンジェリーナはひとりで気まずくなって彼の横顔を盗み見る。黒板に向けられてた鳶色の瞳が、西陽に照らされて温かみのあるオレンジに変わっていた。自分の書いた文字列に満足したらしく胸を張る仕草が幼く見えて、またなぜか気まずくなったアンジェリーナは彼の書いた文字をそこで初めて目で追った。
ー革命メンバー募集。当方、参謀。他全パートメンバー募集中ー
咄嗟にアンジェリーナは黒板消しを掴んだ。背の高いヴォルフの書き込みは必然的に高い位置にあり、彼女はビョンビョンと飛び跳ねて、時に犯人にぶつかりながらも苦労の末にそれを消し去った。
「ナッ!何を企んでおりますのおお!」
「そんなに目くじら立てることか?罪の無い平民ジョークだろ?」
「ここはァッ!貴族の学園デッ!王宮は目と鼻の先ィッ!目くじらが一斉蜂起しますワッ!!」
人気のない放課後の廊下にアンジェリーナの声が響き渡る。一般の教室群とは別の棟にあるこの掲示板は、密かに生徒同士の連絡用として機能していた。そこでアンジェリーナが募集したかったのは、もちろん共に国家転覆を目指すためのサポートメンバーではない。
「まぁまぁ、落ち着いて二人とも。…でもさぁ実際のところ、ここで募集して来てくれる人がいるかなぁ?」
取りなすように明るく声をかけたのはニコラスだ。ダークブロンドに灰色の瞳の彼は人好きのする笑顔で、しかし首を傾げて見せる。
「私たちのような平民のチームに加わろうと思う生徒は、まずいないでしょうね」
平坦な声で言い切ったのはランドルだ。ニコラスも整っているが、こちらは銀の髪に紫の目という希少さをも備えた振り切った美貌の持ち主だ。そのせいなのか愛想に欠けており、直截な物言いをする。
「ヴォルフ殿ォ!参謀希望者は敬遠されるのが昨今のトレンドですゾォ!ここは自らリーダーとなって、強くイデオロギーを打ち出していくべきですゾォ!」
革命の気運を蒸し返しやがったのはジェーンだ。平民特待生の紅一点である彼女は、クセの強い赤毛を三つ編みにまとめて分厚いメガネを掛けている。興奮するとレンズが光るのはどういうシステムなのかとアンジェリーナは疑問に思っていた。
「ああ、俺がリーダーやるのは別にいいけどな。でもなぁ〜五人いないと参加できないんだよなぁ〜あと一人なんだけどなぁ〜」
わざとらしく呟きながらアンジェリーナを見下ろすのはヴォルフだ。夕日に照らされた鳶色の髪と目が、オレンジから赤に変わっていた。貴族とはあまり話さない彼だが、平民特待生たちの間ではまとめ役に納まっている。垂れた三白眼を細めた笑顔は、爽やかさout→悪どさinという攻撃的なフォーメーションになって、アンジェリーナを怯えさせている。
「デモッ、わたくしは魔術があまり得意ではなくて…皆さんの足を引っ張ってしまいますワァ…」
俯いて長い金の巻き毛を弄るのはアンジェリーナだ。艶やかな金髪と青い瞳という貴族らしい特徴を持つ彼女だが、何故かその容姿はいまひとつパッとしない。ひとつひとつのパーツは悪くないのに、集合すると絶妙にバランスが良くないのだ。そんな彼女は魔術の成績もいまひとつという、いまひとつ界のオールラウンダーだ。
「知ってるよ同じクラスだしな。だが大丈夫だ、まだ時間はある。俺たちが鍛えてやるから安心しろよ」
そう言って笑うヴォルフの後ろで、皆が頷く。その心強いはずの光景に、アンジェリーナはビクビクと震えながら涙目になっていた。
彼らは今日、学内行事である魔法技術等実践訓練発表会(略称・魔術会)のメンバーを決めるために集まっていた。5人一組で希望者のみが参加するこの行事は、名前から感じる印象よりも堅苦しさはない。ざっくばらんに、ただの魔法を使ったしばき合いである。もちろん国の宝とされる貴族子女の参加する行事であるので、怪我をしないようにそれなりの配慮はされていれる。
例年、平民特待生たちでこの会に参加する者はいなかった。装備品を揃える資金が必要であるし、下手に勝っても貴族の恨みを買うリスクしかない。ヴォルフたちも今までは裏方に回って教師を手伝い小遣いを稼ぐ期間としていた。今年が例外なのは彼の前にいる貴族令嬢が関わってのことであった。
