良案
ちょっと待って。カッフェルタの人たち決断早い!まだ行かないで!
何故もう食事が決定している流れなの?私言ってないよね。行くって言ってないよね。ちょっと考える時間を頂きたいんですけど!
いや、まぁ、カッフェルタの厚意だし、その厚意は無下に出来ないことは分かってるんだよ。だってレイラのお腹の音、明らかにみんなに聞こえる大きさだったし。
そんなお腹鳴らしている人を見てカッフェルタの人がご飯どうですかって誘うのは自然だよ?そしてそれを聞いた私が、うちの子が催促したみたいですいません、お気遣いありがとうございます、って言う流れになるとは思うよ?普通は。
だって私もお腹空いてるし、お昼ご飯食べたいし、なんだったら緊張のし過ぎで喉はもうカラカラなので水が欲しいよ。むしろ、今は食事よりも一番水が欲しい。私の口内は干上がってるよ。
だけど、とそっとレイラの手を外しつつ、行けないでしょ……と宰相様のいる部屋を見て、お腹を空かせて若干機嫌が悪くなっているレイラを見て、先を歩きだしたレノルズ宰相たちを見る。
……なんなの、みんな自由か。別行動大好きか!
レイラに捕まってる間にノーチェとルカなんかもうとっくに姿が見えなくなってるし、悪女(男)作戦を止め損ねた……とノーチェたちが消えて行った先、レノルズ宰相たちが歩いている方向を見ながら、口をキュッと引き結び、ギリッとした胃の痛みをぐっと堪える。
雨でびっちゃびちゃになって翌日風邪ひいてもいいから今すぐノーズフェリに帰りたい……。
大体、私たちが今日此処にいる理由は宰相様の護衛であって、カッフェルタを壊滅させに来た訳でも、ご飯を食べに来たのではないのだ。なんで一番重要な護衛対象である宰相様を置いてご飯を食べに行けるの。行けないでしょうが!
だからと言って宰相様の護衛に就いて、カッフェルタの厚意からくる食事の誘いを、え、行きませんけど?などと言える訳もないし……。
なんてことを考えているのを察知したのかミレットがすごい真顔だ。コワイ。
何があるか分からないからカッフェルタで出たものは食べるな飲むなって、さんざん、それはもう口酸っぱく言われたことが浮かんでくる。
そこまで記憶力死んでないので覚えているし、ミレット的にはカッフェルタの提案は大抵お断り一択だってことは分かっているが、その、私にだけ分かるように、まさかとは思うが行くとか言い出さないだろうなお前、みたいな顔しないでください。
でも……でもさ、宰相様はクッキー食べて紅茶お代わりしてたじゃん!バクバク食べて、ガバガバ飲んでたじゃん!
なんなの?何故宰相様は良くて何故私はダメなの?おかしくない?普通私が率先して飲み食いすべきじゃない?
私は一体どういう立ち位置の何様なの。私の扱いが宰相様より厳重過ぎる。私が貧弱だからか。すぐ死にそうだからか!知ってる!
……だめだ。私の貧弱問題は後々話し合いの機会を設けるとして、そう、今はこの状況をどう打破すべきかである。
なんせ、あっちを立てればこっちの角が立ってしまう現象が一瞬で起きて、もう私はパニック状態だ。
何故みんなそんなに落ち着いてるの。私に決定権があるからか、指示待ちか!もっと自主性を持って発言してもいい……いや、良くない。此処では自主性を持たなくていい!何やりだすか未知数過ぎてコワイ!
とにかく、行くにしても行かないにしても、誰かが何かを言い出す前に妙案を絞り出すことが急務である。
いつもの癖で一点をガン見しながら腕を組み、無い知恵を絞り出す。
アレか。一回お誘いに乗って、出された食事に一切手をつけないという無礼を働けばいいのだろうか?
