2、夏の風物詩
「外で声がするからさー」
うちから二軒奥にお住まいのお姉さんは、そう言いながらいい笑顔で近付いて来る。
「いやー、元旦那の実家から嫌がらせなのか罪滅ぼしなのか毎年しこたま送られて来るのよ。良かったらもらってくれない?」
片田舎にはこれを言われると受け取らざるを得ないという暗黙のルールがある。
どこかに持って行く途中なのかもしれない、などと希望的観測を抱いてみたがやはり標的は自分達だった。
確かに夜に開放廊下という共同スペースで揉めてたら迷惑だろう。
気にはなっていて、本来ならうるさいと怒鳴られても文句は言えない身分なのにスイカ半玉消費の刑で許してくれるというのだからここは感謝すべきだろう。
「さすがに若い子に一玉引き取れとは言わないから」
その良識は本当にありがたいが、半玉でも独身男にはキツイんだが。
「聞こえてたけどゴキ片付けろって? 男の子が情けないと言いたいトコだけど、無理な人にはキツイよねぇ。私も無理だし」
あははと豪快に笑う三十代と思しきお姉さん。
「取ってあげたら? 私見張っといてあげるから」
いい人だった!
外で声がするからと慌ててスイカを半分に切って意気揚々と押しつけに来ただけの人かと思ったのに!
OLさんは一瞬嫌そうな顔をしたが、両隣の部屋の人間に挟まれたこの状況にも嫌気がさしたらしい。
「━━どこよ」
はーっとこれ見よがしに大きなため息をつくと憮然とした表情でそう言った。
「コンビニ袋中にある? これで嘘なら連れ込み未遂で通報してもいいよね」
え、これでヤツが執念で逃走していたら俺、通報されんの?
……ちょっと不安になって来た。
アイツまだ地味に動いてたんだよな。触角とか。思い出したくもないけど。
いやでもあのネバネバのハウス型トラップから逃げられない、よな?
「そこで待ってて」
男と二人で家に入りたくなかったのか、開放廊下でバツイチ姉さんに俺を見張らせたまま中に入って行く隣人。
アレに近付かないのでいいのは正直ありがたい。
あ、そういや他のも一緒にくっついてたんだけど言うの忘れたな。
「ブラックキャップがいいよ。勝手にどこかで死んでくれるから。わたし児玉」
「まじスか。大上っす」
腰がひける事もなく素晴らしくいい姿勢で勇ましく室内に入って行くOLさんの背中を見送りながら、お互い自己紹介する。OLさんの家が間にあるから引っ越しして来てもお互い挨拶とかしてないんだよな。
小玉スイカの児玉さん。忘れられそうにないわ。
そしてブラックキャップ。 夏場のドラッグストアに入った所にあるアイテムだが、実家がハウス型推奨だったせいかなんとなく信用出来なくてノーチェックだった。いい事聞いた。
「その辺で死んでたりもしないし、ホントにいなくなるよ」
「明日買って帰ります」
食い気味に応えてしまった。
「で? 首輪ってなに?」
聞こえてましたかー
せっかくおすすめアイテムを聞いてテンションが上がってたのに。
あー
どう返答しようかと思った瞬間、ドカドカとなにやら重い足音を響かせて隣人が戻ってくる。
って、なんで手にハウス型ボックス持ってんだよ!
持ってくんなよ!
袋あっただろうが!
やってもらってる手前文句は言えねぇけどさぁ!
「ユキちゃん、何で持ってくんの!?」
児玉のねーさんは全く同感な悲鳴を上げ、瞬時に俺の後ろに隠れる。
俺も隠れたい。くそ、出遅れた。
「ちょっと! アシダカ入ってんだけど!」
ユキちゃんと言うらしい隣人は恐ろしい剣幕でそう俺を責めた。
あし、だか?
ああ、ヤツと一緒に入ってるデカい蜘蛛、アシダカっていうのか。
デカすぎるだろ、手のひらサイズっておかしいだろ。
だから持ってくんなって!
ぐいぐい押しつけて来るのはマジで勘弁してくれ。
「ゴキ取ってくれるのよ!? なんでアシダカまでやっちゃうのよ!」
隣人のユキちゃんはなぜかブチ切れている。
「え、でも勝手に入ったのは蜘蛛なんだけど」
「ゴキが嫌なら蜘蛛は大切にしなさいよ! 一匹いるだけでホイホイの何倍取ってくれると思ってんの!」
控えめに反論したら倍返って来た。
クモ大事にしろって言われても。
「いや俺、クモもダメだから」
5ミリ足らずのぴょんぴょん飛ぶやつでも嫌なのに。
「アシダカはゴキ全滅させたら勝手に出て行くんだから。巣だって作らないし。ゴキ百匹と蜘蛛一匹とどっちがいいのよ!」
「え、どっちもムリ」
反射的に素直に答えた。
そうだろ。
ゴキがダメなやつは大抵、虫全般ダメだろ。
「そりゃそうだ」と児玉姉さんが後ろで爆笑しているんだから間違いない。
でもって百匹とか言うなよ。聞いただけでキツいんだから。
ただ驚いた事にユキちゃんは口を縛った白いレジ袋を俺に差し出すことはなかった。
え、なにこのコ、言う事は無茶苦茶だけどもしかしていいコじゃね?
と思ったものの。
「ほっといたら駆除して出てってくれるのに」
「巣も作らないのに」
「アシダカいたらこんな小さな部屋のゴキなんて半年もしないうちに絶滅させてくれるのに」
「むこうだって人間が怖いんだから寄ってくるワケないっつーの」
ごみを持ち帰る事よりも蜘蛛を一緒に処分する事のほうがよっぽど不本意らしい。最後までブチブチ文句を言っていた。
なじられ感がハンパない。
反論したいが恐らく俺の方が年上だろうし、ここは大人としてぐっと堪える。
ましてそのゴミを持って帰らせるとか我ながら人としてどうかと思うが、ユキちゃんは案外そこは平気なようで当然のように手にぶら下げている。それこそ今にも振り回しそうなくらい平然と。
おとなしく聞くに徹した最大の理由は反論なんかしようもんならそれをグイグイ押しつけられそうだったからだ。たんに回収したブツを忘れてるだけなような気もするけどそれなら正直ありがたいので申し訳ないが要らん事は言わん。
終始不快感満載の塩対応だったけれども、仕方ないわ完全に頭が上がらないわで。
ユキちゃんは片手にゴミ袋、片手に半切りのスイカを持って肩を怒らせて帰って行った。
あー、うん。
こりゃもう足向けて寝らんねぇな。