表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄された公爵令嬢。孤島に追放されましたが、精霊の加護で成り上がります~私を追放した王子ですか? 他国の王の怒りをかって死罪だそうです~

作者: 神田夏生

「お前との婚約を破棄したいから、お前を罪人ということにさせてくれ、シェルフィ」


 婚約者である、この国の第四王子・アーフォンドに呼び出され、彼の私室で2人きりでいた時のこと。彼は特に申し訳そうにすることもなく、さらっと言い放った。


「……はい?」


 公爵家の娘として生まれた私は、幼い頃からアーフォンドとの結婚が決まっていた。決まっていたはずなのだが、何やらこの王子様がふざけたことをおっしゃっている。


「……どういうことでしょうか、アーフォンド様」

「ああ。実はその、浮気というわけではないんだが、別の女性と関係を持ってしまって」


 それを浮気って言うんだよ! と全力で突っ込みたくなったが、一応黙って続きを聞く。


 なんでもアーフォンドが手を出してしまったのは、隣国の王女様らしい。

 第四王子である彼は、兄達と違い他国との交流の場に連れていかれる機会は、今までなかったそうなのだが。最近、外交の一環として珍しく隣国のパーティーに参加させてもらった時のこと。お互いひと目で惹かれ合い、そのまま……という流れだったそうだ。あまりの軽率さに頭が痛くなってくる。


(よりにもよって、婚約者がいる身で他国の王女様に手をつける!?)


 アーフォンドが浮気をしたこと自体は、別に驚かない。許せるかどうかは別として。


 彼は昔から女遊びが激しく、婚約者がいる身でありながら、こっそり他の令嬢と逢引きしたり、メイドを自室に招き入れたりを繰り返していることは知っていた。本人は隠しているつもりなのだろうが、噂というのは広がるものだ。貴族達が集まる夜会で、アーフォンドの奔放ぶりは私の耳にも入ってきていた。


 それでも、王子である彼をこちらから婚約破棄することはできない。そんなことをしたら私の家族の立場が非常に危ういものになる。どれだけ嫌でも、傷ついても、不満があっても、家のためにずっと我慢していたのだ。


 もともと私と彼の婚約は、第四王子であるアーフォンドは王位を継ぐことはないため、貴族の娘のところに婿入りすることでアーフォンドが領主になるためのものだった。うちの両親には私以外子どもがおらず後継ぎがいないので、ちょうどよかったのだ。私との結婚によりアーフォンドは領主となり、我が家は王家との結びつきを固いものとする。双方に利益があるからこその婚約だった、はずだ。


 私達の結婚は私達だけのものだけではなく、家や周りの人々をも巻き込む問題。そう考えていたからこそ、腹が立つことがあっても事を荒立てたくなかったし、私が正妻なのであれば、多少の浮気には目をつむろうと思っていた。


(ずっと我慢してきた、その結果が……このザマってわけか)


「相手がもっと身分の低い女であったなら、金と地位を使って黙らせてやることもできたのだが。さすがに隣国の王女となるとそうもいかない。だからシェルフィ、お前との婚約を破棄したいと言っているのだ」


 もっと身分の低い女だったらお金と地位を使って黙らせるつもりだったんかい! と、またしても頭の中で突っ込みを入れる。


 アーフォンドは、王族でかつ顔がいいからとちやほやされすぎて、我儘がすぎる。何をやらかしても、王子という立場があればなんとかなると考えているし、自分のために周りがなんでもしてくれることが当たり前なのだ。


「婚約破棄については、わかりました。それで……私を罪人にさせてくれ、というのは?」

「俺の不貞によって婚約破棄だなんて、人聞きが悪いだろう。それに隣国の王女にも、言ってしまったんだ。俺の婚約者は浮気ばかり繰り返す酷い女だから、もう婚約解消しようと思っている、と」

「はい? 私、浮気なんて一度もしたことがありませんが?」

「だから、それは……。王女を口説き落とすために……仕方がないだろう」


 ………………何を言っているんだろう、この馬鹿王子……??


 私が「問題のない婚約者」だと自分が悪者になってしまうし、王女様に同情してもらえない。「そういう関係」に持ち込むために、妨げになってしまう。だから彼女の気を引くために、わざと私の罪を捏造した、と。


(しかもそれを、よりにもよって私に直接言う??)