……無理。そんなの、お前何しに来たのってなるでしょうよ。大体、ソレ何の苦行なの?目の前にご飯あるのに食べられないとか余計にお腹が減るし、出された料理も勿体ないし、誰も得をしないわ。
じゃあもう行かない方向で仮病使って部屋に籠ってこっそり宰相様の護衛したらいいのか?
でも、カッフェルタが何かしたという冤罪をこれ幸いとうちの誰かが言い出すのではないかと思うとそんな仮病使えない。
既に一度カッフェルタで痛ましい冤罪事件が起きている。ドア蹴破り事件である。冤罪、良くないです。
先行くカッフェルタの人たちの背中をガン見していると、私たちの足音がしないからなのか、私たちに話しかけようとしたのか、私の不躾な視線を感知したのか分からないが、レノルズ宰相と話してたノア・ウィッツ・カッフェルタが急にこっちを振り返った。
さっきの位置から一歩も動いていない私たちを見たノア・ウィッツ・カッフェルタが、レノルズ宰相に声をかけると全員がその場で立ち止まり、彼自身がどうされました?と言いながらマントを靡かせ此方に向かってきた。
やべぇ、ノア・ウィッツ・カッフェルタが近付いてくる!
早くどうするか決めないと、何か……何か、何かないか!と思いながらも全く浮かんでこず、一向に動かない私を不思議そうに見ているカッフェルタの人たちに更に焦る。
最早、焦りすぎて何かないかと考えすぎて何かないかという言葉しか浮かんでこない。ヤバすぎる。
しかし、リュミナス様、とミレットに名前を呼ばれてそろりと彼女の方に視線を向けた瞬間、突然天啓のように一つ、此処にいる全員の願いを叶える術が下りてきて、思わずハッ!と声が出た。
宰相様を置いてはいけない、だけどレイラはお腹を空かせている。そのレイラをカッフェルタにいる時に一人で歩かせるのは以ての外、そしてミレットに私はカッフェルタで出されたものには手をつけるなと言われ、今はそのカッフェルタ宰相の厚意で食事はどうかと誘われている。
だが、この方法であればこの状況を見事に全てをクリアできる!良く思いついた私。今日色々とやらかしてきた中で一番の思い付きである。
何故か私に天啓が下りてきた瞬間に、ノア・ウィッツ・カッフェルタがピタリと足を止めて私の名前を呼んだが、今はこの良案をミレットに伝える方が最優先である。
そう、その良案とは、私が残って宰相様の護衛をしていればカッフェルタで食事を口にしなくても良くて、代わりにミレットがレイラの見張りと、ついでに食事をしてきてもらえば、カッフェルタからの食事の誘いを無下にせず、レイラもお腹を満たせるというものだ。
これはもうスクレットウォーリアもカッフェルタも両者納得の采配である。
本当によく思いついた私。大体、何故、一人でやれると思ったんだ。自分の力量を考えろって言う話である。リュミナス・フォーラットよ、五人くらい余裕で分身出来るようになってから出直してこい。出来ないだろうがな!
