序章 壱
序章 壱
2020年 1月 上旬
日本 某山巓
それは、轟々(ごうごう)と、轟々と……
雑音や雑念を引き連れて唸り喚く。
時刻は午前2時。
まだまだ漆黒の暗闇が視界を淀ませ、室内にいても小心してしまうほどに閑寂が漂っている空気の中。
2階の奥のリビング。
現代では珍しい暖炉を眼前に備え、私はその時分、一匹の仔犬を見守っていた。
大分、衰弱しきった生後間もない仔犬。
弱々しく呼吸してみせては、心細く体を痙攣させて見ているものを不安に煽る。
その絶望的に浸る仔犬の体を優しく摩り、生気を満たそうとしていた頃。
轟音は突如私だけでなく仔犬から周囲の家屋までもを震わせた。
仔犬を守るように体を縮ませ、振動が弱くなってすぐに、私は仔犬を篭の中に入れて走り出す。
1番近い窓に走りより、外の様子を伺う。
私のいる家は一階部分がすっかり雪に埋もれ、通常の玄関は使用が不可能だ。
そのため、2階にもリビングやキッチン、玄関が備わっているのだが、私が驚いたのは積雪量ではない。
遠方で燃えている。
樹海の広がるそこは、通常は人気が全くない深い闇が沈む。
しかし、今日は違った。
葉を落とす木、葉を保ち続ける木と多種多様の樹木が隣接しているが、その暗いはずの中央が眩しい。
目を凝らさなくとも釈然としている。
雪の表面で燃え盛る炎。
山火事だ。
何が起因かはわからないが、その勢力がどんどん増加し、こちらにその幅を広げていることは明白だった。
私は思案するよりも先にその身を翻す。
部屋を渡り、ベッドが二つ並ぶ寝室に私は静かにすることなく走り込む。
その足音と気配で寝ぼけ眼を擦る娘を片手で抱き上げ、篭で丸まる仔犬も抱える。
重くなどない。
まだ5歳の娘に、毛さえまだ生えはじめていない仔犬。
2階の玄関を飛び出ると、いつの間にか雪がちらつき始めていた。
それは強風に運ばれて体に当たり始める。
娘と仔犬を庇うように抱きながら、家から少し離れた所の雪の上に停車している大型車に直進する。
雪の上を走行するのに適したタイヤが四輪に、バンパーが強化され、車体自体が高く見積もって作られている。
助手席に娘と仔犬を乗せると、躊躇いもなく車を発進させた。
雪の抵抗をものともせずにタイヤが回り、そのまま山道を突き進む。
獣道からそれた雪の下は砂利の道路を疾走する。
車のトランクには事前に食品や日用品が携えられている。
備えを万全に、シートベルトも碌につけず車を走らせた。
10分ほど走ると疎林が目立ち始めるが、中腹に至るまで、少なくとも40分は要する。
横目で娘と、その腕に収まる仔犬を気にとめ、意識は車体の前方を向いたまま。
ライトの明かりさえ押し潰す闇と降雪。
すると、突然車の前に何かが飛び出したではないか。
慌てて急ブレーキをかけると、驚くほど静かに丁寧に車が停車した。
あわや大惨事になるところだった原因。
見ると、そこには一人の男が立っていた。
若い20代前後に見受けられる青年。
近代風の格好で顔はなかなか整っており、髪は無造作ヘア。
厚いジャンパーを着込んだ彼は、尋常ならざる表情で駆け寄ってきた。
何事かと移行を見ていると、何かを叫びだした。
強化ガラスの窓を開け、その声を聞き入れた。「おい。頼む、乗せてってくれ」
青年が必死の形相でせがむ理由は、腕の中にあった。
小さな幼い子供。
力無く抱えられた体に、顔には白いタオルが掛けられているため、表情まではわからない。
だらんとした左腕とは対照的に、右腕は布でぐるぐる巻きにされその下から赤い皮膚が覗いていた。
激しく呼吸を繰り返し、右腕はつねに痙攣している。
泣いていないという子供の強さを賞賛したい。
もしかしたら、泣く気力さえも失っているのかも知れないが。
その子供を見た瞬間、急いで後部席のドアを開け放つ。
「ありがとうございます」
心底嬉しそうな、しかし焦心からは抜け出せない様子が明らかだ。
子供は青年のジャンパーを枕に仰向きに横にされた。
右腕を胸の上に乗せると、トランクに入ってあるタオルを体に掛けてあげる。
相変わらず顔にはタオルが掛けられたままだが、子供が男の子だということはわかった。
青年の息子だろうと思っている間、青年は子供の耳元に寄り声をかけていた。
「いいか。病院にすぐ行けるから安心しろ。家のほうは大丈夫だ。わかっるな?」
奇しくも子供は小さく頷き、再び苦しい呼吸を始めた。
子供の反応を見守り、男は安堵したように微笑むと、こちらに向き直った。
「それじゃ、後はよろしく頼みます」
頭を深く下げて、そのまま山火事の方角へ走り去ろうとする青年を呼び止める。
「私はもう一度家に戻らないといけないんです。まだ……家族がいて、待っているんです」
山火事が危ないと説得すると、男は温和な笑みを張り付けた。
「どうしても戻らないといけないんです。だから、この子だけでも連れていって下さい」
なおも食い下がると、青年は真剣な眼差しになった。
「この子は、今熱に浮かされているんです。一刻も早く医者に診せようというとき、山火事が発生し、車がダメになってしまいました……だから、早く病院に。お願いします」
懇願する青年を無料に乗せることができなかった。
仕方なく了承すると青年は厚いジャンパーの下にも着ていたジャンパーから、何かを取り出しこちらに差し出してきた。
受け取るとそれは小さなチップだった。
携帯電話などのメモリーよりも更に小さいそれを見下ろし、青年の説明を聞く。
「ここにこの子の身分証明が入っています。これを使ってこの子を治療させて下さい」
そこで、私は彼に積んである懐中電灯と違うジャンパー、救命道具少々を代わりに与えた。
何度も頭を下げ、とうとう青年は行ってしまった。
恐らく、もう彼の家族と彼自身は……
思っても口に出さなかったのは、後部席に青年の遺族となるだろう子供がいたからだ。
絶望や後悔に浸っている場合ではない。
一刻を争う事態が子供に襲来をかけているのだ。
先刻よりも速度をあげ、雪山を下り続ける。
数えるのは億劫だったため、憶測10本目になるだろう急カーブに差し掛かった時。
車は20メートルを真っ逆さまに転落した。
どうもはじめまして♪私の拙文を読んでくださりありがとうございます!!!内容のある話を書いていこうと思うのでよろしくお願いします♪