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9、犬の座をめぐる実に不本意な攻防

こういった案件についての対応はフィクションです。

 ユキちゃんは電車に20分揺られた大きな駅の近くにあるレンタカー屋にご勤務だそうで、早番遅番があり出勤時間がバラバラらしい。

 あれから夜道は大丈夫かとちょっと気にしてたんだけど、会ったり会わなかったりするのはそのせいなんだな。


 *


 帰宅する途中、アパートの前で児玉姉さんと会った。

 これまでは気付かなかったが、ユキちゃんにああ言われて「そういう上級な趣味の人」と思われているのかと思うと少し気まずい。


 まいったなぁ、となんとなく顔を上げれば三階の共通スペースの廊下に人の後ろ頭が見えた。

 なにか釈然としない、違和感を覚えた。


 児玉姉さんに口元に人差し指を立て見せる。姉さん声大きいからな。でも姉さんは咄嗟にスイカを押しつけようという判断が出来る位ものすごい空気を読める人なのでさっと表情を改めた。

 足音を立てず二人でそっと三階に上がる。

 俺達に気付いてさっと手を引くメガネの男。

 ユキちゃんちのドアノブに紙袋を下げようとしてたよなぁ。


「こんばんは」

 会釈とともにラフな格好の男に笑顔で声を掛けると男はびくりと大きく震えた。


「隣ですよ。それ、預かりましょうか?」

「あ、大丈夫です」

 んー、今えらく露骨に紙袋引いたなぁ。隠すみたいで怪しい事この上ない。


「大上といいます」

 会話の脈絡はイマイチだが笑顔で名乗る。

 ほら、名乗らざるをえないだろう?


「兄です。いつもお世話になってます」

「ああ、じゃあ岐阜のご出身ですか。今日もあっちは暑そうで大変ですね」

「あぁ、はい。あ、失礼します」

 紙袋を持ち帰る男の背を見送った。


「ユキちゃんのお兄さん?」

 児玉姉さんも横で同じようにそちらを見ながら首を傾げるように呟く。


「みたいですね」

 違うと思うけど。

 だって岐阜に海ねーもん。

 それにしても去り際、ものすげぇ顔で睨んできたな。


 *


「ユキちゃんって兄弟いる?」

「え、下に弟と妹がいるけど……」

「あー確かに長女ってカンジだよね」


 先日そういった話をユキちゃんとしたので現在21時前、最寄り駅からうちの賃貸の間のコンビニなう。怖がらせるといけないので「お兄さん」とやらの話はしていないし、児玉姉さんにも事情を話してユキちゃんには伏せてもらった。

 ただ本人が何も知らないのもそれはそれで危険が伴う。

 よって「遅番の日とか、気になる事あったら迎え行くから電話して」とだけ伝えると眉間に皺を寄せられた。

 うん、そんな顔すると思った。たかが隣の住人が言うような言葉じゃねぇわな。


 まぁ余計なお世話だとは思うし、連絡なんて当然ないので思いつきでお迎えに来たって収穫なんてあってたまるかと思うんだけども。

 思ったんだけれども。


 ユキちゃんがコンビニの前を通過するのを店内から見付け、じゃあ俺も帰るかと思った矢先。

 不審者という名の収穫。

 ユキちゃんの後ろを歩いているのはこの間の紙袋男で、今日も同じ紙袋を下げている。

 マジでかー


「こんばんは、お兄さん。ちょっとこれ失礼しますね」

 不審者の持つ袋を後ろから奪ってから声をかける。


「━━は? おまッ、ふざけんっ、ちょ、返せ」

 あーみなぎるこの挙動不審感。ロクでもないモンなんだろうなぁ。

 右手を伸ばしてきたのでその手首を右手でつかみ、こちらの身体を反転させると同時に俺の右脇の下に挟んだ。空いた左手で殴りかかってくるのでそっちも同じように封じる。

 これでもうこの男は動けない。


 一見、男二人が肩を寄せ合い、腕を組んでふざけているようにも見えるかもしれない。紙袋男は脇から腕を抜こうともがくが無理だよ。

 コレは寺のジイさん直伝で、俺みたいな人間にしかまねできない芸当だから。


 男の手首を脇に挟んだまま、さっと紙袋の中を見るが中は茶色い紙袋でご丁寧に二重梱包だったので遠慮なく破らせてもらう。

 ロープとごちゃごちゃした黒いベルト状の塊。それから大人のジョークグッズが何点か。

 一瞬で頭に血が上りそうになるのをギリギリのところで必死で抑え込んだ。


「お兄さん、コレは、ナイわぁ」

 自然と低くなった声に、密着する男がびくりと震えたのが伝わる。


「コレ使う気だった?」

 ユキちゃんに通報してもらおう。

 俺達の声に気付いたのだろう、少し離れた所でこちらを不安そうに窺っているユキちゃんを見やる。

 ひどく怯えた顔ながらその手にはいつでもひける状態の防犯ブザーとスマートフォン。さすが。


 もう少し痛い思いしてもらってもいいか。

 脇の下に挟んでいた右手を背中側にひねり、可動域の限界より少し上をいく位置に固める。


「なんでッ、アンタ犬なんだろ! 俺だって」


 なんで犬って分かったんだ、と思ったが『俺だって』の言葉の不自然さに男の表情を確かめようとその顔を覗きこめばその視線はユキちゃんに固定されている。


 男の顔をまじまじと見詰めて、気がついた。


「あ、お兄さん、前に見た人か」

 ユキちゃんが俺のことを裸族だ犬だと連呼していた朝、ぎょっとした顔でこっちを見てた人。

 朝のあの時はメガネしてなくて、今はメガネで咄嗟に分からなかったけど。

 てことは━━

 んー。

 んんん?


