悲痛の残響
「まーた化粧なんてして、俺には理解できん」
馬車の上、手綱を握りながら、隣に座るイリスへむけアウルはため息を吐いた。
「まー、筋肉だるまには分からないわよね~かわいそうに」
イリスはそんな意に返さないといった風で、コンパクトを見ながら口紅を塗る。
「筋肉だるまだと!? そんな褒めても何もでんぞ!!」
「別に褒めてねーよ」
「ぬなっ!?」
アウルは驚いたように目を見開く。 筋肉とだるま、縁起いいモノの組み合わせのはずなのに褒めていないとはどいうことなのか、彼には本気で分からなかった。
「……全くこれだから脳みそ筋肉なやつとの会話は疲れる、ねー勇者」
馬車の荷台に腰をおろしていエインは、困ったように笑う。
「俺にふるなって」
「脳みそまで筋肉だと!? お前まさか……これが口説かれてるというやつか」
「いやだから褒めてねーって!」
そんな漫才を見て、エインとランが笑う。
「まったく笑い事じゃないわよ、私のこの美貌はこんな筋肉馬鹿のためにあるんじゃないっつーの」
「筋肉馬鹿……」
「だから褒めて……ってほんとに落ち込んでんのかよ! 鈍いくせにメンタル弱すぎでしょ!」
「筋肉馬鹿……筋肉馬鹿……」
ズーンと身を沈めながらアウルはうわごとのようにつぶやいてる
「あーもうごめんって、言い過ぎたわよう」
「すまん……しばらく放っておいてくれ……すぐ…復活するから」
「お前もうめんどくせーよ!」
「くすくす」
「あ、なーによラン、あんた笑っちゃってないで一緒にこの馬鹿なんとかしなさいよ」
「えっ いえ、私にはどうしようも……」
ごにょごにょとランは困ったように言葉にならない言葉を並べる。
「何言ってるかわかんないわよう」
「イリス、ランをあんまり困らせるな」
見かねたエインがランを庇った。
「あ、なーによエインまで、私が悪者?」
「いや、そういうわけじゃない…」
「もう怒った、エインなんてしらない!」
イリスは頬をふくらませ、プイッとそっぽを向いてしまった。
「そう怒るなよ、機嫌直せって」
「……」
イリスは半目でじとっと勇者をにらむ。
「なんだよ……」
「買い物」
「ん?」
「次の町で、一緒に…二人で買い物につきあってくれたら、許してあげる」
「ん? 買い物?」
意図がよく読めないエインであったが、これ以上イリスの機嫌を損ねるのも面倒だったので、了承する。
「ホント? ホントに?」
了承した瞬間、イリスの顔が、コロッと笑顔になった。
「ああ、いいよ買い物くらい、ただし、あんまり高いものは困るぞ」
「わかってるって、女神様に誓って約束よ、エイン」
イリスは子どものような笑顔を勇者へ向け、小指を出す、エインは若干の理不尽さを感じながらもその指に自分の小指を絡ませた。
「エ゛イン゛ンンー」
はげ上がった頭頂、両目が厚ぼったく腫れ上がり、鼻が豚のようにでかく、奇妙な口をした者が口から液をはき出さしながら勇者の名を呼んだ。
鉄柵ごしに、魔物に引きずられるその奇形な顔をした者は、勇者の名を呼び続ける。
「どうじようエイン、私……ずっとこの顔なんだって……死んでも直らないんだって……魔王がそういう呪いをかけたんだってぇぇぇ」
「……ッ!!」
猿ぐつわを噛まされたままの勇者は、目を見張り、その奇形の者を見つめる
まさか……イリス?
「どーしよーエイン……なんで…なんでこんなっ、ひんっ」
魔物の蹴りが、イリスの腹部に突き刺さった。
イリスの体が浮き上がり、地面に落ちる。
豚のような鼻から膿のような臭い汁を出し、イリスはうずくまる。
「うっううっ」
すすり泣く声が聞こえる。
イリスは、引きずられながら自分の独房の中へ戻された。
「……ッ」
イリスの悲痛な叫びが耳から離れない、それはエインの胸の締め付ける。
その痛みは、生爪を剥がされた手足の痛みを、折檻により痛めつけられた体の痛みを凌ぐほどの苦痛をエインにもたらした。
魔王に敗れ三日がたった。 三日間、ほぼ一日中魔物より与えられる苦痛、時には魔王みずからが拷問に参加することもあった。
死なないように細心の注意を払いながら行われる拷問の数々。
特に魔王の拷問が何よりも残忍であり、冷酷であった。
エインはそれを思い出すだけで、未だに体が震える。
「うっ…ううう」
イリスのすすり泣く声が、牢獄を反響する。
猿ぐつわはされていない、しゃべれることから舌を噛むことだってできる……
でも、きっとイリスはそれをしないだろう とエインは思った。
人一倍外見に気を遣っていた彼女だ。 あんな顔で人前にでるなど、彼女に取って死ぬよりも苦痛であろうと。
エインは、顔をゆがめる。
言ってやりたかった、そんなお前でも俺はかまわないと、
ほかの誰が何を言おうと守ってやると。
ただ、勇者の口からは猿ぐつわを伝って唾液が漏れるのみで、声は液にまみれ発せられることはなく。
ただイリスの悲痛な呻きだけが、残酷な今を突き付けるように牢獄に響き続けた。