負の連鎖
平和って何だろう
昔々、人々は農業をして、生活していた。しかしいつしか時は流れ人々は互いに集まりいくつもの国を作った。それは大きな国であったり小さな国であったり。ある日その中の一つの国に食糧難に陥った。その国はとてもとても困ってしまった。そこでその国は隣の国に、食料を分けてくれないか交渉しに行った。しかし隣の国も食料には余裕がなく分けることはでき無かった。すると食料のない国は隣の国に向かってお前らは俺たちの食糧を取ったと言った。そしてその国は農業用具や、狩猟道具を持って隣の国に押し入った。すると隣の国もそれに負けじと同じようなものを取り自分たちの食糧を守るために立ち上がった。そんなことがそこらかしこの国で起こるようになった。これが人類の戦いの歴史だ。
俺は昔祖父が語っていた話を思い出した。
昔から人は、人類は何も変わっていない。自分たちを正義とし自分たちの相手を悪とする。これは何百年いや何千年たっても何一つ変わっていない。結局その戦いに勝ったほうが、自分たちが正しかった。負けたほうが悪だったと決めつけ歴史に記す。それは何があろうと変わらないだろう。人々は、民衆は、自分たちが勝てば相手を罵り、自分たちの犠牲者だけを弔うそして国を守るためとか何とか言って被害を、犠牲者を英雄にする。一方自分たちが負ければ、相手を怨み、相手に憎悪を抱く。そして犠牲者すべてを相手のせいにして、敵討ちという名の戦いをまた始める。こんなことを言っていると誰かはきっと仕方ないそれが戦いだからとかなぜ怨んではいけないとかそんなことを言ってくるだろう。別に俺は人を恨むなとは言わない。しかし、その恨みの矛先を考えろと言いたい。例えば、無差別殺人。被害者の遺族は犯人を大いに怨め憎めそれを止めることは誰にもできない。いやそれを止める権利は総理大臣でも裁判官でも天皇でも誰でも持っていない。けどこれは戦いではない。犯罪に対する怨みだ。では戦いではどうなるのだろう。あなたたちは、自国が敵を破ったことで酒を飲み、喜びそして、祝う。では破られた国の死んでしまった戦士に対してあなたたちは何を思う。敵だからしょうがない戦いだからそんな言葉できっと片づけるだろうけど一つ立場が変わればあなたたちの国の戦士が死ねばあなたたちは敵を怨むけどそれは筋違いだろう。ただ枠組みが違うだけで人が人を怨む。国が違う、宗教が違う、文化が違うだからお前たちが悪いその決めつけで人はまた戦いだす。
人を怨むのならなぜ戦うなぜ争うなぜその憎悪の根本を無くそうとしない。こんな悲しい連鎖を昔から続くいらない伝統を続ける必要はきっとないだろう。未来のことを考える前に、未来に託す前にその準備をしろ。
きっと明日には変わってる誰かが変わっているはずだそう思い込み続けて何千年も何万年も経った。結局未来は変わらないかもしれないけど今なら変えることができる。そして今を変えることができるのは今を生きる人たちだけだ。立ち上がれ。これ以上犠牲を出すな。過去に何を学んだ。その頭は何でついている。考えろそして戦いを止めろ、無くせ、終わらせろ。人を社会を発展させるのは戦いだけでは無いはずだ。
同じ人間、同じヒト科、同じ動物、同じ命。
みんな同じたった一つの命大事に生きてみてはだめですか?大事にしてはだめですか?
皆さんも考えてみてください。