尋問
二人してガタガタ震えていると、使用人の彼女はティーポットを緊張のあまり手から滑り落としてしまった。
高さがそんなになかったからポットは割れていない。しかし、ポットの丸さが仇となった。重い音を立てて底を重点に机の上を転がったティーポットからお茶が盛大に撒かれた。
一杯分しか入っていなかったのだが、私が途中で彼女の手を掴んで止めた事が原因でまだ半分ほど中身が入っていたお茶が惨事を引き起こした。微かに焦った声が使用人の彼女の口から漏れる。
手が伸ばせず守れなかった書類に染みるお茶。滲む文字。防御力ゼロの足にかかるお茶。推定温度お茶の適温約95℃。奇しくも匂いが例のお茶である。私そろそろこのお茶にトラウマを覚える。
てか、あっつぅぅぅッ!!
「っ!」
「も、申し訳ございません!」
「触るな!リュミナス様!」
醜態を晒さないという、もはや条件反射が故に、熱さを耐える為に掴んだままだった彼女の手首を思わず爪を立てる程強く握ってしまった。その痛みに顔を顰め、顔色をなくしながら自分のお仕着せで拭こうとする使用人の彼女の手を握りながら熱さによる痛みを堪えていると、急に彼女が目の前から消えた。
代わりにシーラがいた。ヤバイ、ついに瞬間移動まで習得した。
なんて一瞬頭に浮かぶと、それと同時に壁際の本棚が揺れて大きな音を立てた。そっちに視線を向けると使用人の彼女が本棚にぶつかり、めちゃくちゃ痛そうな呻き声をあげ、そのままズルズルと床に座り込んだ。
……うえぇぇぇ、大丈夫なの!?
てかシーラの筋肉どうなってんの!化け物なの!?
その細い見た目から出てくる脚力と、いくらひ弱でも結構な力で握り込んでいた私から彼女を引き離す怪力。間違いなく化け物である。や、やばい。辛うじてでいいからまだ、人間でいて欲しい。私の心の安寧の為に。
私の前に跪いたシーラは、彼女の髪の色と似た淡い水色のハンカチで私の無駄に曝け出された太ももにかかったお茶を無表情で拭い、机の上もそのままハンカチで拭き終えるとじっとりと濡れたハンカチをボトリとゴミ箱に捨てた。
本棚に打ち付けられた彼女を起こそうと若干腰の浮いた私をグッと椅子に押し付け、シーラはお化けのようにユラリと私を背にして彼女の前に立つ。
背後から首が人形のように右にカクンと傾げられるのが見えた。え、コワイ。
彼女はと言うと、そのまま額を真っ赤な絨毯が敷き詰められた床に擦り付け、声を震わせながら土下座で謝罪の言葉を叫んでいる。平身低頭といっても過言ではないほど床に頭を付けていた彼女は、シーラの尋常ではない気配を察知したのか謝罪を繰り返す口を噤みビクッとした。
なんか、シーラの背中からモヤモヤしたものが立ち上っている気がする。
この人、もう魔王じゃん……とか恐怖に震えている場合ではない!止めないとダメなヤツ!疑わしい奴は罰するヤツだ!
「シーラ」
「貴女、どういうおつもり?」
「ち、違っ」
「何が違うとおっしゃるの?もしや、貴女がカッフェルタの鼠なのかしら?あぁ、それとも別の国の鼠かしら?お茶に何か仕込まれました?毒かしら?どうなのです?試しにカップに入っているモノを飲み干して頂けないでしょうか。あ、そうですわ、私とした事が肝心な事を聞くのを忘れていました。うっかりしていましたわ。貴女、あまり見覚えのない方ですが、どちらからいらっしゃった方?ノーズフェリの近くにお住まい?それとも王都から此方に来たばかりかしら?ご家族は?ご健在?詳しく教えて下さると手間が省けて助かりますわ。さぁ、」
「シーラ!」
ピタリと止まったシーラが私の方を振り返ると、普段は穏やかな海のような目がこの鬱陶しい雨をも退けてしまえそうな程爛々としていた。
怖い怖い怖い!怖いから!
やめて!どれがとか言えないけど、全部やめて!
家族が元気かどうか聞いてどうするつもりなの!止めてあげて!泣いてるから!泣いてるから!美女が声を堪えながら真っ青な顔で泣いてるから!さっきシーラが言ってた独り言を聞いてたからどうなるか知ってるせいで泣いてるから!
