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失われた記憶

 先を歩いていたヨゼフさんが壁際に寄り、続いて私達の前を歩いていたノア・ウィッツ・カッフェルタが中に入って行った。それに続くように意を決して私はシルカのエスコートを受けて中に足を踏み入れる。


 いまだにブツブツと聞こえる声に恐怖を感じつつ、全員が室内に入ったところで、シルカから手を離し体の前でギュッと手を重ねてまっすぐ立ち一呼吸して顔を上げた。

 顔を上げなきゃよかったと早速後悔した。


 そこには、さっき通ってきた部屋と同じような感じの雰囲気の個室……の中で鬱々と淀んだ空気を発生させている一人の男がいた。

 恐らく、いや、この流れで違う人に会わされても困るけど、恐らく目的の人物である太眉くん……のはずだ。顔が見えないから眉毛が太いかどうか分からないが。

 そんな太眉くん(仮)は、ベッドの端に背中を丸めながら腰を掛け、私達が来たことにも気付いていないのか俯いたままで一人呟くように自分の無実を訴え続けていた。


 壁の謎の見えない扉が開いて声が聞こえてきた時点でヤバいと思ったが、実際の様子を見てもヤバい。彼の様子もヤバいけどそれに加えて場所もヤバい。


 不本意ながら私、もしくは私の部下たちによって精神的苦痛を負ってしまった人たちを治療しているそんな部屋の壁一枚向こうで、人を此処までどん底まで引き落とすようなことが行われていたということである。


 普通にコワイ。人として。


 太眉くんの状態もそうだけど、清潔さと花の香りがするフローラルな療養所は見せかけで、その施設の裏の姿は、此処の医者と一部の聖騎士しか知らない尋問と言う名の監禁施設が隠されている場所だったとか言うんだったら、カモフラージュの仕方がコワイ。此処の人たちみんなグルである。

 何故此処に太眉くんを連れて来た。

 壁に魔法が施されて一部の人しか出入りできないようになっていて、今は壁が閉じてるけど、此処、療養している人たちのいる部屋の隣でしょ?

 えぇ……引く。

 一体どう言うつもりでそんな作りを……ん?って言うことは……いやいや、え?まさか、まさかだけど、他にも何か見えない扉的なものがあってそこには別の重症患者、または尋問途中の人がいるのを隠してるとか言う感じなの?


 まさかね、とは思いつつも連鎖的に浮上した疑惑から生まれた猜疑心からなのか、なんか視線を感じるような気がしだした。


 バレないように耳を澄ませて目だけを動かし、室内を見まわす───が、普通に全然分からない。そもそも魔法で隠されているのであれば、私に分かるはずがなかった。

 見回したって部屋の中にはベッド以外には壁の角に観葉植物と角がない簡素な机と椅子があるだけで、仮に本当にそんな場所があったとしても、私が出来ることは精々やっぱりあったじゃんかムリぃ……と言いながら十字を切って気絶するくらいである。

 なにがどうしてもビックリするほど使えない自分に絶望を感じる。


 いや、こう言うのは逆に分からなくて良かったんだよと訳の分からない慰めを自分に向けつつ扉探しを諦め、太眉くんに視線を戻す途中、私の挙動を見ていたらしいノア・ウィッツ・カッフェルタとガッツリ目が合った。


 ……やばい。見られた。なんか急に眼球ギョロギョロさせる完璧に不審者な所を見られた。

 

 いや、うん……太眉くんの存在を確認したかと思うと急に目をギョロギョロさせる挙動不審さを遺憾なく発揮させる女とか怪しいに決まっている。私だってそんなの見ちゃったら怪しいと思う。え、何見てるの?何、何かあるの!?って思いながら、ずっとその人のこと見ちゃうわ。

 しかし、だからと言って部屋が怪しいからギョロギョロしてましたなんて理由を言えるわけもない。

 疾しさから固まっていると、ノア・ウィッツ・カッフェルタはニコッと微笑み太眉くんの存在を隠すように私たちに背を向けて立った。

 そして、そのまま不審者振りを発揮していた私を追及することもなく、最初からそうするつもりだったと言わんばかりに優しく気遣うような声色で太眉くんの名を呼んだ。


「ニコラス」

「俺は」

「ニコラス」

「知らない」

「ニコラス・レイン」

「俺は、俺は何も……違う。違う。なんで。俺は、そんなことするつもりは。俺はただ、」

「確かにまだ昨日と変わりがないようですね」


 ふむ、と彼の状態を確認しヨゼフさんの言葉に納得したノア・ウィッツ・カッフェルタは、一瞬何かを考える素振りを見せると、何故かこちらを振り返り、私に向けてなのか何か言いたげな表情を浮かべていた。

