犯人
あぁぁ、と情けない声を上げる私を軽々と座らせると、みっともない声を上げないで下さいと怒られた。みんなどこにそんな力を隠してるの。自分の非力さが憎い。
そしてそのまま私に放り出したペンを握らせて、無言でジッと見下ろし書類をさっさと片付けろと目でモノを言う圧力をかける。
やるよ、やるけども!エルシアさんの処分の行く末が不安で手に付かないよ!
「ミレット」
「何でしょう」
「情状酌りょ」
「ないです」
「シーラ」
「はい」
「情状」
「ございませんわ」
「情じょ」
「ルルアが来るまで仕事をしてください」
「ミレット、この机では仕事が捗りませんわ。一度、片付けをさせましょう?その間にこの紅茶も……ふふ、私が良きように処分しておきますわ」
「……いい」
ミレットもシーラも何故いつも最後まで聞いてくれないのか。
大体、毒が入った疑いがあるお茶をどう処分するの。というか何で笑った。いや、知りたくない。いい、いいです、言わないでいいです。
悟った私はサッとお茶を自分の方にカップとティーポットを引き寄せてまとめてゴミ箱に捨てた。
ガシャン!と大きな音がして、ポットの中をふき取るとかカップの中身を捨てるだけとかで良かったじゃん……とその時に気付いたのだけど、お茶を何とかしなければと先走ってしまった。後で弁償します。
ちなみにゴミ箱に捨てられたその瞬間、シーラが頬に手を添えて、あら残念と笑っていたのを私は聞いた。
笑うな、コワイ。この言葉は標語にすべきだろうか。あと、ティーセットがダメになったこと以外、残念なことなど何一つもない!
再度聞いてみたが、ことごとく私の意見は却下されて、泣き言を言ってはバインダーで叩かれながら書類の復旧作業を再開していると、ノックもなしにドアが壊れていないのが不思議なくらいもの凄い勢いで開け放たれた。部屋の中が静かだっただけに音が余計大きく聞こえた。
も、もっと普通に現れて。心臓がひっくり返るかと思った。お陰で書いてた紙が破れたよ。
騒音の犯人は全速力で来たのかオデコを全開にして、片腕にいっぱいの服と裁縫道具、片手に食パン一斤をむさむさ食べている同僚を掴んで満面の笑みを浮かべていた。ルルアとレイラだ。
当の原因であるルルアはご機嫌な様子で部屋に入ってくると、ユティアスが腰を下ろしていたソファに服を並べ始めた。何故1着じゃないのか。布地が嵩張ってるだけかと思ったらなんか、3着くらいあるんですけど。
「リュミナス様の着替え持ってきたよ!」
「そちらは必要になるのでダメにしないで下さいリュミナス様」
「あら、レイラもいらっしゃったの?」
「……ピーナッツバターどこ」
「……」
私は思う。何かしら秀でた人は、個性が爆発している、と。なので国境防衛隊の人たち大体が個性爆発している。私も爆発しそう。胃がやられる的な意味で。
破れてしまった紙は手で撫でて広げていたら、奪い取られて細かくビリビリに破られて捨てられた。悲しい……。
大人しく新しい紙を手に取り、カリカリとペンを走らせる。
とにかく、さっさと終わらせて情状酌量を訴えなければ、エルシアさんの一族が危ない。主にロセッティ家のせいで危ない。
黙々と書き続けていると、視界の端に人影が入った。音もなく私の真横に立ち、食パン片手にレイラがガン見している。
「……ピーナッツバターは持ってない」
「何で?」
「何で……」
「何で濡れてるの」
「……お茶が零れた」
「何で」
「……零れた、から」
「何で」
怒涛の何で攻撃!
