Never Too Late
新学期を迎えた朝、掲示板に貼られた新しいクラスの名簿を眺めていたヴォルフは、自分の名前から上に目線をやって、そこに書かれた名に「またか」と息を吐いた。
「やった聖女様と同じクラスだ!」
「は?変われよ!俺なんか悪役令嬢と同クラだぞ!」
隣で喚き立てる男子生徒たちにふと目をやる。特に知りたくもなかった新しいクラスメイトの顔を見下ろして、コイツうるせえな本当に変わってくれと内心で悪態を吐きながら、ヴォルフはその場を離れた。
この学園で“悪役令嬢“と言われれば、アンジェリーナ・アーベントロート侯爵令嬢と相場が決まっている。
それは学園の生徒なら知らない者はないほどに広く浸透しており、疑う余地もないほどに彼女は嫌われ者としての地位を築き上げていた。
ヴォルフも当然その通り名を知っていたが、彼にとっての彼女は別に悪役でもなんでもなく、口さなく噂されるような、ワガママ令嬢だとか、かりそめの王太子の婚約者であるとかそういう悪口も、今ひとつピンと来なかった。
なぜなら彼は平民で、貴族間のヒエラルキーとは特に関わることなく生活していたから…というのもある。
平民であるヴォルフは特待生として貴族子女の通う学園に入学して、初めて貴族というものと間近で接した。彼の目から見た貴族は思ったよりも普通で、知っていた以上に鼻についた。「たいした能力もなく領民の上前はねて暮らしている分際で、上から目線で気取り腐った胸糞悪い連中」というのが、彼の率直すぎる本音である。
貴族は大嫌いであったがこの学園という小さな箱庭から解放されれば、もうこんな身近にうじゃうじゃと湧くこともない。あと一年の我慢だと、彼はこの時点では思っていた。
最終学年の証として学生課から配られたバッジを手のひらで弄りながら廊下を歩いていたヴォルフは、視線の先に見慣れた生徒の見慣れない様子を目にして思わず足を止めた。
「アアッ!あれはあのイベントをクリアしている証ですわアアッ、ツツッ、つつがなく攻略が進行しておりますのネェッ…まぁもう3年の初学期ですものヒロインなら当然んんんっ?ではワタクシの断罪もシナリオ通り確定ということかしら?ヒイイ!討伐も処刑も追放もご勘弁んんん!」
曲がり角で向こう側を覗きながらブツブツと呟いているのは、アンジェリーナ・アーベントロート侯爵令嬢その人であった。身を隠しているつもりらしいが、後ろにいるヴォルフからは丸見えだし、きっと向こう側からも壁からはみ出した彼女の長い金の巻き毛が確認出来るだろう。
その奇態に、魔が差したとしか言いようがないが、思わずヴォルフは声を掛けてしまった。
「何してんの?」
「ヒイィィン!」
悲鳴のようなものをあげて垂直に飛んだ彼女に、声を掛けたヴォルフもびくりとした。
「うわ、ビビった。なんだよお前。馬なの?」
「ヒィンと鳴いた程度で馬にはなりませんことよ!貴方ずいぶん短絡的ですのね!!」
いち通行平民のつぶやきを即座に拾って打ち返すアンジェリーナのツッコミ強者ぶりに、ヴォルフは思わず姿勢を正した。
「失礼いたしました!アーベントロート侯爵令嬢!」
「こっ、声が大きいですワァッ!ヴォルフ・ヴァイデンフェラー!お黙りなさいな!」
「あんたのがうるさくないか?」という言葉を飲み込んだヴォルフの見守るなか、アンジェリーナはまた壁にへばりついて、廊下の向こう側を注視している。興味を引かれたヴォルフも彼女の頭越しに眺めてみると、そこには王太子…アンジェリーナの婚約者がいた。
「どうやら気付かれなかったようですわね!」
「それはそれですげーな。こんなにうるせえのに」
「だから!貴方のせいでしてよ!ヴォルフ・ヴァイデンフェラー!」
ぐりんと振り返った拍子に、遠心力で勢いづいた金の巻き毛の束がビシビシとヴォルフにぶつかった。痛くはないが、地味にうざい。