 不審者振りについて聞かれなかったことに、助かったようなって言うか今、私と言う不審者を太眉くんの視界に入らないようにされたのか?とか、そもそもギョロギョロしてたことを追求しなくて本当にいいの?私が何か不穏なこと考えてたらどうするの?しないけども、とお前どうしたいんだよと言うなんとも言えない気持ちでノア・ウィッツ・カッフェルタの背中を見ていたところにこの無言の訴えである。

 咄嗟に反応できず固まっていると、ノア・ウィッツ・カッフェルタは、困ったように眉尻を下げて分かりやすく肩を落とし、太眉くん改め、ニコラス・レインへと再び向き直った。


 ……ちょっと待った。今、私は無言の訴えを察せられなかったことに落胆された感じなの?


 ため息交じりにニコラス・レインに向き直った背中に、気持が一転、そんなの分かるかと思わず眉が寄る。

 だからと言って、それを声を大にして伝えるわけにもいかないので、グッとこらえてノア・ウィッツ・カッフェルタの動向をそのまま注目していると、今度はニコラス・レインの肩に手を置き体を軽く揺すりながら彼の名前を呼び始めた。


 しかし、ニコラス・レインの状態は全然変わらず、いまだにブツブツと無実を訴え続けているだけで、こちらになんの反応も見せなかった。


 尋問と言う名の軽い拷問したとか言うのはクライから聞いたけど、もしかして、その過程で心が壊れちゃったんですとか言う感じだったりします?

 ……どう言うことだ、全然軽くないんですけど。


 心の距離と同じくらい物理的に距離を開こうと下がりそうな足に、これ以上距離を開こうと思ったら自国を通り過ぎて他国に不法入国してるぞ、と言い聞かせ懸命にその場で踏ん張っていると、ノア・ウィッツ・カッフェルタは揺すりながら呼びかけるのを諦めたのか、聴き取れないくらい小さく低い声で何かを呟くと、俯くニコラス・レインの肩に置いた手に力を込めてグッと押し上げた。

 無理矢理上体を起こさせられたニコラス・レインの顔が力なく上を向かせられると、突然パァンッ!と破裂音が室内に響いた。

 

 ……ぇええええええええっ!?え、なに、叩いたって言うか、コワッ!ノア・ウィッツ・カッフェルタの目ぇコワッ!


 何事かと思ったら、ノア・ウィッツ・カッフェルタが彼の頬を思いっきり手の甲で(はた)き上げたらしく、叩かれたニコラス・レインがその衝撃でよろけてノア・ウィッツ・カッフェルタの体の陰から出てきた。

 そして、ベッドに手を付く彼を見下ろすノア・ウィッツ・カッフェルタの横顔が浮かべていたのは、喜怒哀楽が何もない表情と嫌悪が滲み出る様な冷たさを持った視線だった。


 何何何何、怖い怖い怖い怖い。

 え、何、急にどうしたの。反応を返さないってそんなに逆麟に触れる感じなの?コワッ!


「いつまで呆けているつもりですか、此方を見なさいニコラス・レイン」


 ノア・ウィッツ・カッフェルタから放たれる空気にビビりながら、ニコラス・レインに視線を移して彼の様子を伺うと、こちらもこちらで感情のない顔のまま、合わない焦点をユラユラと揺らしながらシーツを見つめていた。


 ちなみに、今、全く関係ない話だがニコラス・レインの眉毛は確かに太かった……じゃなくて!

 なんなの。どっちも怖いって言うか、それぞれ違う理由で怖い。


 急に太眉くんに会いたいから会わせてなんて無茶なこと言った私が悪かったのだろうか……いや、でもこの場合しかたなくない?一番収穫ありそうなところに行くのは当然じゃない?