ググッと唇引き締めて、口を噤む。
レイラは基本的にあまり周りの事を気にしたりしない子だ。
例えば、寝間着のまま外に出ようとしたり、この食事を見れば分かるだろうけど、調理したに越したことはないけど結果、美味しいモノであれば手を加えたものでなくてもそのまま食べ始める。なのでいつも仲の良いルルアに世話をされている。
そんな様子が他人に馬鹿にされる事が多々ある。けれど、レイラは何も考えていないわけじゃない。その自分の態度で理解してくれる者とそうでない者をしっかり線引きして見極めているのだ。
きっかけは昔、彼女の家で起こった騒動が関係していているのだけどまぁ、それは置いといて、言いたいことはレイラは自分の家族すらも選別対象に入れ、区別しているという事だ。徹底的に。
そうして彼女は自分に伸ばされた数多の手を慎重に見極め、選んで選んで選び抜いた。その中に私たちがいる。
片手で足りる程の少ない手を守るためには自分を顧みないレイラは、結果、ここに来て弾丸のように飛び出す特攻隊長みたいな感じになってしまった。昔に比べれば今は話し合う余地があるだけ大分マシになったけど。
前置きが長くなったが私が口を噤んでいる理由はこの前提があるからだ。
私から事の次第を聞き出そうとレイラがめっちゃ迫ってくる!顔が!近い!
恐らく事情を知らない事から考えると、ルルアに何も聞かされず、食パンを食べていた所を私の執務室に連れて来られたんだろう。私に近寄ってみれば机が悲惨な事になっている。私も濡れていて、机の上には氷嚢が置かれている。何かあった。という事は誰かに何かされた?粛清する?みたいな流れに彼女の中でなっているのだ。
それでもし彼女の中で害だと判断されたら、レイラはその誰かを突き止めて何かをしに行く。
その後の流れは決まってる。
私が必死に止める。レイラ止まらない。めちゃくちゃ説得する。止まらない。お菓子で釣る。ちょっと考える……みたいな感じでレイラが止まってくれそうな言葉を探しながら説得を試みるのだけど、その時によって琴線に触れるものが違うから大変なのだ。
しかも、私が止めても大体の場合止まらない。悲しい。
でも今はまだその段階前なので自分で零したで押し切れるはずなんだけど、何故か納得してくれない。ズイズイ迫ってくる!
私ならもっと上手に零すとか言ってるけど、上手に零すって何!?零す時は零すよ!だからやめて、そんな目で見ても言わないからね!
顔を全力で逸らしながら、私がやりましたって自供し続け、脇腹が痛いが左側の肘掛に乗っかるように体を傾ける。
お茶さえかからなければこんな事にはならなかったと思うと、私はもうあのお茶嫌いだと思った。なのでしばらくあのお茶は購入を禁止しようと思う。
今、あのお茶はブーム?知るか!そんなブームは終わらせてやるわ!職権を乱用してやるわ!
「レイラ、リュミナス様を困らせてはいけませんわ」
「…困った?」
「まぁ……」
「分かった……じゃあ退く」
此方へいらっしゃい、とルルアの作った服を見て彼女と話をしていたシーラに手招きされてレイラは私の口から吐かせられなかったからなのか、若干不満そうな顔でそっちへと食パン食べながら向かった。
た、助かった。あともうちょっと遅かったら体を曲げすぎて腰骨が逝かれるところだった。でも私、いつものことだけど色々切ない気持ちですレイラさん。
何かを訴えて続けてくる視線を避ける様に仕事を始めると、今度はコール音が執務室内に響いた。
今日は何だか忙しないなと思いながら音の発生地を探す。鳴っているのは執務室の固定電話ではない。となると此処にいる4人の内の誰かの電話だ。
悲しい事に私は持ってないから必然的にそうなるのだが……私もほしい。
誰のが鳴っているのかとそれぞれに目を向けると、私の恨みがましい視線を受け、うふふと笑うシーラが電話を取った。自慢か、自慢なのか。
つらい、部下からの嫌がらせにあっている。人事異動を願い出たい。
電話の相手はユティアスらしく、シーラは食パン食べながら私をガン見してくるレイラの頭を撫で穏やかに電話の対応をしていた。が、突然グンッと声の温度が下がった。
そして、だらりとレイラの頭から手が落ち、誰もいない壁を見つめてユティアスの声に耳を傾けていると、分かりましたわと電話を切った。
不気味な沈黙が襲う。なんか、シーラの手元辺りからミシミシいってる音が聞こえる。電話が悲鳴を上げている。やめてあげて。あと、怖いです。
「カッフェルタ…あぁ、嫌ですわ。思わず笑ってしまいますわ、うふ、うふふふふふ、本当に、うふふふふ」
「うわー、シーラめっちゃキレてんじゃん。レイラ、あんまり近くにいると危ないからこっち来なよ。服持って」
コワッ!何、コワッ!急にコワッ!
