文句
道を開いたカッフェルタの騎士たちを一通り白けた顔で眺めたルルアは、傍で伏してぜぇぜぇと荒く息を吐く馬を見下ろしてしゃがみ込むと、労わる様に首を撫でた。
「いっぱい走ってくれてありがとねー。ここのオジサンたちが、お前のことをそれはもう……空を駆け回る天馬の如く衰えを知らない軍馬のような軽やかで健康な体を取り戻せるようになるまで、誠心誠意全力で回復させてくれるからねー……じゃ、この子の面倒見といてね?それくらい、下っ端でも出来るでしょー?」
無理させちゃったからちゃんと見てあげてね?と真ん丸な目を見開いて真顔で一番近くにいたカッフェルタの騎士を見上げると、軽快に立ち上がり、ニール・シーガルにじゃあ、よろしくお願いしまーす、とニコッと愛らしい笑みを浮かべた。
胃が痛くなってきた……キリキリする。
色々と余計な一言を繰り出しながら、ニール・シーガルに笑いかけるルルアに、戦争回避した安堵よりもドン引きが勝る。
何て言うか、ルルアの敵愾心が強すぎて何も知らないカッフェルタの騎士が恐怖に陥れられている。
やめてあげて……彼らは、その、関係なくはないけど関係ないから。
「だから、何するつもりだったか教えてもらってもいいッスか?って聞いてるんッス」
ルルアに馬を託され、顔を青ざめているカッフェルタの騎士に、憐憫と共に共感と申し訳なさを感じていると、声をひそめつつも責めるような言葉が聞こえ肩がビクッと震えた。
その声に引き戻されるように視線を戻すと、シルカとセオドア・レノルズの睨み合いが続いていた。
……そうでした。コッチはまだ何も解決していなかった。
「明らかにどさくさに紛れて何かしようとしたのは見たんで言い逃れは出来ないッスよ。場合によってはオレのナイフが火を噴くって話で……あ、ちなみに朝にも言ったと思うッスけど、火を噴くって言っても実際にナイフから火が出る訳じゃなくて、オレが斬った切り口から血が火のように噴き出る的な意味ッスからね!」
「……再三仰られていたのに、触れようとしてしまった事については謝罪致します。申し訳ございません。しかし、先程もお伝えしましたが、今謝罪させて頂いた件以外については私には何のことだか分かりかねます」
「いや、ソレどんなシラの切り方ッスか?見たって言ってる人間が此処ってか目の前にいるんッスけど」
「ですが、そう仰っているのは貴方だけで、貴方の証言以外に証明する方法はあるのですか?……まぁ、しかし、私の行動が紛らわしかった故に誤解を招いたのだとしたら謝らせていただきますが……」
一貫して身に覚えのないと、少しだけ刺々しさを含ませ逆に尋ね返してきたセオドア・レノルズに、シルカはうえぇと面倒くさそうな声を上げた。
シルカ曰く、私が魔法を発動しようと翳していた手を、既に詠唱終了間際の魔法を纏った手で掴もうとして私に危害を加えようとしていたのを見た。自分の口から何しようとしていたか答えろ、と。
対してセオドア・レノルズは、魔法を発動させようとしている私に気付き、とっさに駆け寄って魔法を止める為に手を掴んで事情を聴こうとした。ソレについては謝る。が、自分はその際に魔法を発動させてないので、危害を加えようとしたと言うのは事実無根。証拠があると言うのであれば、シルカの証言以外で証明する方法を提示しろ、と。
……なるほど。
近くにいて、辛うじて証言出来そうな同郷の人間と言う括りで言うならば私だ。
が、セオドア・レノルズが近寄ってきたのすら全然気付かなかった私は全く何も見ていない。むしろ前しか見てない。城門付近しか見てない。手を伸ばしてきた相手がセオドア・レノルズだと気付いたのもシルカに引っ張られて、地に足を付けた後だ。
そして、周りのカッフェルタの住民や騎士が何を見ていたかと言えば、どう見ても視線は突如現れて怒り散らすルルアと前方で彼女と対峙するカッフェルタの騎士との攻防じゃないだろうか。
こうして私たちがど真ん中に立っていても、視界の中にいるけれど興味のないものは除外されると言う現象と一緒で、意識はそっちに行っていて、見てないと言うか、見えていない可能性が高い。
まぁ、中には関係なさそうな、いかにも貴族の女と従者然とした人間が急に視界に入って来たら、気になってアイツ等何だ?と見ていた人もいただろうけど……。
仮に、その人がセオドア・レノルズが魔法使って近づいているのを見ていたとして、この中からどう見つけたらいいの?……え、挙手?挙手制?
残るはノア・ウィッツ・カッフェルタとコンラッド・クーンズだけど……。
彼らがずっとこっちを穴が開くほど注視していたというのであれば証言になる、とは思うけど、ずっと見ていたか分からない……って言うか見てなかっただろ。大体、なんかさっき目で訴えている時に見たら、詰め所内で二人して揉めてたし。
……む、難しくないか?
