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分霊(わけみたま)


 今から五百年ほど前、世は戦乱の最中にあった。そしてこの山も隣国へ攻める要として、度々人間が偵察として忍び込んでいた。

 その頃のハクは中立の立場と謳い、流れの商人などを山中のもののけから守りつつ隣国へ渡しており、時に襲ってくる山賊も一捻り。近辺の村々からは有名な存在で、感謝されども憎まれることはなかった。

 ところがある時とある村で毒が盛られた。犯人はすぐわかった。隣国から越してきた夫婦、に見せかけた工作員だった。この事に怒りを覚えた城主が意趣返しにこちらも工作員を送る。もちろんそれを送る事になるのは、なにも知らないハクであった。

 ひょろりと噂が立つようになる。白く長い髪のもののけが連れてくるのは隣国からの侵略者だと。ハクは激怒した。我が連れてきた者にそんなやつはいないと。そして真実を知り、人知れず涙した。我はこんなことがしたかったわけではない。ただ、人間ともののけの架け橋に――。

 こうして人間の町からもののけがひっそりと姿を消した。




 雷がやけに近くに落ちた。その音でハクは思考の海から現実に引き戻された。

「お主は何度傷付けば人間に見切りをつけてくれるのじゃ……。いくら足掻こうと、いくら藻掻こうと終末は決して変わらぬ。お主の描く未来など絵空事でしかないのじゃよ!!

 妾は辛い。お主が人間に関わり山を降り、かと思えば心身ぼろぼろにくたびれて帰ってくるその様が。それも一度や二度ではない、何度もじゃ……何度も何度も何度もっ!!」

 ハクが顔をあげれば山の神は酷い顔をしていた。顔をくしゃくしゃに歪め、悲痛な声をあげる。

「――じゃから妾はお主を害する人間という存在が心底嫌いなのじゃっ!!! 見切りをつけろと何度でも言おうっ!! お主の……お主の傷付く顔などもう見とうないのでな!!」

 言葉に人一倍聡いハクにはわかってしまう。これが数百年心の奥底に秘めていた山の神の真意であることに。

「主も人だったろうに」

 まったくと、彼は苦笑いする。

「またその顔か! お主の心など見透かしているぞとでも言いたげなその表情! 腹立たしいっ! それにの、妾は今や神じゃ! これは神の神意としれ!」

「主、まるで子供だぞ?」

「仕方あるまい! 妾の刻はあの日あのときに停まっている。どう足掻こうが精神が体に引っ張られてしまう。今もこうして濁流のように止めどなく溢れる感情を抑える事ができぬ」

 鋭く打ち付ける雨の中、彼女の頬を伝う雫は間違いなく涙であった。


「……唐笠の」

 その呟きに自分が涙を流していることに気が付いた山の神はハクに背を向け、困った体じゃと目元を拭う。

「正直、主がここまで我を気にかけているとは思わなんだ。だがな唐笠の。我は己の言葉を曲げることを許さぬ。絵空事であっても我は夢を口にした。言の葉は呪いだ。こうして今も我に重くのし掛かる。恐らく我は近くこの山を出る事になるだろうな」

 ピクリと震える肩に、ハクは明るい口調でだがと続けた。

「その呪あってこその我だ。主と巡り会えたこの縁を否定するつもりか?」

 ふるふると、山の神は微かに首を横に振った。

「案ずるな別に何百年会わん訳ではない。存外数日置きに顔を合わせる事になるやも知れないぞ」

 背を向けられていてもわかる、彼女はこの雨のように止めどなく泣いているのだろう。なにより山がそれを教えてくれている。


 彼は一つの提案をした。


「なぁ唐笠の。主も我と来ないか?」

「は?」

 赤く腫れた目元を隠すことも忘れ振り返る。

「た、たわけ。妾にはこの山を見守る責務がある。そのようなことできるはずなかろうが!」

 すると何時ものようにハクは小馬鹿にするように笑う。

「つまり山を見守る必要がなければついてくると言うことだな?」

「はんっ! できるものならやってみればよかろう。妾もこの身でなければどこぞともついていったわ!!」

「なんだ唐笠の。ついて来たかったのか? ならば言えばよかったんだ。我はいつでも連れ出せたというのに」

「ならばやってみせろ! 妾の苦節をなんだと……」

「ではちと笠を拝借」

「――あ、おい何を!」

 ささずに手に持っていた唐笠を山の神から取り上げ、なにかを確かめるように妖力を流し込むハク。

 すると突然バチンと雷のようなものに弾かれた。そして一つ頷いて、落ちた唐笠を拾い、掲げた。


「『これは神器。御霊代みたましろ。神の代わりとして祀るものなり』っと……ふむこんなものか」

 とたん辺りは淡い光に包まれ、そして唐笠に吸い込まれるように光を失う。

「な、なな、なにをやっとるのじゃー!!」

 ハクから唐笠を奪い取ると山の神は奪い取った笠でバシバシ彼の頭を叩く。

「妾の、妾の笠に!!」

「くくく、小さいことばかり気にすると小さな神になるぞ? すまない、主は既に小さかったな。ナハハハハハハッ!」

「ここで果てろっ!! それに妾の笠を神器にしたとて肝心の神仏はどうするのだ!! 我に二柱に別れよとでも言うつもりか!!!」

 珍しく、ポカーンとした表情のハク。数瞬の間があり、やがてゲラゲラと笑い転げる。泥で服が汚れるのなどお構いなしに転げ回る。


「何がおかしいのだ!!」

 山の神はなぜ笑われているのかわからないが、それでも馬鹿にされているのは確かなのでよりいっそう顔をしかめる。

 笑いすぎて息も絶え絶えになったハクは何度も深呼吸に失敗しつつ落ち着きを取り戻す。

「……はー、笑った笑った。今生一の笑いになろうな。主、神のくせに分霊わけみたまも知らぬのか」

「わ、分霊?」

「ぶわっはっはっは。やはり知らぬのか唐笠の」

「わ、妾は神になって山から降りたことがない。見聞が狭いのはと、当然じゃろう……」

 急に恥ずかしくなり語尾になるにつれ声が小さくなる。

「はぁー? そりゃ主が極度の勉強嫌いだからだろう。少しは書物を読むなりすべきだったな、我からちゃちゃを貰うこともなかったぞ?」

「うぅ……結局分霊とはなんなのじゃ!!」

 ふぅとため息を吐きハクは説明を始めた。


「分霊はな、早い話分身の事だ。自分の精神を別ち二つにする。本来本社の祭神さいじんを他所で祀る際に行う技法だが、まぁ神器もあるし問題ないだろう。

 古来から神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響なく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされている。我が身を分ける経験などある分けないので気分は解らぬがな」

「な、なんと無責任な……」

「だが、我と来たいのだろう?」

「くぅ……、妾は神……神なのにぃ………っ!」

 地団駄を踏み、それを見てまたハクは笑う。


「ふぅ……帰るわい」

「ん? 分霊はどうする」

 お気に入りの、今では神器となってしまった笠を差し、山の神は不敵に笑う。

「失敗する不格好な姿などお主には見せられん。妾は社でこっそりと鍛練しようぞ」

「我もすぐに旅立つ訳ではない。たまには我から主の社にちゃちゃを入れにいくもよいかもな」

 やめてくれと山の神は力なく笑い、手をひらひらと降り、林のなかに消えていった。


「ナハハ、通り雨だったか。虹まで出て縁起もいい。――主も気に入ると思うぞ、人はほんに興味の絶えない尊く儚いものだ」

 先程の雨が嘘かのように晴れ渡る空を仰いで自然と笑みをこぼすハクであった。

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