一章 中篇
外からの光は完全に遮断しており、部屋内を照らすのは仄かな光源のみ。それこそが水斗の部屋だった。
水斗もエスパー病患者だ。彼は太陽光を浴びると発作が起きる。
その症状は知能指数の著しい低下だ。一言で言えば、馬鹿になる。
逆に、普段は一般離れした高い知能指数をしており、それもエスパー病の症状によるものだと言えるようだ。
僅かな太陽光を浴びただけでも奇行に走ってしまう為、彼はこのような空間で生活する他なかった。外に出る際も日が落ち切ってからでなくてはならない。
そんな体質もあって、水斗はエスパー病の研究者をしている。
自分自身が何よりも良い研究材料だった。彼のように完治の見込みがない症例はほとんどない為だ。
暗闇に慣れた彼にとっては部屋内も問題なく見えるらしいが、春樹にはろくに分からない。
そのような中で居間で起きた出来事について話す。それを聞いた水斗は僅かな沈黙の後、口を開いた。
「なるほど。恐らくはそれもエスパー病だろう」
水斗は高級な椅子に座って膝を組んでおり、春樹は地べたにあぐらをかいて座っている。
「原因は過度の緊張、はたまた羞恥といったところか。
消えてしまいたい、という想いがその身を隠したと推測できる。
身を隠す先が傍にいた猫の内だったというわけだ」
「俺のせいだ……何か元に戻す手はないのか?」
「ふむ……」
水斗は何かを考えている様子で黙り込む。
春樹は抱きかかえた太郎を撫でながら静かに待っていた。
しかし突然、太郎が手元から飛び出すようにして逃げた。そして、春樹を強烈に睨む。
これまで見たことのない反応だった。太郎は昔から人懐っこい猫なのだ。
急にどうして、と思いながら手を伸ばすも、「ふしゅー」と威嚇してきた。
それを見た水斗は口を開く。
「その猫の内には西野という少女の意識もあるのだろう。混在している状態だ。
先程までは表面化していなかったようだが、ふと表面化したことでこうして距離を取った」
春樹は嫌な予感がして、その意味を問い質す。
「それは、どうなるんだ……?」
「断定は出来ないが、今現在、彼女の意識が猫の意識と入り混じってしまっているのであれば、仮に人に戻れたとしてもその体験が焼きついてしまう可能性がある。
つまり、人の姿で猫の行動を取ってしまうかも知れない」
「そんな……」
それでは秋葉の今後に大きな支障が出てしまう。
自分のせいで彼女がそんな目に遭うのは絶対にごめんだった。
「何か、何か彼女を元に戻す手はないのかっ!?」
春樹は思わず声を荒げてしまうが、水斗は動じた様子はない。
そればかりか、無情に首を横に振る。
「以前からお前には教えているが、エスパー病は今も謎だらけだ。強いて挙げるなら、その原因は心にある、ということくらいだ。
これといった治療の術はなく、自然回復に任せる他ない。
現在、治療法とされているものはどれも似非だ。何の根拠もありはしない」
その返答に春樹は絶望を覚えるが、水斗は「ただ、そうだな……」と言葉を継ぎ足した。
「彼女が心の底まで猫と同化してしまわないように、周囲に人がいる環境に身を置いた方がいいだろう。
学校には行くべきだ」
「……ああ、分かった。
ありがとう、父さん」
自分に出来ることなら何でもしよう。彼女への償いの為に。
そう強く決意した春樹は部屋を出て行こうとするも、その背を水斗が呼び止めた。
「春樹」
「ん?」
「気をつけろ。エスパー病患者は奇妙な縁で惹かれ合う。
私とお前が共に罹患しているのも偶然ではない。それが遺伝子的な影響かどうかは分からんがな。
お前と彼女が巡り合ったのも単なる偶然ではないだろう」
春樹は水斗のアドバイス通り、その身に秋葉を宿した太郎を学校へと連れていった。
先に職員室で担任の教師に理由を話したが、当然、訝しげな様子だった。
そもそも、エスパー病の存在を眉唾なものだと思っている者も多いのだ。
症例の少なさや深刻でないものが大半である為、仕方のないことではある。
何とか説得を終え、春樹は教室へと行く。
太郎にはキャリーバッグに入ってもらっていた。
教室に入ると、好奇の視線が集まった。クラスメイトが声をかけてくる。
「おい、春樹、なんだよその猫」
どう説明すべきか、と少し悩むが、どうせすぐにわかることなので正直に話すこととする。
「うちの猫なんだが、西野でもある。
エスパー病で一体化してしまったんだ」
「ははっ、面白い冗談だな」
春樹は真顔で言ったが、周囲には冗談だと受け取られてしまった。