目で訴え続けると、シーラは使用人の彼女を見て、大きくため息を吐き普段の穏やな顔に戻るとスッと私の後ろに控える様に下がった。
私のなけなしの眼力が勝ったと言うよりも、女神の私しか知らない彼女がいるから妥協してやる的なそういう空気を感じる……。と、取り合えずいいよ、うん。
『無罪だろうが何だろうが疑われる方が悪いだろうがサヨウナラ』という事態は免れたし。
ヒシヒシと左斜め後ろから感じる威圧に身が縮む思いを必死で隠しながら、一旦落ち着いた……約二名落ち着いてはいないが、落ち着いたのでスルリとひりひりする太ももを一撫でして、腕を組み足を組む。
言っておくが、この体勢に威圧する的な意味はない。
高速で足を擦りたくなるの手を組むことで阻止し、ついでに足で足を冷やす的な意味で足を組んでいるだけである。だってひりひりする。痛い。
で、だ。この場で今、一番公平な判断が出来る一番偉い人間となってしまった私。
いや、元からこの場所では一番偉いんだけど。可笑しな事に本当の意味で一度も偉いって感じた事ないけど。
どうしたものか。
出来れば彼女がしたやっちゃいけない事はなんの意図もなくお茶をぶち撒けたくらいでいて欲しい。
普通に緊張で手が震えたからの惨事だったなら許せるじゃん。誰にでもある失敗だし。
でも、書類が紅茶の水害にあってべちゃべちゃ……いや、後で私が死ぬ気で復元するよ?書類書いた人に作り直させるなんてことさせないし。だとしても、大事な書類をダメにしたことには変わりない。
罰として復元を手伝わせる、って訳にはいかないから……なんか、もう切羽案としてチョップする。爪も立てて手首に爪痕つけちゃったし、私が多少濡れただけだしチョップで許す。後は、うん、謹慎とかしてもらうかも。じゃないと周りの収拾がつかないから。
私だって彼女の立場になって急にお茶を出せとか言われたら震える。お茶もたぶん、びちゃびちゃ零す。しかもそんな状況でガン見されて手なんか掴まれた日には、情けない声を上げて謝りながら泣く。噎び泣く。
それにさ、どう考えても緊張の原因て私でしょ?
ダメにしたい書類があったとかじゃなく、私が原因で……お茶を……手が……泣ける。
兎に角どんな結果であれ、それに見合った処罰はしようとは思っている。
思ってはいるが、甘いと言われようが言いたい。
仮に内通者とか毒殺しようとしてくる人がいたとして、どっちもお断りしたいけど、家族は共犯じゃない限り別物だと私は思います!一族諸共処罰するとか、私、そんな残虐で独裁主義な王様的人じゃないんだけど!
何にしても話を聞かない事には……と、腕を組んで座った状態で泣きながら土下座継続中の赤茶けた髪が垂れる彼女の頭を見下ろす。
と言うか、そろそろ起こしてあげたいし、ソファに座らせてあげたい。
「……」
「わ、わたしっ」
「…私?」
「ひっ!あ、う」
「……」
ガバッと顔を上げて口を開いた彼女は目が合った瞬間、歯をカタカタと鳴らした。
なんか、ごめんさない。私の最大限の優し気な声と笑顔が怖かったですか。禿げそうなくらい落ち込むので死を覚悟したような顔しないでほしい。
彼女の中で私に対する恐怖が倍増された空気を感じて涙出そう。
だけど、今は私しかいない。
シーラは今正常じゃないから除外だし、ミレットは今はいつ戻ってくるか分からないし、ルルアは話を聞いてもどのタイミングで何にブチギレるか分からないし、レイアは無表情で威圧しそうでダメだ。
……なんて事だ。全員ダメじゃないか。
もし多数決なんてやったら負ける。押し切られる。いくら私がシロだって言ったとしても、行きつく先が5分の4の確率で無罪でも有罪に可決される。
暴君じゃん!私の話じゃなくてね!いや、結果私の話になるんだけども!