この令嬢は存在の何もかもがうるさい。それはこれまで2年間同じクラスだったヴォルフの既に知っていたことではあるし、平常運転ではあるのだが、今日の行動にはなにか違和感があった。
「なんで隠れてるんだよ。いつもは犬みたいに『ルシャード殿下ぁ』とか叫びながら飛びついてたじゃねえか」
「犬!?馬の次は犬ですの!貴方、わたくしのことを馬鹿にしてらっしゃいますの?!」
わなわなと震える令嬢の向こうで、王太子がこちらへ歩いてくるのが見えた。「いいのか?王子様がこっちに来るぞ」と指差したヴォルフの手を、アンジェリーナはがしりと掴んで、そのまま近くの部屋のドアを開けて中に飛び込んだ。
今度はドアにへばり付いて息を潜めるようにしていたアンジェリーナは「どうやら無事やり過ごせたようですワァ…」と、流れてもいない額の汗を拭うような仕草をした。
「なぁ、手、離してくれねえか」
握られたままの手首を見せたヴォルフの存在に、アンジェリーナは仰天した。
「なぜ貴方もここにおりますのっ!?」
「いや、だから手をさ…」
「こんな密室でっ!これでは不貞を疑われてしまいますわっ!!」
「いやさ!だから手を離せっつうの!!」
小さな理科準備室で床に座り込んだまま怒鳴り合った二人は、しばらく肩で息をした後、どちらともなく脱力した。
「なんなんだよお前は。なんであの王子様から逃げてんだよ…かくれんぼか?」
「そんな訳ありませんわ!ヴォルフ・ヴァイデンフェラー!先程から無礼でしてよ!」
顔を赤くしながらブンブンと手を振るアンジェリーナに合わせて、ヴォルフの手も振り回される。
「なんでさっきからフルネームで呼ぶんだよ!…つか、俺の名前知ってんの?」
「二年間ずっと同じクラスだったのですから当たり前ですわ」
手を離してもらうことを諦めたヴォルフが第二の関心事に焦点を合わせると、しごくあっさりとした答えが返ってきた。
「覚えてるのか、クラスメイトの名前とか」
「当たり前でしょう!貴方どこまでわたくしを侮辱しますの!」
ぷりぷりと怒り続けるご令嬢が思った以上に話しやすいことに気が付いて、調子に乗ったヴォルフは三つ目に気になることも話題に上げた。
「ところでさ、さっきブツブツ言ってたの何?シナリオがどうとか、処刑とか物騒なことも言ってたけど」
「エッ!聞こえてっ?!アッえっと…あっ、予鈴が鳴りましたわ!教室に参りましょうか!」
キンコンと鳴る鐘の音に立ち上がろうとしたアンジェリーナの腕を、今度はヴォルフが掴む。
「いま二人揃って教室に入る気か?目立つぞ。変な噂が立つかもな」
「…エッ?エエッ!」
「それなら一限はサボっちまおうぜ。ついでに責任持って全部吐け」
「エッ、えぇ〜…」
二人揃ってサボるのだって噂されそうなものだが、そこにアンジェリーナが気が付かないのをいいことに、ヴォルフは自分の目下の疑問を解消することを優先させた。
「なるほど…つまり、つい先日アンタは前世の記憶を思い出した。んで、いま俺らのいるこの世界は、その前世で創作された恋物語の世界である。その物語では王太子と聖女は恋仲になる。アンタはそれを邪魔する役で、ストーリーの行方次第では断罪されて殺されることになると」
「そうですわ!ここは乙女ゲームの世界で、わたくしは悪役令嬢、聖女様はヒロイン、王太子殿下は攻略キャラですのよ!」
アンジェリーナの散らかり尽くした話をまとめたヴォルフは深く息を吐いた後、憐憫の籠もった目で彼女にゆっくりと語りかけた。
「お前、疲れてるんだよ。専門の医師の診療を受けたほうがいい。自分で言いにくければ俺が校医に話つけるから、な?」
「やめてくださいまし!医療は必要ありませんわ!」
「自覚なしか…難しいな」
「難しくはありませんわ!わたくしが王太子殿下に付き纏うのをやめればいいだけのことですのよ!」
アンジェリーナが悪役令嬢といわれる所以は、彼女の行動にあった。彼女は幼少期に婚約者となった王太子に四六時中付き纏って、他の女子生徒が近づこうものなら威嚇して追い払うぐらいのことをしていた。
