お祝いはスパークリングワインで
JR名古屋駅。東京から新大阪までをつなぐ東海道新幹線の中間地点は、都会的なエッセンスと、都会と言いたい田舎のエッセンスがうまいところ混ざり合っている。これから首都に向かうもの。これから古都へと向かう者。古都を過ぎ、さらに西に向かう者もいるだろう。名古屋は西への入り口だと思っている。台湾ラーメン。徳川美術館。コメダ珈琲。櫃まぶし。……フィギュアスケートの街。
そして名古屋はフィギュアスケーターなら割と頻繁に来る場所だ。全日本選手権の主な開催地の一つだし、GPシリーズ等の国際大会も開かれる。来年のGPフイナルの開催地は、そういえば名古屋だ。来年、指導している鮎川哲也の調子がよければ6人の中に選ばれるかもしれないが、スポーツは水物だから本当にわからない。
2016年現在。男子シングルはとんでもない技術改革の最中にある。哲也いわく別の惑星にいるあんちくしょうこと、ロシア出身の宇宙人アンドレイ・ヴォルコフを中心に、空前のクワドジャンプ合戦が繰り広げられている。
もちろんクワドだけじゃない。ステップでレベル4を得て。ポジション変化が多彩なスピンを回り、スケートの質も抜かりなく質がいい。トータルパッケージを求められている時代だ。
……午後四時。関西の名阪テレビ主催のキャッスル・オン・アイスは名古屋公演が昨日終わり、明日には来週末のショーの為に大阪にむかわなくてはいけない。今日は中休みの日で、一緒に招致された弟子も、仲のいいスケーターと息抜きに出かけていった。
それは俺も同じだった。今日は人と約束をしている。
待ち人はすぐにやってきた。彼は俺を見つけると、手を挙げて小走りにやってきた。少しブラウンが入った金髪にターコイズブルーの瞳。白いシャツに黒のパンツというスタイル。綺麗に整った顔立ちは、笑うと目尻が少し垂れる。パンツ越しにも大腿筋が立派に発達しているのが分かる。クワドジャンパーの宿命だ。
年の少し離れた、よく出来た弟のような存在。
「おうキリル。ピエール・マルコリーニのチョコ食べる?」
目の前のロシア人は甘党だった。名古屋駅の駅ナカにはピエール・マルコリーニの店舗があると聞いて、早速買ってきたものだ。情報元は安川杏奈ちゃん。彼女は名古屋駅の駅ナカのヘビーユーザーなのだ。お陰で目の前のロシア人の目尻が垂れるような、うまいチョコが買えた。
「これから食べにいくんじゃないですか、マサチカ。でも、ひとつだけ今貰っていいですか?」
よくできた弟分は目元を少し緩ませる。彼の印象は出会った頃から変わらない。愛嬌のあるシベリアンハスキー。
キリル・ニキーチン、二十六歳。国籍はロシア。現役のアマチュアフィギュアスケーター。
*
俺、つまり堤昌親とキリル・ニキーチンの出会いは2005年まで遡らなくてはならない。2005年。まだ俺が競技スケーターだった頃。そして、最後のシーズンと決めた頃だ。
トリノ五輪シーズン、5月から7月にかけて、当時師事していた星崎先生ーー星崎雅の父親であるーーの元を離れてロシアに渡った。理由はいろいろある。たとえばその前の世界選手権で途中棄権したこととか、それによって少し先生とギクシャクしたから一旦離れてみようとか、五輪用のフリーのプログラムをアレーナ・チャイコフスカヤに振り付けを依頼したから、そのついでに長期合宿をしてこようとか。
その時にホームステイ先に受け入れてくれたのが、モスクワにあるキリルの家だった。
「マサチカ! 実はファンなんです! サインくださいお願いします!」
当時の彼はまだ16歳で、ジュニアだった。初めて聞いた時は驚いた。当時、ロシアにはユーリ・ヴォドレゾフという絶対的王者が君臨しており、彼に憧れるロシア男子も多かったのは想像に硬くない。ユーリは俺の友人でもあるが、俺は彼に一度も勝てなかった。まぁそれは今はどうでもいい。
「ユーリはユーリで凄いですが、マサチカの滑りが好きなんです。ザ・侍って感じがして!」
そんな嬉しいことを言ってくれた。これ、時代が時代ならGEBに連行されていたな、と当時思ったことをはっきりと覚えている。
モスクワに滞在中、彼にはかなりお世話になった。ロシア語からロシアの料理、文化、歴史に町の事情。どうしたらスリにあわないか。地下鉄の乗り方。赤の広場にクレムリン宮殿。英語を交えてのロシア語で、様々なことを教えてもらった。彼のお陰で、日常会話程度のロシア語は話せるようになった。