と言うか、そもそも魔法発動させて手を掴もうとしている所を見ていた人がこの場にいたとして、カッフェルタの人が此方に有利な証言してくれるの?
それに、移動しながら小声で詠唱していたなら詠唱もこのざわめきの中では消されているだろうし、魔法を発動していたかなんて、魔法を探知出来る魔法が出来る人を連れて来るか、それ系の道具がなければ現状無理じゃない……か?
もし、その辺りが今出来たとして、私も直前まで魔法を発動しようとしていたし、そっちに反応しているとか言われたら……証明、難しくない?
「……あー、コレって一発あのキレイな顔ぶん殴ってもいいッスか?」
私と同じように、明確に答えられない事を逆手に取られた上に、なあなあにされて終わる雰囲気を感じ取ったらしいシルカは、セオドア・レノルズを指差しながら、アイツ嫌な奴ッス、と言いながら私に殴っても良いかと物凄い嫌そうな顔をして此方を振り返った。
気持ちは分からなくもないが……うん、それは……うん、ダメ、だね。普通に。
知ってて欲しいんだけど、手を出すのって良くないんだ、実は。更に色々加味すると、この場合、何もしてないのに急に殴りかかられたとか言われる可能性と言うものがあって……。いや、聖騎士がいるような国がそんな卑怯な事するとは思わないけど……うん……いやいやいや、うん、しないと思うけど、万一の為に止めておこう?
なんか、ごめんね。唯一の証人となりえる筈の私が見てなかったばっかりに言い返せなくて。
とりあえずさ、指差すのも止めておこっか……。
「どうしてもダメッスか?グーにはしないッス。グーよりちょっと中指が飛び出してるかなぁ?くらいの感じの奴ッス。当たる面積はグーより少ないッス!此処ッス此処」
「……」
「ダメっすか?」
「駄目だ」
「ダメっすかぁ……」
……こ、この子、普通のグーパンチより殺傷力が高そうなパンチを繰り出そうとしている!いや、グーだったら良いとか言う訳じゃないけど!
説明する為に、ほら面積少ない!と中指の第二関節辺りを指差して殴る為の部位を見せられ、一瞬意味が分からなくて、え?なに?えぇ?なんて?とか言いそうになった。危ない。
隙あらばカッフェルタを害する努力を忘れないシルカに恐れ慄きながらも、殴るのは諦めてくれたので、ようやくこれでひと段落……と息を吐くと、周りからこそこそと、あそこにいるのはセオドア様か?だがノア様がいらっしゃらないぞ?でもセオドア様じゃない?との声が上がりだした。
はっ!としてセオドア・レノルズを凝視する。
そういえばこの人、セオドア・レノルズである。
普通にどこからどう見てもセオドア・レノルズである。王子付き侍従の一人、セオドア・レノルズである。騎士服じゃないだけで普通に身なりの良い恰好をして、顔面を晒した状態のセオドア・レノルズである。
……全然ひと段落ではなかった。
ルルアの方が終息したからなのか、はたまたセオドア・レノルズが現れたからなのか、何やら揉めている雰囲気の三人がいるからなのかは分からないが……いや、そのどれもだとは思うが、こっちの方に視線が、と言うよりセオドア・レノルズに集まりだしていた。
……この人、単体で目立つなって言う方が無理だろってくらい目立ってる。
いや、分かるけど。この人に関していえば宰相である父親そっくりだし。
それに、うちの側近たちもそうだけど、ノア・ウィッツ・カッフェルタの侍従もみんな綺麗な顔をしているから普通にしてても目立つんだよ。
何と言うか、ノア・ウィッツ・カッフェルタが陽の美形に分類される容姿と言うのであれば、セオドア・レノルズは陰と言うか、あったかいと冷たい的な、正義と悪であればこっちよりの容姿と言うか……なんか、もうちょっとマシな例えがあった筈なんだけど。語彙力が終わってる……。
と、兎に角、そんなセオドア・レノルズが堂々と顔面晒した結果、コレである。
セオドア・レノルズ一人でこれだけざわざわしてるのに、一緒にいたら流れで今はまだバレていないだろう私だってバレるのも時間の問題だ。
……いや、バレるとかバレたくないとか今更何言ってんだって話だけど。違うんだよ。
さっきのルルアを止めようと思った時にバレても良いと言うか、バレるのは仕方ないと思ったのは、私の事より優先すべき事態だったからであって、バレ無くて済むなら全然バレたくないんだよ。
なんならルルアにも私が此処にいることがバレていない今、彼女にバレるのだって避けたい。此処でルルアにバレて見ろ。ある事ない事ミレットたちに報告される。
……バレた時の自分の身に襲い掛かるであろう未来が恐ろし過ぎて、何もされていないのに勝手に泣きそうである。
ま、まぁ、ニール・シーガルがルルアの対応をしてくれたお蔭で、私と言う存在はバレていないから大丈夫。大丈夫だと思う。多分。
そう考えると、さっきセオドア・レノルズに、いやシルカに盾魔法の発動を止められていて良かったな。それらのお蔭で今、私は私だとバレていないし。
不自然にならない様に顔を伏せながら帽子のつばを下げて、速く去らねばと撤退すべく一言、行くぞとシルカに伝えて詰め所に向かってそそくさと歩き出す。
はいッス、と付いてくるシルカとは違い、セオドア・レノルズは何故か付いて来ず、歩き出そうともせずに何かを探すように辺りを見回していた。
……え、何してるの?