なんか知らないけどキレた時、大体みんな笑い出す。コワッ!
シーラの異様な雰囲気を察知して速攻で私の側まで避難してきたルルアは、シーラの側にいたレイラにソファに並べた服を全て持ってこさせると、シーラの非常に悪者チックな笑い声を総無視して私に服のプレゼンを始めた。
いやいやいやいや、タイミング完全におかしいでしょ。
ちょっと待ってと訴え掛けているにも関わらず、無視してやっぱりプレゼンを始めた。
聞いて。基本的に私の意見を聞いてくれないけど、ちょっとでいいから聞いて。
「で、まずコレだけど、スカートじゃないのが良いって言ってたから久しぶりにパンツで作ったよ。体のラインが全部綺麗に出る様にリュミナス様の体形にぴったりにした。細い線を間隔を詰めて配置した縦模様で、でも動きやすさも必要だから伸縮性の強い生地を使ってて着心地は良いはずだよ。アクセサリーは最小限にシルバー系でまとめてあるんだけど、このベルト、両端にリング付いてるでしょ?ウエストの所でリング同士を潜らせて留めるタイプのヤツでね、フェイクで調整不可。コレのコンセプトはね、リュミナス様が痩せても太っても着られない服」
無視である。そして目が真剣である。怖い。目が。
あ、汗がダラダラ出る。やましい事など何もないけど、見れば分かるんだぞとでも言っている様で、上から下までジロジロと見られた。
「次のはジャケットにしたんだけど、これもベルトは幅を少し広めにしたウエストで締めるタイプにしたよ。こっちは調整可能だからね。あとはショルダーストラップ付けていっっっつも!付けてくれない徽章とかもちゃんと付けておいたから。ジャケットは主流から外れないカッチリしたものを作ったんだけど、中に着るブラウスの襟とか袖にはフリルを付けて、あとはほら、このジャボタイ、可愛いでしょ?あ、スカートももちろんミニ丈のスカートでフリルも付いてて可愛いけど上品な感じに仕上げてあるよ。ちゃんと上品さのラインからは外れないように作ってるから。コンセプトはね、使える徽章は分かるように付けられる服」
1着目をパンを食べ終えたレイラに持たせて2着目の説明に入ったんだけど、何故か説教を受けている気分になった。そして、いっつもの強調がすごい。そんなに徽章を付けないのがいけなかったのか。だって重いしってボソッと言ったら、は?って言われた。ごめんなさい!
「でね、最後にコレ!これに一番手を掛けたよ!全体的に豪華に!デコルテを綺麗に見せる様に大きめに開いたダイヤモンドネック。もちろん、品を損なわない様に胸元はレースをあしらってあるから大丈夫。それに、後ろ身頃と此処の詰襟が繋がってて詰襟留めたら首が隠れるからそんなに大きく開いてるようには見えないはず。あとね、あと、このスカート!フィッシュテールって言うんだけどね、前はいつも通りの丈で後ろは地面に付くくらいの長さにしてあるんだけど、目が引くように光沢があって滑らかな肌触りの生地を使っていて歩くと風を孕んで後ろ側が靡く柔らかい素材にしたの。汚れるのが気になるなら大丈夫、歩いていれば地面に付かない、汚れない。コンセプトは、跪け敵国ども恐れ多いぞって主張する服」
で、どれ着る?と言われた。
……目がコワイ。
売り込み方が前に王都から新しい銃器開発で出来た横に230度広がり射程距離が少し伸びた散弾銃を持ってきた開発部の人と同じ目をしてやがる。そんなに広がったら味方も当たるでしょ!との言葉をもっと無感情でズバッと言ったら、気付かれてしまいましたか、と悲しい顔をされた。気付くよ!なんでそんなの持ってきたの!馬鹿なの!?
じゃなくて、服だよ!
