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4、廊下に生首

ユキちゃん視点になります。

 世間は夏休み。この時期こっちは繁忙期で今日も今日とて定時には上がれず、わびしい一人住まいの小さなアパートに到着。


 夜だというのに一向におさまる気配のないまとわりつくような夏の蒸した空気と、妙に寒々しく感じる色の蛍光灯の明かりの下、自宅より一軒手前のドアの前に落ちている黒い塊にぎょっとする。


 うぉー、びっくりしたぁ。

 犬……?

 やっべぇ。

 生首かと思ったわ。


 足音にこちらに顔を向けてきたそれはやはり犬で、柴犬に見える。それも黒と来たもんだ。私が黒い柴犬萌えと知っての狼藉か。

 茶色の柴犬ももちろん可愛いけど黒はたまらんものがあるのだよ。

 ただしそのその顔と来たら。


「どうしたい、おまえさん」

 思わず声を掛けてしまうほど情けない表情をしていた。


 耳も目も垂れきった、哀愁漂う表情。

 えー、あの虫嫌い、もしかしてこっそり犬なんて飼ってたのか?

 地元じゃリード着けたままトットコ景気よくフリーダムを満喫してる犬、たまにいたよなー

 そのうち自分が迷子だって気付いて絶望的な顔してうろつく羽目になるんだけど。

 そういやこっち来てから見ないな、フリーダムわんこ。都会だからか? まぁ最近は室内飼いがメジャーって言うもんな。


「ここんちの子かい?」

 一向に動こうとしない成犬らしきワンコに声をかけ、とりあえず隣家のインターホンを鳴らす。


 ここペット禁止だぞ。

 動物は好きだけどルールは守れよ。みんな我慢してるのに。

 インターホンに反応はなく、苛々が募ってもう一度鳴らす。

 んー、まだ帰ってないか。

 電気ついてないし、まいったなー。


 足元を見るとワンコは首輪が不快なのかぶるぶると首を振り、顎を上げて頭を揺らす。

 そこには赤いシュシュのような首輪と金属のネームプレート。

 お?

「おりこうさんだねー、ちょい見せてみ? 電話番号とか書いてたらかけてあげるよ」

 一人暮らしが長いせいかな。なんか普通に動物に話かけてしまうわ。


 ワンコは怯えて逃げようとする事もなく大人しくプレートを見せてくれるだけの猶予を与えてくれた。むしろ首を傾けて見やすくしてくれてないか? 普通首輪引っ張られるような感覚なんて嫌がりそうなもんだけど。

 ワンコのくせに迷子の常習犯か?

 よし、電話番号発見。

 携帯かー、あの虫嫌いの番号かなー

 ダメモトで番号非通知でかけてみたら意外とあっさり出た。


「犬の首輪のプレートを見てお電話させていただいた者ですが」

『あああぁ、すみません! うちの子なんだけどK駅のアパートですかね? 私、大上といいます。引き取りに行きたいんだけどちょっと朝まで行けそうになくてですね! お礼はするので朝まで預かってもらえないでしょうか? そちらの管理会社には連絡しますんで! 悪さしないんで! ちょっとそいつと話していいですか?』


 ん? んんん?


 隣人と同じ苗字を名乗る男性のその声は美声だった。低くしっとりとした、声優さんばりのいい声。

 それなのにそれを台無しにするえらく慌ただしい話し方で無茶を言い連ね、最終的になぜか犬と話したがった。

 捲し立てられるように重ねられる懇願におされてワンコにスマホを差し出す━━


 こっわ!

 なんだこれ。


 ワンコはご主人様の声に真摯に耳を傾けた後、驚いた様子で何か慌てた素振りを見せた。

 ご主人様の声が聞こえて驚いたのかな?

 それにしてはずいぶん反応が遅かったような気がするけど。

 まるで話を聞いてその内容に驚きました、みたいな感じに見えたんだけど。

 その後私を見上げ、スマートフォンから身を引くワンコ。

 ……えーっと。


「あのー」

 電話を替わってみた。


『ありがとう! ちゃんと言っといたから! ご飯もトイレも大丈夫だから! お嬢さんはいつも通り過ごしてね!』

 そして明日私が休みなのを確認した大上氏は「朝っぱらからで申し訳ないけど」と詫びながら朝九時に迎えにくると宣言し、通話を切った。


 どうして私は了承してしまったんだろう。


 呆然としてから、ふとここが暑い廊下だった事を思い出す。

「……入りますか」

 不安そうにこちらを見上げて来るワンコを見下ろし、いつものように周辺に目をやってから玄関の鍵を開ける。


「ただいまー」

 誰もいない室内に大きく声をかけ、ワンコが入るのを確認して玄関の鍵をかけて明かりをつける。熱波かと思うような熱い空気の塊と入れ替わりに部屋に滑りこんで私を見上げるワンコの顔は実に表情豊かで、それはなんとも気の毒そうであり、私を憐れんでいるようにも見える。


 もしかして誰もいない家に声を掛ける寂しい人間だと思われてる?