やばい、私も含めて側近の誰にも任せられない。どういうことなの偉い人間が全滅って。最悪か。
これはもう出来るだけ私と同じ意見の側近たちに負けない話術を持っている人を呼び寄せるしかない。
この城の中に誰かいないの?敵愾心を露にしない穏やかな人。出来れば敵国の悪口言わなくて高笑いしない人が良いんだけど…………すぐ出てこないとかヤバイなうちの隊員たち。
あ、そうだ、ユティアス!あの人なら、此処ではマシな部類の人だ。いや、この場所で働いている化け物の一員には変わりないんだけど……。
でも、シーラの親類なだけあって顔も所作も言葉もキレイで優し気だから不用意に怖がらせることもない!はず!
何度か話したことあるし、話してみた時も何かシーラみたいな不穏な雰囲気は感じなかった!たぶん!
しかもシーラの親戚だから意見も言える!と思う!
断言出来ないのが何とも言えないな。けれど、一縷の望みをかけてシーラを振り返る。
「ユティアスを此処に呼べ。調べは彼に任せる」
「ユティアス、ですか?必要ありませんわ、私が致します。リュミナス様は一度部屋へお戻りくださいませ。尋問も別室で行っておきますわ」
「呼べ」
「承諾致しかねます」
「……もういい、私が行く。報告もいい。お前はすぐに持ち場に戻れ」
「なりません!…っ分かりましたわ、仰せの通りにユティアスを此方へ向かわせます」
ジッと目を見続けるとシーラが渋々ながら頷いてくれた。
うわぁ……すっごい顔してる。こわぁ。
これ絶対後で全員から私が怒られる流れだ。なんでだ。穏便に解決しようしているだけなのに怒られるとか。胃がギリギリする。ストレスだ。絶対にストレスだ。休みが欲しい。なんか1週間くらい休みが欲しい。その間に身辺整理するから休みが欲しい。
あぁ、でもカッフェルタの手紙問題片付けるまでは逃げられない。なんで個人名で指定してくるの。嫌がらせなの?国でも嫌がらせされてるのに他国からも嫌がらせを受けるとか。つらい。
つらさのあまりに泣くと言うよりもう逆に笑い出しそうになるのを堪えていると、シーラが暗器隠しまくりなマントの下から携帯可能な電話を取り出し、再び頭を下げて土下座を継続し始めた彼女をずっと凝視しながら私から距離をとり話し始めた。
何故、そんなに離れて小声で話すの。呼んでくれって言っただけなのにめっちゃくちゃ話してるし、けれど何を話しているか全く聞こえない。
っていうか、私もその電話欲しい。最近、隊員みんなに配給する事になったモノなんだけど、何で私のみ固定電話なの?自室とこの執務室にしか私の自由になる電話が無いんですけど。
そもそも私が番号知ってれば後でコッソリ電話出来たんだけど、番号が控えられたリストも見せてくれないし、ミレットに邪魔されて隊員たちから直接番号聞き出せないし。
大体、私の知ってる番号が何件か知ってる?実家の電話とミレットたちの番号の5件だけだよ!暗唱できるわ!仲間外れよくない!
「リュミナス様、ユティアスはすぐに此方に参りますわ。それまでは私が見張って居ますのでリュミナス様はお召替えくださいませ。そのままでは良くありませんわ」
「いい」
「リュミナス様」
「いいと言っている」
「……分かりましたわ」
さっきの位置に戻ったシーラは静かな声で私の反抗を含みいっぱいに認めると、何かを押し出すような深くながーい息を吐いた。
説教は甘んじて受けますので、時間は最長1時間程度で終わらせてほしい。書類が終わらないから。山の2つ目を登り切ってないから。下山もしてないから。それにまだあと2つほど山が待ってるから。というかその前の2つの山もただ分別しただけだからね!