ニヤニヤしそうになるのを薄っすらと口の端を上げるくらいに止めて口を開く。
「折角部屋を用意して頂いたのだし、私は部屋で休む。ミレットは皆を連れて食事を頂いて来い」
「でしたら私も残ります」
「いい。部屋からは出ない」
「ですが、リュミナス様」
「きっと、素晴らしい食事を用意して下さるに違いない。だろう?ミレット」
ミレットが何かを言う前に食い気味に言葉を被せて、だからレイラの機嫌が最低になって暴れまわる前にお腹を満たさせてきてください、と暗に伝えると、伝えたいミレットではなくエイクさんが何故かほぉ?と面白そうなものでも発見したみたな声を出して、ノア・ウィッツ・カッフェルタに向けてニヤリと笑みを浮かべた。
何を言うつもりなのか分からないが、嫌な予感しかしない悪どい顔である。
「そうだな。もしかしたら死ぬほど美味い飯を食わせてもらえるかもしれねぇからな。良いんじゃねぇかゴッシュ。俺たちだけで飯に行こうぜ。あちらさんも待ってるしな」
エイクさんがノア・ウィッツ・カッフェルタに聞こえる様な割と大きな声で死ぬほどという言葉を嫌に強調すると、少し離れたところで立ち止まっているノア・ウィッツ・カッフェルタの表情から友好的な笑みが抜け落ちた。
見間違いかと思って目を細めて見ると、先程と変わらない穏やかそうだが、少し困ったような笑顔で顔でこっちを見ているので気のせいだった。疲れ目だろうか。
とにかく、エイクさんが難色の色を見せているミレットを説得してくれるらしいのでホッとして事の成り行きを傍観することにした。
コレで私は誰にもバレずに隣の部屋に盾魔法を張ることが出来る。
しかしミレットは、リュミナス様をお一人にするのは……、と渋ってノア・ウィッツ・カッフェルタに怪訝な顔を向けていて心底嫌そうである。
その顔やめて。正直か。
すると、エイクさんは仕方ねぇなとばかりにスッと腰を僅かに屈めてミレットの頭の後ろに顔を寄せると、今度はノア・ウィッツ・カッフェルタには聞こえないように声を潜めて話し出した。
「まぁ、聞けって。もし、フォーラットとキルヒナー様を一人にして襲撃でもされたら大義名分ってやつが出来るじゃねぇか。なんせ、言質は取り済みだ。この建物内で何かがあったらカッフェルタのせいなんだろ?」
「それは、そうですが……」
「フォーラットは例え襲われても自分もキルヒナー様も同時に対処出来るだろう。それに、この雨がどれくらい続くか分からねぇし、フォーラットやキルヒナー様の飯もいるだろう。フォーラットが言ってんのはその為に毒見をして来いってことだろ?フォーラットはキルヒナー様の警護、俺らは食事に混入する毒の有無の確認。何かあったとして、それはカッフェルタの責任に出来るし、良いことだらけじゃねぇか。それに、お前も貴族ならそこらの毒ぐらいで死なねぇ教育くらい受けてんだろ。なぁ、ボローニャ」
「お腹空いた」
……う、うわぁぁぁっ!違う、違うよ!
な、なんだその内緒話!誰も毒見して来いなんて言ってないよ!何故そうなった!
ど、ど、ど、どうしてだ。ただ私の代わりにご飯食べて来てくれって言ったつもりなのに、どこで変換が間違った。
え……私、なんかすごい酷い人に聞こえる。
カッフェルタの何が入ってるか分かった物じゃない飯なんか食えるか、と思いながら一応腹心の部下共々毒見させて様子見をする酷い人に聞こえる!
そしてそれがエイクさんからすると、フォーラットだったらそれくらい言って当たり前みたいに受け入れられている!私、人でなしじゃないか!酷い!
