いづれの御時にか
貝合わせ、歌会、絵巻物。貴族の家に生まれた#女__むすめ__#に、自由などは無い。好きに散歩に行く事も、家族と言えども、成人を迎えれば直接顔を合わせて話をする事すらできない。簾の下から袖が出ただけでもうるさい事になる。
歌や楽器などの教養の他は、貝合わせやすごろく、何度も見た絵巻物、囲碁などしか遊び道具も無く、飽きてしまう。だが、外で走り回って遊びたいなどと言えば、はしたないと呆れられるか、物の怪が憑いたと言われるか。
いっそ鬼のせいにして、入内も無しにしてもらおうか。
そう、簾の中から春の近付いた庭を見ながら、佳香は思った。
藤原佳香。左大臣家の姫で、春には帝の中宮として入内が決まっている身だ。当時の貴族の姫としては、数少ないレジャーが参拝と葵祭であり、佳香も、石山寺に参拝に出掛けて来ていたのである。
「まあ、もうすぐ春でございますね」
一番気の置けない侍女ではあるが、まさか、佳香が脱走を考えているとは思ってもいまい。
「そうね」
「入内ももうすぐでございますねえ。本当におめでたいこと」
「・・・そうね」
「大臣の御作りになられた御衣装もとても見事で、よくお似合いになられますよ。ああ。楽しみですこと」
「・・・そう、ねえ」
溜め息を押し殺し、外に目をやる。
梅の花が咲き、メジロ、ウグイスが枝にとまっていた。そしてその傍で、まだ年若い下男が木の手入れをしていた。
「ああ・・・綺麗ねえ」
日の光を浴び、風に吹かれ、鳥と語る花の、何と羨ましい事か。
「一枝、寄こさせましょう」
言って、さっさと下男を呼ばせ、梅の枝を一枝寄こすようにと言いつける。
男は突然の事に狼狽えていたが、いい枝ぶりのものを選んで鋏を入れ、持って来た。
貴族でもなく、作法も知らないのでおどおどとしていたが、言われるがままに差し出された扇に枝を乗せる。
と、佳香の膝で丸くなっていた猫が突然簾の向こうのスズメに飛びつこうとし、簾がガタンと外れてしまった。
「姫様!」
慌てて咄嗟に袖で顔を隠したし、部屋の奥にいたから大丈夫かと思ったものの、一瞬、ポカンとした顔をしたその下男と、目が合ったような気がしたのだった。
雅行は、大きな溜め息をついた。橘雅行、一応は上級貴族の跡取りではある。
溜め息の原因は、失恋だ。家柄が良く、見栄えも良く、天下の藤原氏の覚えもいい。縁談も降るようにあるし、文のやり取りなど、断られた事などない。
それでも、流石に帝の中宮になろうという人には、声をかけるわけにも行かない。何もしないまま、失恋である。
「はああ。もうすぐ春だなあ・・・」
梅のいい香りが、漂って来る。
「春か。もうすぐなんだなあ、あのお転婆が」
感慨深い声を出したのは、藤原和久。佳香の兄だ。
「お転婆?あの、たおやかな方が?」
「ああ。ここだけの話だぞ。子供の頃は俺よりも上手に、木に登ったし、スズメも捕まえた」
「ははは。ご冗談を」
2人は笑いながら、白湯を啜った。
六郎は下男として父と働き、どうにかこうにか弟や妹を食べさせていた。上の5人は疫病で次々に亡くなっているし、母は末っ子を産んですぐに亡くなった。
貴族なんて、贅沢だ。衣装一枚の金で自分達ならどれだけ暮らせるか。暇で暇で、たまの行楽が参詣しかないと不満らしいが、自分達には、参詣して遊ぶゆとりが無い。そんなに暇なら、仕事を分けてやりたい。
まだ幼い弟ですら家で内職をしているのを思い出す。
その時、か細い声がかけられた。左大臣家の姫に仕える下級の侍女で、姫に梅の花を一枝持って来いという。
なるべくきれいに咲いている、枝ぶりのいいのを選んで切り、そこで、困った。どうやって渡せばいいのだろうか。貴族となんて話した事も無いし、ましてや姫となんて。
オタオタとしていると、クスクスと笑いながらもその侍女がこうしろと指図してくれ、どうにかこうにか、枝を侍女に渡す事に成功した。
それだけでホッとしたのだが、ここでアクシデントがあった。
猫が簾に飛び掛かって、簾が外れてしまったのだ。
驚いて棒立ちになる六郎だったが、悲鳴を上げて顔を隠す女達に我に返り、再び慌て出した。
その時、奥にいた人達がちらりと見えた。なんて美しいーーと思った直後、控えていた姫の兄達が駆け込んで来て、六郎はその場を追い出された。
が、六郎はその日から、その一瞬に見えた女性の顔が、頭から離れなくなってしまった。
「世の中には、あんなにきれいな人がいるのか・・・」
短編連作ライトホラー『体質が変わったので』、劇中劇です。そちらも宜しければご覧ください。御感想など頂けたら幸いです。