 私と話はさせてもらえないにしろ、どんな様子なのかなぁとか、主犯の仲間だったらなら何かの拍子でポロッと知ってること零してくれるかもってちょっと思っただけで……まさかカッフェルタがこんな風になるまで尋問を行ってるなんて一切思わなかったんだよ!


 あまりにもな空気に渦中の人物たちを見ていられなくて、ノア・ウィッツ・カッフェルタの頭上の天井を経由して、ヨゼフさんが立っている側の部屋の角に申し訳程度に置かれている唯一の観葉植物を見ながら思いっきり鼻から空気を吐き出す。一息ついてみるが、心が落ち着くかと言われれば落ち着くわけがない。

 なんの慰めにもならない緑である。


 非のない観葉植物に失礼な感想を持ちつつ現実から逃避するように観葉植物に視線を移していた私の視界の端に、ヨゼフさんがもの凄く険しい顔をして見ていたのが映った。

 そんな顔をされる理由が分からず、気になり過ぎて思わず見つめ合ってしまった私は、ハッとして思い出した。

 今の私はカッフェルタの貴族のご令嬢設定だったと。

 一言も発しないし、自己紹介もしない、俯いていて話を聞いてるのかなんなのかも分からない最初から感じ悪いことこの上ない小娘だが貴族のご令嬢だ。しかも、結構な有力貴族のコーデル侯爵の(居もしない)末娘。


 なのに、顔が見えて見ればその顔面はコーデル侯爵とは似ても似つかない、って言うかその顔はどう見てもリュミナス・フォーラットである。やばい。


 カッフェルタの人間はみんな私の顔を知っている。いや……今の自意識過剰な発言は撤回します。ごめんなさい。だけど、流石に後方支援だとしても王子に仕事を任せられるような人が敵将の顔を知らないとかはないだろう。

 そして、現在の私の顔は見たまんまリュミナス・フォーラット。まぁ、本人なんだから当たり前だがリュミナス・フォーラットである。

 そうそう同じ顔の人物がこんなノーズフェリの主要人物がカッフェルタに襲来みたいな日に奇跡的なタイミングで現れはしまい。


 顔が見えない様にしてろって言われてたのにめちゃくちゃ普通に顔丸出しだった。うわぁ……馬鹿野郎の所業である。


 此処であの怪しい貴族令嬢はリュミナス・フォーラットだったと知られてしまえば、どこでこの事実が漏洩されるか分からない。折角主犯格(だろう人たち)に私の事後承諾で行われたカッフェルタ主謀のリュミナス・フォーラット死亡作戦が終わりである。

 折角死んだのに……って言うのも可笑しいが、死んだことになっているのに生きていることがバレてしまったら、私と言う存在を隠すためにしているこの意味不明な令嬢の存在も変装すらも意味がなくなる。


 冷や汗を背中に垂らしながら、なんとか貴族令嬢であると誤認させなくては、と貴族の令嬢を目一杯意識してヨゼフさんに向けて小首を傾げながら微笑みを浮かべた結果、それを見たヨゼフさんは一瞬にして怪訝な顔を引っ込ませ、小さく体を揺らし平然を装いつつも青い顔色で小さく会釈し返してくれると、見ちゃいけないモノから目を逸らすようにそろりと私から目線を外した。


 ……選択肢を間違えた気がしてならない。


 これ、バレてない?私がリュミナス・フォーラットだってバレてる反応じゃない?

 だっていつも見る光景だぞ、この反応。

 もし仮に、そう仮に万が一バレいてなかったとしても、私の貴族令嬢をイメージした笑みが人を恐怖に陥れる微笑みだったか、こんな状況で笑いだすとかとんだイカれ令嬢だから関わらないでおこうと思われたのかどっちかだし……って言うかイカれ令嬢とか人を恐怖に陥れるとかその二択しか浮かばない私の笑顔ってどうなの?


 帽子のつばを深く下げ顔を隠しつつ、人を怯えさせない笑顔の持ち主になりたい……と落ち込んでいると、私から半歩下がった斜め後ろに立っていたシルカから、ふ~んと感嘆したような声が聞こえた。

 今度は顔が上がらない様に注意して、つば先を持ったままシルカに少し顔を向けると、話すよう促されたと思ったのかシルカが声のボリュームを落として口を開いた。


「王子様然としたままヌッルい感じで尋問しようとしてたら俺、帰った時に宰相様たちに全体的にカッフェルタが非協力的な上、何度言ってもリュミナス様に対して常にナメた態度だったッス……って言ってやろっかなぁって思ってたんッスけど、王子様、ちゃんと聞き出す気はあったんッスね~」


 ……く、口を閉じろぉっ!