 どういう神経をしているのだろう、と思うけれど――


(……ああ、そうか)


 もう、完全に、どうでもいいと思われているんだ。取り繕おうとも思わないくらいに。

 そして、所詮王族ではない私を怒らせたところで、別に怖くないと思っている。彼は、私を完全に舐めているのだ。


「だから、この婚約破棄はお前の不貞が原因、ということにしてほしい」

「それは、私に一体何の利点があるのでしょうか……?」

「私だって、悪いとは思っている。だから表向きはお前の罪ということになるが、その代わり金は支払おう。お前の望む額を言うといい」

「お金さえ払えば、私を罪人にしていいと思っているのですか」

「なんだ、文句があるのか? 私は王子だぞ、お前が従うのは当然だろう」


 はい、さっき「悪いとは思っている」なんて言っていたくせに、口先だけですね。完全に開き直っておられますよこの馬鹿王子。隣国の王女様も、よくこんな男と関係を持ちましたね。後で絶対苦労すると思う。


「シェルフィ。お前は今まで私の婚約者として、たっぷりいい思いをしてきたはずだ。私の婚約者だからこそ、皆から羨望の目で見られ、丁重に扱われてきたのだろう。それが誰のおかげだと思っているんだ? お前は今まで私のおかげで幸せだったのだから、今度はお前が私の幸せのために役に立つ番だ」


 ――私が、いい思いをしてきた? アーフォンドのおかげで?


 そりゃあ第四王子とはいえ王族の婚約者という立場で、羨ましがられることはあった。だからこそ、妬みによる嫌がらせも受けてきた。


 というか、アーフォンドが口説いた令嬢に嫉妬によって酷い扱いを受けたこともある。「アーフォンド様は、本当は私のことが好きなのよ! 家のために仕方なくあなたと婚約しているだけなの! かわいそうなアーフォンド様を解放しなさい!」と。ドレスをビリビリに破かれたり、アクセサリーを盗まれて隠されたりしてきた。


 浮気はされるし、嫌がらせはされるし、何度アーフォンドに、こちらから婚約解消してほしいと言いかけたことか。それでも家族のため、その言葉を呑み込んできたというのに――


「ほら、この書類にサインをしろ。『私は不貞しました。そのため婚約を解消されることを受け入れます』と」

「…………」

「なんだその不満げな目は、生意気な。言うことを聞かないなら、お前の家族がどうなっても知らないぞ」

「……! 王子ともあろう御方が、家族を人質にとるなんて……!」


 あまりにも最低なのに、アーフォンドはもはや悪びれもしない。まるで私の方が、我儘で聞き分けのない女みたいな構図にされてしまっている。


「お前がそうやって生意気な態度でいるなら、の話だ。素直にサインするなら、お前の家族には、この婚約破棄によって被害が出ないようにする。慰謝料として金銭の支払いはもちろん、新しい領地も約束しよう。父上に頼めばなんとでもなる」

「……っ、その約束も、書類でちゃんと残してくださるのでしょうね」

「ああ。こちらとしても、公爵家と禍根を残したいわけではないからな」


 これ以上文句を言っても、アーフォンドが自分を省みるような人ではないことはわかっている。ならばせめて家族への被害が最小のものになるようにと、私は婚約破棄の書類にサインをすることになった。


 ◇ ◇ ◇


 そうして、アーフォンドに婚約破棄された私は今――海を眺めている。


「うわあぁぁぁぁ……」


 目の前には、広い広い海。だけどこれは、決して感動の「うわあぁぁぁぁ」ではない。絶望の「うわあぁぁぁぁ」である。


 目の前の海は広いけれど――少しも青くも透明でもない、真っ黒な海なのだから。


(話には聞いていたものの、実際に見ると、すごい光景だな……)


 ここは、我が国ノーゼルリースの領海であるエドメル海に浮かぶ孤島・マリンダ島だ。

 なぜ私がここにいるのか? 答えは簡単、島流しにされたからである。


 アーフォンドは婚約破棄の慰謝料として、私の家族だけでなく、私個人に領地をくれると言ったのだ。今後はそこで暮らすように命じられ、彼の従者によって船に乗せられて……辿り着いた先が、このマリンダ島だ。