代わりに俺は彼に、どうやったら綺麗な四回転が飛べるようになるか。今と昔の採点法の違い。ジャッジは何を求めているか。海外遠征の体験談。自分の技術や培ってきたものを、彼は目を輝かせながら聞いてくれたものだ。この時にはじめて、誰かに教えることの楽しさを知ったものだ。キリルみたいな弟がいると楽しいだろうねと言ったら、彼はマサチカみたいな兄がいると楽しいけど苦労するかもねと穏やかな声で返してきた。苦労ってなんだよ。このやりとりが義兄弟の契りのようなものだっただろう。
以降親しくなり、何かと世話をやいたり逆に世話になったり、一緒にメシを食べたり、日本の大河ドラマのDVDを貸したり逆にロシアのマイナーメロドラマのDVDを貸してもらってりしている。
*
かつてステートアマチュア制度というものがあった。一言で言えばソ連時代、「国がアスリートにお金を出すから然るべき成績を出してね」制度だ。シンプルだが非常に効果があり、ソ連のスポーツ選手がやたらめったら強かった要因の一つだ。国がお金を出す→スポーツに関する環境が整っている→選手が競技に集中する→スポーツでいい成績が出る→国から報奨金が出る……というサイクルが出来上がっていた。
しかしこれも過去の遺産だ。ソ連が崩壊してロシアになり、国からの援助はめっきりと減った。その後10年はどのカテゴリーも最強ロシアを疑う者はいなかった。10年……トリノ五輪までは。
男子ではこのステートアマチュア制度の最後の遺産と呼ばれたユーリ・ヴォドレゾフがトリノ五輪を最後に引退し……その後にロシア男子の後継者として目されたのが、キリルだった。トリノ五輪直後の世界ジュニアでは、初出場ながら金メダルを手にしたのもその要因だろう。時期バンクーバー五輪のロシアエース候補と。
だが。
「とりあえず俺、ジャックダニエルをロックで」
「いきなり飛ばすなぁ。マサチカ。じゃあ俺は、スパークリングの白で」
「わあキリル、女子力たっかー。大体そこはスパークリングとか言わないでシャンパンにしなよ」
「このぐらいが丁度いいんだよ」
……ロシア人は酒飲みという印象が強い。ウォッカを白米代わりにガバガバのむ奴がいるが、キリルは少し違う。ウォッカよりもワイン。それも、飯に合わせて嗜む派だ。ものすごく親近感が湧く。俺だって中華に合わせて酒をガバガバ嗜む。ーーそれって嗜むっていいませんよ、という弟子の声が聞こえてきそうだ。
平日は夜。しかも週の半ばなので、店が開店する五時に入店すると、客もまばらになるので好きな席を選べる。入ったのはメニューが多国籍な居酒屋だ。奥の方のテーブル席を取り、薄いワイングラスと厚手のロックグラスで軽く乾杯をする。この乾杯は義兄弟の再会と、もう一つ。キリルにとって念願の、日本のアイスショーに始めて呼ばれたことを記念していた。
「日本のアイスショーって、みんなが言う通り凄いですね」
「大袈裟だなぁキリルは。どこも一緒だって。3公演もやったんだから、もう慣れたでしょ」
「全然慣れません! 日本のショーはどこの国よりもお客さんが入ってくれるって聞いてるよ。だから演技のし甲斐がありそうで、それがまた怖いんですよ」
今の日本におけるフィギュアスケート事情は、リレハンメル後のスケートバブルだった頃のアメリカみたいなもんか、と思う。トーニャ・ハーディングの問題行動でアメリカは一気にフィギュアスケートの注目が高まり、ソルトレイクまではスケーターも主催者もウハウハに潤う時代だったのだ。今の日本は、トリノから続くスケートバブルが続いている状態だ。
トリノで日本人初のフィギュアスケートの金メダリストが誕生し、バンクーバーでは紀ノ川彗が男子シングルではじめてのメダルを手にし、続くソチ五輪では現在の日本のエース、菅原出雲が日本人初の男子シングルの金メダリストになった。実力者が連綿と現れる羨ましい時代であり、シングル競技において日本がフィギュアスケート大国だと疑う人間はいないだろう。
そんなフィギュアスケート大国の日本だが、アイスショービジネスも非常に盛んになってきたのが現在だ。特にシーズンオフになれば週末ではどこかでアイスショーが開催される。日本のトップスケーターからに海外の人気スケーターまで、有名スケーターの招致に余念がない。