「……そこのお前もさっさと行くぞ」
「先にあちらでノア様とお待ちください。私は準備して参りますので」
彼はそれだけ言って颯爽と人混みの中へ突っ込んで行く。
……え!?
え、何、この状況で急にどこに行くって言うの?準備って、何故わざわざ人混みの中に?囲まれるよ、囲まれ、あー、囲まれた……けど無視して早足で突っ切ってる!早足速っ!えぇ……本当にどこに行くの。
颯爽としすぎて止める間もなかったんですけど……いや、止めて止まるのかと言われれば止まらないとは思うけども。
そのまま呆気に取られてぽかんと彼の去って行く姿を見ていると、彼が消えて行った方向とは反対側の城門側からルルアとニール・シーガルの仲の良さそうなやり取りをする声が聞こえてきた。
「ところでさぁ、オジサン一人で来たのぉ?」
「だから……いや、まぁな」
「なんでぇ?最初っから此処にいたのー?それとも呼び出されてきたのー?お休みだったんでしょ?騎士服着てないじゃん?ソレ私服?あは、ダサぁ!」
「……非番に俺が何処にいようが良くないか?」
「ん?うん。全然どうでもいーよ。ただ暇つぶしにオジサン揶揄ってるだけだし?」
「はぁ……とりあえず、馬か馬車を用意させてるから大人しくしてろよ?」
「はーい。分かってるって……あァ?」
「どうした」
「……」
「何処見て……っ!」
「……へぇ?ふーん?そー、ふーん?」
「おい!こら待て……っ!」
ルルアのきゃらきゃらと人を揶揄って笑う楽し気な声が、彼女の声に振り返った私と目が合った途端に、城門前でブチ切れていた時くらいに一気に低くなった。
しまった!目が合っ、き、キレてる……!
慌てて俯いて顔を隠してみたけど、全くもって意味をなしていない気がする。
めちゃくちゃガッツリ目が合ったし!バチッて効果音が鳴るくらいに完璧に目が合ったし!声につられて振り返っちゃったとか馬鹿なの!?
ダラダラと嫌な汗を背中に感じているその間にも、タタッと軽快な足音が近づき、その足音は私の前でピタリと止まった。
空気空気空気空気!人違い人違い人違い人違い!ちょっとそこら辺、にはいないかも知れないけど人違いだから!
頼む、人違いという事にしてくれ!と言う私の願いなど、粉々に踏みつぶしてやるわと言わんばかりに、ルルアは俯いて顔を隠す私の顔を覗き込んできた。
若干乱れたフワフワとしたショートボブの桃色の髪の隙間から、深淵を映したかのようなマゼンダのギラリと光る瞳に目の奥まで見てやるとばかりにガン見される。
コワイってぇぇ……っ!
あまりにも目が怖すぎてスススッと視線を避けるように目を逸らすと、視界の端にルルアが私の全身を上から下まで舐めるように視線を何度も動かしてるのが入る。こえぇ。
しばらくして、ふんっと不満げにルルアの鼻が鳴る音が耳に入る。
恐る恐るルルアを見ると、辺りをキョロキョロと見回して、周りの騎士たち、町の人たちの集団を注意深く眺め、詰め所の入口にひたりと視線を止めると、また、ふーん?と口を開いた。
「えー!びっくりぃ!このドレス超趣味わるぅい!選んだ人間の気が知れなぁい!この人にぜぇんぜん、似合ってないんですけどぉ!ほーんと何にも分かってないわぁ!この終わってる趣味の人だいじょーぶそ?てか、こんな格好で外歩かされるとか可哀そ過ぎるんですけどー!趣味も悪くて頭もわぅっ」
ルルアのどデカい声に、思わず止める言葉よりも先に手がルルアの口を塞いだ。
おいおいおいおい!声デケェ!
何、え、何!?声高らかに棒読みで、しかも器用にも半笑いで私の着ている服装について捲し立てる勢いで貶し始めたんですけど!
おぉ!と何故か拍手しながら感嘆の声を漏らしているシルカに、静かにする様に目で訴え、ルルアにだけ分かる様に焦りながら口パクで何してるの!と言い募る。
ルルアはキョトンとした顔をしたかと思うと私の手を口から外して、そのまま私の腰に腕を巻き付けると、愛らしいと言うか最早世にも恐ろしい悪魔を体現でもしてるのかとばかりに笑った。
「大丈夫だよぉ?シーラからカッフェルタに行くにあたって、適度に脅して適度に馬鹿にして適度に困らせてやっていいって許可貰ってきたからー。どうせそうした所で自分たちが先にこっちに無礼を働いたんだから、それくらいは許されるでしょって。カワイイ悪戯だよぉ?」
……言ってる事もやってる事も怖いんだって!




