ヤニ臭令嬢は稼働中!
美術館に飾られた一枚の絵画がある。椅子に座り左手でこめかみを抑えている女性と、傍に立ち椅子にもたれている女性。彼女たちは姉妹とされ…
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「ニコル!ニコルはどこへ行ったの!」
今日も伯爵家ではカトリーヌの声が響く。使用人たちも慣れたもので口々に「あちらで見かけましたよ」とカトリーヌに報告する。そうしていつも辿り着くのは厨房であったがニコルの姿は無かった。
「どうされましたかカトリーヌ様」
料理人の男たちに聞かれてカトリーヌは溜め息をつく。
「はぁニコルったらまた抜け出したのよ」
カトリーヌとニコルは家庭教師から同じ時間帯に授業を受けているがニコルは大抵「ちょっとお手洗いに」と言ったきり戻ってこないのだ。家庭教師もニコルのことは諦めているのか「代わりにニコル様には宿題を出しておきますね」と言うだけで叱ったりしない。両親も「まぁニコルはそんなものだろう」と笑っている。
カトリーヌとニコルの姉妹が暮らす伯爵家は大変に裕福である。それはカトリーヌが前世の記憶を駆使して父が持っていた商会の利益を爆上げしたからであり、カトリーヌが後を継いで女伯爵になるのであれば何の心配もないと思われているのだろう。故に妹のニコルは大した期待もされず自由に過ごしているのだが、カトリーヌからしたらニコルの方がずっと要領がよく地頭が良いと思っていた。
「ニコルはやれば出来る子だわ。私の同じ年の時と比べると貴女の方が授業内容の理解が早いもの」
カトリーヌは何度かニコルを諭してみたことがあるのだが決まってニコルはへらへらと笑って躱していた。
「お姉様の思い込みですわ。私は努力が苦手ですの。やれば出来る子も、やらなければただの子ですわ」
そんな伯爵家の予定が狂う事件が起きたのはカトリーヌが十五歳になった時だった。カトリーヌが成人したら誠実で温厚な従兄弟のスュクルを婿に迎え伯爵家の繁栄は約束されたも同然だった。しかしカトリーヌは余りにも優秀すぎた。目をつけられたカトリーヌはこの国の第一王子の婚約者に急遽指名されたのである。
「なんてことだ。カトリーヌがあの第一王子の婚約者だと…」
「あなた、どうにか断れませんの?あの第一王子だなんて…」
通達がきたその日の夜、家族が集まって話し合いが行われた。父と母は頭を抱えており、カトリーヌはまさか自分が王子の婚約者になるなんて夢にも思っていなかったのでただただ驚いていた。
「第一王子様には既に婚約者がいらっしゃったのでは?」
カトリーヌは父に問う。父は死んだ魚の目をしたまま答えた。
「つい最近、婚約破棄なさったのだよ。しかも第一王子から。なんでも平民の女性に入れ上げているらしい」
母も項垂れたまま呟く。
「第一王子とはいえ後ろ盾のない妃の子。公爵家という後ろ盾を自ら手放す浅はかなお方なのよ。爵位による後ろ盾がないのなら金で勝負と考えたのかしらね…その考えも浅はかだわ…」
なるほど前世でよく読んでいた真実の愛とやらに目覚めた浅はかな王子の婚約者にカトリーヌは選ばれてしまったようだ。しかも恋人付き。王命だから断れないことは分かっていても従兄弟のスュクルのことを好ましく感じていたカトリーヌは涙が出そうだった。しかしその涙はニコルの声によって掻き消される。
「ジーザスッッ!!!お姉様が嫁に行くなんてそんな世の中はポイズン!!!私が女伯爵なんてめんどくさ…いや務まるわけがないわ!お父様お母様!早急に三人目を!子作りをォォ!!」
絶望した表情で滂沱の涙を流すニコルは膝を付き頭を抱えてヘドバンしている。カトリーヌはドン引きした。両親はニコルの言葉になぜか頬を染めお互いを見つめている。「でももう私は歳だし…」「いくつになっても君は僕のプリンセスさ」「いやん…でも嬉しいわ♡」もじもじツンツンしている両親とヘドバンする妹を放置してカトリーヌは自室に帰った。
次の日、さっそく登城したカトリーヌを待っていたのは尊大な態度の第一王子だった。
「私の妃にならせてやるが君を愛することはない」