しかし、全てのショースケーターにとって、日本がいい市場なのかと言われたらそうでもない。日本のスケート人気は、フィギュアスケートそのものの人気というよりも、全てスケーターの人気と言ってもいい。人気のスケーターが出演するから、ショーに客が集まる。ショー文化が根付いたヨーロッパ圏に比べると、そのあたりは遅れている気がする。
それでも、大事な弟分が呼ばれたのは喜ばしいし、彼のようなスケーターと同じショーに出演するのは、素直に嬉しいのだ。
「ホタテと真鯛のアヒージョなんてどうよ? 油まみれで美味いよ?」
「そんな美味すぎて昇天した挙句に地獄に突き落とすような食べ物進めないでくださいよ 。明日体重計が怖くて見れない」
「スパークリングには合うよ?」
「甘い誘惑に乗せようとしないでください」
俺が提案した油まみれのメニューをやんわりと退け、しかし彼が選んだのはエビと鮭のフリッターだった。疑いようなく揚げ物。しかもマヨネーズで食べる。どっちが油まみれなのだろう。
「いつぶりだっけ、会うのは」
「2年ぶりですよ。2年と4ヶ月ぶりです。ソチ後に開催された世界選手権。フリーの後にちょっと話した」
「ああ、そうだった」
ソチ五輪の直後の世界選手権は、日本は埼玉県さいたま市で開催された。当時哲也はジュニアだったし、誰かのコーチとして帯同することはなかった。
テレビ中継の解説席に呼ばれたのだ。男子シングルの担当として。
その時にキリルは、たった一人のロシア代表として出場したのだ。
『ーー彼は先月のソチ五輪、惜しくも代表を逃したわけですけれども』
実況席のアナウンサーはフィギュアスケートに対して非常に勉強熱心で、ルールから出場した選手の大体を把握していた。どの選手の何が得意で、どんなプログラムを滑るのか。もちろん、キリルがどのように五輪の代表を逃したかも。
『ええ。ですが、彼が五輪にふさわしくなかった、と私は思いません。だからこの場にいるのです』
この言葉を吐く時、解説という立場を少し放棄した自覚がある。世界選手権と五輪は大会のグレードが実は同じだ。あまり知られてはいないのは、五輪という場所が四年に一度のスポーツの祭典、という意味があるからだろう。それでも、五輪ばかりが特別視されて同等の大会価値をもつ世界選手権がないがしろにされてはたまらない。
「あの時の俺、ひどい顔していたでしょう?」
「いやぁ悪いんだけど、俺も大して覚えてなくってさ。若年性のボケが始まったんだよ」
「ひどいなマサチカは」
誤魔化すように、俺はジャックダニエルに口をつけた。もちろんしっかり覚えている。しかし、キリル本人がいうほど酷い顔ではなかった。いつもの彼が愛嬌のあるシベリアンハスキーなら、その時の彼は傷ついたところから立ち直ろうとしているシベリアンハスキーという顔だった。だから演技を纏められたのだ。彼のおかげで、ロシアは一枠だった世界選手権の代表枠が次の年は二枠に増えた。
酒を飲み、肴を共にしながら、キリルの近況を聞く。モスクワは最近六月でも暑い。地下鉄が特に地獄だ。交通手段として車を買ったこと。しかもドイツ製でもなく日本製。中古でもレクサスは人気らしい。練習拠点のモスクワのリンクが改修工事に入り、少しだけ近代的なデザインになるらしいとのこと。ターシャは設備がよくなるならさっさと変わってほしいとぼやいていた。ターシャはキリルの現在のコーチで、本名はタチアナ・イニシコワという。元シングルスケーターのすらっとしたロシア美人だ。俺の一つ前の世代で活躍していた。フリッターもアヒージョも終わったので、今度はノンオイルのサラダと九種類の野菜のテリーヌを注文する。完全に順序が逆だ。体重計を気にしないといけないのは、二十代のキリルではなくいい年した中年の俺の方だ。
たまにドラマと映画の小説の話になる。彼は結構な読書家で、海外遠征の時はお守りのように本を持ってくる。カバーを見せてくれることもあるが、会話は出来ても読解は苦手なので、彼が読んでいるネイティブなロシア語の物語はサッパリわからない。どんな内容? 四つの名前をもつ聖者の物語ですよ。遠征の時に本二冊って結構重くない? そうでもないですよ。ポケットサイズのものもたくさんありますし。クリマイの最新シーズン見た? まだ9シーズン目です。ていうか、最新シーズンでホッチがいなくなるって本当ですか?