ルルアのテンションが急に上がったけど明らかに日常で着る服じゃない。汚したくなければずっと歩けってどういうことなの?あと、この服のコンセプト怖いんですけど。そんな主張してるの?怖いんですけど。
総合して考えて、どれも着たくない。
ピッチピチのパンツスタイルか、何か重たい徽章が付いたジャケットスタイルか、恐ろしい主張が隠れている無駄に豪華なスタイルかの3択。どれもやだ。
今のでいい。今のままがいい。いや、今のもどうかと思う。私は普通の軍服がいい。間違えた軍服は嫌だ。
「このままでいい」
「うん、分かった。取り合えず脱げ」
「……」
「アハッ!こんなに近くにいるのに逃げられると思ったぁ?」
目がコワイんだって!あと、その台詞、戦場でよく言ってるやつ!
椅子から完全に立ち上がる前にガッと腕を掴まれて、ミレットが普段仕事部屋にしている隣の部屋へと連行された。ちなみに、シーラは少し用事が出来ましたわ、と言って、ルルアのプレゼンの途中で出て行っている。誰も助けてくれなかった。
私がルルアから解放されたのは、雨でただでさえ灰色の景色だった外が暗くなって来た頃だった。
着替えに生命力を持っていかれた。死んじゃう。
部屋に入って直ぐ、目も声も笑っていないが可愛い顔で脱げ?って言われ、穏便に話し合おうと説得したが無残にも話し合いは拒否され、逃げようとして壁際まで追い詰められて壁ドンされた。コワイ。
ルルアの身長は私より低いから若干目線が下にあるのだが、見上げられるの超コワイ。ギロリと見上げられて、逃がさないよぉ?である。コワイ。
大体、こういう時のルルアからは逃げても捉まるのだ。知ってるのに逃げるのは条件反射である。ぶちギレた時も怖いけど、こっちも同じくらい怖い。両方ともある意味リミッターが外れてるからどっちも怖い。
私はこの時の状態のルルアを、服にとり憑かれた追いはぎバーサーカーと名付けている。
そして私に一通り着せ替えさせて、着用しては私がナニコレと呟くとルルアが服と返す作業を行いつつ裾直しをして、この前計ったのにまた全身計り直し、次回作の構想を喋り倒し、ルルアは満足気に帰って行った。
つらい。
終わった頃には他の2着はもっと何か出来るとの事で、2番目の使える徽章は分かるように付けられる服を着せられていた。疲れた。身も心もボロ雑巾である。
げっそりした顔で執務室に戻ると、ミレットとレイラは居らず部屋の中は雨音だけがしていた。
書類仕事を再開させなければ、と使命感でよろよろと向かうと机の上や周りが綺麗に片付けられ、山となっていた書類は消え失せ、濡れていたが今は乾燥したヨレヨレの書類のみが残されていた。
机の真ん中には一枚の書置きとコップ一杯の水と軽食が置かれている。書置きはミレットの字だ。
『急ぎのモノはないので、こちらを書き直されましたら本日はお休みください ミレット』
頑張って今日中に終わらせようとしていた私の苦労は何だったんだ……と複雑な気持ちになった。目頭を押さえながら天井を仰ぐ。
いや、もう、なんとなく知ってた。明らかに一日で処理する量じゃなかった。量が尋常じゃなかった。
ため息を吐きながら書置きを伏せておこうとしてひっくり返したら、死ぬほどビックリした。ヒィって声出た。
紙のど真ん中にぽっかりと丸く開いた口らしき所から真ん中の歯が異様に長くて、迫ってくるような臨場感を持った全体的に溶けてる化け物が「頑張って」って手を振り応援している絵が描かれていた。
コ、コワッ!呪いの絵!?
頭の辺りの2本の鋭利な長い突起物は何なの?武器?武器なの?いや……なんか端っこにうさぎ可愛いって書いてある。え、うさぎ?これ、うさぎ?
心を落ち着けて、悲しみと恐怖が混在する書置きを恐怖面を内側に折りたたんで引き出しにそっとしまっておく。……私は、何も、見ていない。よし!書類もあとちょっとだ!頑張ろう!