なんてことだ……。敵からすると私は血も涙もないヤバい奴だと思われているのは不本意ながら承知しているが、味方にまで!いや、みんなの知ってるリュミナスってそう言う風に見える言動をする人物だって分かっていたけど、味方に言われると余計にグサッと来る。つらい。
まだ仮病の方がましだったかのもしれない……。
なんか、胃も痛いが頭も痛い。鼻もツンとしだした。あ、コレ泣くわ。泣く前兆だわ。
こっそり分からない程度に鼻をすすっていると、ミレットが目を閉じてため息を吐き、分かりました、と本当に渋々な様子で了承をするとエイクさんはニヤついた顔のまま姿勢を正した。
渋りに渋っていたはずのミレットは眼鏡のつるを押し上げて私を一瞥しすると、エイクさんたちに行きますよ、と声を掛けると彼らを引き連れ歩き出し、まるで何事もなかったかのようにすまし顔でノア・ウィッツ・カッフェルタの前へと立った。
このみんなの注目を浴びまくっている状況でめちゃくちゃ堂々としているミレットすごい。やっぱり、ミレットが隊長やった方がいい気がする。いつでも譲るので言って欲しい。
「ノア・ウィッツ・カッフェルタ様。申し訳御座いませんが、お聞きになられたようにリュミナス様はお休みになられますので、私たちだけですがご厚意に甘えても宜しいですか?」
「……そうですか。えぇ、もちろん皆様歓迎いたします」
ノア・ウィッツ・カッフェルタは私にゆっくりとお休みください、とふわりと柔らかな笑みを浮かべると、では参りましょうか、とミレットたちに声を掛け、立ち止まって待つ宰相様たちに合流して、食事へと向かうために移動を始めた。
そうして廊下に残されたのは腕を組んだまま見送る私と、宰相様に護衛をするように言われて部屋のドア前に立つスクレットウォーリアの兵士のみになって気付いた。
……あれ?みんなお腹空いてるだろうと思って全員行ってきていい言っちゃったけど、今ここにいるのって、宰相様の命令で残ってる護衛兵一人とノーズフェリの防衛隊員の中で最も最弱一人とかヤバくないか?と。
しかもその最弱は今、命狙われてるらしいぞ、と。
やべぇ……。
もしも、本当に命が狙われる的な行為が行われた場合、カッフェルタじゃなくてミレットに殺される。あと、レイラが烈火の如く暴れまわる。それからシーラに連絡がいって、未知の薬品でイデアの民が恐ろしい目に合い、ノーズフェリにいないルルアにまで連絡が回って全員揃ったらヤバいことこの上ない。
ダメだ、全面戦争の開幕である。
……今から私は死ぬ気で宰相様を守りつつ、尚且つ死んでも部屋から出ない!
というか、宰相様を無理やり連れてでも食事に行った方が、何かと私の精神的なものとかその他色んなものを守れたかと思うと泣けてくる。全然良案じゃなかったわ、とバカすぎる自分を鼻で笑いながら、護衛兵に宰相様が部屋を出た時は呼ぶようにと伝え、カッフェルタ側が用意してくれた部屋に入った。
おおぅ……これはひどい。
そんな感想と共に思わず入った所で固まった私は、バタン、とドアが閉まる音を聞きながら、黒と金が基調とされた部屋にアクセントのように赤い薔薇が飾られている部屋を眺めまわす。
私の気のせいなのか、心なしか、というか、どう見てもうちの城の内装を思わせる配色と調度品である……。
なんでだ。
どちらかと言えば、カッフェルタは白と金とか、銀とか青とか清楚な感じがベースで、目にも精神的にも優しい色が使われている城だったはずだが、何故此処はこんな毒々しい感じになってるの?ティエリア・ウィッツ・カッフェルタがいた部屋とか廊下とか話し合いをした場所とかは普通だったのに。
もはやこの空間だけ別空間だ。おかしいよ、ドアを開いたらカッフェルタじゃなくなったよ。もうノーズフェリだよ。なんでこの内装にしたの。カッフェルタらしさ皆無だぞ。
まさか、宰相様のいる部屋もこんな感じなの?もしかして、カッフェルタのおもてなしなの……?