 私はナメた態度なんてされた覚えはないし、例えそうだったとしても、そんな覚えはないからされていない!


 伝えたら確実に戦争勃発ッスよねって言うか今戦争中か、と地雷をあははと笑顔で踏み込んでいくシルカに、急に何言い出すのこの子……怖い、と青褪めていると背後からギリッと音が聞こえた。

 なにこのデジャブ……と思いながら、恐る恐る体を少し引いて私達の後ろ、静かに既に道が塞がれた謎の扉辺りを塞ぐように立つノア・ウィッツ・カッフェルタの側近たちに視線を移してみたら案の定である。

 振り返った時に丁度私の背後で見えなかったニール・シーガルがどうなのかは分からないが、セオドア・レノルズはレノルズ宰相譲りの冷めた目をシルカに向けてるし、コンラッド・クーンズはコイツ無礼じゃね?そろそろ始末してもいいんじゃね?と言わんばかりにこめかみに血管を浮かせていた。先程の音の正体である握り込まれた彼の拳が物語っている。

 めちゃくちゃ怒っていると。


 ……知ってた。何回このやり取りしたと思ってるんだよ。この状況は想定内だよ!すべては私がシルカの口を塞げなかったのが原因だよ!


 事実を確認した途端に胃の辺りからせり上がってくる何かを感じ、押し出される様にプッと空気を吐いた私は、慌てて口を引き結びその口元を指先で抑えた。

 なんと言うか、酸っぱさを我慢して押し込んだ朝食なのか、胃がストレスでギリギリしているから吐血の予兆なのかは微妙なラインだが、ナニかが出そうなのは出そうである。

 吐血なら血だが、朝食だったら確実に口から出てくるのは様々なベリーとレモン水である。

 汚い。吐血にしろ、どっちにしろ床は赤黒く染まる。汚い。


 こんな所でぶち撒ける訳にはいかないと、せり上がって来たもののせいで熱を持つ喉元で必死で吐き気を抑え込み、震えながらなんとか第一弾の波を乗り越えて呼吸を整え終えると、シルカを非難する眼差しから対象が変わり、私に対してさっきよりも殺意が増した眼差しを向けていた。


 なんでなの。


 再びストレスによる吐き気でわなわなしだした口元を引き絞り、これ以上怒らせないためには私の顔を見ない方がいいだろうと悲しくも正しいだろう判断をした私は前を向き、何処という訳でもなくノア・ウィッツ・カッフェルタたちすらも透視するかのように、その向こう側にある壁を無心を心がけながら見つめる。

 ゆっくりと瞬きをして音なく第二弾の波を越えて吐き気から解放されていると、やっと叩かれた頬の痛みを感じ始めたのか、痛みを確かめるようにそっと頬を押さえたニコラス・レインが、呆然と見つめていたシーツからゆっくりと顔を上げてのろりと頬を叩いた人物を見上げて、顔を確認するとその名前を恐々と呼んだ。


「ノ……、ノア様」

「昨夜ぶりですね、ニコラス。少しは体を休めることは出来ましたか?」

「っ」


 息を詰めノア・ウィッツ・カッフェルタを見上げるニコラス・レインは、まるで死神にでもあったかのような顔をしていた。気持ちは分からなくもない。

 微笑んでいるところしか見たことがない分、表情の抜け落ちた王子とか怖すぎる。


「あれから時間が経ちましたが昨日の出来事で何か思い出したことは?」

「……」

「ニコラス?」

「な、何も……」

「何も?何もなんですか?俺は何も知らない、ですか?本当に?アレだけのことをしたのに?全く?何も?」

「本当です!昨日もお答えしましたが、そんなことした覚えも、そんな、知らないです!俺はそんなこと……っ!」

「……ニコラス、カッフェルタの聖騎士隊の者であると言う矜持があるならば、自分の起こしてしまったことに何かしら感じることはあるでしょう?忘れているならば今が最後のチャンスです。さあ、話してください」

「ノア、様」

「大丈夫ですよ。何か思い出していませんか?」


 ……大丈夫って、何が大丈夫?