「もしかしてコレお兄さん用だったりする?」

 この紙袋のいかがわしいアイテムは自分に使ってもらう用じゃないのかな、と。

 地面を視線を落とし、答えないその態度にそういうことかと得心がいった。

 そっかぁ、縛られたい系かぁ。


 えーっとね。

「彼女ね、女王様とかじゃないよ。俺が犬養(いぬかい)って名前だから犬って呼ぶだけだし」


「犬養」ってのは母方の親族の苗字だから口から出まかせには該当しないと思ってほしい。

 この男は俺とユキちゃんの関係を間違えたのだ。

 まさか「女王様と犬」と思われるとは。

「犬」仲間だと思われたとは。


「本来は通報すべきだし、通報、してもいいんだけど」

 こういった行為を、繰り返す奴は繰り返す。


「報復とか考えられても面倒だし」

 今後俺やユキちゃんに対しておかしな事を考えないように。

 こいつ近所に住んでるだろうしな。

 こんな事しでかすくらいにユキちゃんがどストライクなら小柄で童顔な女王様がいいとなるとニッチな好みで、コイツは諦めきれないかもしれない。

 ここはきちんと対応すべきだろう。


「免許証と保険証、あと持ってたら名刺お願いします」

 声は自然と低くなり、男はもう一度びくりと硬直した。

 案の定ゴネたが━━


「お兄さんこの辺に住んでるんでしょ? 彼女の家も知ってるしフェアじゃないよね。こっちは警察行ってもいいんだし」

 ホント警察で済むなら警察で済ませたいんだけど。

 言った所でしばらくは野放しになるのも目に見えてて怖いし。


 男も通報されるよりはいいと思ったらしい。

 免許証しか持っていないというので念のため財布を改めさせてもらう。

 保険証には勤務先が表示されてるから確認したかったというのもあるけど、本当の目的は財布を拝借したかったワケで。


「はい、どうも。あとこの会話、ずっと録音させてもらってるから」

 もうね、ICレコーダーって悟君の助手とかしてると必需品なんですよ。現代社会でもお世話になる可能性もあるし、ちょっとコンビニ行くんでも持って出るんですよ。嫌な生活でしょー


「手近なトコで済まそうとしないで、ちゃんとしたトコで探した方が安全だよ」

 免許証の画像を撮ってから免許証を挟んだ財布を返却して解放した。

 紙袋の中身は証拠にはなるけどユキちゃんに見せたくないのでこれも返却。渡す風を装って身を寄せ低く告げる。


「アンタがどんな性癖だろうが知ったこっちゃないし、一人で楽しむのは自由だけどな。人に迷惑かけたら犯罪なんだよ」

 あーもー、人の趣味嗜好に口出す趣味なんて無いのに。


「じゃ帰ろっか」

 じっとこちらを見詰める顔色の悪いユキちゃんになるべくいつも通り声をかけた。


 ユキちゃんもつけられているような気はしていたらしい。

 朝の通勤時たまたま俺達の話を聞いて「女王様と犬」と誤解されたのがはじまり。

 ユキちゃんが帰宅時につけられて家を知られ、玄関に紙袋を置かれそうになって、今夜直接渡しに来たという所か。とてもユキちゃんに言える内容じゃねぇな。

 つーか、よく考えたら手錠に首輪にリードと犬。紙袋男の事がなくても俺ワードがそろい過ぎてんじゃねぇか。


「誤解されたみたいだね。家は知られてるかもだけどユキちゃんは理想の女王様じゃないしもう来ないと思うけど」

 家の中までしっかり送り届けてからポケットのカードを取りだす。


「拾得物って事でちょっと交番届けとくね」

 男の免許証を軽く振った。


「え、それ返したよね?」

 ユキちゃんは目を見張っているけど、返してやったのは財布だけだ。


「大学の時、手品サークルだったからね」

「うそくさ」

 あっさりと見破られた。

 悟君の助手とかしてたらこういう事も出来た方がよかったりするもんで、身に着いたんだよなー


 免許証を返したのは本人も見ているからどこかで落としたのだと思うだろう。紙袋男が免許証の紛失に気付いたら遺失物届を出す事になる。

 そうなると無くしたと思われる状況を尋ねられるけど、免許証を最後に確認したのが今日のこの顛末なんだからそれを登録されると思ってみ? たとえ咄嗟に嘘をついたとしても警察相手の虚偽・詐称は相当メンタルが削られるだろう。免許証を悪用され借金とか犯罪の心配も出て来る。

 しばらくは気が気じゃないぞ、と。


 あの男は「小さい童顔の女王様」狙いで、ユキちゃんが女王様じゃないって分かったからもう近付いては来ないと思うけど、もし次に接触があった時は『説得上手』の悟君に依頼しよう。

 自分の力でどうにも出来ないのが何とも情けないけど。


 おそらくあの男は免許証がない事に気付いても今夜は交番には行けない。そんな根性はないはずだ。まずはネットで紛失した場合を検索しまくるだろう。

 だから今日のうちに届けたいんだけれども、ユキちゃんの様子に失敗だったかと判断を悔いる。駅の派出所にいる所をあの男に見られて逆上される可能性も考えて時間をずらそうと思ったんだけど。


「……ユキちゃん今晩ヘーキ? 俺こっちに戻った方がいい?」

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