そうなのだとしたら、もう、コワイ。
壁紙すらもノーズフェリの城と同じ感じなのだ。あの短時間で模様替えしたのだとしたら、もはやおもてなしに対して狂気すら感じる。
何がカッフェルタをそこまで駆り立てたのか知らないけど、とにかくコワイ。
ちょっと何かに触りそうになっては上げそうになる悲鳴を飲み込みつつ、出来るだけ辺りの物に触れないよう気を付けて物と物との間を慎重に歩く。
自分の部屋に置いてある調度品ですら触るのを躊躇する物ばかりなのに、人様の国の調度品なんて恐れ多くて触れない。触らないけど。
いくら私が庶民でも、伊達にあの城で過ごしていないのだ。私にだって分かる。
視界に入るあれもこれも絶対高いと。
足元に敷き詰められた寝転がっても気持ちよさそうな絨毯にも神経をすり減らしながら、精々三人ほどでいっぱいになりそうな半円に外に張り出した窓辺の前に立つ。
やだ、もう。
そこには五枚の大きな窓が円のように囲んでいて、晴れていれば日の光が差し込み、綺麗な景色が望めるくらいには大きな窓だった。が、問題はそこじゃない。そのすぐ下の窓の一部に付いたソファとか天上とか色々である。
窓の下、壁にぴったりと沿うように、艶やかな光沢を放つ深紅の布地に、金にも銀にも見える糸で花の絵が施されている丸みを帯びたソファが置かれている。
匠の仕業である。
ハッキリ言ってコレにだって触りたくない。でも、此処に乗り上げないと外の様子がよく見えない。
そのまま天井を見ると、天井を丸くするために、それぞれの窓が嵌められた壁から続くように伸び、一点に集まるように綺麗にぴったりくっついている。その一転に集まる途中の三角に木の部分にはステンドグラスが嵌め込まれていて綺麗は綺麗だが……なんだ此処、何用の場所なの?何空間?カーテンいる?
躊躇いつつソファに手を付き、覗くように隣りの宰相様の部屋の外はどうなっているのか確認する。
雨で灰色に染まっている外の景色のせいでかなり見にくいが、宰相様の部屋にはバルコニー的なものが確認できたのでサッと降りて、今度は間取りを確認する。
どうやらこの部屋は宰相様がいる部屋と繋がっているらしく出入りできるドアがあった。護衛しやすいようにという配慮だろうが、私が勇んで飛び込んで行っても無駄死にそうである。なんて意味がないドアなのだろうか……。
ま、まぁそこは取り合えず置いといて、別のところも確認したところ、宰相様の部屋とは反対側のドアの向こうにはベッドがあり、浴室やトイレまで完備で、あとはキッチンさえあれば住める具合である。
広い、広すぎる。何故ここのベッドもあんなにデカかったのか分からない。
いちいち高そうな調度品に神経をやられながら、部屋を確認し終えた私は、取り合えずやることをやらねば、とどうしたものかを考える。
宰相様のいる室内の広さは私のいるこの部屋と同じくらいだと仮定して、バルコニーがある分だけ盾の範囲を広げなきゃいけない。ちなみにコレは、宰相様が外を見たくなってバルコニーに出ることがあった時にも守れるようにである。
あと、出入口はドア蹴破り事件の二の舞を踏まないために出入口は開閉できるようにしなければいけない。そこは、まぁ、ドアの開き加減と護衛兵が必要で入って来る分くらいを確保しておけばいいだろう。
そして廊下側の壁を巻き込んで盾魔法でぐるっと包めば完成である。
コレで外からの侵入や攻撃は通らない。
まぁ、外からは入れないけど、盾の中の人を閉じ込める訳にはいかないので出られるようにしているから、宰相様が部屋から出ちゃったら意味なくなるんだけども。