あと、替えの服はほしいけどルルアは連れてこないで。紅茶が染みているのが見られたら、脱げ、と言いつつ剥かれる。その場で強制的に服を剥ぎ取られる。最新作と言う名の胸元の布地が明らかに減った試作品の軍服着させられる。着せ替え人形にされる。い、いやだ。
しばらく言い知れぬ嫌な沈黙が執務室の中に漂う。
重い。誰か、ユーモア溢れるウィットに富んだ小話とか話して場を和ませてほしい。
シーラは黒いオーラ的なモノを発してるし、土下座しながら彼女は体を震わせているし。……重い。
私に人を笑わせられる力量があれば……この状況で急にジョークとか言い出したら頭を疑われるな。速攻でうちの医者たちに連絡がいって精神を安定させる系な薬を持って乗り込んでくるわ。それよりも胃薬の方が欲しい。
結局はユティアスが来るまで現状維持でいるしかない。帰りたい。実家に。
一人で黄昏ていると小さなノック音が響いた。
当たり前のようにシーラがドアを開けると、そこにはシーラと似た系統の顔つきをした彼女よりも頭一つ分背の高い男の人が立っていた。
ユティアス・ロセッティだ。
耳の辺りでぱっつんと切り揃えられた水色の髪と穏やかな笑みは間違いなくシーラの家の血筋だ。確か、年はシーラより下で父親の弟の息子だったはず。
そんな彼の帽子と胸に輝くバッジは魔法を使う部隊を示していた。
此処の隊員たちは現在、私が以前着用していた王都が用意した灰色の制服ではなく、ルルアが此処に来た当初にミレットの要請で制作した真っ黒な軍服がいつの間にか正式な制服とされていてみんな着用している。似合ってるしカッコいいけど、カッコいいけどさ、やっぱり止めた方がいいよ軍服。この軍服のせいでこの隊のイメージが真っ黒だよ。黒はもう止めようよ。私……明るい服が着たい。黄色とか。
私の軍服専用のワードローブの真っ黒具合に毎朝憂鬱になる。
思ったよりもかなり早く来たユティアスは、片手に氷嚢を持った状態で、帽子を脱ぎ右手で左胸に手を当て頭を下げると、帽子を被り直し一言断わりを入れてにこりと笑みを浮かべ入ってきた。
「お久しぶりです、リュミナス様。と言っても私の方は廊下などで何度もすれ違ったりしていますが」
「……」
「此方をどうぞ。お茶が掛かったと聞きましたのでお持ちしました」
じょ、常識人だ。
穏やかな笑みを絶やすことなく、冷やし過ぎないようにとハンカチを添えて氷嚢を渡された。
過剰に心配するでもなく適切な処置と気遣い。いたんだね、こんな身近な所に普通の人が。泣きそうだ。私の胃が救われる。
ありがたく受け取った氷嚢を組んだ足を解き太ももに当てていると、ユティアスは震えて土下座を続ける彼女を優しく支え上げて、来客用のソファへと紳士的に誘導して座らせていた。
し、紳士だ。すごい、常識人な上に紳士だ。驚いた。
他国の王子にお茶を掛けた不祥事に高揚する他の隊員たちには、紅茶じゃなくて是非とも彼の爪の垢を煎じた白湯でも飲んで欲しい。
これなら安心して彼女も話せるし、私も安心。良かった、私はまだ神に見捨てられていなかった。ありがとうございます。
ホッとしながら彼らが無駄に重厚感のある机を挟んで対面するようにソファに腰を掛けるのを見ているとユティアスがこっちを見た。
微笑んでいる顔にちょっとぶるっとした。え、何?
「リュミナス様、此方へ向かう途中でルルア様にお会いしたので事情を話しました。直ぐに着替えをお持ち下さるそうです」
「……」
「良くやりましたわユティアス。さ、では着替えに参りましょう。部屋へ戻らずとも隣の部屋で着替えれば此方にもすぐ戻って来られますわ」
まさかのユティアスからの突然の裏切りである。
絶対にあの電話の時にシーラがルルアに伝えろって言ったに違いない。抜け目がない。
そろりとシーラの顔を伺うと、ニッコリと笑顔が向けられた。そっと視線を外してユティアスたちに視線を固定する。私と使用人の彼女以外が二人とも笑っている。ロセッティ家が怖い。そして胃が痛い。
机で隠れているお腹を擦りながら、意を決して声を出す。
「どうでもいい。始めろ」
「良くはないと思いますが、いえ、そうですね。ルルア様がいらっしゃるまで時間がかかるでしょうから始めましょうか」
「仕方がありませんわね」
「では、まず貴女の名前を教えて頂けますか?」
「エ、エルシア・ポロックと申します……」
「ではポロックさん。お茶の件はまた後程伺いますが、まずは貴女がカッフェルタからの手紙を持ち込んだのではないかと言うお話ですが」
「いいえ!私じゃないです!」
「私じゃない?なるほど…シーラ様に聞いた所によると手紙の話を聞いて動揺をされていたとか」
「それは……」
「それは?何かあるようでしたら言ってください」
すごい、穏やかに話が始まった。
だけど彼女がチラチラと私たちの様子と気にしながら話している。まぁ、立場が上の人間が3人もいたらそれは気になるよね。居心地の悪さったらないよね。
でも、いつもミレットが立っている机の左側に立つシーラも取り敢えずは見守るつもりなのか黙って二人を見ているだけだ。口出しはしないだろう。たぶん。
私はシーラのストッパー的な役割を担うことにしたから席を外せないので我慢して欲しい。私だって代われるものなら変わって欲しい。
それでも使用人、いや、エルシアさんは頭が回り始めたって言うか、普通の扱いをされて徐々に落ち着き始めている。まだ感情的で顔色悪いし泣いて酷い事になってるけど。
しかし、これ、聞きながら書類仕事再開出来るんじゃないの?シーラは今の所は黙ってるし、下手に私が口出すのも良くない。
大人しく仕事をしよう。なんせやらないと減らない。外に出られない。王都に行けない!辞められない!