 マリンダ島はノーゼルリースの南側に浮かぶ小さな島だが、この島の周囲の海は、夜でもないのに闇のように黒く染まっており、おどろおどろしい雰囲気が漂っている。


 こんな言い伝えがあるのだ。昔、マリンダ島は豊かな自然に恵まれ、たくさんの人間達が暮らしていた。そんなマリンダ島に住む一人の青年が、島の守護精霊であるウィンディーヌと恋に落ちる。


 青年とウィンディーヌは深く愛し合い、幸せな日々を送っていた。しかし青年は別の少女に心変わりをし、ウィンディーヌを「お前なんかもういらない」と捨てたのだ。島の人々も、人間と精霊の間に子どもは生まれないからと、青年の結婚を祝福した。


 憎悪と悲哀を抱えたウィンディーヌは、その後人間達の前に姿を見せなくなった。守護精霊であるウィンディーヌを失ったマリンダ島は、豊かだった自然は衰え、周囲の海は呪われ黒く染まった。人々は島に住んでいられなくなり、本土への移住を余儀なくされたのだという。


 ともかく、この島はもう使えない島として諦められ、何十年も放置されたままだったのだ。

 この島を私の自由にしていい、とのことだけど、こんなの単なる島流しである。


(まあ、ここに来る途中で海に沈められなかっただけマシか。……いや、マシか?)


 私と同じ船に乗っていた船長さんや船乗りさん達は、私をこの島に降ろすなり、本土の方向へと船で帰っていってしまった。絶体絶命の状況である。


(誰かが助けに来てくれるとも、思えないしな……)


 私が、アーフォンドとの理不尽な婚約生活に耐えてまで守りたいと思っていた家族は、婚約破棄のことを知るなり態度を一変させた。今までは「王子の婚約者」だから優しくしていたが、「婚約破棄された娘」はもういらないらしい。


 父も母も「婚約破棄されたのは、お前に原因があったんじゃないのか」と私を責めた。――私が今まで必死に守ろうとしてきたものは、本当に、なんだったというのか。


「いっそ海に身を投げてしまおうか……」


 心が分厚い雲に覆われたように暗く、前向きになれない。なれるわけがない。こんな状況で。


「哀れな娘だ」

「…………え?」


 真っ黒な海を見つめていたところで、自分のものではない声が聞こえた。


「だ、誰……誰かいるんですか?」

「ああ」


 次の瞬間、私の前に、ぼうっと淡い光が浮かび上がる。

 ただの光ではない。その光は人型――美しい、女性型をしていた。まるで最高の彫刻師が丹精を込めて造り上げた女神像が、神聖な輝きを放っているようだ。


「私の名は、ウィンディーヌ」

「ウィンディーヌ……って、言い伝えにある、この島の守護精霊様ですか!?」

「私のことを、知っているのか」

「はい。この島とあなたのことは、語り継がれていますので……」

「そうか。愛した男に無惨に捨てられたことが今でも語られているなど、情けない話だな……」


 ウィンディーヌ様は、ふっと自嘲の笑みを浮かべた。辛い記憶を思い出しているような顔だ。


「私は、愛した男に捨てられた。そのはらいせに、この島を離れた。私を捨てて他の女と結ばれた彼も、それを祝福した奴らのことも、どうしても許せなかったのだ。今でもまだ……彼のことを思い出すと心が煮えたぎる。あれからもう長い時が経っているというのにな……。情けないことだ」

「いいえ! 情けなくなんてありません!」


 ぐっと拳に力を込め、お腹の底から声を出す。


「信じていた相手に裏切られたんですから、何年経とうが、許せるわけないじゃないですか! 裏切られた側が自分を責めなきゃならないなんて、おかしいです! そうやって真面目な人が損をするのは、すごくすごく、おかしいです!」

「そ、そうか……そう言ってくれるか……」

「大体、ゴミみたいにポイ捨てされて、こっちは死ぬほど怒っているし悲しいのに、私を捨てた奴はのうのうと幸せに生きていくんですよ! 絶対おかしいのに! この世は理不尽です!」


 自然とだんだん声が大きくなってしまうが、仕方ない。

 私だって、理不尽な出来事続きで限界だったのだ。誰かにこの心の叫びを聞いてほしかった。どうせ周囲には私達以外に人影はないし、令嬢としての行儀だってもうどうだっていい。


