知識と教育
「ぎむきょういく?」
「それはなんですか?」
半球状に整えた石張りの部屋にそんな声が響いた。
僕とレナ、そしてメイド頭であるセレンの三人で時々行う、領地運営の定例会議である。
領地を下賜された頃はまだ幼さが残り「お嬢様」の空気が残っていたレナも、この二年で貫録と威厳を備えた立派な貴族になった。
社交界でも精力的に活動しており、急速に発展している領地の評判も相まって、求婚してくる貴族が後を断たないらしい。
と、この前本人がぼやいていた。自慢か。
セレンも最初は僕やレナへの意見に遠慮が見られたが、回数を重ねる内に「常識的目線」という立場の重要性に気づいてくれたようで、今は結構ビシビシと痛いところを突いてくる。
今やこの会議には無くてはならない大切なご意見番だ。
ここに状況次第で事務担当の黒丸や警備担当の鬼丸、荒事担当の赤丸が同席することもあるが、基本は僕とレナ、そして庶民目線のオブザーバーとしてセレンの三人が定例会メンバーとなっている。
-- 簡単に言えば、領地内の子供に一定以上の教育を必ず与える制度の事だ。
この国では発展途上国にありがちな特徴として裕福な一部貴族以外は教育を受ける事が出来ない。
ごくまれに教えたがりの冒険者や研究者に手ほどきを受ける子供もいるが、全体数から言えば無いも同然である。
「それって何か貴族側にメリットあるの?反乱を招く未来しか見えないんだけど…」
「わたくしも同じ感想を抱きました。領民全体が対象という事は、民間ではなく公的サービスの一端になるわけですよね?
貴族にはリスクしかない気がするのですが…」
まぁそう思うのも無理無いよね
-- 確かに現状で貴族が受けている教育と同レベルの物を与えるならそのリスクは無視できないものになるけども、「どの程度の教育を与えるか」を熟考すればメリットも十分生まれるよ。
「具体的には?」
-- 例えば冒険者の知識。
-- いまはギルドが自発的に初心者教育をしているけど、これを公的サービスにしても貴族への反乱因子には繋がらない。
「あー…。なるほど。労働に関わる技術や知識を広めようって事か。」
-- そゆこと。必然的に基本的な読み書き算術が広まる事にもなるから、コミュニケーション効率も上がるしね。
-- まぁ貴族への直接的なメリットは薄いかもしれないけど、領地へのメリットはとても大きいよ。
異世界の知識には、教育機関の政治的中立に関する問題も多々あったけど、少なくとも今のこの世界じゃ政治的中立なんか論外だ。
四則計算できない文盲が増えるくらいなら、教師職による思想誘導のリスクがあっても義務教育は盛り込みたい。
まぁ、思想誘導の部分には、レナやセレンは「それの何が問題なのですか?」と冷ややかな反応だったけど…。
とはいえ義務教育に関する僕の説明は二人におおむね受け入れられ、建設場所を含めた詳細を詰めていく事になった。
「じゃあ私は学園の建設場所を検討するついでに、そこの職員求人の公示に行ってくるわ。
グラン、いくわよー」
レナの呼びかけでダンジョンの奥から現れたのは、オオカミより一回り大きいトカゲのモンスターだ。
彼がこのダンジョンに来たのは今から1年ほど前、地竜の情報を刻印したままほったらかしておいたモンスターコアから、突然一体だけスポーンしたのだ。
スポーン時の魔力消費は膨大な量であり、リッチ50体分に相当する魔力を一気に持って行った。
消費量もさることながら他ならぬ地竜のコアからスポーンという事で、その時はダンジョン全体が警戒態勢を取ったのだが、その実スポーンしたのは地竜とは似ても似つかない可愛らしいモンスターであり、攻撃性も皆無で人懐っこく。反してモンスターコアは僕の呼びかけに一切反応しないという、既存のモンスターの枠組みからは大きく外れた存在だった。
今ではスポーン直後に相対したレナに、雛鳥の刷り込みよろしく非常に懐いており、領民(特に子供)にはダンジョンの古参モンスターと一緒に広く受けいれられている。
「よいしょっと。んじゃ行ってくるわね。
レッツゴーグラン!」
背に腰掛けたレナがそう声をかけると、グランは「グァ」と短く吠え、歩くより少し早い程度の速度でレナを載せたままペッタペッタと足早にダンジョンを出て行った。
モンスターを(二重の意味で)馬車馬のごとく使うのはどうなのかと思うのだが、並んで歩こうとするとグランの方から頭をこすりつけ「乗ってくれ」と懇願するかのような目でじっと見てくるらしく、その眼にレナは勝てないのだそうだ。
まぁ、そう語った時のレナの顔はだらしなく綻んでいたので、お前そもそも断る気ないだろと思っているが…。




