廻りだす歯車
「匂うのぅ……匂うのぅ……なぜじゃろうなぁ?」
ハクは正座させられている。
人間の少女言ノ葉鈴を送り届けて帰ると仁王立ちした山の神が待ち構えていた。有無を言わさず座らされ一言「人間臭い」と言いはなった。その瞬間に彼は事のすべてを察した。
「我はここに迷い込んだ人間を山の麓へ送っただけだ」
「大きな妖力の流れを感じ飛んできてみればこれじゃ。お主には度々呆れてしまうわい」
本当に仕方ないやつだと山の神はため息をはく。
ハクの鋭い妖力に何かあったのではと駆け付け、そわそわと辺りを探し回った自分が馬鹿みたいではないか。
「臭いを誤魔化すため気を逸らす策よ。まぁ主も我を見るまで気付かんなら成功したも同然よ。ナハハハハ」
まぁ泥を被せて臭いも騙してたんだがなと続け、高らかに笑うハク。事実、山の神は強力なハクの妖力に意識が向き、微かな違和感に気が付かなかった。
山の神ほど人間の臭いや気配に過剰に反応するもののけはいない。
帰ってきたハクはかなり人間の臭いが染み付いていた。だからこそ山の神は探し回った自分の苦労と飄々とした彼の態度に腹が立ち、その場に正座させてしまったのだが。
今もまんまと彼の策に引っ掛かってしまったと腸が煮えくり返る思いだ。
人間好きなこのもののけ、もしかするといつか本当に山を降りてしまうのかもしれない。ここ最近はその思いが日に日に強くなる。胸騒ぎがするのだ。
「唐笠の。やはり人間は面白いぞ。今宵会った人間、言ノ葉鈴と言ってな、中々に愉快なやつだった」
ギリっと歯が軋むほど食いしばる山の神。
また人間か。
ふと気が付けばハクは足を崩し、着流した浴衣の裾から一本の細長い管のようなものを取り出す。
「……その竹笛、まだ持っておるのじゃな」
山の神とハク、それぞれ儚げな、懐かしむような顔をする。
「当然よ、これは我の宝だからな」
ハクはゆっくりと竹笛に唇をあてがい息を吹き込む。
――ビーュルルルルルェェェエエエ!!
「ナハハハハ、相変わらず酷い音だ」
「ふははっ、全くじゃな」
音に眠っていた鳥が一斉に飛び立つほどの気分を害する音、しかし一人と一柱はかんらかんらと笑いあっていた。
ひとしきり笑うとハクが口を開く。
「なぁ唐笠の。まだ人間は嫌いか」
それにニヤリと返す山の神。
「ああ大嫌いじゃ。お主こそいい加減人間に見切りをつけろ」
「断る。主の人間嫌いを治すことを約束しているからな」
「ほほぅそりゃあ「――だから」」
ハクは笛を月明かりに透かしつつ山の神の言葉を遮った。
「安心しろ、かってに消えたりせぬ」
「な、何をいきなり」
なにもかも、心の内までも見透かしているような微笑みに心の臓を鷲掴みにされているような圧迫間を覚える。この胸の痛みがなんなのか、かれこれ数百年解らないままだ。
「我は主がこーんなにちんまい頃から見ている。分からんわけない」
そう言い指で一寸ほどの隙間を作り小バカにして来る。
「なっ!? 妾はそんなにちっこくなかったわ!!」
「ナハハハハ、すまんすまん松ぼっくりくらいはあったな」
「もっとあったわあほー!!」
「まぁ今もめんこいままだがな。ナハハハハ」
「言わせておけばお主こそ、雪ん子に声かけて勘違いで氷付けになったり、喧嘩の仲裁に入ったはずが妾が来た頃には主犯になっていたりしておったじゃろうが。あー、あれは愉快じゃった」
「我の過去の話をするのはどうかと思うぞ」
「お主こそ妾の過去を小バカにしおって!! だいたい――」
こうして話している間は気が紛れる。本当は山の神も解っている、ただ納得できないでいるだけ。この自分が抱える胸騒ぎは近い将来に必ず起こること。神の勘は外れない。
続け、続け、長い夜。時よできるだけ緩やかに流れてくれ。そう願いながら山の神はこの一分一秒を噛み締めた。
もののけと神の夜は続く。
その頃の言ノ葉鈴は。
「いったーーいっ!」
「未熟者が!! 何故支給品の違和感に気がつかぬ。再三確認を怠るなと言っておったろうが」