「うむ、うむ! そうだよな、やっぱりおかしいよな!」


 幸いウィンディーヌ様は私を変な目で見ることはなく、むしろ全力で頷いてくれる。


「もう一生、誰とも関わらないと思っていたが。こうして誰かと話せるというのは、やはり……楽しいな」

「ウィンディーヌ様……」

「愛した男に捨てられてから、人間のことは許せなかったし、他の精霊達からは、人間と恋に落ちたあげく捨てられた女として馬鹿にされている。自分の心を守るために他者を遠ざけていたが、本当は……話し相手がほしかったんだ」

「ウィンディーヌ様っ!」


 もはや、彼女のことを他人事とは思えなかった。共感意識が高まって手を差し出すと、彼女もがしっと手を握ってくれて、硬い握手を交わす。彼女は精霊だけど、触れることはできるみたいだ。


「もう大丈夫ですよ、なんだったら、いくらでも私に愚痴ってください! 私、理不尽に捨てられる気持ちは、よぉぉぉぉくわかりますので!」

「うむ。人間などもう嫌だと思っていたが、お前となら、わかりあえそうだ。お前も吐き出してしまいたい気持ちがあるなら、全部言ってしまうがいい」

「ありがとうございます! 実は私、浮気されたあげく婚約破棄されて……」


 私達は意気投合し、今まで我慢していた胸の内をさらけ出し、わいわいと盛り上がった。さっき初めて会ったばかりだというのに、気付けばまるで数年来の友人であるかのように打ち解け合っていた。


「はあ……こんなに楽しいのは、いつ以来だろう。ありがとう、シェルフィ。お前のおかげで、とてもひさしぶりに、心から笑うことができた」

「こちらこそ。ずっと気分が沈んでいたので、ウィンディーヌ様と会えてよかったです」

「ふふ。本当に……最後に、お前と会えてよかった。シェルフィ」


(――最後?)


 不穏な言葉と寂しげな響きに目を見開くと、ウィンディーヌ様は儚げな微笑を浮かべて言った。


「私はな、もうすぐ消えるのだ」

「消えるって……どうしてですか?」

「私のような『守護精霊』は、上位存在である『大精霊』の管理下にあるものだ。大精霊は50年に一度、各地の守護精霊に裁定を下す。その裁定の日が近付いているのだが……この島から人間を追い出すことになってしまった私は、守護精霊として失格であると判断されるだろう。そうすれば、私は消されることになる」

「そんな……! もとはといえば、ウィンディーヌ様が先に、人間に裏切られ、傷つけられたのに」

「だが、私は守護精霊だ。どんな理由があろうと、心が穢れてしまった守護精霊を、大精霊様はお許しにならない。仕方がないことなのだ」


 ……仕方ない?

 裏切られ、傷つけられたうえに存在を消されてしまうことが、仕方がないって?


「納得できません! ウィンディーヌ様が消えてしまうなんて、私は嫌です!」


 心からそう言うと、ウィンディーヌ様はかすかに目を見開いた後、ふっと柔らかな笑みを浮かべてくれた。


「お前は本当に優しいな、シェルフィ。……私が精霊として消えてしまうことは、避けられない。だが私がいなくなったら、お前はこの島に一人ぼっちになってしまう。そうしたら、生きてゆくこともままならないだろう。シェルフィを、こんなところで死なせたくはない」


 確かに、ウィンディーヌ様と意気投合して少し心が軽くなっていたが、私の置かれた状況が絶体絶命であることに変わりはない。


 ウィンディーヌ様は、自分自身の存在も危ない中で、それでも私のことを真剣に考えてくれているようだった。


「私は、このままなら消滅するが……私を想ってくれる人間である、お前の中になら。私の存在を残すことができるかもしれん」

「存在を残す、って?」

「守護精霊としての力を、お前に託すということ――お前の中で、私の一部が生き続けるということだ」

「ウィンディーヌ様が、私の中で生き続ける……!」


 心の中に、ぱあっと希望の灯がともる。だけどウィンディーヌ様は、少し戸惑っているような表情を浮かべていた。


「だが、危険はある。何せ人外の力を、人間であるお前の中に入れるのだから。器が――お前の身体が、壊れてしまうかもしれん」

「気にしないでください。どうせ私、このままでも野垂れ死ぬだけですから」


 婚約破棄されたうえ冤罪で島流しされたのだ。もう、怖いものなど何もない。


「そうか……そうだな。自分が消えてしまうのは、仕方がないと思えるが。お前を独りぼっちで死なせたくはない。シェルフィ、お前に私の力を渡そう。この力を好きに使ってくれ」