 どう見ても今、洗脳してるようにしかみえないけど……え、洗脳の最中だけど大丈夫だよ、ってことなの?って言うか洗脳って大丈夫な案件なの?え、そもそも洗脳してるの?


 まるで無知な子供が大人に質問を投げかけるような幼げな様子でコテンと首を傾げるノア・ウィッツ・カッフェルタの姿とニコラス・レインの怯えようからくる温度差に悪寒が走った。


 恐怖による局地的寒さを感じて震えそうになる体を少しでも温めようと自然と自分の体を抱きしめていると、ノア・ウィッツ・カッフェルタは追い打ちを掛けるように腰を屈めてニコラス・レインの目の奥の覗き込むようにじっと見つめて、ニコラス、話せますね?と優しく甘く、だが噛み締めて聞けよとばかりに一言一言はっきりと問いかけた。


 こえぇよ。


 すると、昨日から何も知らないと言い続けていた様子のニコラス・レインはノア・ウィッツ・カッフェルタの脅し、じゃなくて洗脳、じゃなくて語りかけに観念したのか、零れるような小さな声で従順な返事を返した。


「あぁ、良かった。では、私が聞きたいことは昨日のこと、貴方が隊を乱した昨日の記憶です。話してください」

「昨日……、昨日は、気付いた時には、仲間に拘束されて」

「その前には何を?」

「前……昨日、いや、一昨日は病院に……」

「一昨日、ですか……。それで、病院と言うのは耳のことで貴方が許可なく通っている城下の病院のことですか?」

「それはっ……ですが!」

「いいです。その件についての弁明は今は必要ないです。後ほどコンラッドが聞きます。まずはその時のことを話してください」

「……っ。その日は、処方してもらっていた薬がなくなったので、昼休憩中、周囲に悟られないないよう病院に行きました」

「それで?」

「病院に入る時……女?あれは、女?女だ。そう、女に話しかけられて……」

「女とは?」

「若っ、い、ッ女、でっ、いつも病院で、会うっ……いや、会ったことはな、いッ!うぅっ!」

「その女性と何度も会ったことがあるんですね?」

「はぁ、はっ……分かりませ、ん。その後……分かりません。気付いたら、仲間に拘束、されて、いて」

「なるほど……どうやらその女性が関係しているようですね。ニコラス。思い出してください。その女性は何処の誰でどのような人でしたか?」

「どこの?どこ……うっ、分からな」

「本当に?いつも会うのであれば、何か思い出せることがあるはずですよ」

「わから、な、いです。待って、下さいっ、あたまが……ッ」

「髪の色は?瞳の色は?肌の色は?声は?話し方は?所作は?服装は?身体に特徴は何かなかったですか?病院以外で会ったことは?」

「あ、あああぁ、」

「ニコラス」

「ぶ、葡萄色、のか、み……鳥っ……マック・カーロ……がッ」


 やべぇ。


 病院で会った女性について聞き出そうと、脳みそを雑巾のように絞ってでも思い出せとばかりにノア・ウィッツ・カッフェルタに質問攻めをされていたニコラス・レインは、謎の女性について語ろうとすると、頭痛を起こすのか頭を掻き毟りながら苦しそうに時折呻き声を上げた。

 どうやら何かしらをされてその女性のことに関して記憶が消された上に、彼女のことを思い出そうとすると激しい痛みに襲われるようだった。

 それでもノア・ウィッツ・カッフェルタに言われるがまま、記憶の底に微かに残る残骸を必死にかき集めて言葉に出していたニコラス・レインは、絞り出している最中に限界が来たのか、ブツッと糸が切れた操り人形の様に放り出されるかのようにいきなりベッドに倒れた。


 ベッドに沈む音の後にはなんとも言えない静寂が漂った。


 ……ぃギャァァァァァァァッ!死んだー!人殺しぃぃぁぁぁぁぁ、あ?いやぁぁぁっ肩が上下したぁぁぁ!

