天罰てきめん
高校生の少年、田中は部屋で1人嘆いていた。
子供の頃から飼っていた犬のポチが突然死んでしまったのだ。
「どうして、あんなに元気だったのに」
彼がポチの写真を手にうつむいていると、部屋が閃光に包まれた。
思わず顔を覆った手を恐る恐るどけると、目の前に美女が浮遊していた。
田中は意識に強く刷り込まれるように、彼女は人ではなく、上位存在である神だと感じた。
なにしろ、格好からしてあからさまに女神なのだ。
「あ、あなたは」
「私は女神。実はあなたの飼い犬は、こちらの手違いで死なせてしまったのです」
「そんな……。なら、甦らせてもらえないですか?」
「残念ながら、死んでしまったものを甦らせることはできません。ですが今回、最上位の神様がお詫びの意味で特別に、あなたが望んだ相手に1度だけ天罰を下せる権利をお与えになると申されました」
「天罰?」
「どのような肩書きや立場の相手であろうと、あなたが思い浮かべて念じただけで、問答無用で肉体は激痛とともに砕け散り、魂は地獄へ堕ちて無限の責め苦を受ける、というものです」
「え、そ、そんな……誰かをひどい目に遭わせるなんて。もっと世界が平和になるような力は使わせてもらえないのでしょうか」
「世界規模での願いは叶えられません。あまりにも大きな力が必要となるので」
「じゃ、じゃあ、その権利をお断りできませんか?」
「できません。これは最高神があなたにお与えになるとお決めになったこと。人間がそれを一方的に断ることなど、とても許されません」
そう言われても田中は悩んでしまった。
今すぐ1人、殺すものを選べというのだ。
「さあ、誰でも構いません。これは神の意思によって行われること、あなたに責任は一切ないのです。誰かいませんか? 学校でも身の回りでも、天罰を下したいものは」
田中は口をつぐんだ。
学校で嫌な奴や自分を馬鹿にしてくる奴はいる。
だからといって、そいつらを神の力で惨たらしく殺して、スカッとなどするわけがない。
「身近な人は、ちょっと」
「では悪者や権力者などはどうですか?」
「悪者や権力者を?」
「ええ。悪の犯罪組織のボス、国を牛耳る独裁者、周辺国を威圧する大統領。彼らを倒せば、あなたの望む世界平和を成し遂げたのと同じではありませんか?」
それは間違っていないかもしれない。
だが国際情勢に疎い自分が、さまざまなパワーバランスで成り立っている各国に強い影響を与えるような真似をして良いのだろうか。
逆にそれが新たな争いの引き金になりはしないか。
田中は悩んだ。
逡巡と懊悩を繰り返し、やっぱりできないと断ろうとすると、
「あの、早く決めてもらえませんか」
今までとは違う、険のある冷たい声で女神が言った。
「そ、そう言われても、人の命がかかってることなので」
「早くお願いします。私も上位の神様から仰せつかっている他の役目をこなさなければなりませんので。それに、自分のミスとはいえ、こんな仕事のリカバリーにあまり長々と時間をかけるわけにも」
「自分のミス? もしかして、ポチを死なせる手違いをしたっていうのは、あなたなのか!?」
「だから、単なる、本当に些細な手違いですよ」
女神は眉1つ動かさずに言った。
「本来はここの近所に住む、山田という老人を寿命に従って死なせる予定でした。ですが」
空間にディスプレイのようなものが浮かび上がる。
人間には読めないが、そこには文字らしきものがビッシリと表示され、スクロールしていた。
「死をもたらすボタンをタッチするとき、手がほんの少しだけずれてしまい、隣にあったこの家の飼い犬、ポチというところを押してしまったのです」
「そんな」
「まあ、よくあることです。突然死の大半がこういった神々の些細なミスですよ。それに帳じり合わせに、老人もちゃんとその日のうちに死なせたので、何も問題はありません」
「よくあること!? なにが問題はないだ! 山田さんちのおじいちゃんが歳で寿命だとしても、そんなミスで俺のポチが!」
「たかが動物の1匹くらいで激昂しないでください。まったく、人間という生き物は本当に精神が弱い。この前のものたちもそうでした」
「この前?」
「異世界の混乱を鎮めよ、と上から指示を受けまして。ちょうどこの近辺に住む適当な人間を数人、特殊な能力を持たせてそちらに送り込んだのです。ですが、帰りたいと泣きわめいたり、一向に戦いに行こうともせず」
「この近くの? 同級生の佐藤、鈴木、高橋が少し前から行方不明で、まさかっ」
「ああ、たしかそんな名前でしたか。そうそう、彼らですね」
「家族はみんな心配してるんだ! 早く戻してやってくれ!」
「もう無理です。やっと迷宮に入ったと思ったら、大して強くもない魔物にあっさり殺されてしまいましたから。せっかく与えた力もろくに使わずに」
「殺された? な、なんてひどいことを……。家族は無事を信じて今も待っているのに!」
「神が行うこと、神々によってなされることに人間の感情など関係ありません。神格と人格では、何もかもが比べものにならないのです」
「あんたら、命を、命をなんだと思ってるんだ!」
「この星の生命体の一生など、神の瞬きにすら及ばない、ごく短いもの。それが生きるだの死んだだの、いちいち気にしてなどいられません」
「俺のポチを殺しておいて、よくもそんな」
「いつまで犬の話などしているのです? 逆にいえばあなたは、たった犬1匹の命で史上まれに見る、神から天罰の権利を与えられた人間になれたのですよ。諸手をあげて喜んでも、足りないくらいです」
「たった、犬、1匹……」
「さあ天罰を下すものを早く選んでください。今1番あなたを苦しめ、傷つけ、悩ませている者が誰なのか。その相手を思い浮かべればいい。とても簡単なことでしょう?」
「──分かった。天罰を下す相手を決めた」
「ああ、決断が早いのは良いことです。さあ、念じてください。その念がそのまま、最高神のもとへと届けられ、すぐさま天罰が下されるでしょう」
「その前にもう1度、確認しておきたい。天罰が下った相手はどうなる?」
「先ほど話した通り、どんな相手も肉体が無惨に砕け、魂は地獄の闇へと堕ちてゆきます。これを防げるものは誰もいませんし、逃げる術はありません」
「それを聞いて、安心した。もう迷いはない、思い切りやれる」
「さあ、では念じてください。あなたを苦しめる、心から憎い者を思い浮かべるのです!」
田中は言われた通り、その相手を思い浮かべた。
「うぎゃああああああああ!?」
女神はバラバラに砕け散り、その死骸は飛び散った血肉ごと謎の暗黒の空間へと沈んでいった。
「ポチ、仇は討ったぜ」
田中は晴れ晴れとした、心の底からスカッとした表情で愛犬の写真を見た。
fin
犬を殺すと復讐される。ジョン・ウィック
本当の意味での駄女神を出したかった。
星新一先生の好きな作品をモチーフに、神様と天罰の話にアレンジしてみました。