学園に入学してからは王太子と友好関係にある聖女にもそういう対応をしたことで、彼女の悪役としての地位は盤石なものになっていた。
「確かになんか痛々しくはあったな」
「クッ…黒歴史ですワァ…ですから、わたくしはもう王太子殿下から距離をおいて、婚約を解消し、殿下にはゆくゆくは聖女様とご婚姻を結んでいただきますの。それが物語の王道で一番平和なルートですのよ!」
立ち上がって腕を突き上げたアンジェリーナを見上げながら、ヴォルフが尋ねる。
「そうすればアンタは、断罪とやらをされなくなるのか?」
「そうですの!…と言いたいところなのですが」
しおしおとまたへたり込んだアンジェリーナが、襟元のバッジを弄りながら絞り出すような声を出した。
「すでにルート分岐が進んでおりまして…八方円満ハッピーウェディングエンドではなく、禁断の恋愛成就ゴーイングマイウェディングルートになっておりますのよ。このルートでは悪役令嬢に救いはありませんの…ああ、なぜもっと早く記憶が戻らなかったのかしら!」
「…うん、色々言いたいことはあるけどさ、なんでそんなことがわかるんだ?」
「このバッジですわ!先ほど目視で王太子殿下の襟元のバッジが、聖女様のものになっていることを確認いたしましたの!禁断の恋愛ルートの、匂わせアイテムゲットイベントをこなしている証拠ですわ!!」
自分の制服の襟を引っ張りながら興奮状態で主張する有識者アンジェリーナに、ヴォルフは初歩的な質問を投げかける。
「なんで王太子が聖女のバッジをつけてるってわかったんだ?つか、これって皆同じものなんじゃねえの?」
アンジェリーナはヴォルフの顔をじっと見つめた。そして彼の鳶色の瞳が純粋な疑問に瞬いているのを確認すると、大きなため息を吐き出しながら自分の制服のバッジを外した。そして手のひらに乗せたそれを見せながら滔々と聞かせる。
「学園から配られるこのバッジは、ひとりひとりデザインが異なっておりますのよ。わたくしのものはここの花の部分が百合になっていて白く塗装されておりますわ」
ヴォルフは手のひらの上に自分のバッジとアンジェリーナのものを並べて見比べる。確かに自分のものの方が幾分か地味である…ような気がした。
「いやでも間違い探しくらいの違いだろコレ。こんなちっさいヤツがなんであの距離でわかるんだよ。見間違いじゃねえの?」
「わかるに決まってますわ!わたくし、ずっと殿下を見張って…見守っておりましたから!バッジの交換といえば、それはもう恋人の証というのが我が校の伝統。大匂わせですのよ!!」
「へぇ〜…」
それはもう匂わせというか既成事実だろうとヴォルフが言う前に、キンコンと授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。
「授業が終わりましたわ!貴方はもうしばらくしてから、人に見られないようにここを出なさいヴォルフ・ヴァイデンフェラー!」
座り込んだままのヴォルフの顔面にビシビシと縦ロールをぶつけながら、アンジェリーナが扉に向かった。その背中にヴォルフが「忘れ物だぞ」とバッジを投げる。お手玉しながらもそれを受け取った彼女は、慌ただしく部屋を出ていった。
翌る日の昼休み、午前の授業が終わり廊下を歩いていたヴォルフの腕を、再び華奢な指ががしりと掴んだ。
「ヴォルフ・ヴァイデンフェラー!!」
「うわっ、なに?」
驚いたヴォルフをまた空き教室に引きずり込んだのはアンジェリーナだった。
「貴方!ご自分が何をしたのかわかっていて!?」
目を白黒させるヴォルフの眼前に、アンジェリーナが手に持ったバッジを突きつける。
「バッジをすり替えましたでしょう!?わたくしの物を返してくださいませ!」
ヴォルフは自分が付けていたバッジを取ると、そこには白い花の模様が描かれていた。