「マサチカは最近どうなんですか?」
「まあ、オフシーズンだし。ショーがない時は相変わらずリンクと家の往復だねぇ。ああでも、8月にペテルブルクで、ユーリと一緒にショーに出るよ」
プロになってもう10年、その間にもプロデビューしたアマチュア選手は沢山いる。中には五輪のメダリストも世界選手権の金メダリストもいる。それでも俺にショーのオファーが海外からいただけるのは、本当に感謝しかない。出演するのはユーリ・ヴォドレゾフ主催のアイスショー。トリノ五輪戴冠10周年記念のショーだ。
「それはすごい……。あ、振り付けはしないんですか? マサチカの振付、滑りたいっていうスケーター多いでしょう?」
もっと色んなスケーターに振り付けしないのか。それは周りの人間からよく言われる。俺の師匠……星崎総一郎も、振付を受けないのですか? と聞いてくるのだ。彼からは人の娘に、品の無いプログラムを作るなと釘を刺されたことがあるほどだ。よく聞かれる原因は、弟子がジュニアの時に振り付けた「千と千尋の神隠し」の評価がだいぶ高かったからだろう。お陰で何故か、デトロイト在住のアメリカ人から振付の依頼がきてしまった。……俺の振付以上になにか理由がありそうだったが、まぁそれは、今は置いておこう。
作品を作るのは大好きだ。新しい曲を聴いて、どう表現すればいいのか模索する。実際に振り付けの段になって、一から曲の世界を氷の上で作り出す。次に考えるのはショーの時、どういう風に滑ればお客さんが楽しんでくれるか。自分の技術を見つめなおして、新しい技を作ったり、作品をつくるのがするのが楽しくて仕方がない。小説家が次々に新しい作品を出すのと似ているだろう。同じように、例えば弟子の新しい魅力を出すにはどうしたらいいか。現時点での最大限の技術で、最高の表現を引き出すには、どう滑らせ、表現の中で昇華させていくか。それは「氷の上で新しいものを生み出す」という、創作者にとっては非常に尊い作業だと思う。
だが、競技になると話は別だ。世の中にはもっと素晴らしいコレオグラファーが沢山いるのだし、俺の本職はプロスケーターで指導者なのだから、そっちの仕事を優先したかった。
「へぇ、意外ですね。マサチカのことだから、ノリノリで受けているのかと思った」
「いやぁ、でもねぇ」
「俺だってマサチカの作品滑ってみたいですよ」
「……いいこと言ってくれるね」
「もし、マサチカが俺を振り付けるのだとしたら、何にしますか?」
キリルだったらどうだろう。二十代中頃から、ロシア人作曲家の音がよく似合うようになった。五位になった2014年世界選手権も、そういえばニコライ=リムスキー・コルサコフの「スペイン奇想曲」だった。年がもたらす魅力というのも確実に出てくる。だが……
「そうだねぇ……。思い切って、ジャズなんてやってみない?」
長いキャリアの中で、彼はジャズは滑ったことがないはずだ。
「ジャズですか……考えたことなかったです。あんまり似合わないと思っていたので」
それはフィギュアスケートでよく使われるジャズの曲が、リズム感もりもりの跳ね上がるような曲が多いからだろう。テイクファイブ。Sing SingSing。素敵なあなた。大体このあたりの曲は、ステップが得意で踊り心のある選手が滑りたがる。
しかし曲によってはやれるような気がする。現代の軽快なジャズよりも、男性ヴォーカルがしっとりと歌うような渋みのある曲が似合うだろう。そう、山中千尋よりもビル・エヴァンス。
考えてもみよう。まずキリルは、愛嬌のあるシベリアンハスキーなイメージが俺の中で強いが、客観的に見れば結構な美青年だ。甘いマスクというより、愛嬌と精悍さが半々な不思議な雰囲気がある。だがちょっと目を伏せるだけで、ギムナジウムの図書室にいるような哀愁と繊細さが増長される。これで甘い言葉でも囁けば、落ちない女はいないだろう。二郎系ラーメンのニンニクマシマシの如く破壊力が凄まじくなる。表現おかしいか。
だから、甘い言葉の代わりに甘い音のジャズを滑ればいいのだ。深いエッジを使った重厚なスケーティングに、姿勢の綺麗なスピン。ステップも年々よくなっていっている。ゆとりのあるスケートから繰り出されるワルツ・フォー・デイビー。トランジッションもりもりのスケートも勿論魅力的だが、すっと滑るだけでも魅力なスケートもある。そこから繰り出される完璧な放物線のトリプルアクセル。想像してみて……うん。自分で言っちゃなんだけど、イケる気がしている。