うわぁ、これも前世に読んだ小説に出てきそうなセリフ…とカトリーヌが考えていると小柄な平民風の女性が勝手に部屋に入ってきた。使用人ではなさそうだし誰かしらと思っていると第一王子にしなだれかかる。
「紹介しておこう。彼女が私の最愛だ。嫉妬して彼女に悪さをしてみろ。君と家族を処罰してやるからな」
嫉妬するも何も貴方との婚約をこれっぽっちも望んでいませんが?という言葉を飲み込んでいると気を良くしたのか第一王子が語り出した。
「彼女は私の退屈な人生に舞い降りた刺激そのものなのだ。ふとした時に彼女のことを考えてしまう。これを真実の愛と言わず何と言おう。以前の婚約者は側室か公妾を持つのであれば構わないが順序があるなどと小賢しいことを言うから婚約破棄してやった。君のような伯爵家程度では私に意見などできないだろう」
「うふふ、私とっても嬉しいです」
初めての顔合わせだったにも関わらず目の前で恋人とイチャイチャされたカトリーヌは自分の運命を呪った。私が前世の記憶を利用してお金を稼いだ罰なの…?また涙が出そうになったがニコルのヘドバンを思い出して涙を引っ込めた。この王子との結婚まであと一年しかない。天変地異でも起きてこの婚約が無くなればいいのにと祈ることしかできなかった。
あれから一ヶ月が経った。王子との交流は急ピッチで進められ王子が伯爵家に来ることもあった。伯爵家に恋人を連れてくることは無かったが毎回恋人の話をされ、カトリーヌはうんざりした。
王子とカトリーヌの婚約が決まってからニコルは気がつくと姿を消しており伯爵家には多くの鍛治職人や大工等が出入りするようになっていた。薬師まで来ているようだ。そしてさらに一ヶ月経つとカトリーヌと王子の茶会にニコルが参加するようになっていた。ニコルは平民がするようなオーバーリアクションな笑い方や態度で王子に接した。
「殿下ったらよっぽど刺激を欲していたんですね!確かに親の敷いたレールをただただ進むのは退屈ですよねぇ」
貴族の令嬢としては喋り方も立ち振る舞いも成っていなかったが王子はそこに恋人の面影を見つけたのかニコルと話す時はご機嫌だった。
「おお!君は分かる人だな。そうだ。退屈な毎日には刺激が必要であろう。私の最愛は私を非日常へと連れて行ってくれるのだ。そういう時間が必要だと私の周りの者は分からんらしい」
「その気持ち分かります!現実逃避ですよね!頑張るだけが人生じゃないっていうか」
「そう!その通り!分かってくれるか!」
ニコルと王子は意気投合しカトリーヌが「少しお手洗いに」と席を立ったことにも気がついていないようだった。そしてカトリーヌが部屋に戻ると二人の姿はなかった。
「殿下とニコルはどこへ?」
王子の護衛も一緒にいなくなってしまったが帰りの馬車はまだ出ておらず邸内にいるはずである。使用人たちに訪ねながら辿り着いたのはやはり厨房だった。しかし奥からチャラチャラと何かの音が聞こえるものの誰もいない。
それからというものの王子が伯爵家に来る頻度が増えた。カトリーヌとしては登城しなくても良いので助かるが問題は毎回王子とニコルが途中で消えてしまうことだった。護衛がいるとはいえ未婚のニコルと長い時間を共にすることは良い事とは思えない。ニコルに聞いても「義兄となるのですから」とはぐらかされる。しかも帰る時間になってようやく姿を現した彼らからはツンと燻るような香りがした。
他にも変化があった。王子が恋人の話をしなくなったのだ。もちろんこちらから積極的に聞いたりはしないが、それよりもニコルに「やはり私は何をやっても才能があるようだ」だとか「今日も打てるんだろうな」などと前のめりで話している。ニコルも「台を温めておりますよ」などと笑顔で返事している。そんな怪しい二人をカトリーヌは尾行してみることにした。いつものとおり「ちょっとお手洗いに」と二人ではなく使用人に伝えて退席すると廊下の柱の影に隠れた。しばらくするとニコルが王子とその護衛を伴って部屋を出る。さすがに護衛に気付かれるかなと思いつつ尾行するが全く気付かれない。護衛も何やらソワソワしておりそれどころじゃないらしい。
そうして辿り着いたのはやはり厨房だった。
彼らが厨房に入った後、ドアに耳を当たると料理人たちの声も聞こえた。今日は彼らもいるようだ。