「えっとコレは…白いチューリップの、ちょいシャクレたやつ?」
「シャクレッ!? 違います百合ですワッ!それは我が家の紋章を元にしたデザインですのヨッ!」
「フーン」と言いながら素直に返したヴォルフに、アンジェリーナが手をジタバタさせて叫ぶ。
「昨日からずっとそれを身につけてしまったせいで、わたくしたちが恋仲だという噂が広まっておりますのよ!一緒に授業を欠席したことにも、有る事無い事言われまくっておりますわ!」
「へー」と薄めの反応を返すヴォルフに、動きを止めたアンジェリーナは上目遣いのまま伺うように声を落とす。
「…貴方、嫌ではありませんの?」
「何が?」
「何がって…わたくし悪役令嬢ですのよ?平たく言ったらエンガチョですわ。そんなわたくしと噂されて、モォー嫌になっちゃうナァ〜…っとかなりませんの?」
萎れたアンジェリーナとは対照的にヴォルフはあっけらかんとしている。
「いや、大体俺のせいみたいだし」
「それは本当にそうですワァッ!どうしてくださいますのォッ!」
情緒の乱高下をみせるエンガチョ自認女性をなす術なく見下ろしていたヴォルフであったが、彼のお腹がぐううううっと鳴ったことでアンジェリーナはピタリと動きを止めた。
「アッ…お昼ご飯がまだでしたのね。ごめんあそばせ」
「そうだぞ。奢れよ」
さも当然のとでもいうように、胸すら張ってたかろうとするヴォルフに、アンジェリーナは驚いて声を荒げる。
「なんでですの!?ご自分で支払いなさいな!」
「今月金欠なんだ」
「まだ月初ですのに!?」
早くも仕送りのやりくりを破綻させていたヴォルフは、アンジェリーナの弱みにつけ込むことにした。
「俺はお前の秘密を知っている」
「オッ…脅すおつもりですの!?」
ビクビクとするアンジェリーナを、またヴォルフはある種の憐憫を込めて見つめてしまった。アーベントロート侯爵家は由緒正しい貴族家である。自分のような平民学生など彼女の好きなように始末出来るはずなのに、なぜか逆に怯えているのだ。
「はっきり言って、お前はアホ」
「ハァッ!?ななななななにをおおお」
「だからさ、俺がお前のブレーンになってやるよ。脱・悪役令嬢計画ってやつな。一人で考えるよりはいいだろ?」
タイピングミスようなアンジェリーナの言葉を遮って、ヴォルフが垂れ気味な鳶色の瞳を細める。本人は優しく微笑んだつもりであったが、背の高い彼に見下ろされる形となったアンジェリーナは、ニヤリと唇を歪めるヴォルフを見てまたビクリと肩を震わせたのだった。
学園のカフェテリアは白を基調とした上品な内装で、さながら高級レストランのような趣があった。そういう華やかな雰囲気の満ちた空間に混ざってしまった異物のように、一番隅の小さなテーブルへ二人はひっそりと腰掛けた。
「へぇ〜この学校の食堂ってこんな風になってんのか。すげえな」
「あなた最終学年なのにご存知ありませんでしたの?」
「だって俺、貴族の知り合いとかいねえし」
キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回すヴォルフの言葉に、アンジェリーナははたと気が付かされた。ここは学園のルールで平民だけでの立ち入りを禁じられていたのだと。自分の不明を恥じたアンジェリーナが謝ろうかと口を開きかけた時、「あ゛!!」とヴォルフが大きな声を出した。
「おい、お前。あれは何だよ」
そう言う彼が指差す先を目で追ったアンジェリーナは、一際目立つテラス席に一組の男女の姿を見つけた。聖女と王太子が微笑みながら食事をしている。春の穏やかな日差しが美しい二人を照らし、そこだけまるで舞台演劇の一場面のように煌びやかに輝いて見えた。
「あら、またお二人ですのね…」
「デスノネ〜じゃねえだろ。あれはお前の婚約者だろ?あんなの浮気じゃねえか」
なぜか怒っている様子のヴォルフに、アンジェリーナは目を逸らしながら答える。