自分のハンカチでコソコソと軽く机を拭いて、机の右端で被害を免れた白紙の紙とペンを手に取る。
ヒッタヒタになってしまった左側にある書類たちは幸運な事に一度目を通しているモノだ。結構な量があるけど破れない様に丁寧に剥がし、水気をハンカチで吸い取り、まだ読めるところをヒントにどんな内容の書類だったかを書いていく。
要は全部分からなくても重要な所だけを書き出せばいいんだよ。
インクを浸してサラサラと覚えている事を箇条書きで書き始めて思うのは、良かった、あんな分別未処理状態の書類渡されても私の脳みそがちゃんと機能してて、だ。
普段、突然ミレットによる様々な書類の中から『無差別!何が書いてあったかテスト』が急に行われるのだ。何枚あると思ってんだ。ぐっ、学生時代の心の傷が疼く。泣ける。と言うか最初の内はめちゃくちゃ泣いた。叩かれた。
そして答えられないもしくは間違えた場合には、ミレットの眼鏡がきらりと輝きやっぱりバインダーがスパァァァン!だ。
学生時代の出来事が今、私を救っている。嬉しくない。
「……私ごときがリュミナス様にお茶を入れるのが、恐れ多く……」
「人は、何か隠し事があると視線を落としたり逸らしたりするという仕草をすると言いますが、貴女は今それに当てはまっていますね」
「違います!」
「大きな声を出すのも聞きたくないものを遮る、なんて意味があったりしますね」
「っ」
「今度は喋らないつもりですか?」
「……」
「困りました。何かを隠しているのは分かりきっているのですが、かなり稚拙な隠し方過ぎて逆に疑わしいです。シーラ様はどう思います?」
「そうですわね。黒、という事にしてしまっても構わないのではないかしら。彼女、家族はどうなっても良いと思っていらっしゃるから黙っているのでしょう?処罰をして頂くように王都に使者を送りますわ」
「……」
「それとも……家族よりも大事な方でもいらっしゃるのかしら?」
「っ」
ゆったりとユティアスの方へ歩きだしたシーラの言葉に、思わずといった様子で彼女は顔を上げ、引き結んでいた口を開いた。
「あら」
「反応がありましたね。ふふふ、この程度の鎌に掛かるとは。どのような伝手で配属されたのでしょうか。他国に我々国境防衛隊がこの程度だと思われては心外です」
「ふふっ、そうですわね」
怖い怖い怖い怖い怖い!
なんか笑い出したし、言い出したよロセッティ家!どういう教育してるのロセッティ家!
悪魔の申し子でも育ててるの?悪口が酷過ぎてペンが思わず止まったわ。
しかも、なんか知らないけど既にエルシアさんの家族が巻き込まれるのが決定しているぞ。何でだ。
エルシアさんはエルシアさんで、動こうものなら何かを悟られると思っているのか動けなくなって固まってる。
そのエルシアさんのどんな仕草も見逃さないとばかりに2人がガン見している。コワイ。揃いも揃って笑みを浮かべてガン見している。や、やめてあげてよ!怖いわバカ!自重して!