 次の瞬間、ウィンディーヌ様の身体が光り輝き、空気に溶けるように淡く滲んで――


「――っ!?」


 ドクンと、心臓が大きく跳ねた。

 自分の身体の中に膨大なエネルギーの塊のようなものが流れ込んでくるのがわかる。


(身体が、熱い……っ)


 これが、守護精霊様の力。なるほど確かに、人間の身で受け止めるには途方もないほどの莫大な力を感じ、意識が飛びそうになる。


 力の奔流の中で自分を見失ってしまいそうな感覚の中。ウィンディーヌ様の姿は見えなくなり、代わりに、頭の中に彼女の声が響く。耳から聞こえているのではない。私の内側から直接語りかけるような、そんな声だった。


『シェルフィ。お前は、悲しみに暮れていた私の心を、救ってくれたんだ。お前に出会えてよかった。本当に、ありがとう……』


 ――胸が、ぎゅうっと締めつけられる。


 出会えてよかった、なんて。こんなふうに誰かから温かな感謝を向けてもらうのは、いつ以来だろう? 


 私は昔から誰からも認められず、誰からも愛されなかった。そう、ずっと、ずっと昔から。私が「シェルフィ」になるより、更に昔から――


(――え?)


 ドクンッと、またいっそう心臓が跳ねた。


(そうだ……私は『シェルフィ』になる前にも、別の世界で生きていて――死んだ)


 私の中に発生した――いや。私の中に蘇ったのは、前世の記憶。

 私は前世で、二十代後半の会社員だった。だけど前世でも親から愛されず、結婚するはずだった恋人は浮気して私を捨てた。別れを告げられて放心状態で家への帰り道を歩いていたら、信号無視のトラックが突っ込んできて命を落としたのだ。


(転生して、それでもまた似たような人生を送っていたなんてね。……だけど、私はもう一人じゃない)


 私の中には、ウィンディーヌ様がいる。

 私も彼女も、将来を誓い合った相手から捨てられた。理不尽に裏切られた者の方が不幸になって、人を裏切っても平気な人間が幸せに生きるなんて、間違っている。


(私達を捨てた人達を、見返すためにも――今度こそ絶対に生き抜いて、幸せになってみせる)


 ◇ ◇ ◇


●アーフォンド視点


 シェルフィを島流しにしてから、周囲の奴らが私に、まるで卑劣なものを見るような目を向けてきて腹立たしい。


 私がシェルフィと婚約していたのは、この国では誰もが知っていた。だからだろうか、皆が婚約破棄のことについて噂をしているのだ。


 今も、私が傍にいると気付いていない使用人達が、ひそひそと話し合っている。


「シェルフィ様が、不貞によって島流しにされたとのことだが……。シェルフィ様がそんなことするはずがないよなあ」

「ああ。というか今まであの馬鹿王子の暴虐の数々に、よく耐えていたと思うよ」

「馬鹿王子っていうか、自分が不貞した挙句、婚約者だった女性に罪を着せて島流しにした、最低最悪ゲス王子……」


 どいつもこいつも、私が悪者のような言い方をしおって!

 私は真実の愛に気付いてしまっただけだ。運命の女神が、私と隣国の王女に愛し合えと囁いただけのこと。何も悪いことなどしていない。


 そりゃあ、王女に手をつけるずっと前から、他の女性達をつまみ食いはしていたが。ちょっとの遊びも許せないようなら、シェルフィの女としての器が狭いのだ。浮気くらい笑顔で許せるのが、いい女というものだろう?


(まったく。本当に皆、馬鹿ばかりだ)


 すっと息を吸い込み、ひそひそと噂をしていた使用人達を怒鳴りつける。


「貴様ら、何の話をしている!? 貴様らのような下働きの者など、私の一存によって不敬罪で処刑してやるからな!」


 怒鳴りつけられた使用人達は、私に気付いてビクッと顔を青ざめさせ、慌てて深く頭を下げる。だが、これぐらいで許してやるつもりはない。ちょうどストレスも溜まっていたし、これから一時間ほど説教でもしてやるか。いっそ、本当に拷問や処刑をしてやるのもいいかもしれない。使用人なんていう下等生物がこの私の悪口を言っていたのだから、当然の処分だろう。


