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プロローグ

 ――ガッガッ


 遠くから、規則的かつ重厚な足音が近づいてくる。ブーツに履きかえたのか、とエミーリアは思う。


 夕食後に植物温室のほうを覗くなら、言ってくれたら良かったのだけれど。

 いや、今日に限っては助かったか。


 キンと魔法錠の開く音の後、ガチャリと扉が開く。


「勝手にお邪魔しています」


 ベッドの上にうつ伏せの体勢で、首だけ扉側に向けた。

 今日のエミーリアは、騎士科の生徒であることを示す校章入りの白ブラウスに、黄色い足首丈のワイドパンツをあわせているので、この体勢でも支障はない、と思っている。


 エミーリアの胸元には一冊の雑誌が開かれていた。


「……そう思うなら、勝手に人の部屋に入るんじゃねぇよ」


 扉を開けた部屋の主は一瞬立ち止まるも、ため息をつきながら扉を閉め、部屋に入る。


 どこからどう見ても女のお前が、男子寮にどこをどうやって入った、とか、何で居るんだ、とか、寝るな、とか、もはや言われない程度に回数を重ねている。


 大きな荷物を窓際の机上に置くと、エミーリアの寝転がるベッドの端に座った。


「お前は、本当に、はねっかえりだな」


 そう低い声で呻きながら、被っていた魔術科の生徒であることを示すフードを外すと、黒銀色のゆるく癖のある前髪と、細めた銀の瞳が顕れた。


「『はねっかえり』なんて言葉、ツァーリ先輩からしか聞かないですよ」


 エミーリアはツァーリと呼んだ男を見上げながら菫色の目を数回瞬いたのち、顔を雑誌に戻す。

 両耳に掛けていた真っ直ぐで明るい金色の髪が、一束サラリと落ち、エミーリアの顔を隠した。


「……で、何を読んでる?」


 寝転がるエミーリアの頭の傍らに手をつき、ツァーリはエミーリアの頭の上から紙面を覗きこむ。


 ベッドがギシリと音を立てた。


 ツァーリの作った影の下、エミーリアはほんの少し息を震わせる。自分の長い髪の毛先がツァーリの指先に捕まっているのが見えた。


 雑誌を閉じると、体を起こそうと身をよじる。それに気づいたツァーリも、体を起こした。


「先輩にお願いがあって」


 これはその対価、とエミーリアは雑誌を軽く持ち上げ、表紙を見せる。


「おま、それ、廃刊になったチェジ島の植物形態学会誌じゃねぇか!」

「欲しいです?」

「当たり前だ!」


 食い気味に言うツァーリに、エミーリアは目を丸くする。


「そんなに……欲しい?」

「欲しい」


 真っ直ぐに言うツァーリの言葉に、エミーリアはにっこり笑う。


「……――欲しい」


 ツァーリは真剣な表情で重ねて告げた。

 目の奥に揺れた色を見て、エミーリアは冗談めいた表情を消す。


「……なら、あげます」


 聞くや否や、雑誌に向けて伸ばすツァーリの手が空を掴む。


「ツァーリ先輩。た・い・か」


 エミーリアはかわした雑誌を枕元に置くと、おもむろに自らが履くワイドパンツの裾をまくりあげた。


「っおい!」


 咄嗟にツァーリは声を上げるが、眼前にあるものを見て黙る。

 晒されたのは、エミーリアの鍛え抜かれた右脚。

 無駄の一切ない、形のよい筋の走る右腿には、広範囲にわたる痛々しい裂傷があった。膝から始まり、仕込まれたレッグホルダーで、止まっている。


 血こそ流れていないが、まだ傷口の一部がてらてらと濡れていた。


 陽を知らないような白い肌と、傷の赤のコントラストを前に、ツァーリは一瞬目を眇めた。


「騎士科で演習があるんですけど、レヴと当たる予定なんです。だから」

「いつ」

「明日」


 ――はあ、とツァーリは深く長いため息をつき、ベッドから立ち上がる。


「レヴ以外なら、これでもいけると思うんですけど」


 エミーリアが血は止まりましたし、と口にしている間に、ツァーリは机に向かい、鞄の中から黒塗りの箱を取り出す。

 それを持って、エミーリアの隣に座る。


「……何処でやられた?」

「……」


 ツァーリの低い声の問いに、エミーリアは肩を竦める。


「――医務室に行かないあたり……、いい加減、お前ひとりで突っ込むなってあれだけ……!」

「違います。先輩の《草》が多勢に無勢だったので、成り行きですよ」


 ツァーリは舌打ちする。


「……明日までに治したいなら、優しくはできねぇぞ」


 それに、と続けて言う。


「対価はいい」

「いいえ、先輩」


 エミーリアはにっこり笑う。


「『できるだけ優しく治してくれる対価』、と言うことで」


 ツァーリは再び舌打ちする。


「俺はいつだって優しくしてやりてぇよ」

「ふふ」

「もう黙ってろ」


 ツァーリはほんの僅かに逡巡を見せたが、エミーリアの右腿を自分の膝にのせ、靴下を脱がせる。レッグホルダーを丁寧に外し、脇に置いた。


 裂傷の箇所に触れるか触れないかの位置で、手をかざし、《治癒魔術》の展開を始める。


「……これ、得物に麻痺毒まで塗られてたんじゃねぇか」

「私に耐性がある種類で助かりました」


 だから回復薬液ポーションの効きが悪くて、とエミーリアが言うと、ツァーリは眉根を寄せ、苛立ちが膨らんだ気配がした。


「そういうことを言ってるんじゃねぇ!」

「先輩、対価」


 エミーリアの言葉には取り合わず、ツァーリは右手で術を展開させたまま、左手で黒塗りの箱を開けた。中には様々な色の小瓶が並んでいる。

 その内の二つを取り出し、器用に片手で蓋を開けると、トロリとした粘液を直接傷口にかけた。


「触れるぞ」


 右手で仄かに光る術を維持しながら、左手で液体をゆっくりと患部に馴染ませていく。

 エミーリアには、ツァーリが最大限、痛みを感じさせないよう配慮してくれているのがわかった。


 ――温かい


 エミーリアは眉ひとつ動かすことなく、ただツァーリの筋ばった手の温もりを拾うことに集中していた。





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