恐怖と救生
勇者連合代表カナにとって勇者とはなんだったのか。 長い時間考えることで彼女にとってそれはとても複雑な要素を含んでいった。
カナの故郷である港町は貿易が盛んにおこなわれており、そんな町の大商人の娘として彼女は生を受けた。
何不自由のない生活の中、両親の愛情を精一杯受けた彼女は知的で清楚な女性としてまっとうに成熟していった。
そんな彼女の転機は18歳のころ、盗賊団に拉致監禁された時より訪れる。
粗暴な盗賊たちに囚われ、凌辱された。
今まで向けられたことのない人間の悪意を前に、不安と恐怖で押しつぶされそうになっていたあの時。
そんな恐怖の塊ともいえる盗賊たちを切り伏せる勇者の姿が、今も目に焼き付いて離れない。
体を刻まれ、腕を切り落とされ、目玉を貫かれてもなお一歩も引かずに悪と戦っていた彼。
まだ年は12ほどだろうか、そんな少年の背中に彼女は神を見たのだった。
あの時から自分は始まったのだと、彼女は思う。
勇者エイン、彼の助けになることで自分の中深くに食い込んだ恐怖を消すことができた。
彼の武功を聞く度に心が躍った。
心の深くを抉ったこの傷も、今この時のためだと思うとどこか誇らしい。
この傷は、みじめなのかもしれない。 汚らわしいものなのかもしれない。
だけどきっと勇者様はそれを認めてくれると思った。
目の前で仲間が次々と紙屑のように潰されてゆく。
そんな狂気のなか、ただ目的に向かって彼女の体は6年分の重みを乗せてまっすぐに進んだ。
巨大な黒いエネルギーが蛇のようにうねり脇を通り過ぎる。
右側にいた10人ほどの同志が消えていた。
しかし彼女は歩みを止めない。
襲い掛かる魔物、魔法攻撃の余波、様々な壁を超えるたびに多くの命が失われた。
それでも彼女は進み続けた。 目が熱く、頬を涙がとめどなく伝う。
それが恐怖だと彼女は気が付かなかった。
ただ進む、救うために。
ただそのためだけに、彼女の体は動き続けた。
そして、彼女は到達した。
髪は白く染まり、やせこけた男。
見る影もないはずのエインを前に、彼女はすぐに勇者であると認識できた。
右手を上げようとするが、そこにあるはずの手がない事に気が付く。
慌てて左手をかざすと口を開いた。
口から大量の血液が噴き出し詠唱ができない。
体の違和感に視線を下に向けると、切り裂かれた腹から腸が飛び出していた。
「……ぁあ」
涙で視界が滲む。
自分にとっての象徴ともいえる勇者を前に、彼女は今胸を満たす恐怖を認識した。
この時になって、彼女は気が付く。
そうだ、私はずっと怖かったのだ。と
あの時の恐怖が忘れられず、何とか自分を保つために勇者にすがった。
自分にはどうしようもできなかった敵に対して、傷つきながらもも立ち向かった勇者に、自分は救われた。……救われていたのだ。
それはきっと彼が勇者であることとは関係なかったのかもしれない。
(立ち向かえるあなただから、私はすがったし、そんなあなただから私は恐怖と共に生きることができたんだ)
彼女の中で長い年月をかけて肥大化した理屈や理由がほどけてゆくのを感じた。
本当の想いは、こんなにも単純だったのだと心が理解する。
(今だってそう。この人はこんな姿になりながらも信仰を捨てず魔王に抗い続けている)
彼女はこの時、初めて自分は本当にエインと対峙できたと思った。
荒い呼吸の中、かざした左手に魔力を込めながら彼女は口を開く。
「エイン様……やっと……会えた――」
彼女の左手から火球が飛び出す。
横から飛んできた光の弾がカナの頭部を吹き飛ばした。
カナの放った火球がエインの頭部を貫いた。
「くそ…」
消えてゆくエインの死体を見つめ、ゼアクスは顔を歪めた。