暗示を掛けつつ気持ちも新たに、依然滲んだ文字を凝視する。……口に出すのも恐ろしいおぞましい事が起こった。ルルアの衝撃が凄すぎて記憶がとんで思い出せなくなってる。記憶を辿り、首をひねり、唸り声をあげながら必死で書き連ねていき、ようやく私はお茶に滲んだ文字を簡単にだが書き出し終えた。
もう何も考えられない、と背もたれにぐったりと体を倒して掛け時計を見る。すでに時計は真夜中を指していて時間を脳がはっきりと理解したら眠気が襲ってきた。
カッフェルタからの手紙からの怒涛の勢いで起こった色んな事で私疲れたよ。
無駄にキラキラしているシャンデリアを見上げて、眩しい……と呟く。
コレ経費の無駄だよね、とみんなを止められなかった昔の自分を思い出し、あ、今もだったわ、って言うか眩しいから取り外したいと儚んでいるとコンコンとノック音が耳に入った。
「誰だ」
「第2部隊所属のリンク・アンバートです」
疲れすぎてボーッとしてたから、危うくどうぞ~とか言いそうになってた。危ない、危ない。ミレットじゃなくて良かった。悪しき態度がいつの間にか身に付いていたお陰で誰だって言葉が出てきた。良かった良かった……何も良くない。人が部屋を訪ねてきて誰だって返すって。何様なの。
国境防衛隊のリュミナスとしては正解だろうけどちょっと自分の将来が心配になった。早急に話し合いが必要である。私の将来の為に。
取り合えず、廊下で待っている彼に入室を許可する。
失礼しますと言って中に入ってきた男は、肩口まで伸び軽くウェーブしたオレンジ色の髪を持つ柔和な顔をした隊員で銀のトレーにお茶のセットを持って立っていた。
第二部隊という事はミレットの管轄だ。どうやらミレットが気を利かせてくれたらしい。
お茶はミレット監修だろうし、持って来ているのが使用人でないのは今日のエルシアさんが原因だろう。だからって隊員使いますか?どう考えても夜勤で仕事中の人だよね。
と言うか、ミレットはまだ仕事中って事ですか?昨日も夜中まで働いてたよね?……危険な思考とストレスは睡眠不足から生まれるんだと私思う!みんな8時間くらい寝たら良いよ!
失礼しますと声を掛けて手慣れたようにお茶を準備する彼は、私を一瞥することなくお茶に飲み視線を落としている。
なんかうちにいるのって血的に一般市民の方は私以外いないんだけど、貴族って、いつから何でも自分で出来る時代になったの?私の学生時代にいた貴族はそうじゃなかった気がする。自分で何も出来ない人とかいた。学校でお付きの人がめっちゃ侍ってた。
で、お聞きしたいのですがこの香りは例の紅茶じゃないですか?
いや、お茶を貰えるのはありがたいが、本日ワースト1に燦然と輝いた例のお茶である。匂いでなんか色々よみがえってくる。つらい。それ、持って来ないでほしい。つらい。
よみがえるから、今日の出来事とかティーパーティーとかその最たる原因とかが走馬灯のようによみがえるから。
息を止めて思わず顔を顰めてしまった。
「リュミナス様?」
「……茶を下げろ」
「あの、その、お気に召しませんでしたか?」
「下げろ」
「ですが、」
「下げろ」
「何か、不手際でも」
「いいから下げろ」
「で、ですが」
「しつこい……何だ」
そんなにこのお茶飲んで欲しいの?
いつもなら使用人も隊員も言えばすぐに行動してくれるのに、ものすごい食い下がってくる。
何か相談事でもあるのかと思いながら見上げると、彼はのっぺりとした仮面のような気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
三日月のような口が、もしかして、バレました?と言ったかと思うと、ポットを机の上に置き、顔でも洗うかの様に俯き加減で両手でグリグリと顔を擦り、数秒後、そのまま髪を掻き上げながら顔を上げた。
そこに居たのは顔も髪もさっきとは違う別の人間だった。
掻き上げた手をだらりと下ろすと黒みがかったもっさりした緑の髪が下りてきて顔半分が前髪で隠れてしまう。下りきってしまう前に見えた目は白に近い青紫色をしていた。
うえぇぇぇっ!?なになになになに!誰ェ!?