頼むのでミレットたちが帰って来るまでは出ないでください、と願いつつ、周囲の物にぶつからないように注意しながら、宰相様の部屋がある壁の真ん中辺りに立ち手を翳して、私が今使える盾魔法の最大限で隣りの部屋に盾を張る。
ジッと壁を見つめ、ちょっと弱いが盾が揺らがず成功したことに安堵しつつ近くの一人掛け用のソファを見下ろす。このソファ、さっきの張り出した窓辺のソファとは別の物だが、触り心地と良く分からない豪華さが同じ種類の匠のソファである。汚したら嫌だから座りたくない。
だからと言ってずっと立っていられないし、床に座る訳にもいかないし、と致し方ない気持ちで躊躇しながらもゆっくりと腰を掛ける。
とにかく、精神的に既に瀕死気味だった私はボリュームのある肘掛に手を乗せて背もたれに体を預け、一息つくように高い天井を見上げた。
なんか、目が合った。
「……」
「ヤベ、間違えた。……えーっと、こんちは!リュミナス様!」
「……お前、誰だ」
ちょっと、え、普通に話しかけて来たんですけど。
あまりにも突然の知らない人に一瞬、思考が停止した私は、なんとか絞り出すように問いかけた。
シャンデリアの横の正方形の天井の一部がパカッと開いて、元気そうなやんちゃそうな男の子がひょっこりと顔を出したのだ。驚かない訳がない。
高い天井からシャンデリアと私が座るソファを避けるように体を捻って猫のようにスルッと難なく降りてきた男の子は、降りる所を間違えたッス!わざとじゃないッス!スンマセンでした!と言いながら流れるように瑠璃色の頭を勢いよく下げて、ブンッと頭を上げた。
前髪を黄色のピンで留めていておでこが晒されたその子は、赤煉瓦のような色の目も好奇心いっぱいに輝いていてなんとも可愛い感じの人懐っこそうな子だ。
スクレットウォーリアの正式な制服―――めちゃくちゃ着崩しているけど―――を着ているのでスクレットウォーリアから来たということは分かるのだけど、彼のことは今日に至まで見たこと無い。
……もしかして、またクライの変装だろうか?いや、身長はレイラと同じくらいだし、流石にあの魔法でも身長までは縮められないはず、多分。
「お前は誰だと聞いているんだ」
「あ、えーっと……ま、いっか、相手が相手だからオレ悪くないな。うん。オレ、スクレットウォーリアの王様に言われてキルヒナー様の見張りをしてるッス!あ、コレ、ほら、正真正銘の王様の印ッス!偽造じゃないッス!」
「……見張りとは何だ」
「はい!まあ、見張りって言うか、王命でキルヒナー様の悪事を掴んで解任するための証拠集めをしてるッス!」
「……」
「……」
「……」
「あ、間違えた」
「……」
「じゃなくて……えーっと、キルヒナー様がゲスいことしようとしたらブン殴って止めるのが役目ッス!オレの拳が唸るッス!……嘘ッス。えへ!さっきのはキルヒナー様には内緒でお願いするッス!本当はキルヒナー様を危険から守るためにコッソリ王様が遣わされました、ってことにして欲しいッス!」
嘘吐くの、ヘタクソか!明るい顔で何言ってんの!
色々と衝撃を受けながら男の子をガン見していたら、数秒もしない内に結局は王命で宰相様の粗探しをしに来たと認めるものだから私は頭が痛い。
どういうことなの。
絶対に最後のヤツが一番最初に言わなきゃいけないことじゃなかった?表向きそうなってますってヤツでしょ?真っ先に白状しちゃいけないこと白状したんですけど!大丈夫なのこの子、コワイ。
って言うか、私、今、聞いちゃいけないこと聞いちゃったんですけど。聞きたくなかった。
今、スクレットウォーリアの中って不穏なの?コワイ!