一通り俺の案を聞いたキリルは、穏やかに口角を上げる。
「じゃあ平昌五輪のシーズンで、それを俺に振り付けてください。このプログラムで勝負に出ますから」
そうくるか。
少し考える。繰り返すが、自分の本職は振付師じゃない。世の中には俺じゃなくても素晴らしいコレオグラファーはいるのだ。哲也のプログラムの評価が高いのは、俺の創作者としての性と選手の個性が合致したからに過ぎない。
だけど。
「そうだねぇ……じゃあ来年、うちに来たらいい。とびっきりのものを作るよ」
平昌五輪はもう次のシーズンだ。ロシア男子が三枠になるか二枠になるか、現段階ではわからない。ただ、世界選手権銀メダリストのアンドレイ・ヴォルコフの出場は硬いと今から言われている。来年、国内を勝ち抜けるかどうか。繰り返すがスポーツは水物だから、本当にわからないのだ。
そんな五輪出場をかけたチャレンジに、俺のプログラムを使いたいと言ったのだ。
なら断る理由はない。
「約束ですよ」
「おう」
子どもがよくやる指切りげんまんの代わりに、もう一回グラスを合わせた。
酒も肴も会話も途切れずに進んでいく。ロシア人の嗜むを侮ってはいけない。ウォッカよりワインのキリルで「あんまり飲めない方」と言うが、日本人の感覚でワイン一本あけて顔が変わらないのは、「あんまり飲めない方」とは表現しない。白身魚のアクアパッツァとゴルゴンゾーラチーズのリゾットを胃に収めながら、ここ数年聞きたかったことを、酒の力を借りながら聞いてみる。
「キリルはさぁ、スケーターやめたいって思ったことある? スケーターっていうか、アマチュア」
無神経と軽薄さが服を着て歩いているような俺だが、酒が入っていてもこの質問をするのは、腹に力が込もった。
出会った頃、彼はまだ16歳だった。それから11年経った。来月で27歳になる弟分の横顔は、紅顔の美少年から精悍な青年のものへと変わっていた。犬のいいところを集めれば彼のような人間になるだろう。愛嬌があって優しい。人懐っこく、聡明。なによりも、自分の考えを水のようにさらりと伝えられる。それでいて、押し付けがましくない。だから彼はあまりネガティブなことは言わない。
当たり前だが、11年は長い。大学生だった男の子が結婚して、幼稚園生ぐらいの子供がいてもおかしくない。小学校一年生でスケートを始めたてだった哲也も、高校二年生になって、世界を舞台に戦うスケーターになった。人一人の人生が劇的に変わる時間だ。
その時間、休む事なくシニアの舞台で滑り続けている。実力がありながら大舞台に恵まれないことも、手酷い怪我をしたこともあったが、シーズンそのものを丸々休むことはなかった。
男子シングルでは二十代前後に肉体的なピークが訪れる。二十代半ばにもなると、プロスケーターに転向する選手も多い。彼と同じ世界ジュニアでメダルを取った選手は、二人とも競技から身を引いている。引退の二文字が否応なくちらついてくる世代だ。
だから聞いてみたかった。やめたいと思ったことあるのかと。
「あるよ」
そりゃあ、これだけ長くやってればねぇと彼は続けた。そして一番やめたいと思ったのは、二回の五輪シーズンだという。
「ソチの方がきつかったなぁ。原因が自分の失敗以外にもあったからさ。正直、どっちの時も立ち直れる自信がなかったよ。俺も怪我が多いし、五輪とは縁がないしね」
……トリノ直後に時期エースと期待された彼だが、彼は一度も五輪旗の下で滑ったことがない。バンクーバーは怪我。ソチは……あまり触れて欲しくないだろう。少なくともワイングラスを傾けながら話す内容ではない。よく世界選手権で二枠持ち帰れたと思う。
「でもさ、そういう時確かにやめたいって思うんだけど、やめた後の自分が想像できなかったし、やめたとしても、やっぱりやめなきゃよかったってグダグダしている自分の方が想像できたっていうか。もしやめるってなったら、毎日練習のためにリンクに行かなくなる、ってことだよね」
今のままそういう生活になるとは考えられなかった、と彼は言った。