真顔を維持しながらも密かにギョッとしている私を置いて、一仕事終えたかのように息を吐く男は、まっすぐ立っていた背中を丸めて首をゴキゴキと鳴らし、頭をガシガシと掻きながらソファへと向かいドカッと深く腰を掛けて背もたれに頭を乗せてコッチを見る。
「全然驚きませんね。なんだか残念な気持ちです。はぁ~、顔変えるのって結構高度な魔法なんで疲れるんですよねぇ。出来る人間も限られているんで僕は引っ張りだこなんですよ?少しくらいは驚いて欲しかったです。それで、どうやって僕がリンク・アンバートではないって見破ったんです?自信なくすなぁ。今後の参考にお聞きしたいんですけど。もしかして、僕の存在もご存じだったりしました?」
「……」
「いやぁ、無視は酷いなぁ~」
睨み付けると男はまるで演技をするかのように大げさに肩を落とした。
一応言っておこうと思う。私、見破ってないです。
そのお茶引っ込めてくださいって言っただけで何も見破ってないです。ホント、自信持ってください。
あと、なんかリラックスして座ってますけど、本当に誰!どう見てもうちの隊員じゃないですよね!不法侵入……じゃなくて!スパイ!?スパイなの!?いつからいたの!?
私の戸惑いは伝わっていないようで、男は口角を上げて朗々と語りだした。なんだかとっても胡散臭い。
「実はですね、一週間ほどお邪魔してたんですけど、なんと言いますか、此処の人間の口の堅さは素晴らしいですね。感心しました。本当ならもっと詳しく調べてから成り代わるんですけど、あの時しか入れる隙が無かったんですよねぇ。そこで僕と同じ背丈ほどの男を適当に見繕ったんですよ。それがリンク・アンバートだったんですけど。ラッキーな事に此処に来て1ヵ月程度だって言うじゃないですか。じゃあいいかと思ったら、恋人がいたとか。その情報を聞き出せなかったのは仕様もない凡ミスです。言い訳するならば時間が無かったって言うのがあるんですけど、僕、すっごい反省しました。ダメですね、焦っている時こそ冷静でなきゃいけないって事です。で、その恋人には別れを切り出しても良かったんですけど、騒がれても面倒だったので放置していたんですよ。そうしたら僕の態度が違うとか言って付きまとってきて、対応を間違えたと心底後悔しました。そのせいで、すぐに関係がバレて怪しまれてしまって……ロセッティ家の坊ちゃんに捕まる前に逃げられたのは運が良かったです。でも今回の失態で僕、帰ったら怒られてしまいます」
「……お前」
「何でしょう?」
「リンク・アンバートはどうした」
「どうしたと思います?」
「……」
「いやぁ~、怒らないで下さいよ。どちらにも不要な人間だったからいいじゃないですか。しかし、いやホント、僕、この手の仕事で見破られた事なんてなかったんで自信なしくしますねぇ」
どうやらこの人、会談の時には成り代わっていたらしい。しかも、自分がこんな仕事をしましたって普通に自供している。
めちゃくちゃ喋る。ベラベラ喋る。怖いくらい喋る。
え、こういう場合って物語だと聞いちゃった人、大体お亡くなりになるパターンじゃね?え?私、やばいんじゃない?今、冥途の土産的なモノを聞かされている最中なの?
ヒェェッ!だ、誰か呼ばなきゃいけないけどこの状況でどうやって呼ぶ!?く、くそぉ、こんな時にあの配給された電話さえあればぁぁぁ!!
余裕を装って背もたれに体を預けて足を組みその上に両手を置くフリをして太ももに回っているホルスターに収まっているピストルを確かめる。メンテナンスは一応してるから使える。一度も使った事ないけど。相手が何かしてきたらすぐに盾魔法を発動させるつもりではいるけど、万一の場合はコレを使わなきゃいけない。
しかも、相手はうちの隊員を一人手に掛けているっぽい。ヤバイ、手が汗でべたべたする。
「カッフェルタか」
「生まれも育ちもそうですよ。あ、僕に興味がありますか?」
「ない」
「そんなハッキリ言われると傷付いちゃうじゃないですかぁ」
「……」
「すごい嫌そうな顔ですねぇ」
「何しに来た」
「ご存知の通り、カッフェルタの王子サマに依頼されたので手紙の配達です。後はカッフェルタでの会談までの間、貴女とその側近たちの経歴とか此処の内情とか色々と調査を頼まれました。本当は僕じゃないのが来るはずだったんですけどね、貴女のこと前から気になってたんで来ちゃいました」
来ちゃいましたじゃないよ!