 し、死者蘇生!死者蘇生した!じゃなくて生きてる!生きてた!お医者さん!お医者さんはいませんかー!お医者さんを早くー!っていうか、ヨゼフさんがお医者さんじゃん!のんきか!しっかりしてぇぇぇ!早く対処してあげてぇぇぇ!


 ノア・ウィッツ・カッフェルタとニコラス・レインのやりとりに既に恐怖で半泣き状態だった私は鼻水を啜った。鼻水は出てなかった。

 対して濁涙の如く流れたらしい涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のニコラス・レインは、虚ろな目を此方に向けて倒れており、そんなニコラス・レインのくすんだ光のない煤色の目と目が合う。

 ムぅぅぅリぃぃぃぃ!


 そんな私の心の叫びが届いたのか、失礼しますと言いながら、スッとニコラス・レインに近寄ったヨゼフさんが目を開いたまま気絶した目を閉じさせ脈を計っていると、ノア・ウィッツ・カッフェルタは深いため息を吐いた。


「気絶しましたか。やはり薬の改良が必要ですね。効くのに時間が掛かり過ぎますし、少々薬が強すぎます。ヨゼフ」

「はい」

「私は貴方を信用しています。後は諸々(・・)よろしくお願いしますね」

「……承知いたしました」

「ではシルビア嬢、参りましょうか」


 洗脳じゃなくて、薬だったのか、良かっ……何も良くないわ!

 やだ、カッフェルタの人、軽率に薬を使用してくるんですけど!用法用量を守って正しく使用してください!いや、正しい使用法なんだろうけど、やはりって、新薬なんでしょ!そうなんでしょ!新薬を使うのやめてあげてよ!仲間でしょ!?


 どんな効能なのかは知らないが、とんだ劇薬を盛られたらしいニコラス・レインの状態に青褪めて見ている私にノア・ウィッツ・カッフェルタが声を掛けてきた。

 そ~っと視線をノア・ウィッツ・カッフェルタに向けて、またニコラス・レインのその泣き濡れた顔を見て、すぐさま俯き直し片手で目を覆い隠す。


 ホントに無理。トイレに、トイレに行かせてください。心の整理をする時間をください。


 普通、此処で笑う?笑うところじゃなくない?さっきまで笑ってなかったじゃん!大体、気絶しましたか……じゃないし、参りましょうか、でもないよ。

 なんでちゃっかりニコラス・レインで薬の実験して、ソレを見た上でなんでそんな爽やかな顔してるの?切り替え早すぎて次になんて参れるか、とぐずぐずとその場から動かず顔を隠し続け、心の中で嘆いていると、失礼、との声がしたかと思うと顔を隠す手がそっと顔から離された。


 強制的に顔の前から手を離され、私の頬に手が添えられて顔を上げさせられた私は、私の手を握る人物、ノア・ウィッツ・カッフェルタの心配そうな瞳と目を合わせるはめになった。

 悲鳴を上げなかっただけ褒めてほしい。


「……さわるな」

「ご気分が優れませんか?」


 え、今、渾身の思いを込めて手を放して欲しい的なこと言ったの聞こえなかった?

 それに気分云々は問題じゃない。いや、よくはないけど、貴方への恐怖で油断すると鼻水が吹き出そうなくらい泣きそうなんで手を離して頂きたい。


「そうッス。お嬢様はヒジョーにご気分が(・・・・)優れないようなんで、どっかに休める場所とか用意してもらえないッスか?」


 手を引き抜こうとぴくっと体が動いたその時、シルカが私たちの間に割り込んで来た。

 ややトゲのある言い方にヒヤッとしながらも、ノア・ウィッツ・カッフェルタから離れたことに安堵して一息つく。

 危うくキェェェァァァァッと意味不明な絶叫しながらノア・ウィッツ・カッフェルタの腕を振り払うところだった。


 「……って言うか触っちゃダメッスって何回言わせるんッスか?俺の話聞いてたッスか?耳ついてないんッスか?ご希望なら、オレが殺ってもいいんッスよ?」


 ノア・ウィッツ・カッフェルタにしか聞こえないように彼の耳元で声を潜めながらそう言ったシルカは、すぐに体制を戻し、私の手を握っていたノア・ウィッツ・カッフェルタの手を、不穏会話をしているとは思えない様な笑顔をして両手でギュッと、いや、軋むような音がする程ギリギリと力いっぱい握っていた。

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