「自分が辛いときにした決断って、あんまり信用できないしねぇ。それだったら、毎日同じようにリンクに来て、新しいプログラムを作ったり苦手な場所を練習して、試合のための準備をしていた方が時間が有意義な気がしたよ。五輪だけが試合じゃないし、他の種類のクワドだって練習中だしね。そーやってやってきたら、いつのまにか10年経っちゃったよ。」
頷きながら、ああこの子は、本当にスケートと、スケーターである自分が好きで好きで仕方がないのだ、と思った。
「我ながら凄いと思うよ。いい事もあったけど、悪いことも少なくなかったしね。ソチの後、後進のためにさっさと辞めろってお偉いさんに言われたときロシア正教に出家しようと一瞬本気で考えたけど。結局悪いこと全部、俺がアマチュアスケーターを引退する理由にはならなかったよ」
だから世界選手権で自分がまだやれることを証明したかったのだ。結果は五位。
選手としての在りようは人それぞれだ。五輪のメダルのために滑る選手もいれば、国のために滑る選手もいる。氷がなくては生きられない選手もいるように、氷と存在が直結しているような選手もいる。共通するのは、皆スケートを愛している、ということだ。
自分の在りようにだけ拘って他を批判するような愚かしい真似はしたくない。
これも一つのスケートに対する愛の形で、スケーターとしての理想の一つだ。
「それに、長くやっていれば長くやっているなりにいいことはあるよ。マサチカ。俺はマサチカと同じ試合には出られなかったけれど、俺が憧れた人が手塩にかけて育てた選手を、叩き潰す楽しみだってあるんだからさ。」
思わず苦い笑いを返した。……そうくるか。
「テツヤはいい選手だね。派手さはないけど、人目をひく綺麗さがある。だから戦えて嬉しいよ。」
そりゃあ指導者冥利につきるってもんだ。
「まぁね。でも、簡単には叩き潰させないよ。なんつったって、可愛い一番弟子だからね」
ここまでたらふく飲んで食べて、しかしデザートを抜かすという頭はキリルには無い。オレンジ風味のクレームブリュレとエスプレッソまでキッチリ頂いた。もちろん俺もだ。
「あーうまい。脳みそ溶けそう」
うまいものには人の語彙を激減させる効果があるようだった。さっき饒舌に自らについて語っていたキリルも、糖分が脳の襞に入り込んでグダグダになっている。もちろん酒も入っているだろう。そんな弟分を横に、俺はアフォガードをバーボンで流し込んだ。
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……五時から始まった宴は、実に九時半まで続いた。店を出ると、見事な酔っ払いが二人出来上がっていた。明日が移動だけでよかった。まぁ、明日が移動だけだから、ここまでグダッと飲めたわけだが。
そういえば、飲みの席で彼は重要なことを言っていたのを、酔っ払いの頭で思い出す。
「ところでキリル。新しいクワド練習中ってさっき言ってたけど」
「ああ。あれは本当だよ。今は、クワドフリップを練習してる。やっぱ難しいし、これを飛んじゃう若い子達はすごいなー。尊敬するよ」
彼が持っているクワドは、トウループの一種類のみだ。二十代前半は怪我が多く、思うようにほかのクワドが練習できなかった。新しい技術、特にジャンプは年を重ねるにつれて習得しづらくなる。理由は主に、アスリートの肉体的な問題で。二十六歳で新しいクワドを習得するのは、相当の覚悟がいるはずだ。
そんな弟分に敬意を評して。
「じゃあさ、もしキリルがクワドフリップを試合でちゃんと決めたらさ。スパークリングワインもってお祝いに行くよ」
「……そこはシャンパンにしませんか?」
「いやー、さっきシャンパンじゃないのを弄ったけど、よくよく考えれば、シャンパンってシャンパーニュ地方で作られたスパークリングのことだから、同じでしょ」
「じゃあまぁ、待ってますし、頑張ります。その前に振り付け忘れないでくださいよ」
「わかってるって」
「どうかなー。マサチカは忘れっぽいからなぁー」
酔っ払いが二人、生ぬるい夏の街を歩いていく。夏の夜空は、冬ほど澄み切ってはいない。空気がどことなくざわついて、忙しない。アスファルトの熱が、生活の熱気と混ざり合う。騒がしい夏の熱は、人それぞれの在り様を示しているようだった。