もう一度
捜し求めていた妻を見つけた。
遠い昔に死に別れて私から逃げた妻。
私たちは前世で夫婦だった。
幼き日から身体に空洞があった。それが身体ではなくて心に空洞があると知ったのはいつの頃だったか。
埋まることない喪失を自覚しながら、今世の暮らしを演じ続けるのは苦痛の連続だった。
誰もが私の妻を知らない。私以外に誰も知らない。
永久の愛を誓った私たちは死と共に永久に離れたというのか。
私に妻がいることを自覚したのは6歳を過ぎて。
妻を捜す私は次第に不安定になり、夜は欠けた喪失に咽び泣く日々が続く。
そんな私は病院に連れて行かれることもしばしばあった。必要のない検査と無意味なカウンセラー。
心と記憶は前世のままでも身体は子供なのだ。外と中が一致しない異質な息子に両親は相当悩まされたことだろう。
私は何も知らぬ子供を演じた。
それでも魂は妻を捜している。
大学に入り友人との待ち合わせに向う地下鉄の構内。階段を降り顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、前世で愛を誓った妻の小さな後ろ姿。
ゆっくりと振り返る妻は変わらぬ美しい顔をしていた。
幼さの残る瞳が私の姿を認めたときは、魂は震え歓喜で破裂しそうだった。
確信した、妻も私を忘れていない。
世界は私に色彩を与えた。
「リィっ」口に出すことも許されなかった妻の名を愛を込めて呼ぶ。
リィの体は電流が流れたように大きく震えた。それが私と妻の、リィの魂が再び結びついた証明。
私とリィの距離は叫ばなければ聞こえないほど離れている。リィの口が私の名を綴る。
声が、リィの声を。駆け出した私の瞳にはリィの姿しか映らない。
リィは呆然と立ち尽くす。「シ、オン・・・」私の名を呼ぶ愛しい声。
あと少しと言うところで、私の足は止まる。
「リィ、見つけた。ようやくだ」嬉しさで声が震える。
「愛している、君を追いかけて私は・・・」
「嘘・・・嘘よ。シオンには彼女がいるじゃない。妻の私ではなくて彼女を選んだのでしょう」
呟かれたリィの言葉に私の心は、鞭を打たれたも同様の痛みを伴って麻痺した。
「あぁ、そんな・・・リィ何度も言っただろう。私は決して裏切ることはしていない」頭から血の気がひくのを感じる。
「どうして信じてくれないのだ。私は誠心誠意、君に尽くしてきた。最後は許してくれたと、私を信じてくれたと思っていたのに」怒りなのか悲しみなのか、受け入れてくれない苛立ちが込み上げる。
「シオン、私は良い妻ではなかったのでしょう?だから彼女に安らぎを求めた。彼女は貴方を理解できる。私には話せないことも彼女には話したのでしょう」リィの瞳から涙が零れる。
必死で感情を押さえつける妻の姿は、毅然として誇り高かった。それでも震える声と戦慄く唇は、夫を奪われた屈辱と深い悲しみを表している。
小さなリィを抱きしめた。過去に何度も抱き合った。妻の手は私の背中に添えられ、深い口付けを交し合ったのに。
今のリィは手を添えることもなく私の抱擁を拒否した。
「リィ、確かに彼女に安らぎを感じたこともある。それでも私の妻は君だけだ。愛を誓い何度も交し合ったのはリィだけだ」
「私は何度も貴方に帰ってきてと言ったわ。それでも貴方は帰ってこなかった。帰ってきたのはいつだったか覚えている?私が死んだ日よ」
私の不貞を疑い出した時から妻の態度は一変した。口数が少なくなり私の目を見て話すことが減っていた。凛とした態度は完全な拒絶を示して部屋に閉じこもった。
そんな妻に気付いていながら私は放棄することの出来ない仕事を続けた。因果なことにリィが疑う彼女とは同じ部屋で仕事を行う。
妻の異変を知りながらも私は、彼女と共に長い時間を同じ部屋で過ごしていた事になる。リィと別れるその日まで、そしてその後も。
リィはそれを言っているのだ。私が、死の淵にいるリィよりも彼女と過ごしていた日々を。
「リィ、では私はどうすれば良かったのだ。職務を放棄しろと?有能な彼女を辞めさせるのか?。それで君は私の潔白を信じてくれたのか?」
リィは震えて泣くだけで答えてはくれなかった。
「心を開いてくれ。私は君を愛している。手を取り合って共に過ごしたいと願った相手はリィ、君だ。先に旅立った君は待っていてくれなかったね?私は追いかけた。追いかけてずっと捜し求めてきた。それが誰よりも愛している証しだ」
リィの中で答えが出ていることは解っている。
私の不貞がなかったことも、私がリィを置いて職務を続ける重い義務も。
私を愛するが故に苛まれた嫉妬。
彼女は固く信じてしまった私への不信を自らの内に認めることが許せないのだ。
「シオン。私は妻である誇りを傷つけられて貴方の話を聞かなかった。貴方の浮気を知らされたときに、胸に巣食ったのは激しい嫉妬とズタズタにされた自尊心だけ。私に少しでも貴方を愛する気持ちが残っていたら私自身の悪魔に負けることは無かったのね」顔を覆い涙を流し続ける。
「私への愛は残っていない?」頬に手を寄せ、瞳を覗く。リィの中には私への愛がある。
「いいえ。あるわ、変わらない。シオンを愛しているわ」
リィはその小さな唇で私がずっと望んだ愛を囁いた。また一筋、涙が頬を伝い、私の手と共に濡らす。
ゆっくりと顔を近づけると、リィが恥じらいを含んで睫を震わせた。
あと少し、気が遠くなる別離を乗り越えて私達は再び一つとなる。
ピーッ。
鋭い笛の音ともに男の肩が掴まれた。
「ちょっと駅員室まで来てもらいますよ」
「君ね、何考えてるんだ」
振り向くとシャレにならないくらい怖い顔をした駅員さんが男を取り囲んでいる。
「大丈夫かい?もう怖くないよ。すぐに警察の人が来てくれるからね」
その声の方には、もう一人の駅員に保護されるように少女が男から引き離されていた。
呆然とする男、シオンと
焦った顔をする少女、リィ
「今いいとこなんだよ。邪魔をするなっ」シオンは掴まれた腕を振り解こうとする。
荒げる声に駅員さんは少しも動じない。
「はいはい、でも良いとこが不味いんですよ。まだ小学生の女の子相手に何を考えてるんです」
視界に映るリィの体を隠すように駅員さんの一人が割り込む。
「違います。もう中学生です」リィの声は当然、黙殺される。
「イイ年した男が未成年相手に・・・」駅員さんはシオンを取り囲んで連れて行く。
先は駅員室で、ゴールは警察だろう。
「えっ?わっ、わぁっ。待ってください。違いますっ。シオンっ」
シオン、現在19歳。
リィ、現在12歳。
リィはこの後、夫を救うべく奮闘することになる。
二人はその後、再び夫婦になります。無論、リィが結婚可能の年になってから。