「アッ…デモッ…もっとスゴい人が来てくれるカモ…」
この期に及んで迷いを見せるアンジェリーナに何も言わずに、ヴォルフはまた掲示板に向かって何か書き付ける。
ー革命オープニングスタッフ募集!新しい国体を築くメンバーを探しています。平民の活躍する現場です!ー
「ワァッ…!わっかりましたワァ!わたくし参加しますので!皆様よろしくお願いいたします!」
ようやく腹を決めたアンジェリーナにヴォルフがニヤッと笑う。その顔は沈む夕日が影を作って悪魔のように見えた。
アンジェリーナを追い詰めることになった魔術会への参加だが、事の発端は少し前のアンジェリーナ自身の発言にあった。
「特別イベント?魔術会でか?」
「そうですワァ!このイベントを抑えればゲームクリアはほぼ確定しますの!」
その日も放課後の空き教室で、椅子に向かい合って腰掛けた二人はコソコソと密談をしていた。
「魔術会で攻略対象たちと同じチームを組んで優勝しますの。アッ、このときチームリーダーには聖女と一番好感度の高いキャラが充てられますワ」
「は?聖女が主役なんだろ?自分でリーダーやりゃいいじゃねえか。つか、“攻略対象者たち”って何?」
混ぜ返すように口を挟むヴォルフに、アンジェリーナは説明を付け足していく。
「聖女と恋愛をする男性は4人用意されておりますの。で、優勝チームのリーダーは全校生徒の前でスピーチをすることになるでしょう?ですからそこで…」
「は!?あの女4股もすんのか!?スゲエな!」
「4人の中から一人を選ぶのですわ!黙って聞いてくださいまし!!」
デカい声で驚きを表明するヴォルフに、立ち上がって苛立ちを爆発させたアンジェリーナは、コホンと咳払いをして座り直す。
「ほんで、ヒーローインタビューでなにすんの?」
「その略称は紛らわし…まぁいいですわ。そこでヒーローはヒロインに特別な想いを抱いていることを匂わせる発言をしますの」
「…全校生徒の前でか?」
「全校生徒の前で、ですわ。ですから、このイベントを阻止できれば、破滅断罪討伐の危機はもしかしたら回避できるかもぉって思うのですけどぉ…」
それはもはや匂わせではなく既成事実なのではと、またしても思わされたヴォルフの物思いを置き去りにして、アンジェリーナは萎れ切っている。
「今の時点で彼らは最強パーティですわ。対抗馬となり得る方達はおりませんの…」
王族だけが習得する光魔法を放つ王子、回復と守備魔法の聖女、前衛の切り込み騎士、攻撃魔法特化の魔術師、そして参謀役でオールラウンダーの魔法眼鏡剣士。
「単勝1.0倍のガチガチ最低オッズだな…奴らの飯になんか混ぜるか?」
「破滅が卒業間近から今すぐになるだけですわ…」
結局何も打開策が浮かばず、二人は空き教室を出て廊下を並んで歩きだした。
「奴らが勝たなければいい訳だろ?…会自体を中止に追い込むとか?」
「魔術会は学園の威信をかけた行事ですわ。難しいですわね」
「いっそ爆破でもするか?全部木っ端微塵で証拠隠滅だ」と過激なことを言い始めるヴォルフが、不謹慎な冗談で場を和ませようとする人間だとアンジェリーナも分かり始めていた。だが一応注意しようと振り返った時に、曲がり角から現れた人物とぶつかって「んぶっ」っと声を漏らした。
「アンジェリーナか。何をしているんだお前は」
「ゲエッ…エディ…あなたこそ何故ここに」
苦々しげに呟いたのはエディ・セクストンだった。焦茶の髪にヘーゼルの瞳を持った彼は、セクストン侯爵家の嫡子で、アンジェリーナの幼馴染であった。がっしりとした体型の彼は、生徒としてだけでなく王子の護衛騎士として学園に通っていた。エディはヴォルフに目を向けると口の端を吊り上げた。
「最近ルシャード殿下の周りをうろつかなくなったと思ったら…なるほどな。他の男に相手をしてもらっていたのか?」
アンジェリーナはもちろんヴォルフも何を言われているのか理解が追いつかず、そろってポカンとしていた。
