象徴堕天
勇者教と女神教のトップ層による協議は一方的に締結した。
1、聖典の根本的な書き換え
2、全面的な武装放棄および、違反者への極刑
3、上記二点を継続の上5年以内に女神教の解体を行う
この三つを行うことで、今後女神教上層部の身の安全及び解体後は勇者教幹部としての待遇が約束される。
子供でも分かるほどの一方的な蹂躙であるが、しかし法王ニジグはこれを飲む。 確かに幾許かの葛藤や戸惑いは自己保身のポーズとしてあったが、結論はここに至る前にすでに出ていたのだ。
身の安全、さらにはその後の立場も保障されるのあれば、ニジグとしてはこれ以上ない好条件であった。
事ここに至れば女神など知ったことではないのだ。
ゼアクスに促され会議室から喜々として退室するニジグの後ろ姿を見つめ、協議中一度も口を挟まなかったルドルは小さく息を吐いた。
「ひどいモノですね」
魔王と二人きりとなったことに気が付いたルドルは、はっと息を飲む。
「女神教のトップがあのような人物とは」
ゼアクスは苦笑しながらそう言った。
「……終わりの見えた組織などこんなモノですよ、優秀な人間は見切りをつけてとっくに鞍替えしている、残っているのはよほどの馬鹿か愚か者だけです」
実際に現法王のニジグの人柄は目に余った、上には媚びへつらい、その裏で非情に他人を蹴落としていく。
それを実行し実現する能力はあるのだろうが、その成功の最大要因は衰退の一途を辿る女神教徒達の腐敗と脆弱さに他ならない。
愚かに妄信する信者を蹴落とし、盲目的に立場に縋りつく信者を蹴落とし……そうやって法王までたどり着いた男がニジグである。
腐った組織、沈むと分かりきっている泥船であろうと、その中で上へと昇っていく快感がそれを忘れさせたのだろう。 その程度の覚悟の男が徹底抗戦などできるはずもなく、今回の結末は必定だった。
「……幹部にするなどと約束をしてよかったのですか?」
ルドルはゼアクスを見る。
「それはもう、女神教を殺す偉業を完遂するお方だ、我々にとってはこれ以上の功績はありえないでしょう?」
内側からの完全破壊が完遂すれば、確かにこの世界の女神教は死ぬ、腐敗した組織のトップが破壊に動けばそれは高い確率で達成されるのだろう。
「……」
徹底的に潰すつもりなのだと、ルドルは思った。
現状であれば武力でねじ伏せることも可能だ、しかしそれでは取り逃がす恐れがある。逃げ延びた女神教徒が、今も地下で蔓延る異教の中に紛れ込んだ場合、そのすべてを排除するのには今まで以上の時間が必要になるだろう。
これはそれをさせないための一手だ、聖典そのものを書き変え、逆らう者を殺し、その後解体する。
内外両側から破壊することで女神教という存在は、間違いなくその輪郭を失うだろう。
「……その後はどうするんです?勇者教は最大の目的を失うわけですが」
「何通りかパターンはありますが、まぁ単純に女神教の名前を勇者教に上書きするような形になるでしょうね」
「維持を考えるなら実績あるパターンを踏襲するわけですか…」
「それが堅実でしょう?」
「…」
ルドルは項垂れた。
実のところ勇者教と女神教の教義は酷似している。根本的な違いは女神の捉え方だけで、それ以外の教義は従来の女神教を踏襲している部分がほとんどだ。
それは勇者教が女神教の派生であるという事実に他ならないが、それゆえに人々への受け容れもスムーズであった。この後勇者教は長い時間をかけて歴史を捻じ曲げ、女神を徹底的に堕天させていくのだろう。
かつて女神教が、不変であるはずの聖典を政治によって書き変えてきたように。
女神教を長年見てきたルドルは確信していた。
何がエインをそこまでさせたのだろう? ルドルはそんなことを考える。
ある時まで、少なくともこの目の前の魔王と戦うまでは、エインは女神を信じていたはずだ。
「ルドル殿、あなたも随分と苦労してきたと聞いています、しかしわからない、なぜこちらに来なかったのです?」
「私は女神様に誓いを立てた信徒です、女神様がいる限りそれに仇なす組織に属するはずがないでしょう?」
「しかし女神教徒の間であなたは勇者の仲間として酷い迫害を受けていたのでは?」
「……そんな時期もありましたね」
ルドルは目を細めた。
勇者教の発足から始まった周りの見る目の変遷を思い出す。
不信が芽吹き、戦争がはじまると拒絶からの幽閉、戦況が勇者教に傾いた際には年を取らず転生によって死ぬこともないルドルとランへの畏怖、決定的な戦況になった場面での諦観と解放。
他者から見れば様々な利権や感情に振り回された100年だったのだろう。
しかしルドル本人の意識は、この100年全く別の方向に向いていた。
「……それでもなお、信仰は揺らがなかった? それは今も?」
それを知らないゼアクスは再度尋ねる。
「……失礼ですが、それはあなたにも言えるのではないですか? なぜかつて魔王だったあなたが勇者教徒に?」
ルドルの問に、ゼアクスはその口を閉じ、考え込むように目を閉じた。
そしてゆっくりと口を開く。
「……私は神を見たのですよ、圧倒的な力をその知略ですべて打ち払った主上に」
その光景は、ゼアクスの胸の奥深くに刻み込まれていた。
それはすべての魔王の畏怖の先に立つ勇者の姿。
ゼアクスは、王座に座ったあの日のエインの姿を今も瞳を閉じれば鮮明に思い出すことができた。
「やはりエインは……魔王達を掌握したのですね」
「すべてではないですが、大半の魔王は主上に忠誠を誓いましたよ」
「……ッ」
その言葉を噛み締めるようにルドルは目を閉じると、意を決して言葉を発する。
「ゼアクス殿、エインに会わせていただけますか?」
「ええもちろんです、主上もそれを望まれている」
ゼアクスは頷くと立ち上がり、促すように歩き出した。
ルドルは一度小さく息を吐くと、力を込めて席を立ち、ゼアクスの背中を追った。