「アーフォンド、話がある。こちらへ来い」

「兄上?」


 愚図な使用人達をいたぶって楽しんでやろうと思っていたのに、第一王子であるラグロに呼ばれてしまった。


 父上である国王陛下は、最近病が発覚し療養しており、今やはほぼ、今後の国政はラグロに任せるという形になっていた。じきに、正式にラグロが国王になるだろう。ただ先に生まれたというだけでこんな奴が王になるなど、腹立たしい話だが。


 兄上の部屋に入り、2人きりになる。何の用事だというのだろう。面倒なことでなければいいが。


「話というのは、一体なんです」

「単刀直入に言う。お前には死んでもらうことになる」

「…………………………はい?」

 

 何を言っているのかわからず、あんぐりと口を開けていると、兄上は涼しい顔で説明をする。


「隣国……お前が手を出した、ネモフィラの王女、ジョセフィアンヌ様だが。大々的な発表はまだだが、結婚の話が進められていたのだ。相手はルガタニアの王である」


 兄上は、淡々と説明をしていった。


 ルガタニアはこの大陸で最も広大な領土を持ち、経済力、軍事力としてもどこの国より強い。ルガタニア王にはかつて妃がおり子宝にも恵まれたが、のちにその王妃は病死した。


 ルガタニア王自身ももう老爺といっていい年齢で、近々退位し第一王子に王の座を譲るらしい。そして、これまで国王としての役割をまっとうしてきた分、退位した後は若い後妻を娶って色に溺れる生活を望んだのだという。


 白羽の矢が立ったのが、若く美しいジョセフィアンヌだ。ネモフィラの国王も、王女が大国ルガタニアの王の後妻になれるのならば万々歳だと、両国間で婚姻の話が進められていた、とのことだが――


「ま、待て! そんなこと私は聞いていない! 知らなかったんだ!」


「知らなかった、で済まされることではない。一国の王女ともなれば、国益のために決まった相手がいると考えるのは当然のことだろう。大体、ジョセフィアンヌ様の服の下に、婚約の契約紋が入っていただろう?」


「け、契約紋? そういえば服を脱がせた時、胸に不思議な模様があるなと思ったが……」


「馬鹿者。それがルガタニアの、魔法を用いた婚姻契約紋だ。我が国とは異なる文化だが、ちゃんと勉強をしていれば、見ればすぐにわかっただろうに。この契約紋により、王女が純潔を散らしたこと、その相手がお前であることが、ルガタニア王に発覚してしまった」


 無自覚のうちに恐ろしき大国を敵に回していたと知り、ざっと血の気が引いた。


「な、なぜ!? そんなことになったら大問題だと、ジョセフィアンヌはわかっていたはずではないのか!? 彼女だって、ルガタニア王に不貞を責められるはずだ!」


「ジョセフィアンヌ様は『お前に脅され、無理矢理された』と主張している。魔法の契約紋は、王女の肉体の状態――純潔であるか否かを判別できるし、注がれた体液から相手を特定することもできる。だが肉体の状態と比べ、感情の状態を魔法で判別することは難しい。契約紋であっても、合意かどうかを判断する術はないのだ」


「はああ!? ジョセフィアンヌは何を考えているのだ!?」

「おそらく、お前は利用されたのだ」

「な!?」

「王女の結婚は、ネモフィラ王とルガタニア王によって進められていたが……。ジョセフィアンヌ様は、親子以上に歳が離れていて、外見もお世辞にも美しいとは言えないルガタニア王に嫁ぐことが嫌だったのだろう。そんな結婚を、自分の意思を無視して無理矢理進める親のことも憎悪していたと思える。だから、婚約破棄を望んでいたのだ」


 意味がわからない。わからないのに、だらだらと滝のような汗が流れ出て止まらない。


「ルガタニアの王は、自身は好色だが女性には処女性を求める。王女は、お前と関係を持って純潔を失えば、お前に責任を押し付けたうえで婚約破棄できると考えたのだろう。それでも大きな国際問題になるが……もはや王女には、そんなことどうでもよかったのかもしれないな」


「ど、どうでもよかった?」


「彼女とて、好きで王女に生まれたわけではない。本当は別に結ばれたい相手がいたのかもしれない。だが両親は自分を政治の道具として扱い、尊重などしなかった。これはジョセフィアンヌ王女の、両親と、そして自分自身の人生への復讐なのかもしれん」