確かに荒唐無稽なことを言っているとは思う。
けれど、事実だ。ゆえに、春樹は不愉快な気持ちとなる。
「冗談なんかじゃない」
それだけ言い放つと、秋葉の席へと向かった。
端にあるその席へとキャリーバッグを載せて、戸を開いた。中から太郎が出てくる。
しかし、その視線は周囲を警戒しており、春樹へと寄ってくることもない。
恐らくは秋葉の意識が表面化していると思われた。
「西野。何かあったらすぐ俺のところに来てくれ。
大丈夫そうか?」
春樹が問いかけると、太郎は頷き「にゃあ」と返事した。
意思の疎通は取れている気がした。
周囲からは奇異なものを見るような視線を向けられるが、無視して自らの席に向かった。
やがて、始業の鐘が鳴ると、担任の教師が教室に入ってきた。
生徒達はがやがやしながらもそれぞれ席についていく。
教師から改めて秋葉のことが話された。それでも、クラスの皆はまだ半信半疑という様子だった。
授業が始まっても、好奇の目が絶えることはない。
太郎は大半を寝て過ごしていた。
いくら秋葉の意識が表面化していようとも、猫としての特性は変えられないのだろう。
「やっぱりただの猫だろ」
休み時間、揶揄するようにそう言っているのが聞こえた。
皆は笑っていた。
そんな空気の中で春樹は無力感を覚えた。
本当に学校に連れて来て良かったのだろうか。逆効果なのではないか。
何より悲しいのは、誰も西野のことを心配する様子がなかったことだ。
彼女はクラスに友達と呼べる存在はいなかったのだ、と。そう強く思わせる。
けれど、それは自分も似たようなものかも知れなかった。
エスパー病という周囲との異なりはどこか壁を感じさせた。
心の底から所属し切れてはいなかった。
それはきっと、昔から気付かぬ間に苛んでいたのだ。
まるで綿で首を絞められるように、徐々に、徐々に。
「ね、ハル君! ちょーっと、お話いいかな?」
突然、春樹に親しげな様子で声を掛けてきたのは、天真爛漫な様子を感じさせる短髪の女子生徒。
南條夏乃。
いつ如何なる時も太陽の如く明るい、クラスの人気者だ。
春樹のようにクラスでは地味な立ち位置の生徒にも、屈託ない笑顔を浮かべて話しかけるのが人気の秘訣の一つだと言えるだろう。
これまで大した関わりを持った記憶もないので、突然話しかけられて思わず動揺した。
そもそも『ハル君』という呼び方をされることも謎だったりする。
「な、何だ?」
「おかしー! 今、心がどこか行っちゃってたでしょ〜」
春樹が慌てた様子で返事すると、それをからかわれた。
夏乃はからからと嫌みのない笑みを浮かべる。
むう、と僅かに顔を赤くして黙り込む他なかった。
「おっと、それはそれとして、放課後、時間ある?」
「まあ、特に用事はないけど……」
「もし良かったらここに来てくれないかな?
もちろん、秋ちんも一緒に、ね」
そう言って、彼女は何かが書かれたメモをこちらへ渡し、秋葉の机の上で眠る太郎へと目線を向けた。
メモに書かれていたのは『社会教室』という文言のみ。
場所は分かるが、授業で使った記憶もない、校舎の隅にある教室だ。
「よろしくね〜」
夏乃はひらひらと手を振って他のクラスメイトのもとへと去っていった。
その場に残された春樹は、ふと昨夜の水斗の言葉を思い出した。
『エスパー病患者は奇妙な縁で惹かれ合う』
『お前と彼女が巡り合ったのも単なる偶然ではないだろう』
春樹は昨日の秋葉との関わりによって、まるで止まっていた歯車が動き出したような、それは他の歯車までも巻き込み始めたような、そんな感覚を覚えた。
放課後、春樹は太郎をキャリーバッグに入れ、社会教室を訪れた。
念の為、ノックする。中から声がした。
「どうぞー」
夏乃の声だ。
そうして、春樹は社会教室の扉を開く。
至って普通の教室。
中心に机と椅子がいくつか集められて長方形に並んでおり、他は端に固められていた。
教室内には夏乃以外は誰にもいない。
「ささ、座って座って」
促された春樹は夏乃の座る席の向かいに座った。
「あ、秋ちんも外に出して大丈夫だよ。
狭い中じゃ可哀そうっしょ」
話がすぐに終わるのであればそのままで良いだろうと考えていたが、彼女の言葉に甘えて太郎をキャリーバッグから外に出す。
不審げに周囲を見回していた。『ここはどこ?』というような素振りだった。
「それで、話って?」
春樹が問いかけると、なぜか彼女は「ふふふ」と意味深な笑みを浮かべ、机の上に両肘を立て口の前で手を組み、そして告げる。
「——ようこそ、エスパー病研究部へ」