しばらく耳を澄ますが会話までは聞こえず、そうこうしている間に厨房内がしんと静まった。カトリーヌはそうっと扉を開けて中を伺う。
誰もいなかった。
「そして誰もいなくなった…」
カトリーヌは厨房に足を踏み入れ呆然とする。ニコルたちはどこへ消えたしまったのだろう。すると奥から可愛らしい女性の声で「ゆるして」「うそぉ〜!」「あぁ〜ん!」と言う声が聞こえてくるではないか。カトリーヌは慌てて声のする方へ行くと沢山の調味料が入った棚の隙間から何やら騒がしい音楽が聞こえてきた。調味料の棚を押したり引いたりしてみると棚は横方向に動き、棚の向こうには煌びやかな広い空間が広がっていた。料理人の男たちが並んで機械の前に座り真剣な表情で操作している。
「パチンコだわ…」
カトリーヌは前世でパチンコをしたことはなかったが見たことはある。なぜこの世界にパチンコがあるのだろう。さらには皆、煙草を咥えている。ニコルたちが纏っていたのはこの匂いだ。しかし煙草もこの世界ではまだ見ていない。カトリーヌも前世の知識はあったものの前世で吸ったこともなかったし体に悪いものだからと商品化しようとも思わなかった。なぜこの世界に…
よく見ると奥の方の台に王子の姿があった。ちゃっかり護衛も別の台で打っている。
「ショック〜!」
王子の台から可愛らしい女性の声がした。
「ショックなのは私だ!お前が言うな!」
王子は台に向かってブチ切れている。
「お客さん、ハズレ続きですねぇ。台を替えますか?」
そういってニヤニヤしているのはニコルだった。
「いや!替えない!前回、替えた途端にその台で当たりが出て死ぬほど悔しかったからな!そろそろフィーバーするはずだから私が温めた台からは離れないぞ!」
王子はそう言って前のめりになりながら護衛からお金を借りていた。
「後で倍にして返してやるからな。始めはあんなにフィーバーしたんだ。私には才能がある」
王子はブツブツ言いながらニコルから手渡された煙草を吹かしつつ何度も負けていた。
その日の夜、カトリーヌはニコルに詰め寄った。
「ニコル、貴女さては私と同じ転生者ね?」
ニコルは笑って言った。
「バレたwwそうでござるw」
「笑い事じゃないわよ!どうして黙っていたの?」
怒るカトリーヌにニコルは表情をスンとさせる。
「面倒だからに決まっています。私はお姉様と違って前世も不真面目に生きていましたから今世で前世の知識を使ってチートしようなんてそんな面倒なことはしたくありません。現にお姉様はポンコツ王子の生贄にされてしまったではないですか。私は前世と同じくパチンコと煙草をお供に現実逃避の方が現実として生きていきたいのです」
「最後の理論は全く理解できないけれど貴女の言い分も分からなくはないし貴女の方が賢い気がするわね」
カトリーヌが思わず納得しようとするとニコルは目をカッと開いて否定した。
「私の方がお姉様より賢いですって!?それはあり得ません。いいですか?以前も言いましたが、やれば出来る子、いつか本気出す、は結局芽吹きません。努力できることが一番の才能ですから。お姉様はそれができる才能をお待ちで私は前世も今世もその才能が皆無です!やる気スイッチがどこにもありません!歴史に名を刻むのはお姉様です!」
「そんな堂々と言われても…」
ない胸を張って威張るニコルにカトリーヌは呆れたようにこめかみを抑えた。
「ニコルがパチンコと煙草を愛していることは分かったわ。でも何故殿下をあんな場所へ?」
カトリーヌの問いにニコルは悪い笑顔で答える。
「それはもちろん堕ちてもらうためですよ。殿下にはその適性がありますから」
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その後の王子の転落は早かった。平民の恋人とはとっくに別れたらしい王子は毎日のように朝から我が家に来て湯水のように金を使った。パチンコは勿論、ニコルが作った煙草もどんどん値を上げても王子は買って行くようだった。