「ふざけるな! なぜそんなものに、私が巻き込まれなければならない!? 合意だったというのに、私が無理矢理抱いたことにするなど、冤罪ではないか! 罪のない人間に罪を着せるなど、卑劣極まりない!」


「罪のない人間に罪を着せる。――それは、お前がしたことだろう」


「は?」


「冤罪で断罪する。それはお前が、シェルフィに行ったことだ」


 ――想定外のことを言われ、言葉に詰まってしまう。


「し、しかし。私は王族であって、シェルフィは所詮公爵家の女で……。それとこれとは違うというか……」

「そうか。ならジョセフィアンヌ様も王族だから、お前と同じように、お前に罪を着せる権利があるということだな」

「ち、違う! そんなの、間違っている……!」

「幼稚な自己弁護はどうでもいい。ともかく我が国としては、ルガタニア王にお前の首を差し出すことで、今回の罪を贖うつもりだ」

「だ、だからといって、私が一方的に悪いことにされたのはおかしいだろう!」


「国際裁判をしたところで、そもそもお前が王女に手を出したこと自体は事実なのだ。私はそのために長い年月をかけて裁判する気も、その費用を支払う気もない。それよりもルガタニアにお前の首を差し出して誠意を見せ、ネモフィラにも恩を売った方が今後のためになる。領土や領海ではなく、お前の命を差し出せば済むのであれば、一番安いしな」


 血が繋がっているというのに、あまりに冷酷な兄上の言い分に絶句してしまった。


「兄上! なぜそんなことを言うのです! なんとかしてください!」

「そもそもお前は婚約者がいたのだから、ジョセフィアンヌ様に手を出さなければよかっただけの話だ。それに契約紋を見て、ルガタニア王との婚姻契約をしているのだと気付けばよかった話でもある。お前の落ち度が多すぎる」

「そんな! 兄上は、私に死んでほしいのですか!?」

「その通りだが?」


 とても家族とは思えぬ冷酷な返事に、再びあんぐりと口を開ける。


「間抜けな顔だな。そんなことない、と言ってもらえるとでも思っていたのか?」

「ど、どうして! 私達、血の繋がった兄弟ではありませんか!」

「私は、ただ単に血が繋がっているだけの他人、という認識でいたがな」

「兄上、なぜ……私が、何をしたというのです……」

「逆になぜ助けてもらえると思った? お前のような馬鹿が好かれているわけないだろう。お前の周りの貴族達も使用人達も、皆、お前の身分だけを見て従っていただけだ」


 兄上はそこで、なぜか傍に置いてあった剣を手に取った。

 剣を鞘から抜き、切れ味のよさそうな刀身が露わになったところで、兄上は剣を持ったままこちらへ近付いてくる。


「私とて、別に好きで第一王子に生まれたわけではない。王族だが王になるという責任も負わず、好き勝手に愚かなことばかり繰り返すお前のことが、心底憎かった」

「ま……待ってください。だからといって……我が国の王族から罪人が出るなど、王家の恥でしょう! この国のためにも、私の罪はなかったことにした方が、兄上にとっても有益なはずです!」

「人間の感情というものはな。必ずしも合理的な判断をするとはかぎらん。ジョセフィアンヌ様が、国際問題になることを承知で、家族への復讐のためお前に抱かれたようにな」


 兄上は剣をこちらに向ける。逃げようと思ったのだが恐怖で足が震え、とうとう情けなく失禁してしまった。


「覚えておけ。愛と憎悪は、人を狂わせるものだ。……もっとも、覚えたところでお前の命は、もう長くはないがな」

「ひ……っひぎゃああああああああああああああ!!」


 震える足でなんとか逃げ出そうとしたら、ズバッと音がして、剣で足を斬られた。


「お前の両足は斬り落としておこう。逃げ出されては困るからな。本来貴様はもうルガタニア王への献上品だが、まあ、首さえ残っていれば許してもらえるだろう」


「い……嫌だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ◇ ◇ ◇


●シェルフィ視点


(ウィンディーヌ様の力が、私の中に宿ったみたいだけど。守護精霊様の力って具体的にどんなことができるんだろう?)


