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第九夜

夢から目が覚めた。


私は、一人、スマホとパソコンという、

現代の万能な道具の前でボロい椅子に鎮座して眠っていたようだ。


この道具がなければ今は違ったのだろうか。


私の人生には、枷が多い。

この枷を外してそれへ逃げ出すこともできなくはないが、

メリットがない。

効果もない。

やっても意味がない。


残念なことだが、私の前に道は敷かれている。

この道を踏み外すと、どうなるか分からない。

そして、踏み外し方もよくわからない。


脱輪をしたものは排除され、

社会の端に追いやられるのだろう。


昔は、違ったのだろうか。


では、未来はどうなるのだろうか。



私には、これといった特技がない。

今から、なにか頑張ろうという気も起こらない。



今は、長い休みの中にいる。


なにをしようとも、

世界に影響を与えることはできない。


だからか、行動できないでいる。


いっそ、世界が変わってくれたら、

なにかできるかもしれない。


では、どのように変わってほしいのだろうか。


世界、それは意外と、丈夫だ。

物理法則を知っていればわかる。


不思議なことが起こっても、

必ず、それを起こした理由がある。


恐ろしい。


まるで、今の状況のようだ。


がんじがらめになって、すべてを知りながら、

特になにをするべくもなく、進む。



運命があり、それに従うのが、一番良いのだろうか。


その運命を、破壊してくれるなにかが欲しい。


ただ、物理法則は絶対で、

例外は、人間が知らなかったものだけだ。


そして、運命を破壊してくれるものなんて、

ありえない。


自分から動くしか無い。



しかし、私の前に置かれている、

パソコンとスマホは、電磁波だかなんだかを放って、

私の足止めをする。



私の腰は、古い椅子から離れない。

どうしてだろうか。


空が明るい時、人は外にいっぱいいるのに、

私は家にいる。


なにもしていない。


いや、スマホとパソコンがお友達を呼ぶ。

しかし、なにもしていない。



歴史の偉人たちは、すごいと思う。

だけど、彼ら彼女らは、幸せだったのか、とも思う。


今は、もてはやされているかもしれないけど、

当時は、辛い生活の中、頑張っても成果は出せず、

死ぬまで成果は出ないと思っていた。

しかし、死んだ後評価された。

そんなやつは、歴史の中にたくさんいる。


また、偉業を残したのに、性的倒錯者とかにされて、

ホルモン剤を打たれて、自殺したやつも居る。


また、作家の偉人には、有名になったのに自殺したやつが居る。


彼ら彼女らは、幸福だったのだろうか。


幸福とはなになのか。


わからない。




その点、気になるのは、

マザーテレサとかだろうか。

彼女は、慈愛を持って、人と接した。

辛いことも会ったあだろうが、自殺したという話を聞かない。

彼女は、生きがいだと行っていたはずだ。


きっと幸せだったのだろう。



わからない。



スマホとパソコンは私に幸せを与えてくれている気がするのだが、

なにか違うといつも思う。


今は退屈だが、死にたいと思うほどでもない。

自殺した偉人より幸せなのだろうか。



どうだろう。

やはりボランティアをするのが一番ということだろうか。


それとも、なにかにチャレンジすることがいいのだろうか。

しかし、すぐに飽きてしまう。


幸せの定義に、有名になる必要はないとすると、

では、どうすればいいのだろうか。


日本の戦後は、皆が働き、皆が遊び、金は溢れていたという。

そんな時代にいたら、楽しかったかもしれないと思うが、

しかし、それは本当に楽しかったのかとも思う。


ただ、働いて、金を使っていただけじゃないか。

ただ浪費していただけじゃないか。

私にも、五日遊ぶくらいのお金なら余裕にある。


私にもできる。


でもだからといって、それは楽しそうではない。

なにが良かったのだろうか。


昔はよかったのだろうか。


そう思うと、パソコンとスマホが会ってよかったと思う。

だが、私の将来は暗い。


そこらへんで、時間を詰めて、バイトをすれば死ぬこともない。

遊ぶこともできるだろう。


しかし、未来が見えない。



保険などが跋扈している現在は恐い。

何もかもに保険をかけ、私は、

明日が本当に来るのかと思ってしまう。


開かれたスマホから入るネットニュースは、

二千万会っても足りない老後や、

少子高齢化に対しての憂いについて書かれているものがある。


未来があるのかが不安だ。


でも、それ以上に、今が楽しくないのはどうしてだろうか。

今が続いていっても、望みは何もないのに。

なぜ、未来に不安を保つ必要があるのか。


というか、日本の崩壊こそ、望んでいたなにかでないのだろうか。

運命を破壊する、何かであるのではないだろうか。

ところが、それがいつ訪れるのかはまったくわからない。


きっと後一五年は先だろう。


崩壊の可能性は地震、テロ、富士山の噴火、

中国崩壊とその移民が来ることなど、たくさんあるが、

やはり、自分はなにもできないだろう。


どこかに救いはないものか。


こんな自分に腹が立つ。

なにかが起こらなければ奮い立たないと思っている。

何かは起きない。

起きてもろくでもない。


そして、起きないことを理由になにもしないのは、

かなり、頭が悪い。



いっそ、パソコンとスマホと一緒に異空間に飛ばされないだろうか。

そこで一生生きてゆく。

後のことはなにも考えずに、


それは幸せだろうか。


幸せではない。

今がその状況であり、幸せでなく不満を感じているから、

絶対に不幸と言えるだろう。



なぜ、未来のことを思うと、

人はネガティブになるのだろうか。


分からない。


未来は楽しくあって欲しい。



なぜ、こんな夢も希望もないのか。



そして、動き出して、自分探しのたびにでも出ると、

幸福の青い鳥はどこで見つかったか、なんて、皮肉を言われる世の中だ。

窒息してしまう。


どうすればいいのか。

夢も見れないじゃないか。

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