ニコルはその資金を使ってすぐに高位貴族専用のパチンコ店を構えた。わざわざ伯爵家に行かなくても打てるということでさらに行く頻度が高くなった王子は割り当てられていた年間の予算を短期間で使い果たしてしまった。しばらくは護衛や友人から金を借りていたようだがそれも尽きるとニコルに紹介された質の悪い金貸屋から金を借り借金を増やしていった。その金貸屋のバックはもちろんニコルである。
ニコルが王子に「即日入金ですよ」と囁いているところを見かけたが、その時の王子の目は血走っていた。
そうしてカトリーヌと王子の結婚まで後数ヶ月というところで王子が捕まったことにより婚約は解消された。どうやら借金の返済に使ってはいけない予算を使い込んでいたようだ。王子は王籍を外され幽閉されるとのことだが最後に届いた手紙には「煙草をあるだけ送ってくれ。あと私のパチンコ貯金があったはずだ。それを送ってくれ」と記してあった。もちろん支払える見込みもないので煙草は送らなかったし、パチンコ貯金など貸していた金にまわしたので送るほどもなかった。
ニコルの思惑通りカトリーヌは王子から解放され無事に従兄弟のスュクルと結婚して女伯爵となった。王子とカトリーヌの婚約が解消された時、ニコルはドヤ顔で言った。
「お姉様、だから言ったでしょう。パチンコも煙草も適性がある人は堕ちるのが早いのですよ。前世の私も頑張って良い大学に入って、友達に制服が可愛いからと誘われたパチンコ店のコーヒーレディのバイトがキッカケでパチンコにハマり煙草にも手を出し留年し退学し順調に堕ちていったのですよ。私を誘った友人はパチンコにハマらずしっかり卒業していきましたけれどね。殿下は私以上の適性がありましたから早かったですね」
しかしニコルの思惑から外れたこともあった。ニコルが開発したパチンコと煙草は凄まじい勢いで広がり莫大な財産をもたらしたのだ。パチンコは国王が煙草は王妃が頭痛に効くと言って愛用したことから高い値段でも多くの貴族が愛用した。そうすると、おのずとニコルに注目が集まり…
「第三王子の婚約者ァァ!?!?」
第二王子は煙草を愛用したもののパチンコや賭け事の類いには全くハマらなかった人で、聡明かつ婚約者を大切にする彼が次期国王となることで間違いなさそうだ。パチンコ廃人の国王にさっさと退いてもらう予定だと聞いている。
ニコルの婚約者となった第三王子はニコルより年下で婚約者を決めていなかった。そこで貴族の間で注目の的である大富豪ニコルがその席に座らされたのだ。この第三王子、父と母と廃嫡された第一王子が夢中になったパチンコと煙草を毛嫌いしており、婚約者となるニコルにもその一切を禁じるよう要求してきたらしい。
「無くても生きていけるけれど、無いと生きていけないもの二つを禁じられたら私はどうなってしまうの」
「ニコル、ちょっと何言ってるか分からないわ」
「嗚呼…!無駄のない人生なんて…!現実逃避のない現実が現実だなんて…!無理よ…!」
「うん、本当にちょっと何言ってるか分からないわ」
そんなニコルを宥めつつ今日は嫁ぐニコルのために絵師を呼び姉妹の絵を描いてもらう日だ。
両親はありのままの貴女たちを描いてもらいなさいと言い部屋を出ていった。ニコルは椅子に座りこめかみを抑え、カトリーヌは寄り添うように傍に立つ。ニコルは「しばらく吸えないから…」と煙草を手にしていた。
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美術館に飾られた一枚の絵画がある。椅子に座り左手でこめかみを抑えている女性と、傍に立ち椅子にもたれている女性。彼女たちは姉妹とされ椅子に座っている女性は王族に嫁いだ富豪の娘ニコル嬢と言われている。ニコル嬢の右手には火の着いた煙草を持っており煙草の祖らしい絵となっている。
そしてニコル嬢の首にある重々しいネックレスの素材はパチンコ玉を軽量化したものと言われておりパチンコを禁止された悲しみからせめてパチンコを身につけていたいと、ニコル嬢自らお抱えの鍛治職人に頼んだと言う逸話が残っている。立っている女性は姉のカトリーヌ女伯爵であり彼女も天才とされていたが詳細は不明である。
歴史に名を残すことが幸せとは限らない。
ハマると、やらなくても生きていけるけどやらないと生きていけないのがパチンコ。
煙草はジャン・ニコさんを参考に。