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始まりの波紋


 風がそよぐ。鳥たちが愛の唄をつむぎ、唄に合わせて森がざわめく。ここらで人を見なくなって久しい。

 森の拓けた原っぱに座り空を見上げる青年は思った。

 背丈は人間のそれ。格好は浴衣を着流した若者といったところ。髪は白く腰ほどまであるが体型はよいため、まず女性とは思われない。不思議な雰囲気を纏った青年だ。

 彼は人間ではない。化け物、怪異、妖怪、もののけ、そういった類いの人とはかけ離れた存在だった。


 山の神が言った。人間は穢れている、だから近寄るなと。

 他のもののけたちは百年も生きれぬ小さく脆弱な生き物、それでいて乱暴で残忍。あれならば知能のない獣の方が幾分かましだと口々に言う。

 そのなかで人間に興味がある青年はやはり変わり者と言われた。


 青年が座ってる辺りには昔小さな村があった。青年はその営みを見るのが好きで、それを作る人間を見るのもまた好きだった。

 たった百年。百年で生まれ、育ち、子を産み、老いて、土に帰る。そのなかで少しずつ、だが確かに村も大きくなるのだ。

 人間は不思議な生き物だ。人間は興味深い。そして大きな力にあまりにも無力だ。

 この小さな村があった場所は山の神の逆鱗に触れてしまい、呆気なく全てが濁流にのまれて消えてしまった。山の神の逆鱗がなにだったかも青年が忘れてしまうほどの長い年月が流れていた。いや、忘れるために要した時間だったのかもしれない。今はそれもあやふやで思い出せない。


 あれから人間を見ていない。ついぞ滅んでしまったかも定かではない。それほど山は静かで代わり映えなく、平凡とした一日が過ぎる。

 青年は人間ではない。ゆえに時間の流れが曖昧で不確かなものに感じる。青年がここにとどまって千年もの時が刻まれていた。

 しかし青年は知るよしもない。波も立たない水辺に一つの小さな石が投げ込まれたことに。波紋は広がりやがて波になり青年に一つの転機を与えることに。




「お主はいつもここにおるのぅ」

 聞きなれた幼い子供の声に青年は空から視線を落とし立ち上がると真正面を向く。それから左右を見回し声の主を探す。

「はて、珍しいこともあるものだ。声はすれど姿はなし。我も狸や狐に化かされたか」

 ケタケタ笑う青年の脛に鋭い痛みが走る。真下に眼を移すと朱い和服を着た可愛らしい童女が睨み上げていた。

 青年は痛みを表情には出さず、さらにおどけた顔でニヤリと笑う。

「おっとすまないなぁ、主は少々めんこいので見落としていたわ。ナハハハハ」

 童女はまさに怒り心頭といった様子でさらに蹴りを放つ。が、青年は狙われた足をひょいと上げ、片足立ちになり避けてしまった。

「我も流石に下駄は痛いので勘弁だぞ唐笠の」

「このくそ!! 妾に不遜な態度を取るのはお主くらいのものじゃ」

 そう言い古めかしい唐笠を開いた童女。

 髪は夕陽のような茜色と、一房だけ夜のとばりが降りた対照的な暗い青。それを童子のように切り揃えているのだから余計に幼く見えてしまう。

 青年はふたたび座り、あぐらをかいた。


「それでいて山の神なのだから笑えるよ」

「まだ言うか!!」

 童女がじだんだを踏む姿は微笑ましく見えるが、これでも優に千年は生きている。伊達に神ではないのだ。

 他のもののけたちは畏れ、敬い、崇めるのだが、どうもこの青年だけはそれら一切合切を蹴っ飛ばし神を嘲笑うのだ。隣にたつ友人のように。

 子憎たらしいがそれでも愛おしいと思ってしまうこの神もまた変わり者であった。

「その唐笠いつも持ってるのな」

「ん。お主から譲ってもらった物じゃしな。それに――」

 山の神の口はそこで止まる。ここから先の言葉はお互いのかさぶたを抉る。そう察して意図的に閉ざした。かわりに山の神は話を切り替える。


「……のぅ。妾がもう大丈夫と言ったらお主は山を降りてしまうのか?」

 その声は感情を殺しきれず僅かに震えていた。

「さぁてね。それに我には無理に背伸びしてる童子にしか見えんぞ? 神の威厳とやらはどうした? ん?」

 あえて囃し立て山の神の怒りを誘う青年。そのおちょくりに綺麗にのっかり、拳を突き出してくる神の頭に手をやりさらに口八丁にやじる。

 うがーっ! などと獣のように唸るが体がついていかない彼女を見て青年は笑う。

「ナハハハハ、愉快愉快。ほんにからかいがいがあるぞ唐笠の」

「お主なぞ……お主なぞぉぉぉぉぉ!!」





 あやかしと山の神が揉めている山の麓。道らしい道など獣道しかない、一切の手が入ってない自然な森に一人の少女が迷い込んでいた。少女が着ている服は町で着ていると奇怪な目で見られる巫女装束にも似た陰陽服。上は白衣、下は朱色のモンペと言えば想像しやすいか。

 しかしその服装は木の枝に引っ掻け破けていたり、草木の種を引っ付けていたりとみすぼらしい。さらには少女は涙目で今にもちじこまって泣き崩れてしまいそうではないか。

「ど、どないしよ皆とはぐれてもうた……うち、うち……」


 湖面に石は落ちた。波紋は波になった。運命の歯車は廻り始めた。

 ――賽は投げられた。


 刻は現代。

 これはとあるあやかしと人間の、偶然のような必然で、神も知らぬ神のいたずらを書いた物語である。

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