「この国の王太子殿下は伝統的に聖女様を持て成さなければなりません。聖女様は聖女様であられるというだけで国賓と同等の待遇を約束されておりますの」
「なにそれ?シュウキョー?でもさ、若い男女が二人きりってのはおかしいだろ」
「教会と王家の方針ですわね。…今までのわたくしは無礼にもあそこに怒鳴り込んでおりましたが、それをやってしまいますと断罪待ったなしですから」
給仕から渡されたメニュー表を開いたアンジェリーナは「今日の日替わりランチでよろしくて?」とヴォルフに尋ねる。一見すれば冷静に給仕へオーダーしているアンジェリーナの指先が、少し震えていることにヴォルフは目を奪われていた。
「ヴォルフ・ヴァイデンフェラー!!」
「おう、なんだよ」
その翌る日も、ヴォルフの昼休みはアンジェリーナの叫びから始まった。もはや慣れた様子でぞんざいな返事をする。
「わたくしたちが昨日二人で食事をしていたせいで、また噂になってしまっておりますわ!どうしてくださいますの!?」
「まぁ、そうだろうなぁ」
「マァ、ソウダロウナァ!?」
ワナワナと震えるアンジェリーナの前で、ヴォルフは自信満々というふうに胸を張る。
「こんなこともあろうかと、今日は解決法を招集しておいた」
そう言うヴォルフの後ろから、ひょこっと顔を覗かせた三人が一斉に口を開く。
「こんちわ!ニコラスっていいます。よろしく〜」
「はじめまして、ランドルと申します」
「拙者、ジェーンと申すものにてござる!アンジェリーナ女史におかれましては、今後ともよしなにお願い申し上げますゾォ⤴︎!」
いろいろと言いたいことはあるが、三人目の勢いに全部持って行かれたアンジェリーナが口を閉ざす。ヴォルフ曰く、友人グループで固まっていれば不自然ではないということだった。彼の友人だという三人は全員が平民の特待生である。奢られる気満々の彼らに「わたくしの持ち出しが多くなるだけでは…?」と訝しんだアンジェリーナへ、「お前の友達でもいいぞ」とヴォルフは言う。ぐっと押し黙ったアンジェリーナに皆の視線が降り注ぐ。
「アッ…ホラ、俺らがもうアンジェリーナちゃんのお友達だから!ね?なんかジェーンとも気が合いそうだよね!二人とも個性的だし!」
「アンジェリーナ女史ぃ!我ら生まれと育ちは違えども、同じ卓を囲む義兄弟ですゾォ!おっとソコォッ!これは死亡フラグではありませんゾォ!」
「ヤメテクダサイマシィ…」
一番社交的なニコラスがみせた嬉しくない気遣いが、ジェーンの琴線に接触してしまったようで彼女のテンションを暴騰させ、アンジェリーナを疲弊させた。しめ縄のような三つ編みを揺らしながら、ビン底メガネを指で上下させているジェーンは、“ソレ系”としては仕上がりすぎていて、もはや没個性的であるといえた。
いざカフェテリアに入るとニコラスとランドルとジェーンの関心は、すっかりメニューに奪われてしまっている。
「ここはステークアッシュが名物らしい」
「へー。ソースはデミグラスかなぁ」
「デミグラスソースとは素人でござるなぁ。ここはオニオン一択が大正義ですゾォ」
はしゃぐ彼らを眺めた後、ヴォルフへと視線を移す。そんな物言いたげなアンジェリーナにヴォルフは彼女にだけ聞こえるように小さな声で話す。
「こいつらにはお前が王子様と別れたがっているとだけ説明した。味方は多い方がいいだろ?」
その味方たちは先ほどからメニューを広げて大論争を繰り広げている。「まぁ…なんとも…頼もしいことですわね」と呆れたようにそっぽを向いたアンジェリーナは、その視界に聖女と王子の姿を捉えた。彼らは今日も、陽だまりの中で楽しそうに微笑んでいる。思わず黙り込んだ彼女の耳に、ヴォルフの低い声が響く。
「アンジェリーナ、大丈夫だ。まだ一年ある。きっと間に合うよ」
きっと何の根拠もないであろうその言葉は、それでも押し寄せる破滅の予感に震える彼女の心を優しく包み込んだ。