「それとも浮気をして殿下の気を引こうって魂胆か?…ブハッ、必死過ぎて笑えるな!」
一人で勝手にネタを振って一人ウケしているエディを前に、依然として2人は黙り込んだままだ。だが次の言葉にアンジェリーナが動いた。
「それにしたってもう少し相手を選べよな!ハハッ、そいつ平民だろ?こんなのと付き合うなんてヤケクソすぎるだろ!それとも金で釣れたのがそいつだけだったのか?」
バシンという乾いた音が廊下に響いた。フィジカルもいまひとつのはずのアンジェリーナが、素早く動いてエディの頬を張ったのだ。
「わぁっ、わたくしだけならぁっ、ともかくっ、わぁ、わたくしのぉ、友人をっ、ぶじょっ、侮辱っしないでっ、くださいまし!アンタのほうがぁ、ずっ、ずっとずぅっと、さっ、最低ですわ!こっこの、クックソ野郎!」
アンジェリーナは必死になって自分よりもずっと大きな男に啖呵を切る。体も声もブルブルと震えているのは、怒りのためか、恐怖のためか、その両方か。そんな彼女にエディが腕を振り上げたのを見て、今度はヴォルフが動く。
「この!」と怒りのままに振り下ろしたエディの腕は、アンジェリーナには届かなかった。彼女の前に割り込んだヴォルフがエディの腕を掴んで止めたのだ。エディの方がやや背が高いため、ヴォルフが鳶色の髪の間から睨み上げるような姿勢になっていた。元々の目つきの悪さも手伝って凄みのあるその視線に、エディは怯む。右手を動かそうとするが、ヴォルフが強い力で握り込んでそれを許さない。
「離せっ!生意気な根暗野郎めっ!」
業を煮やしたエディはヴォルフの脇腹を蹴り上げた。鳩尾にもろに打撃を食らったヴォルフがたまらずゲホッと咳き込む。だが痛みを噛み殺すように歯を食いしばってアンジェリーナの前に踏みとどまったヴォルフは、エディの手を離しスッと背筋を伸ばす。近くなった距離に警戒するエディへ、ヴォルフは向き合うと…勢いよく頭を下げた。
「大変ッ、申し訳ございませんでしたぁっ!!」
静かな廊下にヴォルフのバカでかい声がこだまする。驚く貴族二人の間で、深く頭を下げたままのヴォルフがまた声を上げる。
「この度はッ!私の軽率な振る舞いためにッ、アーベントロート侯爵令嬢、セクストン侯爵令息のご気分を害してしまいッ、申し訳ありませんでしたぁッ!何卒、お許しくださいッ!!」
頭を下げたままのヴォルフの旋毛を侯爵家の子供たちは呆然と見つめていたが、エディが乾いた笑い声を上げた。
「ハハッ、なんだよ惨めったらしいな。これだから平民は…」
「身の程をわきまえぬ無礼ッ、平にッ、お詫び申し上げますッ!!」
「うるさいな!もういい!俺も暇じゃないんだからな!」
「付き合ってられるか」と捨て台詞を吐いてエディは去っていった。その間もヴォルフは頭を下げたままだった。
「…アイツもう行ったか?」
「アッ、エエ。もうおりませんわ…」
そう確認してからようやくヴォルフは顔を上げた。心底ダルいと言わんばかりのその表情に、アンジェリーナは複雑な想いを抱く。
「驚きましたわ。アナタのことですからもっと揉めるかと思いましたわ」
「そりゃ命あっての物種だからなぁ。お貴族様に逆らっていいことはねえよ」
そう言って腹をさするヴォルフの仕草に、アンジェリーナはハッとした。ヴォルフは体力自慢の騎士から彼女を庇って蹴られたのだ。そんなヴォルフが争いを避けるために頭を下げたことに彼女は失望すら感じていたのだ。自分の愚かさを恥じて謝ろうとしたアンジェリーナは、「なぁ」と話しかけられて咄嗟に「ハイッ」と返事をした。
「アイツは…魔術会に出るんだよな」
エディは攻略対象で、聖女たちのチームの一員である。アンジェリーナがそれを説明すると、ヴォルフはニヤリと笑った。
「喜べアンジェリーナ。対抗馬になってやるよ…俺がな」
ヴォルフの声音と表情に、アンジェリーナは先程までの反省をどこかに吹き飛ばして呟いた。
「あの、ひょっとして、すごぉく…根に持っておられますの?」
「貴族に逆らえば俺らの立場は悪くなる…が、合法的にぶん殴れる機会を作れば問題ねぇよなぁ?」