スクレットウォーリアで何が起ころうとしてるの、事と次第によっては私はともかく親だけでも亡命させなくては、と慄いていると、でも宰相様にはオレが隠れて見張ってるのバレてておつかい頼まれたッス!と彼は笑った。
笑ってる場合じゃないと思う。って言うか何でそんな晴れ晴れとした顔で笑ってるの、コワイ。
「……キルヒナー様の用件は何だ」
「ダニエル・ウォーターハウスにイデアの情報とリュミナス・フォーラット殺害計画の首謀者は知っているか聞いて来いって言われたッス!」
「ダニエル・ウォーターハウス、だと?」
「キルヒナー様が、なんかカッフェルタの民として暮らしてるって言ってたッスね」
ダニエル・ウォーターハウスとは、私の上司だった人である。つまり、元隊長、今の私の立場であるノーズフェリの国境防衛隊の隊長だった人だ。
以前のノーズフェリの城にいた血が滴る骨付き肉を貪る山賊系で筋骨隆々な人間を集めて国境を守って来た人である。
容姿は、少し疲れた顔をしていたが、温和な、まさにお父さんと言う感じの人だった。
だが、あの元隊員たちを宥められるようなすごい人である。
常に忙しそうで、尚且つ私はミレットたちが来るまで仕事をしつつ引き籠りをしていたのであまり話す機会は無かったが、とにかく大変そうであった。
それからミレットたちが来たり、例の津波事件が遭ったりなどして、何故か良く分からない内に私が隊長を務めることになったのだが、その時ダニエル隊長は私と握手を交わして、この国境を頼むよ、と残して王命により王都へ戻って行ったのだ。
それからは、今までの手腕を認められ宰相様の下で働いていたと聞いていたのだけど。
何故、カッフェルタにダニエル隊長が……。ん?いや、待てよ。
あの時、宰相様がなんか言ってたぞ。
確か、私とミレットとレイラとエイクさんは顔を知っている人物がカッフェルタにいるって……アレって、ダニエル隊長のことか!
いやいやいやいや。え、待て待て待て待て!宰相様がその人物は今、正式にカッフェルタの住人的なこと言ってたよね。嘘でしょ!
仮にも一番身近な敵の親玉やってた人を、こんな所で情報活動させちゃダメでしょ!顔バレがスゴイよ!そんな人が急に住むってなったら怪しさ満点じゃないか!絶対に怪しまれて見張りとか付いてるでしょう!だってまだノーズフェリの隊長を辞めてから二年しか経ってないよ!
そんなことを考え込んでいる私に、彼は用件はもうないのだと、もういいッスか?それじゃあ失礼するッス!っと元気にまた天井裏に戻るために大きめのソファの背に足を掛けてシャンデリアに跳びつこうととしていた。
引きつりそうになる顔を根性で動かさない、という強硬手段で顔色も表情も不自然なくらい真顔で堪えていた私は慌てて引き留める。
「待て」
「うぉっ!な、なんスか?」
「その報告、私にもしろ」
「ん?あぁ、別にいいッスよ!オレ、基本的に金と飯と自分のためになりそうな権力には積極的に屈してるんで!」
……私はなんの宣言を聞いてるんだ。
権力云々は別としてお金とご飯のためって言えば私だってそうと言えばそうなんだけど、そんな堂々と言わない。人として隠すべき非常に欲まみれな発言にドン引きしながら、また飛び移る態勢になった彼を見ていると、じゃあ今度こそ行ってくるッス!と言ってシャンデリアに跳びついた。
まっ、ヒィィィッ!落ちる!君もそうだけど、シャンデリアも落ちる!
ハラハラと見守っている私を余所に、ひょいっと軽々とシャンデリアを足場にして天井の上によじ登った彼にホッとしつつ、今度はキラキラと輝くシャンデリアが派手にぐらんぐらん揺れて、じゃらじゃら言っている様子にハラハラする。コワイコワイコワイコワイ!
思わずそこから立ち上がって、距離をとるくらいにはコワイ!
ぐらんぐらん揺れるシャンデリアと天井から覗く男の子を両方チラチラ見ていると、彼は気安げに手を振って天井の一部を戻して姿を消した。
なんと言うか、家屋巻き込んで全てを吹き飛ばす台風が去ったような気分で、折角寝て若干回復した精神的疲労にまた襲われる。
つらい……。カッフェルタに来てからずっとつらい。
ソファの手に手を付いて額に手を当てながらため息を零していると、ドアがノックされた。
……私に休息と言う言葉は許されないと言うのだろうか。これ以上、私の精神を摩耗させてどうする気だ。居留守使いたい。
だがそんなこと出来ないので、泣く泣くなんだ、と返事をすると、知らない声が失礼しますと言って入って来た。
 