 力をもらい、かつ前世の記憶を取り戻した私は、ためしに真っ黒な海に手を浸してみる。


(ウィンディーヌ様の力があれば、この海を元に戻すこともできそうな気がするけど……)


 試しに、青く透明な海をイメージしながら「元の海に戻れ」と念じてみると――


「う、うわああああああ!?」


 一瞬で、黒かった海が、澄んだ美しい海に変わった。


(すごい……! ウィンディーヌ様はこの島の守護精霊だったんだし、この島のものなら、なんでも浄化できるのかな)


 毒なども浄化できるなら食べ物には困らなさそうだ。マリンダ島には海だけでなく湖もあるから、そこを浄化すれば飲み水も問題ないはず。


(でも生きていくだけなら問題ないとはいえ、何の娯楽もないし、さすがにちょっと退屈かも)


「……ん?」


 これからこの島でどうやって生きていこうか考えていると、ポンポンと何か柔らかいものが跳ねる音が聞こえてきた。


 ポイズンスライムだ。海が穢れ、植物も枯れるか毒性を帯びるかなどして人間が住める環境じゃなくなったこの島でも、毒耐性があり自身も毒を持つポイズンスライムは、生き残っていられたのだろう。


 ポンポン、ポンポンと、ポイズンスライムがボールのように跳ねている。


(そうだ。守護精霊の力を使えば、ポイズンスライムを進化させたりもできるのかな?)


 前世で読んだ異世界系の小説だと、主人公の特殊能力によって、もとは普通のモンスターだった相手でも進化して知能を持ったり、最強になったりする場合もあった。


(このスライムを人型にして、話し相手にすることもできるかも)


 ただ、スライムをいきなり人型にしたら素っ裸な人間が目の前に現れてしまうと思い、自分が羽織っていた上着をかけてから、守護精霊の力を使ってみる。すると――


「わっ!?」


 ポイズンスライムの丸い体が光に包まれ、瞬く間に人型に変わった。

 予定通り――いや。こちらの想像を遥かに超えた、美形の男性が現れる。


 これが本当にさっきまでの丸っこいモンスター? と思ってしまうが、肌に若干の黒っぽい透け感があり、ポイズンスライムだった名残りはある。


「お話しできて光栄です、シェルフィ様」

「え、私のことを知っているんですか?」

「はい。ウィンディーヌ様とのやりとりは、全て聞いておりましたから」


 ポイズンスライムさんは私の前に膝をつき、頭を垂れる。


「あなたは、この島の守護精霊様の力を継いだ御方。そんな尊いお力を私に使っていただき、感謝いたします。これより私はあなたに従います、シェルフィ様」

「い、いえそんな。顔を上げてください。話し相手になってもらえれば充分嬉しいですので」


 まさかこんな美形さんに跪いてもらえるなんて。格好が、私の上着1枚で下は裸というのが少しアレだけど……まあ守護精霊様の力と現代知識があれば、衣服を作ることもできるだろう、多分。


(えっと……布を作るためには、まず植物とかの繊維から糸を作って……。あとは、織機がいるかな。他のモンスターさんも守護精霊の力で進化させられるなら、交渉次第でいろいろ任せられるかも)


 モンスターさん達を召し使いのように扱う気はないので、もし協力してもらえたら、食糧とか娯楽とか、こちらからも何か差し出せたらいいなと思う。


(いずれにせよ、こんなに広大で開拓しがいのある島が、全部私のものなんだ。え、もしかして最高なのでは?)


 ちゃんと浄化さえすれば、自然豊かで綺麗な島だ。お魚や果物食べ放題。

 面白い。何もかも失ったと思っていた私だけど、この島から成り上がってやろうじゃないか。私の人生、まだまだこれからだ!


「よし! これから一緒に頑張りましょう、スライムさん!」


 それから、私に所有権があるこのメリンダ島は、やがて水産物と観光業が世界的に有名になり、「世界一美しく食物にも恵まれた、水の楽園」として世界中から賞賛されることになるのだが――それはもう少し、先の話。

読んでくださってありがとうございます!

よろしければ下の☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価してくださると、今後の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] クズい王子の因果応報、身からでた錆、自業自得ザマァがよかった。 あと 主人公が逞しくポジティブなのがいい。 人型スライムさんがでてきたなら他の人型さん仲間が今後でてきそうで面白そう。 [気…
[一言] 島開拓史、読みたい!!
[一言] 開拓するお話を連載して欲しいなと思いました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