陰陽師の兄弟子によって叱られていた。
ハクと別れたあと、陰陽師の捜索隊に合流してキャンプ地まで戻ってきている。
「地図を変えてるなんて解るかぁ!! うちはここ始めてきたねんぞ? お気に入りのホルダーも落としたし泥にまみれるし散々やー!」
坊主あたまの兄弟子翔斗は眉根を寄せる。
「お前…今何て言った?」
「お気に入りのホルダーのことか? 買うてくれるん?」
「違う、その前だ」
「あぁ、地図のことかいな。叩き返そ思って大事にしまってたんや」
そう言い白衣の裾からじっとりと水を吸った紙を取り出した鈴。
翔斗はそれを破かぬよう慎重に拡げる。
「確かに地図が違うな……」
配布された地図と見比べても明らかに違う。
翔斗は先輩として陰陽師見習いの教育、指導のために実地訓練にきていた。今回のプランとして応用力を身に付けるためライターなどの点火道具に細工はしたが、地図のすり替えはしていない。従ってこれは……。
「あら、言ノ葉さん。その格好お似合いでしてよ」
「立花……」
「それ、どない意味なん」
鈴が睨む先に夜営地には似つかわしくない、真っ赤なドレスを着た妙齢の女性がたたずむ。扇で口元を隠しクスクス笑っている。
「そのままの意味でしてよ、未開眼者さん」
「ほんま腹立つこと抜かすわ。うち、今ごっつ機嫌悪いねん」
「言ノ葉、立花、やめろ」
一触即発の空気のなかに割って入る翔斗。
「立花。流石に此度はいたずらでは済まぬぞ」
「あら、なんのことでしょう?」
「お前らは知らないからこそ今のような態度がとれる。あの山は実際プロの陰陽師でも死ぬ。それほど危険なもののけも多い」
いつになく険しい表情をした先輩陰陽師に、さすがの二人も空気の違いを感じた。
「ま、マジなん?」
「俺らは遊びで連れてきているわけではない。立花、いつまでも金が通用すると思うなよ。法で裁けずともお前のしたことは殺人未遂だ。留意しろ」
立花とよばれた女性は一瞬無言で鈴を睨むと無言でドレスを翻し帰っていった。鈴も舌を出して不快感を隠さない見送り方をする。
「……なぜお前らはこう………」
翔斗は頭痛が堪えきれずこめかみを指で二、三度叩き言葉にできない感情を大きく吸った空気にのせて吐き出した。
「まぁまぁ細かいことは気にせんとこ。禿げるで?」
「これは剃っているのだ!!」
「にししー、そらすまへんでしたー。っと、それよりあの山そんなヤバイとこなんです?」
やや言うかどうか迷うしぐさを見せた翔斗だったがやがて重々しく口を開く。
「正直、指一本でも見つかればマシだと思っていたくらいだ」
「うへぇ、ハクが言っとった通りエグいとこやったんか」
「ん? 誰だそれは」
「あー、こっちの話や気にせんでください」
咄嗟に誤魔化したが別に隠すことはなかったかもしれない。そう思ったがやはり止めた。どうせ誰も信じない。会話が成り立つほど高位のもののけに会って生きて帰ってこれるなんて思われない。ましてもののけが人間を助けるなどあり得はしない。
それが陰陽師のなかの教科書にも書かれないほどの大前提。
もののけは悪である。
それでも鈴は常々思っていた。本当にそうなのかと。その疑惑は今日ハクに出逢い、確信へと変わった。もののけも悪だけではないと。
今だ開眼者として覚めない身ではあるが遥か高い目標をこれで決めれる。
人間ともののけの共存できる世界。これだ。
「目標は大きければ大きいほど大事なんよね」
「は?」
「なんでもない。それもこっちの話や」
呆ける顔の先輩陰陽師を横目に、どうやったらハクにまた会えるか考える鈴だった。
「しかし鈴。お前どうやって帰ってこれた。参考程度に教えてくれ」
「これは臭いを誤魔化すため? で。ここらのもののけは人間の臭いに敏感? やから泥まみれになってしのいだんよ」
「ほぅ、どうやらお前を少し見直さねばな。で、誰に聞いたんだ?」
「な、なんでうちが誰かに聞いたと!?」
「自分で疑問に思いながら言葉にしているからだ。精進が足りん愚か者」