もう、これは私が立ち上がるしかない。
さっきも相当だったけど今も変わらないじゃんか、ユティアスに任せた意味!と泣きそうな気持ちを押し殺して口を開こうとした時、ノック音が悪魔の笑い声を遮った。
静かに開いたドアの向こうにいたのは、ファイルをたくさん持つ2人の部下を連れたミレットだった。
この理解不能な現場にほんの少しだけ動きを止め、眉を顰めるとすぐにどういう状況なのかを理解したのかスッと目を細めてエルシアさんを見た。優秀過ぎる。
そしてそのまま何事もなかったかのようにヒールを鳴らして颯爽と私の前まで歩いてきた。
が、机の上の惨状を見てヒクリと眉が動く。その上、何してんだお前みたいな感じの目で見下ろされた。何でだ。
ミレットは目を閉じてゆっくり息を吐くと、眼鏡のつるの部分を押し上げシーラたちの方を振り向いた。
「ユティアス殿はリュミナス様が?」
「はい、命を受け彼女の責を問うているところです」
「そうですか。では彼女が犯人ですか?」
「手紙の事を何かご存知のようですわ」
「分かりました……貴方たち、資料はそちらの棚に置いて退出しなさい。今聞いたことは他言無用です」
短く返事を返すと入り口近くのグラスが収納された小振りなキャビネットの上にそっと持っていたモノを置くと一礼して部屋から出て行った。彼らが行ったのを確認すると、ミレットは苛立ったように舌打ちを一つ落とした。
「エルシア・ポロック」
「……」
「先に言っておきますが貴女はクビです」
「…はい」
「では、貴女に聞きたいことは一つ。手紙は誰が持っていたのです」
「……」
「エルシア・ポロック」
「ミレット、貴女は優しすぎますわ。この様な時は考えさせる猶予を与えてはなりません。それに、貴女の知りたい情報は得ていますわ。カッフェルタからの手紙を持ち込んだ者は、彼女の家族以外の親しい方、そうですわね、友人、いえ恋人……ふふ、あら、当たっていまして?恋人だそうですわ」
「恋人?」
「では、私が探してきましょう。リュミナス様直々の指名でしたがあまりお力になれなかったので、その者の処遇をお任せいただければ幸いです。エルシア・ポロックも同様の処分をしておきます。リュミナス様に害をなす行為を行った自身を悔いる罰を与えましょう。それでは、御前失礼します」
ミレットの理解に苦しむみたいな顔に苦笑しながら立ち上がったユティアスは、私に向かってまるで妖精のような儚くてきれいな笑みを浮かべてエルシアさんを連れて部屋から出て行った。思わず笑い返しちゃったけど、あれ、もしかして了承したと思われた?
ちょっと、待って。何で連れてくの。良いって言ってないから。あぁぁぁ……。
あ、頭が痛い。
あの時、ちょっとぶるっとしたのは彼がシーラと同じ属性だからか!完全に人選ミスだわ!だって、ロセッティ家の擬態化能力が高すぎて2、3回話したくらいじゃ分かんない。
ていうか同様の処分って言った?ねぇ言った?
ゴンッと机に頭を打ち付けて、うめき声をあげていると後頭部に衝撃が加えられた。
どういうことなの、と頭を押さえながら人の気配がある方をを見上げるとミレットがいつものバインダーを手にしていつもの場所に立っていた。
どういうことなの。
「可笑しな声を上げないでください」
「ふふふ。それにしても彼女のような意志の甘い方がいたと言うのはよろしくありませんわ。もちろん、手紙の方の方が問題ではありますが……。致し方がありませんわ。手間ですがやはり一度、全ての方を篩に掛けましょう。要るものと要らないものは整理しておかなければ後に困ってしまいますわ」
「分かってます、全ての者の身辺を調査します。その上で今後の採用は全て私が管理します。私の目が行き届かなかったが故の事です。早急に片を付けます」
「えぇ、もちろんミレットであればそうしてくださると分かっていますわ」
「ところで、リュミナス様はこちらの書類は読まれましたか?」
「……まだです」
「……」
「ふふふ」
普通に怪しい会話を始めたと思ったら、なんなの、切り替え速すぎか。日常に戻るの早すぎません?また叩かれたんですけど。
……ちょっと私にはついていけない。可及的速やかな私の精神安定が必要である。
安息の地を求めて黙ってゴソゴソと机の下に潜り込むとすぐに引きずり出された。何でだ。