ヴォルフの恨み骨髄と言わんばかりの物言いに、アンジェリーナはコクコクと頷くしかなかった。
そんな個人的すぎる動機からのヴォルフの誘いに、彼の仲間たちは軽く応じてみせた。
「いいよ!裏方で見ててさ、ずっと参加したいなぁと思ってたんだよねぇ!」と明るく応じたのはニコラスだ。祭りの類だと思っているらしい。
「仇討ちでござるな!拙者、義をもって助太刀いたしますゾォ!」と通常運転のジェーンは、デュクシと謎の擬音を口にしながら素振りをしている。
「平民は暗黙の了解で参加資格はなかったはずだが…アーベントロード侯爵家のコネか!装備品は無料で提供!?参加するに決まっている!いやぜひ参加させてくれ!」と、一番食いついたのは普段は冷静なランドルだった。魔術オタクの彼は、実はずっと以前から参加したかったらしい。
かくして、意外にも実に乗り気な平民特待生チームの一員に加わえられたアンジェリーナは、魔術会までの1ヶ月間、彼らと訓練することになってしまった。
「お前…本当に壊滅的じゃねえか。魔術会どころかこれじゃ定期テストも危ねえぞ」
呆れたように呟くヴォルフの前で、アンジェリーナは小さくなって座っている。
この世界で魔術を使うのには聖霊語を覚える必要がある。精霊に言葉を伝えて自らの持つ魔力を渡すことで、ヒトは超常の力を発現させることができるのだ。だが、王子へのストーキング行為に多くの時間を費やしていた彼女は、それをさっぱり覚えていなかったのだ。
しばらく考える様子を見せた後、ヴォルフは席を立った。見放されたと涙目になったアンジェリーナだったが、すぐに戻ってきた彼は一冊の本を彼女に渡した。
「今からじゃ間に合わねえからな。どうせイチからやるなら新しいヤツを覚えろ」
意図がわからず目を白黒させるアンジェリーナの後ろから、ニコラスが覗き込む。
「あっ、それねえ、外国で最近開発された精霊語だよ。今習ってるのより、ずっとカンタンで短い文章で済む言葉なんだ」
ニコニコと微笑みながら「ほら、これなんかすぐ出来るよ。試してみなよ…ジェーンで」と、例文のひとつを彼は指差した。
なんとなく自分ではなく仲間を差し出す彼の姿勢は気になったが、初学者であるアンジェリーナはしばらく教科書と睨めっこした後、素直に従ってみた。
『精霊、召喚。加速処理。対象、ジェーン。開始、今から。終了、10秒後』
教科書通りにアンジェリーナは唱える。ジェーンの素早さを10秒間だけ上げるという魔術を使ったはずだが、彼女はずっと変わらぬ速度で「デュックシ!デュックシ!」と言いながら正拳突きのような仕草を繰り返している。
『精霊?…開始、10秒…開始!開始!早く!今から!もっと!』
しばらく唱え続けたがジェーンの動きに変化はなかった。アンジェリーナはガックリと机に頭を伏せて「わたくし…才能がないようですワァ」と弱音を吐いた。だがその時、ジェーンの動きが加速した。1.25倍ほどの速度で彼女は拳を突き出し始めたのだ。
「その言語は単純な分、従来のものより精霊がこちらの意図を理解するまでの時間が多く必要になる。使用するならそのタイムラグを頭に入れておくべきだ」
我関せずという顔をしていたランドルが淡々と説明する。その傍で通常の速度に戻ったはずのジェーンがまた加速した。今度は1.5倍ほどの速度で。
「新言語のメリットに長文で詳細な指定をしない分、実行中にも変更や追加の処理を加えられるというのがある。…アンジェリーナ嬢。先程、いくつか追加の指示をしただろう?」
ランドルの言葉を飲み込むうちにアンジェリーナの顔から血の気が引いていった。その間もジェーンは加速し続け、甲高い声で「テュクシテュクシ」と言いながら目にも止まらぬ速度で動いている。
「ループ入ってるな…」
「ヒェッ!どっ、どうしたらっ!?」
「アンジェリーナちゃん落ち着いて!」
その日、彼らの屯する空き教室からは、変わり果てたジェーンの高周波のようなキンキン声が響き続けた。それは彼らの前途に横たわる困難を暗示するかのように、しばらく止むことはなかった。