 違うからね?

 防犯だからね? なんてワンコに言っても仕方ないんだけど。


 ワンコとも思えない表現力で全力で私を憐れんだワンコは人が二人立つといっぱいの狭い土間に丸くなった。

 ……犬、飼ったこと無いんだけど。

 え、これどうしたらいいの?


「のど、渇いてるよね。ごはんは……鶏肉チンするとか?」

 スマートフォンをタップして「犬 預かる」を検索してからやめる。


 そうだ。

 いつも通り過ごせって。


 ワンコがまた妙に哀愁漂う目で私を見上げてくる。


「あ、でもここ暑いよね。熱中症になるといけないし、こっちおいで。一応足拭いた方がいいか」

 網戸が開くとブザーが鳴る防犯グッズのスイッチがオンになっているのを確認し、大きく開かないようにサッシにはめる防犯鍵も確認してから窓を少しだけ開ける。

 そこに向けて扇風機を外に向けて稼働させ、エアコンのスイッチを入れる。扇風機はこうすると暑い空気が排出されて部屋が早く冷えるそうだ。ウソかホントかイマイチ実感にかけるけど。


 それからいつも通り過ごした。


 換気出来たかな、という所で窓を閉めて施錠を確認する。

 冷やご飯の上にレトルトのどんぶりの素を開け、一気にチンして晩ご飯にする。

 お風呂に入るついでに化粧を落として、男物のSサイズのTシャツにトランクス姿で水を飲んで。

 ……ワンコも二度見とかするんだ。

 え、この格好に驚いたりするのか?


 いつも通り寝ようと思って部屋の明かりのスイッチに手を伸ばしたところでザワリと嫌な感覚に襲われる。


『いつも、通り。』


 いつも通り明かりをそのままにベッドに入った。

 煌々とした照明。

 そこでこれまで静かだった、むしろ静かすぎたワンコが玄関に通じるドアの前で「キュ……キュウン」と実に控えめに鳴いてやっとその存在を思い出す。


 そうだ、今夜はこの子がいるんだ。

 なんとなく安堵してそちらを見やれば天井を見上げているワンコ。その姿に肘から肩に向けてざわざわとしたものが一気に駆けあがり、それは見事な鳥肌となり果てる。


 なんか、見えてんの?

 いやいや。まっさかねー

 ワンコは何か言いたげにこちらをちらりと見て、そしてもう一度天井を見上げる。


 いやいやいや。

 やめてよ、なんか見えてるみたいなその態度。


 って、ああ、ライト?

 ライトが眩しいって?


 いつも通り。

 いつも通りだから動悸を感じる。

 何かいたらどうしよう。

 恐怖に耐えかね、タオルケットを蹴飛ばすようにして跳ね起きるとワンコもびくりと体を揺らした。

 ああ、ごめんよ。


「ワンさん、電気消したげるからこっちおいで」

 ワンさんって中国の人呼ぶみたいだなー、なんて考えながら一番古いバスタオルを出して枕もとのフローリングの床に敷く。

 何か遠慮がちに上目遣いでこちらを伺いながら移動したワンコを確認してから明かりを落とし、横になってから腕を伸ばしてその体に触れる。意外と固い感触とあたたかな温度。


 良かった。

 これで今夜は安心して眠れる。

 そう思った瞬間、多分わたしは寝落ちした。


 ※


「うわ……っ!」

 突如室内に響く低い悲鳴。

 それは自分が発したものじゃなくて。


 寝る前に感じたものとは全く別の、室内に男がいるというリアルな恐怖。


 ドクドクと心臓が大きく鼓動する。

 一瞬で覚醒したものの、それを相手に悟らせていいのか、どうすべきか、動けない。

 エアコンは効いているはずなのに激しい鼓動により全身の脈が熱を持ったように全身が熱い。

 極限の緊張と恐怖のなか、頭を動かさないように視線だけをそっとそちらへ向ける。


 そこには床に尻餅をつき驚愕の表情でこちらを見つめる隣人の姿。


「……悪い」

「ふざっけんな。そこになおれ」

 どう考えたって、知り合いだからって安心出来る状況じゃないのに。むしろよっぽど怖い話だというのに。

 なぜか恐怖は蒸発するように一瞬で消え失せ、怒りだけでシャツにスラックス姿の虫嫌いの男を正座させた。


 めっちゃ怖い夢だと思ったんだよ。

 だって赤い首輪してる成人男性なんてありえないでしょ。



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